第六十四話、友達の友達。
「『神の断罪』?」
アルが肉塊の中に姿を消した頃、八岐大蛇とケツァルコアトルの話はまだ続いていた。
「ええ、そういう言い伝えがあるんです。神が罪を犯した人に天罰を与えるように、罪を犯した神にももっと上の神によって罰が与えられる。それが、『神の断罪』というものです。」
「罪…のう…。抽象的じゃな。吾は人の言う罪とやらは何度も犯してきておるが、罰など一切受けたことはない。なにせ吾が強いからのう、吾より強くなければ罰を与えるなどもっての外よ。」
「確かに、私たちは何度も人間の法の内の犯罪はいくつも犯しています。ですが、この『神の断罪』は人の法に囚われず、あくまで神基準で決められているそうです。」
「ふーん。いまいち面白味のない話じゃな。」
八岐大蛇は出された菓子を一つ掴み口へ運んだ。
「で?それがあの城の主人とやらにどう関係してくるのじゃ?」
「…先輩も気付きましたよね?あの森、城から発せられた魔力によってあのように出られないようになっていました。恐らく、逆も同じです。あの森の方角からは入れないし出られない。まるで人が来るのを拒むように…。」
「吾もそれには気付いておった。かなり禍々しい魔力じゃったから居心地が悪くての。」
「魔力というものは精神状態にも左右されます。あの状態の魔力ならもう心が壊れかけているのでしょう。それに加えて常時あの森の魔法をかけ続けているとしたら、魔力の消費は尋常ではありません。」
「しっかしおかしなものじゃな。あの量の魔力の使用は最悪命にも関わるのに、自分の魔力状態すら把握できんとは。」
八岐大蛇は笑いながらまたもや一つ菓子を手に取る。
「いえ、恐らくはそれを理解した上で魔力を消費し続けているのでしょう。過度な魔力消費は激痛や疲労が伴いますから気付かないはずがありません。」
「はあ?もしそれが本当ならとんだ馬鹿じゃぞ、そいつは。」
「限界を超えた魔力の放出、手入れすらされずに放置された魔力…彼はもしかしたら、自殺を考えているのかもしれません。」
「…何じゃと…?どこにそんな根拠が…。」
「私も覚えがありますから。彼の経歴は詳しく知りませんが昔は相当活躍していたそうです。そんな彼が引きこもり、精神を追い詰めるほどの出来事…。いったい何があったのでしょうね…。」
「覚えがある…じゃと?そんな素ぶり今まで一度も…。」
ケツァルコアトルは一口お茶を啜ると窓の外を見つめた。
「…本当に自殺しようと腹を括った者はたとえ親しい人でも誰かにそれを明かすことはないんですよ。むしろ誰かに話せば話すだけやり残した後悔が出てきて、せっかく決めた覚悟もすぐに壊れてしまう。普段通りに人と接し、普通に笑い、普通に…。だから孤独になっていくんです。心だけがどんどん人と離れていく。それでさらに追い詰められていくんです。本当に、愚かでしたよ、私は。」
「…。」
「あなたはそうは思っていないかもしれないですが、あなたのおかげで私は再び生きる意味を見つけられたんです。追放されても私を気にかけてくれたのは先輩と、オシリスさんだけでしたから。何度も何度も自殺を試みました。でも体に激痛が走るたび、あなたとの楽しかった思い出が蘇ってきて結局、できませんでした。」
悲しげな表情でケツァルコアトルは優しく微笑む。
「あなたがいたから、私はここにいます。本当に、感謝してもしきれないです。ありがとうございます。」
「わ、吾は褒められるようなことはしておらん…。おそらく、お前にもどこかに生きたいという欲があったのだろう。それに気付けたのは間違いなくお前の功績じゃぞ。」
「謙遜しないでください。もしあなたがいなかったら私はどうなっていたか…。だからこそ、あなたは私の命の恩人なんです。誇りを持ってください。」
「う、うるさい…!とにかく!話を戻すぞ。」
「はいはい。」
照れ隠しでつい声を荒げる八岐大蛇に微笑みかけながら、ケツァルコアトルは残ったお茶を飲み干した。
「私は結局、未遂しかできませんでした。ですが彼は、あの魔力の状態から推測すると既に私が躓いた激痛の山場を越えている。死まであとは一直線といった所でしょう。もし彼があのまま死まであと一歩まで近づいた場合、最悪のシナリオが考えられます。」
