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玉座の憧憬  作者: 桜 みゆき


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二章  願望

「…………はぁ」

 物思いに沈んでいたセレンは、無意識に頬を指で辿る。

 アキュイラの城へと到着してから――、ロウェルとの別れから、数日。

 王都から突然やってきた余所者の王女を、この地の人々はあたたかく迎えてくれた。

 なんでも、頻繁に変わってしまう代官ではなく、「領主」が、それも王女がやってきた、というのが嬉しいらしい。

 以前は他領と同じように貴族家の一つが治めていたアキュイラだが、彼らは横領やらなんやらと悪事を働いて罷免されている。それ以降なかなか後任が見つからず、現在にまで至っていた。

 代官の任期は基本的に一、二年。当座を乗り切るには十分だが、先を見据え、長期目線での領地運営は難しい。

 そういう事情を聞けば、領主邸で働く人々が喜ぶのも理解できた。

 また、セレンの赴任までこの地を守っていた代官も、引き継ぎのために当面残ることになっているのだが、彼が王女を歓迎する雰囲気を作ってくれていたのも大きいだろう。

 現在セレンは、その代官に執務を教わりながら、アキュイラの地について学びを進めている。

 冷たい王宮とは違う、あたたかな空気。

 王女ではなく、「セレン」に向けられる笑顔。

 まだここに到着してから、片手で数えられる程度の日数しか経っていないにもかかわらず、安心と充足を――感じたことのない居心地の良さを覚えていた。

「……私は」

 このまま、ここで生きていってはいけないだろうか。

 母の願いも何もかも忘れて。

 すり、と頬を指で辿る。

 あんな風に触れられたのは、はじめてだった。

 人の手というものは、あんなにも……やわらかにふれるものなの――?

