第六話、友達としての覚悟。
ベルの体が爆風により吹き飛ぶ。
首を斬り油断したところでの爆発。ベルはなす術もなかった。
「サテ、アナタも大したことはないデスワネ。あの程度の攻撃ヲもろに食らってしまうトハ…。」
ストラスが嗤う。
「モウ動けないデショウ?質問に答えてハどうで…。」
その首が一瞬で落ちる。動けない程の傷を受けた筈のベルの鎌がなおも俊敏に振るわれる。その傷がもう癒えていることにストラスは驚きを隠せなかった。
だが、そんなことを模索する必要はない。もうすぐベルの体力は底をつく。回復魔法というものは体の傷を痕に残ることなく治すことができるが、体力を回復させることができるのは一部の限られた者だけだ。ストラスは首を斬られるたびにフクロウが傷に止まり、首が再生する。
戦いが終わるのは時間の問題だった。
そして遂にストラスの予想していた通りのことが起きた。
ベルの体が膝から崩れ落ちる。ストラスの口が歪み、不気味な笑みを浮かべる。
ストラスは使い魔を呼び出し、その使い魔の姿を鎌へと変えた。そうして無言でベルへ距離を詰めていく。
その姿はさながら死神のようであった。鎌を構え、ベルの首元へ振り下ろそうとする。
「そこまでです。」
凛とした声が夕暮れの空に響いた――。
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後ろからの威圧感と声で思わずストラスの鎌を振る手が止まる。首をあり得ない方向に回し、振り返る。
「アラ?貴方は…。」
「『天動隊』第一課、そしてそちらにおられるベルゼ・バアル様の一の騎士ならびに友人。アリエと申します。」
アリエと名乗った少女は不思議な雰囲気の人だった。透き通るような薄い水色の髪に瞳。そしてよく通る声。腰には長刀を掛けている。
ただ亘希はその友人という言葉が引っかかった。
「ベルの…友人…?」
「悪魔ストラス、直ちに手を引きなさい。さもなくば、この場で私が斬り伏せます。」
そう言い刀の柄に手をかける。
「アラ、殺さないのデスカ?」
「…無駄な殺生は避けておりますので。」
「…アリエ、という名には聞き覚えがアリますネ。…嗚呼、思い出しマシタ。貴方、かの有名な龍の一族の末裔の一人デスネ?」
「ずいぶん物知りなようですが、あなたの辞書には撤退の言葉もないのですか?」
「…。」
そう静かに敵を煽る。だがストラスが怒っている様子はない。そして完全に体をアリエの方へ向ける。
「…一つ質問シテモ?」
「なんでしょうか。」
「貴方のお姉サンは今もお元気デ?」
「…答える必要はありません。あなたには関係のない話です。」
「イエイエ、アノ人には昔随分世話ニなりまシタから。」
「…そうですか。私にはどうでもいい話です。」
そう淡々と言葉を返す。
その異様な空気はそのまま沈黙へと化した。
急にストラスが動く。そしてそのままベルの首を狙う。
だがその鎌の先が届く前に刀で止められる。攻撃の止まった一瞬の隙で鎌が落とされる。
ストラスが気付いた時には首元に刀が向けられていた。
「去れ、と言ったはずです。」
「…フフッ、お早い事。」
ストラスは油断していた。もしこのまま首が落とされてもまた使い魔を使って再生させればいい。逃げることは簡単だろう、と。
だがその考えはすぐに崩れ去った。
木から大量の羽根と血と肉が落ちてくる。密かに木に潜ませていた使い魔の気配がほとんど消えた。
彼女のフクロウ型の使い魔は彼女自身が自由に使える駒であるとともに、彼女の再生能力の所以だった。使い魔が一羽でも残っていれば彼女は死ぬことはない。致命傷を受けたとしても、使い魔を再編して自分の体の一部にしてしまえばたちまち治る。言わば残機。その使い魔が尽く斬られた。彼女の残機はもうない。
ほとんどの悪魔は自分さえ生きていれば手下などどうでもいい。だから多くの悪魔は人間界へ使い魔を差し向けるだけで、自身が赴くことは殆どない。人間界へ現れるのは数少ない物好きな悪魔だけだ。そのような悪魔ほど人間の感情に程遠い。
つまり、死の恐怖すらないのだ。
だがストラスは賢かった。いかに安全に合理的に物事を進めるか。それが彼女のポリシーだ。
「…ではあなたの言ウ通りここで引かせていただきマスワ。いつか訪れる終末の日にまた会いまショウネ。ソレデハ。」
そう言い残し、ストラスは去っていった。
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ストラスが去った後には、ベルと亘希とアリエの三人だけが残っていた。
亘希はストラスが去ったのを見届けた後、すぐにベルへ駆け寄った。
「ベル…!」
ベルは、寝ていた。比喩でもなんでもなく寝息を立ててすやすやと眠っていた。
ベルの無事を確認して思わず頬が緩む。
そしてアリエに声をかける。
「あの、アリエさん、助けてくれてありがとうございます。」
