第六十七話、生き恥。
僕はどこか知らない場所で目覚めた。
ここは何処だろう?僕は確か死んで…。
ということはここは死後の世界なのだろうか?だが神々の魂を導くものなど聞いたことがない。もしかしたら僕はまだ死んでいなくてただの夢の中なのかも。
ひたすらに広く何もない世界で僕は横になった。
辺り一面真っ白な何かで覆われていた。雪とも砂とも違う、不思議な感触のもの。何処となく、心地良い。
頭がぼんやりとして、何も考えられない。眠くもお腹が空いたりもしない。
…どのくらい横になっていただろうか。
僕はただ、真っ白な空を眺めていた。
ふと、何かが割れるような音がした。気になって顔を上げてみても、何もない。
ただそこにはさっきと変わらず葉もない真っ白な大樹が生えているだけだった。
「僕は死にたいと願った。でも死ねなかった。何もできなかったのに。僕がここにいてもなんの意味もないのに。」
…?誰の声?
「僕は約束を守れなかった。あの人の言い遺したことを守り切ることができなかった。だから、死にたかったんだよね。もうこの世界で僕はあの人に合わす顔がないから。」
急に風が吹いた。
するとその大樹の影からさっきまでいなかった人影が現れた。
その姿を見て僕は驚愕した。
「君も同じだよね。だって僕は君なんだから。」
目の前の人物は僕と瓜二つだった。目元から髪の色や髪型まで何もかもが同じだった。
「驚かせちゃったかな?まあ無理もないか。自分と全く同じ神なんてそうそう会うことはないからね。」
そう言って目の前の僕は微笑んだ。
自分自身を前にするその不可解な状況に、僕はなんとも言えない不快感に陥った。
僕ではない僕が笑っている。それだけで吐き気がする。
「理解してもらおうだなんて思わない。僕だって君の立場なら何とも許容し難い光景だと思うからね。でも一つ確かなことを教えてあげよう。僕は君で、君は僕だ。君しか知らないこと、知るはずがないことを全て知っている。君だって僕が嘘をついてないことくらい分かるだろう?」
「…それでも、信じはしないから。」
「ん〜、どうしたら信じてくれるか…。…そうだ。」
何か思いついたかのような表情をして目の前の僕は口角を上げた。
「『お前は一人じゃない。』」
「…!」
「『いつだって周りを見てみろ。そこにはお前の仲間がいる。今はいなかったとしてもお前なら必ずそれを現実にできる。他でもない俺がそう思ったんだ。嘘なわけがないだろう?』」
「…お前…ッ!」
「これはあの人に言われた言葉だよね。あの時は本当に救われたって思った。今でも覚えてるだろう?これを言われた、あの日を。」
そう目の前の僕は懐かしむように言った。
「…ああ。」
「…?どうかしたのかい?そんなに睨んで。君の顔だ、珍しいわけではないだろう?それとも自分の顔に見惚れちゃったのかな?」
「…。」
「冗談だよ。でもこれで僕は君ってことが信憑性を増したんじゃないかな?あの場にいたのは君とあの人だけのはずだ。僕が君であると認めざるを得ないんじゃないかな?それとも、まだ信じないのかな?」
目の前の僕は腰を屈めて上目遣いで僕を覗き込んでくる。
一つ、理解した。
「…分かった。これで分かったよ。」
「信じてくれたようで何よりだ。じゃあ…」
「僕ならあの人の言葉、こんな軽率に人に言ったりしない。たとえ自分が偽物だと疑われている時だったとしてもね。」
「そんな状況になったことがあるのかい?ないのならそんなこと確証はないじゃないか。何よりこの言葉を君が、僕が、忘れるはずがない。本物かどうかを確かめる方法としてはこれ以上のものはないでしょ?」
「それは認める。けど、僕なら言うはずがない。それにその理由も僕なら分かるはずだ。それが言えないなら偽物としか言いようがないよ。」
「…ふーん、信じてくれないならいいよ、それで。そんなことより伝えるべきことは他にたくさんあるからね。」
そう相手は別に悔しそうでもなく言った。
「単刀直入に言っておこうか。死で罪が消えることはない。君が死にたいと願うなら僕は止めたりはしない。でもその死によって君と罪が赦されることはない。君がまだ赦されていないと思い続ける限り生きていようが死んでいようが君の罪はそのままだ。」
「…何が言いたい。」
「…君は神が死んだ時どうなるか知っているかな?下界の人間の魂は我々神々が管理しているから転生させるなどして再利用することができる。でも君たち神々の魂は管理者なんていないからただ彷徨うのみ。彷徨っている魂は生きていた頃の記憶を何周も見ることになると聞く。君は自分が犯した罪を何度も何度も繰り返し見ることになる。もちろん拒否する方法はない。君は目も瞑れず、自分が犯した罪を見させられ続けるんだよ。」
そう心配するように言うが、その顔には微かな笑みがあった。
「それにしても罪を死で償うなんて、愚かだよねぇ。ただ一人の生き死になんかで償いができるのなら安いものだけど、死で全て赦されるなんてただの幻想なんだよ。妄言なんだよ。罪は生きてようが死んでようがそれを犯した時点で魂が背負い続ける運命なんだ。裏を返せば罪さえ犯さなければその運命なんて背負う必要はない。…何で犯す必要のない罪を犯してしまったんだろうね?理解に苦しむよ。」
「…さい。」
「…?なんて言っ…」
「うるさい…!」
「っ…!」
「うるさい!うるさい!…五月蝿い…!煩い!うる…さい…。」
「…。」