「わたしは……」

 その時、控えめなノックの音が聞こえて、セレンは顔を跳ね上げる。

「っ、誰だ?」

「ミイスです」

 入室を許可すると、どこか怪訝な表情をしたミイスが入ってきた。

「どうした?」

「その、姫様にお客様だそうで……」

「……客?」

 自分をこんな辺境まで訪ねてくる「客」に、まったく心当たりがない。

「どなただ?」

「ロムーリャ公国からの使者様だそうです」

 セレンはますます首を捻る。

 ロムーリャ公国――。ここ、ウィレミニア王国の属国であり、アレイストの母がいる国だ。

 ミイスによると、セレンのアキュイラ領主就任を祝いにきた、ということだが……。

「何故……?」

「さあ…………」

 弟ならばともかく、自身と公国とに直接的な繋がりはない。アキュイラが国境を接しているわけでもなく、理由が一つも思い至らなかった。

 だが、相手は正式な印璽の捺された書状を持っているとかで、無下にすることもできなかったという。

「どうされますか?」

「……会う」

 訝しむ気持ちが無いではなかったが、他国の使者として訪ねてきたのならば、自分が対応する他ない。

 セレンは仕方なく立ち上がると、客人を待たせているという応接室へ向かった。




 急な来客ということで、身繕いはそこそこにしてセレンは客人の元へと向かう。

 もっと着飾らせたかったらしいミイスの不満げな視線を背中に感じながらも、それに気付かぬ振りで歩を進めた。

「ここだな?」

 頷くミイスの姿を確認して、セレンは扉を叩いてからゆっくりと開ける。

「お待たせして申し訳な――…………」

 だが、謝罪の言葉を最後まで言い切るより早く、そこにいた人物の姿を見て、口を閉じることも忘れてぽかんと呆けてしまった。

 固まったままのセレンに、()はスッと立ち上がると、信じられないほど(さま)になった礼をする。

「お目通り叶いまして大変光栄にございます、殿下」

「なっ……、な――」

 セレンの手を取り、その指先に口付ける男の仕草は板についていて、一朝一夕で身に付けたものではないとわかった。だからこそ余計に混乱しながら、どうにか声を絞り出す。

「どうして、お前がここにいるんだ!!」

 そう叫ぶと彼――ロウェルは、イタズラが成功したようにニヤリと笑った。

「どうして、って。お仕事だよ。お仕事」

 もしや使者の護衛でもしているのかと思い辺りを見渡すが、どこを見ても彼以外に誰もいない。

 その仕草でセレンが何を考えているのか察しがついたらしく、彼はくすくすとまた笑いを漏らす。

「そんな必死で探しても、俺以外いないぞ? ロムーリャからの使者は俺だからな」

「だ、だが、傭兵だって言ってたじゃないか!」

「違うぞ。傭兵、み、た、い、な、って言ったんだ」

 半笑いの反論に、混乱しきりのセレンはぐぬと言葉を詰まらせた。

 たしかに、そうだった気もする。

 しかしなんとも納得できずに顔をしかめていると、ロウェルがぽんとセレンの肩に手を置いた。

「揶揄って悪かったよ。さ、ちょっと落ち着いて話そう」

 促されてソファに腰を下ろすと、彼もその隣に座る。

 膝の上にある手はやわく握られ、太腿は触れあいそうなほど近い。

 明らかに領主と使者の距離感ではないが、セレンがそれに気付くほど平静を取り戻した頃には随分時間が経っていて、今更指摘できそうもなかった。

 どことなく気まずさを感じながら、俯き加減で口を開く。

「お前、いつから私が『セレンティーネ』だと?」

「……まあ、暫く一緒にいたんだ。やんごとなき身分の方だってことくらい、すぐわかるさ」

「そういうものか……」

「セレンティーネ」

 耳元で囁かれる名前に肩が跳ねた。

「拗ねてないで、そろそろこっち向いてよ」

「なっ、拗ねてなんか……」

 顔を上げると、彼と目が間近で合って口を噤んでしまう。

 ロウェルは微笑を浮かべると、セレンの耳元に顔を寄せた。

「さみしかった?」

「だ、誰が……っ」

