第六十九話、大切な人。
「――ベル…!ベル!」
「お嬢様、返事してください!ねぇ、お嬢様…!…っ!ベル…!」
声が、聞こえる…。
私は、どうなったんだっけ…?
ここは…どこ?
心臓の音がすごく近くで聞こえる。
ドク、ドク、とまるでメトロノームのように同じ周期で鳴っている。
ふと下を見ると、誰かがこっちを見ている。
いつかどこかで、会ったことがあるような…。
その子の手が私の手と重なる。
暖かくて心地よい、不思議と安心する手だった。
その子と目が合い、つい口元が綻ぶ。
しばらくその子と手を繋いでいたけれど、急に上から光が差しこんできた。
あの子の手と同じくらい暖かく、眩しい光。
え…?あっちに行けばいいの?
その子はコクリと頷く。
分かった。じゃあまた…ね?
でも、その子は私の手をずっと握って話さない。
私が困っていると、不思議なことが起きた。その子はすうっと色が薄くなり姿を消していく。
いや、消えたんじゃなくて私の体へ入って…そして一緒になった。
その瞬間、私の体に力が漲った。
突如上から照らしていた光が光度を上げる。
私が眩しさに目を瞑ると、そのまま光に飲み込まれた。
また目を開けるとそこには心配そうに私を見つめる友達の姿があった。二人の目には涙が溜まっている。
「…!ベル…!…よかっ…たぁ…。本当によかった…!」
「お嬢様…。生きていてくれて…ありがとうございます…!」
なんで二人はこんなに私を心配しているんだろう…?
何があったっけ…何が…。記憶が朧気で思い出せない…。
「二人とも…おはよう…。ちょっと寝過ぎた?」
「…いつも通り呑気で何よりです。本当に…心配させるほどお寝坊さんなんですから…。」
「何があったの…?よいしょ…。」
「そんな…すぐに起き上がっては…!」
「え…?…って、うひゃう!!亘希くん何その血!?酷い怪我じゃん!!てか生きてる!?」
「いやこれは…ベルの血だよ。ベルすごい血を出してたからすぐにアリエと一緒に止血しに行ったんだ。その時についちゃったのかも。」
「そっかー、私の血かー、よかったー…って全然良くないし!つまりは私が大怪我を…。…って何この血の量!?けほっ!…!?なんか咳にも血が混じってる!?」
私は胸の辺りから大量に出血していた。口の端からもいつのまにか血が垂れている。それに気付いた瞬間、胸の辺りに焼けるような激痛を感じた。
そうだ、私はアルに…。
「っ…!痛いっ…!くっ…あぁっ…!!」
「安静にしててください。起きているだけでも奇跡なんですから。」
「大丈夫っ…!この程度…!私は悪魔と神のハーフだよ?言わばハイブリッド車だよ?ただの悪魔とか神に殺されるわけないっての…!」
「訳わかんないこと言う前に早く横になってください!!私はあなたに死んでほしくないっ!!」
見たこともない表情と声でアリエが叫ぶ。その顔には確かに普段見せることのない焦燥感を見せていた。
「アリエ…。」
「…すみません。ですが、本当に危険な状態です。回復魔法をかけ続けて辛うじてこれ以上傷が広がらないように抑えていますが、それでも急所を正確に打ち抜かれているので回復が間に合いません。私が魔力切れまで粘っても命が尽きるのは時間の問題です。セントラルアッシュまで戻れば凄腕の医師も多いのでなんとかなるかもしれません。只今、お姉様が足止めしてくれています。さあ、早く撤退を…!」
…アリエは必死だ。でも…。
私たちの下には肉の海が広がっている。そしてその海の中心、さっきまで城があったところには卵のような形をしている肉の繭がポツンと立っている。肉の繭からはすでに歪んで混沌とした魔力に変質したアルの魔力が感じられる。…そうだ。私だけ助かることなんてできない。
「…ごめん。それはできないや。」