「…死ねばあの人がいる所に行ける。それだけで僕にとっては救い。僕はあの人の元でよく頑張ったって言ってもらって…僕も約束を守れなくてごめんって謝って、それで…。ずっとあの人の側にいる。もうあんな別れはしたくない。今度こそ一緒に居続ける。あの人だってそれを許してくれるはず。だから…!そんなこと…言わないで…。」
しばらく沈黙が続いた。
「…はぁ。それはただの自己満足だよ。正しいも間違いもない世界だけれど死だけは救いにはならないんだ。いや、あってはならないと言った方が正しいかな。」
「そんなの…君にとってはそうでも僕にとっては…。」
「だから、それはただの妄想なんだよ。君の希望をへし折るようで悪いけれど、寿命も全うせずただ理由もなく自分勝手に死んで、そんなのであの人は褒めてくれるのかな?」
「…それ…は…。」
「そんな簡単なことも想像できなかったの?君の死で救われるものなんて何もない。逆に君に関わる全ての人を悲しませるだけだ。そもそも死後の平穏なんて約束されたものではないのだから。」
「でも…でも…!」
涙を浮かべた目でキッと相手を睨む。その顔に笑みはもうなかった。
「じゃあ証明してよ。」
「え…?」
「死ねば解放されるって言うのなら、生きていたら解放されないってことを証明してよ。それができてから勝手に死ねばいい。僕は君だから、僕は君を否定できない。僕が君の死を許すかは君の証明をもって決まる。さあ、やってみなよ。試してあげるからさ。」
白い世界がまるで霧が晴れるように引き、世界が色づき始める。
気付けば僕は血溜まりの中で座っていた。
「ここは…。」
頭が痛いし身体中が苦しい。怠い。
そんな体に急に横から衝撃が走った。
「アル!!」
「わっ…!」
ベルが抱きついてきた。その目には涙を浮かべている。
「やっと助け出せた…。大変だったんだよ!もう!もう…もう…!」
「ベル…。」
「亘希くんとも、他のみんなとも、友達になるまで許さないんだから…!だから、帰ろう?戻ってきてよ!」
「…。…!」
急にベルの後ろに人影を感じる。
見たことのある懐かしい人影。見ただけで涙がこぼれ落ちる。
「私は、アルのことは親友だって思ってるし、そりゃ助けるのに疲れたけどさ、許すよ。それよりまた、会えて良かった…!」
人影はゆっくりと近づいて来る。
顔はよく見えないが間違いなくあの人だ。嬉しさで胸が跳ね、心臓が高鳴る。
だが突如アルを襲ったのは一つの悪い予感だった。それは勘に近い不確かなもの、それでも彼の嬉しさを冷ますには十分だった。
「またこうして会えて、私はめちゃくちゃ嬉しいの…!帰ったらさ、パーティーしよう!アルとみんなが友達になった記念と、私とアルの再会記念!ケーキも食べてさ、プレゼント交換もしてさ、楽しい1日になるの!」
人影の口元だけ鮮明になり、何かを発声し出す。
やめて。言わないで。あなたにだけは言われたくない。あなたに言われてしまっては僕は…!
「ねぇ、ねぇ!早く、行こ?アリエ、アルを背負ってあげて。」
心臓の音が頭に響く。悪寒がして、冷や汗が滴れる。その声が耳に届くその瞬間まで。
「アル、大好き!」
『俺はお前を赦さない。』
その言葉が耳に届いた瞬間、何かが壊れた音がした。
耳鳴りが激しくなる代わりに、まるで心臓が止まったかのように鼓動の音が聞こえなくなる。
信じたくないその言葉を何度も頭の中で繰り返す。
世界から音が消え、色がなくなる。
そうだ。これは現実じゃない。あれはただの幻覚だ。そうだ。幻覚に違いない。
あの人の幻覚が言った言葉に混乱しながら、まるでその幻影を振り払うように手を振るう。
すると触手がアルの指示通りに嘘の幻影を穿った。
目の前の、ベルを、道連れにして。
「ぇ…?」
「は…?」
鮮血がベルの傷口から、口から、溢れ出す。
アルの放った触手は見事に彼女の左胸を貫いていた。
幻影を貫いた触手はその勢いのままアルの方へ引っ込み、触手はベルから勢いよく抜けた。
ベルの返り血がアルを赤く染める。
ベルが倒れると同時に、アルは声にならない悲鳴を上げた。
「なん…で…!?僕が…ベルを…?っ…!ッッ――!」
急に体の感覚が消えていく。もう立っているのか寝ているのか目を開けているのか閉めているのか分からない。
気付いた時には、僕は真っ赤な肉の繭の中にいた。赤く染まった服のまま、赤い液体の中でふわふわと浮いている。
「は…はは…!ははは…!」
笑みが溢れる。その目から涙が溢れているのにアルは気付かなかった。赤い液体の中流れる涙はもう涙なのか血涙なのか分からない。
もう、分かった。理解した。もう取り返しのない罪を犯してしまったんだ、僕は。約束を守れず、友に手をかけ…。救いようのない存在だ。
でも、もうどうでも良かった。どうせ僕は赦されない。たった今、絶対に許されてはならない存在に成り果ててしまった。今更どんな罪を犯そうが、最大の罪を犯した僕にそれ以上の罪が下ることはない。いっそこのまま壊してみるか。あの人もいない世界なんて、壊しても別に悲しくない。苦しくない。
嗚呼、もう僕はどんなことが起きてもそれを自分の罪だと認められる。もう好きに使ってもらおう。好きに破壊してもらおう。それでいい。それがいい。
僕は触手に体を預けた。
その瞬間、僕の体から波紋状に広がった肉の海は地面に転がるベルを巻き込み、他の人たちも巻き込み、城を巻き込み、広がった。
「怠惰な貴公子…!」
どこか遠くから声がした気がした。けど、その声はもう耳に届くことはなかった。
「あーあ、開いちゃったね。死より苦しい、生の扉を。」