「そう? 俺はさみしかったけど……」

 耳朶に触れる吐息に、セレンはぎゅっと目をきつく瞑った。

 身体と心に未知の感覚が湧き起こる。

 それに怖気づきながらも、何故か逃げようとは思えない。

 怖いのに、なぜか。

「ね。俺もっとセレンティーネの傍にいたいんだけど……、だめか?」

「そっ、れは……」

「だめ?」

「……っ、その、好きに……したらいい」

 迷いながらも頷くと、ロウェルは小さく嘆息する。

「……ありがとう、セレンティーネ」

 安堵の混じる彼の声を聞きながら、セレンはただただ背中へ回った腕に緊張していた。




 結局、ロウェルは何をしに来たのだろう。

 彼が再びセレンの前に現れてから早数日が経っていたが、そんな疑問は深まるばかりだ。

 書状にはアキュイラ領主就任を言祝ぐ内容しか書かれておらず、それを届けに来ただけにしては長期滞在する理由が考えつかない。

 だがその訳を訊ねてみても、「セレンティーネの傍にいたいから」という、本気なのか冗談なのか分からない言葉ではぐらかされていた。

 そう、はぐらかされた、と思っていたのだけれど――。

 セレンはミイスの淹れた甘い茶の香りに、目元を緩めた。

「今日はいつもと匂いが違うんだな」

「ふふ。ご明察です、姫様。ロウェルさんに頂いたんですよ。お疲れが取れるように、って」

「そ、そうか……」

 にまにましながら答える彼女から視線を逸らす。

 二日と空けず、こうして贈り物が届けられるようになった。そのうち部屋いっぱいになってしまうのではないか、なんて考えてしまうほど頻繁に。

 そんな姿を見ていれば、憎からず思われているのではと、どうしても感じてしまう。

 あの戯言めいた発言が、本気だったのではないか、と。

 だが、そのようなことがあり得るのだろうか……。

 セレンは湯気の燻る明るいオレンジ色をした茶を、ほんの少し口に含む。

 少々甘すぎるようにも思えたが、鼻を抜ける柑橘に似た香りは清涼感があり、気分を落ち着けてくれる気がした。

 小さく息をつき、ふと茶器が二人分用意されていることに気付く。

 それは誰の、と問うより早く扉を叩く音がして、噂をすればというやつなのか、ロウェルが入ってきた。

 ハッとしてミイスの方を見ると、まるで「ごゆっくり」とでも言うように、一つウインクを飛ばして退室していってしまう。

「ちょ、ミイス……」

 呼び止める間もなく彼女が去っていくと、苦笑するロウェルがセレンの手を取った。

「俺と二人きりは嫌?」

「そ……そういうわけじゃ」

 ごにょごにょと歯切れ悪く呟きながら、セレンは仕方なくソファを勧める。彼は当然のように隣へ腰を下ろした。

 それに慣れつつある自分に落ち着かないものを感じながら、照れ隠しのように茶を飲み下す。

「セレンティーネ」

 目を眇めてその様子を見守っていたロウェルが、甘い声でセレンの名を囁いた。

「これ、今日のプレゼント」

 そう言って差し出されたのは、白い花をリボンで纏めたブーケだ。

「あ、ありがとう。その、茶も……。ミイスから聞いた」

「……ああ」

 ロウェルは何故か困ったように淡く微笑む。

 彼は時折こんな――静かな、どこか悲しげな表情を、滲ませることがあった。

 セレンにはその理由が分からないまま、けれどいつか……知る時がくるのだろうか、と夢想する。

 この男が傍にいること。

 それが当たり前になればよいのに、とセレンは感じはじめていた。

 受け取った花束に鼻を寄せる。

 冷たいと形容されがちな自身とは、似ても似つかない可憐な花……。

「よく似合うよ」

 そんなことを嘯きながらこめかみに口付けてくるロウェルに、セレンは黙ったまま曖昧に頷いた。



     *



 セレンはふっと目を開いた。

 だが周囲は真っ暗で、星の瞬きも蝋燭の仄かな明かりも何一つ見ることができない。

 どこまでも闇が続いている。そんな黒一色の世界に、気が付くと座り込んでいた。

 ここは……?

