第10話 『未来への願い』
街の大通りを外れた先に、小さな木造の宿屋があった。
壁はひび割れ、屋根の瓦はところどころ欠け落ちている。豪華さなんて欠片もない、田舎の民宿みたいな宿。
「……ここなら、安く済みそうだな」
イザナが扉を押し開け、中へ入る。僕とダンも後に続いた。
薄暗いカウンターに座っていた初老の店主が顔を上げ、三人を見やる。
その目が僕に留まった瞬間、わずかに見開かれた。
「おお……なんだ、嬢ちゃんも一緒か。ずいぶん可憐じゃねぇか」
僕は思わず身をすくめる。
「……じ、嬢ちゃんじゃないんだけどぉ……」
イザナが苦笑しつつ前に出る。
「三人で一泊したい。相場はいくらだ?」
店主は顎に手を当てて考え、やがてにやりと笑った。
「普通なら一人銀貨一枚、三人で三枚だ。だが……」
再び僕を見て、肩をすくめる。
「美人な嬢ちゃんが一人混じってるなら歓迎だ。上玉だし、気前よくマケてやろう。銀貨二枚でどうだ?」
「はぁ……?」
僕は思わず赤くなった。
「……嬢ちゃんじゃなくて、僕は……」と否定しかけたが、イザナがさっと手を上げて制した。
「……助かる。じゃあ二枚で頼む」
イザナが銀貨をカウンターに置く。
店主は満足げに受け取り、奥の部屋の鍵を渡してきた。
ダンがにやにや笑いながら僕の肩を叩く。
「ラマティ、お前……マジで得だな。女の子扱いされるのも悪くねえだろ?」
「……ぜ、全然嬉しくないよ!!」
顔を真っ赤にして叫ぶ僕の声が、薄暗い宿の廊下に響いた。
◆◆◆
案内された部屋は、木造りの質素な二階部屋だった。
窓からは街の明かりがちらちら見え、古びたベッドが三つ並んでいる。
「……うわぁ……」
ダンが毛布を手に取ると、その場で思わず抱きしめた。
「ふっかふかだ! 冷てぇ床じゃねえ! こんな柔らけぇ毛布、夢みてえだな……」
笑いながらその場にごろんと転がり、鼻をうずめる。
イザナは部屋の隅に置かれた新聞を見つけ、目を輝かせた。
「……これ、今朝の新聞だ」
手に取って紙の匂いを確かめるようにしながら呟く。
「奴隷小屋じゃ、一か月遅れのボロボロの新聞しか回ってこなかった……。破れた隙間を繋ぎ合わせて読むのが精一杯で……」
ダンが毛布から顔を出してにやりと笑う。
「ラマティは? お前もなんか感激してんだろ?」
「……僕は……」
ベッドに腰を下ろし、指先でシーツをつまむ。
真っ白で清潔な布。奴隷小屋の汚れた藁布団とは比べものにならない。
「……ただ、ちゃんと眠れる場所があるだけで、すごく……幸せだなって」
三人で顔を見合わせ、自然と笑い合った。
大したものじゃない。ただのボロ宿。
けれど奴隷だった僕らにとっては、何よりも贅沢な場所だった。
「……よし、今日はもう寝ようぜ」
毛布に潜り込みながら、ダンが大きなあくびをする。
「こんなふかふかに包まれるの、子どもの頃以来だ……」
「……俺もだ」
新聞を胸に抱えながら、イザナが小さく笑った。
「文字が擦れてない新聞なんて、初めて読む……。こんな風にこれからもずーっと長く生きていければいいな」
その言葉に、僕は息をのんだ。
――イザナが初めて口にした、“未来への願い”。
僕もベッドに横になり、瞼を閉じる。
心臓の鼓動が静かに落ち着いていく。
初めて、安心して眠れる――そんな感覚を覚えながら。
……そして、闇の中。
再びあの囁きが、脳裏に響いた。
《――接続開始。アカシックレコードを起動》
意識が引き込まれるように沈んでいく。
気がつけば、またあの果てしない図書館に立っていた。