「何故です!?このままでは…!」
「うん、分かってる。でもね、私はアルを助けにここに来たんだよ?何も達成できずにここから離れるなんてできない。もし私が生き永らえても死んでも、アルを助けられなかったらきっと後悔し続ける。だから今は、私の命より、あの子を、アルを優先したいの。」
「それでは治療が間に合いません!あなたは自分で自分の命を捨てるんですか!?」
「でも…」
「話は聞いたわ。」
どこで聞いていたのか、後ろからレイが現れる。その目は私を捉えていなかった。
「巻き込んでしまってごめんなさい。私の身勝手であなたに怪我を負わせてしまった。」
「いや、これは私が…。」
「あなたはもう戦わなくていいわ。さっきも言ったけれど、これはあの子と私の二人だけの問題。本来あなたには関係ない。なのに首を突っ込もうとするからこうなるのよ。尤も、一番悪いのはあなたに手伝わせてしまった私だけれどね。だからあなたはなんの後悔もいらない。潔く退きなさい。」
「私にも関係あるってば…!アルと私は友達だよ!?関係ないわけ…。」
「ふぅん、友達…ね…。ならなんであの子はあなたを攻撃したのかしら?心臓を打ち抜くのは友達としてのじゃれ合いに入るのかしら?」
「それ…は…。」
「まだ気付かないの?あの子に拒絶されたのよ、あなた。あの子自身に拒絶されたあなたが、あの子を救う?笑わせないで頂戴。あなたではあの子を救えない。どんな手を使ってもね。」
「っ…。」
「じゃああの子は私一人で救うから。早く撤退しなさい。どれだけ血が飛び散ってもいいようにね。それじゃ。」
「ま、待って…っ!」
必死に引き留めようとするけど、レイは全く聞く耳を持たなかった。
「…あの子なりの気遣いなのでしょう。レイの言うことはもっともです。この場はレイに任せて私たちは…。」
「嫌だよ…!私は…!ゴフッ…!」
「お嬢様!!」
咳と共に血が出る。
死が間近に感じられる。不思議な気分だった。
私の白い肌を私の血が赤く染める。服にも血が滲み、全体的に赤黒くなっていた。
「…はぁ…はぁ…、やっぱり…アリエの言うことは聞けないや。死ぬのは怖い。でもそれ以上に私自身がここから離れることを拒否してるの。きっとアルを助けられるまで、私は死なない。あの子が助かって、大丈夫になったのを見届けないと、私は死ねないから…。」
「根拠のないこと言わないでください!そもそも医師のところに着くまでに命を落とす可能性だってあるんですよ!?なのにそんなこと…確証がないです!!」
きっとアリエは私が撤退を決めるまで、私を説得し続けるだろう。
仕方がない…最終手段だ。
「天動隊隊長、そして私の一の騎士・アリエ、私をこの場に置いていきなさい。これは私、最高神の娘・ベルゼ・バアル・グラディスからの命令です。逆らうことは許しません。」
「…っ!お嬢様、そんな命令…っ、聞けません…っ!!どんな罰が降っても、私はその命令には従えません…!!本当にごめんなさい!その命令を聞くくらいなら、私はこんな位なんていらない!!私はただ…お嬢様に…ベルに…っ!!隣でずっと生きてて欲しいの!死なないで!死なないでよ…!!もし死んだら私が許さない…!あなたも、世界も、何もかも…!!だから…生きて…ください…っ、お願い…します…!!」
…そんなこと言われちゃったらせっかく固まった決意も弱まっちゃうじゃん…。本当にずるい。泣かないで。私まで悲しくなってしまうから。でも…。
「…あーあ、やっぱりアリエに嘘なんかつけないや。ほんとはね、これは命令じゃない。私の個人的なお願いなの。私の、本当の一生のお願い。聞いてくれないかな?」