 きょろきょろとセレンは首を巡らせる。そうしてふと、こんな暗闇の中にもかかわらず、自分の姿だけははっきりと認識できることに気付いた。

 手を握って、開く。

 何か、違和感を覚える。

 しかしその正体は判然としないまま、セレンはただ同じ動作を繰り返していた。

『――セレンティーネ』

 不意に響いた女の声に、頭を跳ね上げる。

「あ……」

 そこには、自身とよく似た銀髪をたなびかせる女が立っていた。

 彼女は、こんな顔をしていただろうか。

 もう記憶も朧げで、はっきりとは思い出すことができない。

 それでも、セレンにはこの人物が誰か分かっていた。

「……母様」

 呟いた声に反応してか、女――母の目がギョロリとこちらを睨む。

 セレンは床に座り込んだまま、その恐ろしい形相を見上げた。

『お前は何をしているの』

「え……」

 暗く沈んだ声音に、身を竦ませる。

『こんな僻地で何をしているのかと、聞いているのよ!』

 怒声に身体が震えた。

 ああ、そうだ。母は時折こうして金切り声を上げることがあった。

 それが幼いセレンには、とてもとても恐ろしくて――。

『お前は王の子なの! いずれ、王になるの! 全ての頂点に!! お前はこんな場所で埋もれるべき人間では――』

「でも、母様……」

『母上とお呼びなさい!!』

 厳しい一喝に、セレンは俯いてぎゅっと目を瞑った。

 小さな手を地面の上で握り締めて、じっと耐える。

『お前はやれば出来るのよ。あの卑怯な女狐の息子になど、負けはしないわ……』

「……はい、母上」

 恐怖で滲みそうになる涙を、必死に抑え込んだ。

 だって、泣いてしまうような弱い子は、母様に必要としてもらえないの。

 母はまだ頭上で恨み言を呟いている。

 次こそは……。次こそは、上手くやらなくちゃ。

 セレンはもう、顔を上げることすらできず、嵐が去るのを待つばかりだった。



     *



「っ――!」

 セレンは目を覚ます同時に、ガバッと身を起こした。

「……ぁ、ゆ…め…………」

 両の手を握って、開く。

 そして、あの夢の中にあった違和感にようやく気付いた。闇で蹲っていたのは、母がいなくなった頃のセレンだ。……いや、もっと幼かったかもしれない。

「…………っ」

 膝を抱えて、何かを守るように身体を小さくする。

 まだ心臓が早鐘を打っていて、とても眠れそうにない。

 だが視界を閉ざせば、母の声が迫る。彼女はそう、国王の寵を一身に受けていたにもかかわらず、常に「卑怯な女狐」――アレイストの生母に敵愾心を燻らせていた。

 いずれ彼女が戻ってきて、己の全てを奪ってしまう――。

 そのことを恐れていた。幼いセレンにも分かるほど、強く。

「……わたしは、おうに……ならなきゃ、ならない」

 蹲ったまま、浅い呼吸の合間に呟いた。

 このまま――ちいさくちいさくなって、闇に溶けて消えてしまえればいいのに。

 そう叶いもしない願いを募らせながら、セレンは己の身体をきつく抱き締めていた。




 仕事に集中していれば、雑念は消えてくれた。

 だが、ふとそれが途切れてた瞬間に、また耳元に母の囁きが落ちる。

 ――僻地で何をしているの。

 ――お前は王の子。

 ――こんな場所で埋もれるべき人間ではない。

 そのどれもが、セレンの中に苦しみを生んでゆく。

 アキュイラは「僻地」でも「こんな場所」でもない。

 けれど、母上の言葉には従わなければ……。

 そんな背反する気持ちが葛藤を日々強めていっていた。

 口を引き結んだセレンは、目の前にある書類へ視線を無理やり向けて、内容を確認してはペンを走らせる。

 そしてまた、次の紙を取ろうとしたほんの一瞬に、母の声が木霊した。

 だが今回はその思考に飲まれるより先に、机の上へ影が落ちる。

 ハッとして頭を上げると、そこには神妙な顔をしたロウェルが立っていた。

 彼はセレンと目が合うと小さく溜息をついて、握られたままのペンをサッと引き抜いてしまう。

「お、おい、何を……」

 眉をひそめたロウェルが、セレンの口元へ人差し指を添えた。反論を封じられてしまい、ムッと不満を視線に乗せる。しかし彼は、首を横に振った。