ベルはその鋭い眼光で亘希を見ると静かに話し出した。
「…皐月亘希というのはあなた、ですね?」
「えっ…、はい。」
「あなたがベルと契約していることは知っています。だからこそあなたには言わなければなりません。」
「何を…?」
「単刀直入に言います。あなたはベルの契約者に相応しくない。」
「えっ…。」
「あなたはベルのことをどのくらい知っていますか?」
「えっと…悪魔で…お祖父さんが『暴食』の悪魔ベルゼブブで…えっと…。」
亘希はやっと気づいた。ベルのことについて、この程度しか知らないのだと。知ろうともしてこなかったことを。
「…まぁ、まだ契約して一週間程度。無理はないのかもしれません。ですがそれはあなたがただの契約者であったならの話です。あなたはベルの友達なんでしょう?友達というのは相手を理解し合い、助け合うものです。それができないならそれはただの知り合いにすぎません。今のままではあなたを彼女の契約者としても、友達としても認めることはできません。」
何も言い返せない。
「本当の彼女を知り、それを共に背負える者でなければ彼女の友達として務まりません。その覚悟があなたにありますか?あなたは本当の彼女を認められる存在になり得ますか?」
「えっと…。」
「それをよくよく考えた上でベルと接してください。」
そう言うとアリエは眠っているベルを背負う。
「ベルをあなたの家に運んでおきます。あなたは自分がどうするべきかきちんと考えてください。」
そう言い残すと彼女は去っていった。
花が散った桜の木の下で、ただ亘希だけが残されていた。
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日が沈み、暗闇が街を侵食していく。
そうだ、僕はベルのことを何も知らなかった。
アリエの言葉がまるで針のように心に刺さる。
『あなたはベルの契約者に相応しくない。』
彼女の正論が胸を刺し、その度にため息をつく。
僕は彼女の友達でいられているのだろうか。契約上彼女と僕は友達という関係になっている。だがそれはあくまで契約上だ。彼女の本心をまだ聞けたことがない。あの笑顔が、本当は偽りの気持ちなのではないかという考えが頭を過ぎる。そう思ってしまうほど、僕は彼女を知らなすぎる。
『忌み子』。あの悪魔、ストラスはそう言っていた。それはどういう意味なのだろうか。
もしかすると自分よりあの悪魔の方がベルのことを知っているのではないか。そう思ってしまう。
その時、心にあの夢で聞いた言葉が復唱される。
『頑張って。』
あの言葉はどのような意図があったのか。
あの言葉の後、僕はベルに出会い、契約を交わした。
もしかするとあの言葉は―――。
アリエの言葉と夢で聞いた言葉が重なる。
僕の心にある確信が生まれた。
これが今の自分で出せる最高の答えだ。
その確信を胸に、僕は闇夜に走り出した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「おかえりなさい。」
家に帰ると、なぜかアリエがエプロンを着て台所に立っていた。
「台所、借りてますよ。」
「それはいいんですけど…何してるんですか?」
「お嬢様に最高の食事を作る。それも一つの私の責務ですから。」
「お嬢様っていうのは…。」
「はい、ベルのことです。私はあの方に仕えておりますので。」
そう話しつつ、テキパキと調理を済ませている。
あっという間に本格的なコンソメスープが出来上がった。
「あなたの分もつくっておきましたのでよければどうぞ。」
「あっ、ありがとうございます。」
「お礼も敬語も結構です。普通に話してもらって構いません。」
「う、うん。わかったよ。」
アリエが皿にスープを注ぎ、亘希の前に差し出す。
「私はお嬢様にお食事を運んで参りますのでゆっくり頂いてください。」
「あのっ…、ベルは…!」
「お嬢様なら問題ありません。単純に疲労困憊しているだけです。」
「それは大丈夫なの…?」
「大丈夫です。お嬢様の管理は私に任せてください。」
そう言ってアリエは部屋へ入っていった。
いつも亘希が寝ている部屋だ。
スープを飲み終え、トイレに行こうと部屋を通過すると、中から話し声が聞こえた。
「…ですから、私の方からあなたのことについてお話ししておきます。」
「…ううん、私から話すよ。アリエは何も伝えなくていいから。」
「ですが…。」
「大丈夫。私なら大丈夫だから。」
そう話すベルの声はいつものような覇気がなかった。
腹を括る。扉を軽く叩く。
中からどうぞと声が聞こえる。
ドアノブに手をかけ、ドアを開ける。
「いかがしましたか?」
「いや、ベルに話があって。」
「なになに?」
ベルを知るために。ベルと友達でいられるように。覚悟を決める。
「明日、遊園地に行こう。」
「えっ?」
二人の困惑の声が広がる中、僕は決心した。
明日、全てに決着をつける。