第七十四話、盤上の駒。
チチッ、チチッ。
チキチキ。チキチキ。
たくさんの小鳥が鳴いている。
花は咲き乱れ、綺麗な蝶が何匹も飛んでいる。
一見楽園のように思えるこの場所に太陽はない。だがまるで太陽があるかのように花々は明るく照らされ、空は青く澄んでいる。
その花畑の中心に白く塗られたガゼボがあった。
ガゼボの中には白い丸机が置かれ、それを囲むように椅子が置かれている。
その席の一つに、その男はいた。
その頬には皺が刻まれ、その男が生きてきた年月を物語る。歳は…五十といったところだろうか?
歳を食って尚、気品が漂い凛々しいその顔からは若い頃はどれだけ美青年だったのかと思わせる。
小鳥の奏でる音楽に囲まれながら男はただ紅茶を口に運ぶ。
静かなひと時が流れていく。その様子はまるで誰かを待っているかのようだった。
「待たせたわね。」
そう後ろから声が聞こえる。
口角を上げ振り返るその先にいたのは若い女の子だった。
「何ヶ月ぶりかしらね。しばらく来なかったけれど一体何処に行ってたのか…。まあ詮索はしないけど。」
そう言う女の子は男に軽く微笑む。その目は血のように紅く、その長く伸ばした髪は雪のように純白だった。
「久しぶりね、サンジェルマン。」
「…ああ、こちらこそ、イリス。」
イリス、と呼ばれた少女は淑やかに歩みを進め、サンジェルマンと呼ばれた男の向かいに座る。
「さて、お茶にしましょうか。貴方も飲むでしょ、サンジェルマン。」
「…サンジェルマンは偽名だ。いい加減、アスタロトとそう呼んでくれないか。」
「嫌よ。あの時私を、いえ、私たちを救ってくれたのはサンジェルマンだった。そのアスタロトとか言う名前も気にいらないわ。」
そう言って新しく入れた紅茶を一口啜る。
「…いつかはそう呼んでくれると嬉しいかな。」
「考えておくわ、サンジェルマン。」
「…。」
「お嬢様、焼き菓子で御座います。」
「あら、ありがとう。」
執事服を着こなした老人が焼けた焼き菓子を持ってきた。
どれも美味しそうだ。
「私もいただいていいかい?」
「どうぞ。好きにして。」
「では…。」
その中の一つを手に取る。焼きたてだったらしくまだほんのりと暖かい。
それを口に運ぶと、口からサクッと軽い音が聞こえた。
「…!なかなか腕が上がったじゃないか。とても美味しいよ。」
「お褒めに預かり光栄です。」
「どうだ。私の元で…。」
「結構です。」
そう老執事は淡々と返す。
「彼は私の専属よ。他の誰のものにもならないわ。」
「…そうか。是非とも私の家の厨房係を任せたかったのだが…。」
「諦めることね。」
そう言いながら彼女も焼き菓子を一つ口に入れる。彼女の所作は端々から上品さが見られる。
「…うん、美味しいわ。ありがとう。また次も焼いてもらってもいいかしら?」
「勿論で御座います。」
そう建物の中に下がっていく執事の背中を見届けてから、鋭い目をサンジェルマン、もといアスタロトに向ける。
「…で?何の用?」
「いや、一仕事終わって暇ができたからね。君の顔でも拝んでおこうと思って。」
「仕事…ねぇ。貴方既婚者でしょう?家族のことは気にかけないの?」
「そのための仕事だ。物事が筋書き通りに進み、そして終わるための、ね…。」
「前から貴方が話していた『筋書き』とやらには貴方の家族も巻き込んでいるってことかしら。」
「そういうことだ。各個人の一挙手一投足で世界は大きく変わる。それを最もあるべき形に導き、間違いを正すのが私の役目だ。さながら、ゲームのトゥルーエンドを目指すプレイヤーのようにね。」
完成された終わり。
全ての伏線を、全てのイベントを、全てのストーリーを回収した先にある栄誉ある終着点。その先は誰も知らない。
「幸い私の筋書き通りに息子はやってくれたようだ。私の選択は間違っていなかったようで安心したよ。」