「朝から休んでない、って聞いた。今何時なのか分かってるか?」

「それは……」

 答えられずに窓の方へ首を傾けると、空は茜色をしている。もう夜に近いと言って、差し支えない時間だった。

「セレンティーネ」

 机の向こう側にいたロウェルが、こちらへ回り込んで傍らに膝をつく。

「どうした? 何かあったか?」

 自身よりも幾分背の高い彼から見上げられるのが、少しだけ不思議な感覚がした。

「……何も」

 小さな声で呟く。

 そう、何もありはしない。あれは、ただの夢なのだから。

「嘘つけ。目元が赤いぞ」

 伸びてきた指が眦を擽る。セレンはその感触に自然と目を閉じていた。

「隈もできてるな……。おいで、少し休もう」

 ロウェルに手を引かれると、何故か抵抗できずにそのまま立ち上がってしまう。どうしてこんなにも素直に応じてしまうのか、自分でもよく分からなかった。

 執務室を出た彼は、その手を離さないままセレンの自室へ向かう。それから当然のように中まで入ると、二人掛けのソファまで歩いて、座れというように肩を押した。

「ちょっ……」

「いいから」

 隣に腰掛けたロウェルはセレンの頭を引き寄せて、そっと撫ではじめた。

 その規則的な動きが心地よくて、身体の力が抜けてしまう。

 けれど、わたしは…こんなことをしている場合じゃ……。

 そう思うのに、目蓋まで重くなってきてしまった。

 指の一本を持ち上げることすら億劫になって、大人しくロウェルの肩に身を預ける。彼は心底愛おしむかような手付きでセレンの髪を梳いて、頭頂に口付けた。

「なにがあった?」

 そっと落とされるやわらかな問いに、気が付けばぽつと口を開いていた。

「…………夢を、見た…だけだ。わるい……ゆめを」

 髪に触れるロウェルの手が一瞬止まって、また動き出す。

「どんな?」

 セレンは眠気に抗えなくなり、目を閉じた。

 どんな? あれは、どんな夢だっただろう……。ただ一つ、たしかなのは――

「私は、王にならねば……」

「――――、」

 ロウェルは何も応えない。

 彼はその言葉をどのような表情をして聞いたのか。

 気にはなったが、どうしても目蓋が開かなかった。

 セレンの意識が眠りの中へ転がり落ちてゆく。

「……なら、」

 耳元を吐息が擽った。

「なら、奪ってしまえ――」

 それは、現実のロウェルが発したものだったのか。それとも夢現の見せる幻のようなものだったのか。

 その答えは分からぬまま、セレンは抗えぬ眠りに沈んでいった。




「姫様……、少しお休みになってください」

 傍らにそっと置かれたティーカップに、セレンは頭を持ち上げた。

 そこにはミイスの心配げな表情がある。だが、その物言いたげな目に苛立ちを覚えて、ふいと手元の書類に視線を戻した。

「問題ない」

「ですが、お顔の色が悪いです。夜もあまり眠れてらっしゃらないのでしょう?」

「……問題ない」

 彼女の言う通り、ここ何日もセレンは碌に睡眠をとれていない。

 毎晩、母の囁き声が聞こえるからだった。

 いや最近では、日中の今もすぐ傍らに立っているような気さえする。

 夢も見ずに深く眠れるのは、ロウェルが隣にいる少しの間だけ。ほんのひととき意識が落ちて――、人々が寝静まる時には、母の声と共に夜を明かしていた。

 だが、それで問題があるわけではない。

 身体は動くし、休息を取っていないわけでもなかった。

 だからセレンはどうしてこう、彼女が口を出してくるのかが分からないでいた。

 分からない。分からなくて、腹が立つ。

 私は平気なのに。

 仕事に意識を戻すセレンの前で、ミイスはくっと息を飲んだ。

 いつもなら、「冷めないうちに飲んでくださいね」と茶を残して去っていくのに、今日の彼女は中々動こうとしない。

 何か言いたげな空気を肌で感じ、セレンは握っていたペンにきゅっと力を込めた。

 それと同時にミイスがついに口を開く。

「姫様、いい加減になさってください! ご自身の今のお顔を、きちんと鏡でご覧になったことがありますか!? そんなにご無理をなさるほど、アキュイラの地は逼迫してはおりません! わかってらっしゃるでしょう!?」