「一生のお願いだなんて…お嬢様はその言葉に頼りすぎです。あなたは小さい頃から色々なことで「一生のお願い〜!」って私にお願いして、私は渋々それに答えるんです。そして次の日にはそういったことも忘れて私に一生のお願いをするんです。次も同じですよね?最後じゃないですよね?また、一生のお願いを使ってくれますよね…?」
「…。」
「なんとか言ってくださいよ…!ベル…!」
私はできる限りの優しい笑顔をつくってアリエに向ける。
涙でぐしゃぐしゃになったアリエの顔を優しく撫でる。
「アリエ…大好き!!大好きだから…私のお願いを…聞い…て…。…?」
ポツポツと何やら水滴が下へ落ちていく。最初は雨が降ってきたのかと思った。でも、私は濡れていない。その水滴は私の目から流れ出ていた。
「…!私、泣いて…?困ったなぁ…。死んでも大丈夫って、怖くないって、アリエに伝えたかったのに、無理みたいだ…。」
「お嬢様…。」
「…本当は、とてつもなく怖い。死にたくないって、ずっと思ってる。ただの弱虫。でも、そんな私でも、友達を助けたい、たとえ命に代えても…。ごめん、ごめんね…。」
「ふっ…仕方…ないですね…っ!お願いを…聞き…ます。」
「ふふっ、ありがとう。」
涙の浮かんだ顔で二人で笑い合う。
少し離れたところでは亘希くんが顔を埋めて泣いていた。
まだ出会って数ヶ月しか経っていないのに、こんなに私のために泣いてくれている。それだけで嬉しかった。
「ねね、亘希くん。」
「っ…。…なに…?」
「私、亘希くんのこと、大好きだから。」
「えっ…?」
「色々悩んで追い詰められていた私を、あなたは救ってくれた。そしてそばにいてくれた。私を笑わせてくれて、幸せにしてくれた。まだ出会って数ヶ月だけど、あなたは大切で大切でなくしたくない、最高の親友だよ。」
「ベル…。」
もしかしたら私は。本当は私は。
もうあなたに惚れているのかもしれない。私はまだ恋愛を知らない。恋心を理解できていない。だから今私があなたを恋愛的な意味で好きなのかはまだちょっとわからない。
そんなあやふやな気持ちだけれど、この気持ちはまだ隠していたい。
でもいつか。
そう、いつか。
必ずこの気持ちは明かす。
その時には少し、この気持ちが理解できているといいな。
胸の痛みを堪えながら、私は立ち上がる。
そして静かに、飛び上がった。まだ枯れきっていない涙と、赤い血が共に落ちていく。
上空から目の前の友の変わり果てた姿を臨んで私は再び決意を固める。
絶対にアルを救ってみせる。そしてまたいつも通りの日常に戻るんだ。
私は死なない。死ねない。死んではいられない。
アリエも、亘希くんも、黒龍さんも、レイも、もちろんアルも誰一人だって悲しませない。
だから…だから…!
その時、私の胸に何やら温かいものが流れ込んできた。
その感触には覚えがあった。
あの夢で掴んだあの子の手。その暖かさととても似通っていた。
すると、不思議なことが起きた。私の深い胸の傷がみるみるうちに塞がっていく。
傷口が温かく光り、輝いている。すぐに傷は完全に癒えた。
「じゃあ私は…死なない…?」
さっきまで間近に感じていた死の気配がすごく遠くに感じた。
嬉しさに感涙しながら、私は再び鎌を構える。なぜかとても軽く感じた。
身体中を何やら懐かしい感覚が巡る。これまで数度味わったことのある感覚。でも今回のは他の時よりも優しく頼りになるように思えた。飽和した魔力が私の周りでキラキラと光る。その光は私の血に塗れた服を別の衣装に変え私を美しく着飾る。
宝石が散りばめられた綺麗な白と黒を基調としたドレスに紫紺のマント。
その頭にはティアラが被せられ、神々しく輝いている。
大きく広げた翼で私は友の元へ飛び立つ。
新しく従えた有り余るほどの強い魔力を纏いながら私は鎌を振るう。
「暴食の魔王!!」