「…そのために、その子を孤独に落とした。違う?」
イリスに鋭い目つきで睨まれ、アスタロトは黙り込む。イリスは大きくため息をした。
「本当あなたって最悪ね。子供が気の毒だわ。」
「より良い世界のためだ。そのためなら生物は皆、プレイヤーに操られる駒にならざるを得ない。もちろん私もね。」
「貴方自身が捨て駒になって何になるというの?そもそも私は貴方が言う筋書き通りに動くつもりはないわよ。」
「ああ、今は――それでいい。今の君は歴史を動かす特異点にはなり得ない。」
「それはそれで腹が立つわね。いっそ貴方を出禁にしてもいいのよ?貴方との接点はあの時助けてもらったというだけ。あっ、後は同族というくらいかしらね。私と貴方はあくまでビジネスパートナーに過ぎない。そもそも信用には値しないわ。」
「…悲しいね。」
やっぱりこの男は不気味だ。悲しいといっているのに全く悲しそうな顔をしない。
いつも通りのポーカーフェイス。
「…そうだ、チェスでもしないかい?君が先行の白でいいよ。」
「結構よ。…全く、気分を害したわ。そろそろ帰ってもらえるかしら。」
「…?まだ会ってそんなに時間は経っていないのだが…。」
「だから気分を害したと言っているでしょう。帰って頂戴。」
「…分かった。」
アスタロトはイリスに背を向け歩き出す。
…ふと足を止める。足音がしなくなったことに気付いたイリスが少し後ろを振り返る。
「いい加減認めたらどうだい。」
「…何を。」
「世界には人間をも動かす超常の存在がいると。そして私もその中の一人、神であるとね…。」
「貴方のことは信じないと言っているでしょう。さっさと…」
「君が私をアスタロトで呼びたがらず、サンジェルマンに拘るのはなぜだい?薄々気付いているんじゃないのかな?私が常軌を逸する超常の存在であると。それなのに私が神であると言っても信じてくれない。…いや信じたくないのかな?」
「神はいないわ。話は終わりよ。」
「…そうか。」
アスタロトは出口の方へ歩いていく。途中すれ違った執事に軽く会釈をしてこの空間を出ていく。
「もう帰られたのですか?」
「…ええ。もう異物は懲り懲りよ。」
「分かりました。結界の警備を強くいたします。」
そう言って彼も去っていく。
一人残されたイリスは呟く。
「…そう。神はいないわ。最初から、ずっと。」
そう自分に言い聞かせるように。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
あの花畑の空間の外は雰囲気が一切変わっている。
花々は枯れ、空は赤黒く染まり欠けた月が昇っている。
そんな中をアスタロトは一人歩く。
しばらく進むと駅が見えてきた。
「…あと3分か…。」
駅のホームで電車が来るのを待つ。
案内板の文字はこの世の文字とは思えないものばかりで読めない。
遠くからは何やら太鼓のような音が聞こえる。
すぐに電車は来た。人間界のものと変わらない普通の電車。ただ少し違うのは乗客が誰もいないことだ。
電車に乗って椅子に座る。アナウンスもなしにドアは閉まった。
電車が動き始めると同時に、アスタロトは目を閉じ眠りにつく。
しばらくして電車のアナウンスの音で目が覚める。
いつのまにか周りは人でごった返している。椅子も満席で立っている人が多数だ。
『次は〜、新浜松〜、新浜松です。』
アスタロトはその駅で降りる。
人が多く行き交う駅。その中を歩きながらイリスとの会話を振り返る。
「…全く、ああいう娘は苦手だよ。」
そうため息をつく。
その横を風船を持ってはしゃいでいる子供が走り去っていった。
「…だがとにかく…これで君も盤上の駒だ。」