 いつの間にか止まっていたペン先から、ぽたりと真っ黒なインクが落ちた。

 それはまるで、セレンの心を蝕むように広がっていく。

「――ッ、うるさいっ!!」

 バンッ、とペンを机に叩きつける。

 ミイスの肩がびくりと跳ねたが、今のセレンにはそのことに構っていられるほどの余裕が消え失せていた。

 怒りのままに捲し立てる。

「お前に何が分かる!? 父上に見限られ、『こんな辺境』に棄てられた私の何が……!!」

 ミイスが息を飲んで呆然と言った。

「『こんな辺境』……? それ、本気で仰っているんですか?」

 その問いに言葉が詰まる。

 違う……。ちがう。わたしは、そんなこと――。

 でも。

 セレンは込み上げる激情のままに、机にあったものを床に叩きつけるように手で払い落とした。

 仄かな湯気をたてていた茶器が、派手な音と共に砕け散る。

「出ていけ!!」

「姫さ……」

「ひとりに、してくれ……」

 ミイスは黙って深く一礼すると、部屋を去っていった。

 扉が閉まり、しんと沈黙が降りると、途端に身体の力が抜ける。

 どさりと椅子に身を沈めて、顔を両手で覆った。

 きっと今のでミイスにも見限られてしまったに違いない。

 世界に独りきりにされてしまったような虚無感が襲う。

 だが――。

『そんなもの、王たるお前には関係がないわ。そうでしょう?』

「――はい、母上……」

 こんな時でも、母の声が消えることはない。




 ミイスと碌な会話もないまま、日々が過ぎてゆく。

 それと引き換えのように、セレンの心に凝る苛立ちと焦燥は時間を追うごとに募っていっていた。

「セレンティーネ」

 耳元に囁かれる男の声に、ゆっくり目蓋を押し上げる。

「あ……」

 自分はいつ眠ってしまっていたのだろう。

 知らぬ間に突っ伏していた机から身を起こすと、セレンはそこに立つロウェルを見上げた。

「ごめん、返事がなかったから心配で入ってしまったんだ」

「…………そうか。……いや、構わない。お前なら」

 思ったままの言葉がぽろりと落ちる。彼は虚を突かれたように一瞬だけ目を見開いたが、すぐに口元へ笑みを形作った。

「……光栄だよ」

 どこか浮かない笑顔のまま、ロウェルはセレンの方へ手を伸ばす。

「それより、こんな所で寝るなんて……。やっぱりまだ、よく眠れないのか?」

 やわく頭を撫でられて、また目蓋が閉じそうになるのをどうにか堪えた。彼の問いに小さく頷いて、手から零れ落ちていたペンを拾い上げる。

 だが、すかさずそれを抜き取られてしまった。

「こら。少しは休め。ほら、立って」

 隣まで回り込んできたロウェルに、腕を掴まれ椅子から腰を上げる。

「だが……」

 反発は言葉だけで、気が付くと部屋のソファまで移動させられてしまっていた。

 ロウェルの傍にいると、どうしてこんなにも素直に従ってしまうのだろう。いつもは目まぐるしく回る思考が緩んでしまって、上手く考えが纏められなくなる。

 隣に座ったロウェルに肩を引き寄せられて、セレンは彼にもたれかかった。抵抗しようと腕を上げることすら億劫で、そのまま身体の力を抜く。

 こんなことを、している場合では……ない、のに。

「なあ、セレンティーネは何に思い悩んでいるんだ?」

「…………言っても詮の無いことだ」

 ロウェルがセレンの髪を撫でる。

「教えてよ。俺は知りたい」

「――っ」

 毒のように甘い囁きだと思った。

 頭が痺れて、思考力を奪う。

 この男に全て投げ出してしまえば、私は楽になれるのだろうか――。

 セレンは小さく口を開いた。

「母の……。母上の、声が、聞こえるんだ」

「……どんな」

「私を責める、声……。私が、母の期待に応えられない、から」

 きゅっと唇を噛む。

 全て、全て――、私が悪い。

 アレイストのように、一目で王の子と分かる男として生まれられなかった。

 誰もが認めるような、国王の素質もない。

 だというのに、母から受け継いだのは銀の髪ばかりで、王に目をかけてもらえる愛嬌すら持ち合わせてはいなかった。

 今こうなっているのは、全て私自身のせい。

「――だから、私はここで……、もっと、もっと……もっと、努力をしなければ」

「…………それは、いつまでだ?」

「え……?」

 セレンはロウェルからの問いに、ゆっくりと目を開いた。

「ここで努力して、成果を出して――、都に戻る?」

 頭を上げて彼の顔を覗き込むと、ただじっとこちらを見つめる瞳と視線が合った。セレンは戸惑いながらも頷く。

「都に戻って、また努力して……。『王になる』?」

 目的をはっきりと口にされて、息を飲んだ。

 でも、そうだ。その通りなのだ。私が「王になる」には、それしか。

 だがロウェルは小さく首を横に振る。

「セレンティーネ。それは一体何日――、何年かかるんだ? その時まで、こんな生活を続けるのか?」

「……それは」

 何も答えられない。

 分かってはいるのだ。こんな日々を長くは続けられないことくらい。

 いずれ限界が来ることくらい。

 でも、じゃあどうすればいい?

 どうすれば、母の願いを叶えられる?

 どうすれば――。

「――『奪ってしまえ』」

 ポツリと落ちた呟きに、セレンはハッとして俯いていた顔を上げた。

「本当は分かっているんだろう? こんな場所でいくら努力したところで、どうにもならない、って」

 セレンは言葉に詰まって黙り込む。

 ずっと見ない振りをしてきた現実を直視させられて、酷く胸が軋んだ。

「だ、だが……」

「怖い?」

 端的な問いに、返答すらできない。

 怖い。たしかに、自分は恐怖を感じている。

 しかしそれは、一体「何」に対してだろう。

 王位を簒奪すること自体なのか。

 それを仄めかすロウェルへなのか。

 もしくは、その選択も消去できないでいる自分自身へなのか。

 だが、それらは「このまま何も出来ずに死んでいく」こと以上に、怖ろしいことなのだろうか。

「……私に、出来ると思うか」

 セレンの呟きにロウェルは目をスッと細める。

「他に誰が出来る?」

 背後にまた、母の気配を感じた気がした。

「…………私は、王にならねばならない。ロウェル、付いて来て…ほしい」

 彼はセレンの手を取ると、指先に口付けを落とす。

「ああ。全てが終わるその瞬間まで、俺はセレンティーネのそばにいる」

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