そのあと彼が何処にいったのかは誰も知らない。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「あーー、疲れたーー!」
一方その頃、ベル達は模擬戦を終え、地に大の字で寝転がっていた。
「お疲れ様です、お嬢様。お水どうぞ。」
「わ、私が回復魔法をかけます…!」
「ありがとう、アリエ、黒龍さん。アルもお疲れ様。」
「うん、おかげで気が晴れたよ。」
「役に立てて良かった!にっししっ!」
ベルはゆっくりと立ち上がる。
「さて…と、私たちもそろそろ帰らないと。」
「そうですね、亘希さんも下界に送り届けないといけませんし。」
「そっか。…じゃあ、またね、ベル。」
そう言って右手を差し出す。
「うん、こちらこそ。」
そう言ってベルもアルの手を握って握手をする。
すると、アルの表情が固まった。
「…?アル…?」
返事をしない。ただ虚空を見つめている。なぜか息も荒いように見える。
「アル、アルってば!」
「わっ、ご、ごめん…!ぼっとしてた…!」
「疲れがぶり返してきたのでしょうか…?」
「でももう大丈夫だから。気にしないで。」
「そっか。じゃ、行こっか。」
去っていくみんなの背中を見る。
気付けばもう手を取っていた。
「えっ、アル…?」
掴んだのは亘希の手。
「また、君の家にもいくから…!君は人間なのに、神に関わらなくていいのに僕を助けてくれた。そのお礼がしたいんだ。」
亘希は一瞬キョトンとしていたがすぐ笑って言った。
「分かった。待ってるね。」
「後それと…。」
「えっ?」
「ベルのこと頼んだよ。」
そう彼の耳元で囁いた。
そうしてまた別れる。その背中が見えなくなった頃、アルの顔が曇った。
「何で…こんな時に…。」
そうだ、このことを連絡しなくては。
受話器を手にして電話をかける。
「…もしもし。最高神様ですか?…はい。はい、僕です、アルです。…はい。…ありがとうございます。…はい、今日はお話があってお電話させていただきました。…はい。…できるだけ多くの兵をここに送って欲しいんです。いえ、今じゃなくていいです。ただし戦えるよう訓練された優秀な兵をお願いします。期限は…。」
カレンダーをちらっと見る。
「来年の…三月までに。はい、お願いします。」
電話が切れる。
もう日は沈み、夜が来ていた。
「僕も、また準備しないと。」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
セントラルアッシュ。最高神の城。
その中で一人最高神シグナス・ヴォン・グラリスは悩んでいた。
内容はもちろん先ほどのアルの電話。
「まさかな…。何かよからぬことが起こらねばいいが…。」
そんな中扉が開く。
「失礼します。」
その外にいたのは月影隊隊長・レイエルだった。
「レイか。任務お疲れ様だ。どうした?」
「以前より仰せつかっていた件の場所の捜索、ついに特定しました。」
「…!そうか…!…というか、今報告しに来たということは、アルを救う任務と併行させてやっていたのか?」
「いえいえ、少し前から大体の位置は把握できていましたから。ただ確固たる証拠が少なく、隊を送るには情報不足。しかしつい先ほど魔力の揺れが感知されたのでここが件の場所で間違いなさそうです。」
「そうか。ついに見つけたか。」
「やはり予想通り異空間型の結界。それもかなり高度なもののようです。」
「なるほどな。準備が出来次第少人数でお前にも動いてもらうかもしれない。準備は怠るな。それにしてもよく見つけたな。」
そう驚愕も含まれた目でシグナスはレイを見つめる。
「そうですね。我々でも探知できないような微細な魔力。そもそもマナが少ない下界であそこまでできるとは。油断ならないものです。電車の線路区間の一部に陣取り、迷い込んだものを閉じ込める異空間。通称・『きさらぎ駅』。」