「それが『神の断罪』と、そう言いたいのか?」
ケツァルコアトルは静かにコクリと頷いた。
「下界で広く伝わるキリスト教の聖書に書かれている通り、自殺というのは犯すべきでない重罪です。これは神でも同じです。『神の断罪』について記されたこの古文書にも同様のことが書かれています。『自殺は重罪にして怠惰の極み、己を直視せぬ者に『怠惰』の罰下る』と。」
「『怠惰』…。それに、『己を直視せぬ者』?全く意味がわからんな。」
「…かつてこの地に君臨した七大悪魔達。ルシファーの台頭によりその座から引きずり下ろされましたが、彼らはすべて『七つの大罪』と呼ばれる称号を背負っていたそうです。『強欲』、『傲慢』、『嫉妬』、『憤怒』、『暴食』、『怠惰』、『色欲』。それがその大罪の名前です。」
「…『怠惰』も入っておるな。」
「私の推測では彼らは過去に『神の断罪』を受けた者達。そう考えています。この称号で呼ばれるようになったのはちょうど彼らが頭角を表し始めた頃。それまでは全くの無名だったと聞きます。」
「つまり、『神の断罪』を受ければ、力を得られるということか?矛盾しておるのう。断罪、なのじゃろう?それではまるで罰などないに等しいではないか。」
ケツァルコアトルは目を閉じチッチッチと指を揺らす。
「強すぎる魔力は心まで蝕んでしまいます。七大悪魔は時代と共に何度も入れ替わってきましたがその多くは精神に何らかの異常をきたした者でした。おそらく『神の断罪』の副作用…いえ、こちらが本来の断罪なのかもしれません。なぜ罪と同時に体も強化されてしまうのかは分かりませんけどね。」
「じゃあなぜ吾を彼奴らから遠ざけた?罪を受ければ強くなるのであろう?それなら万が一の為に戦力は多い方が良かろうて。」
「それじゃダメなんです。私たち古代神があの場に行ってしまえば返って状況を悪化されてしまう。私を救えたのがあなただけだったように常識が同じものでないと更に追い詰めてしまいます。ここからは戦力がどうとかの問題ではありません。だからこの時代を生きるもの達にこの場を任せてきました。彼女達ならもしかしたら彼を救ってくれるかもしれない。そう信じています。」
「ふーん。」
その時城の方角がピカッとまるで雷のように薄い紫色に包まれた。禍々しい魔力の帯が全方向へ伸び、また引いていく。
「な、何じゃ…今のは…!?」
「分かりません。ですが…とてつもなく嫌な予感がします…。」
ケツァルコアトルが顔をしかめる。その顔を見かねてか八岐大蛇は立ち上がりドアに手をかける。
「どこにいくんですか?」
「どこって、彼奴らのとこじゃ。」
「そんな…!だめです!今行ってしまっては…!」
「あんな強大な魔力の持ち主などそうそういない。彼奴らでは危険すぎるのじゃ。お前はここで待っておれ、吾がすぐに…」
「絶対にダメです。彼を救えるのは彼女たちだけです。私たち部外者は首を引っ込んでいましょう。おそらくそれが最善手、これを逃せば彼は救えないかもしれません。」
「ぬぅぅ…。」
城の上空には黒っぽい雲が立ち込めていた。ここからだと城で何が起こっているのか、詳しくは見えない。
ただ何か良からぬことが起きているのだけは理解できた。
「信じましょう、彼女たちを。」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
暗雲が渦巻く城は既に半壊していた。
その壊れかけた城に赤黒い肉がまとわりついている。繭のように丸くなっているその肉はたくさんの目と口が付き、なんとも気味が悪かった。
「あ…ああ…。」
ベルは親友が肉に呑まれてからずっとその場に立ち尽くしていた。
亘希たちも今会ったことがすぐに飲み込めず呆然としている。
一瞬の出来事だった。ベルが久しぶりに親友と再会したと思った途端にこれだ。
「お、お嬢様、大丈夫ですか?」
やっとアリエが重い口を開く。
静かにベルが頷いた。
「み、みんなごめんね〜!友達紹介しようと思ったんだけど、こんなことなっちゃって…。そういえば名前もまだ伝えてなかったよね、忘れてたよ、なはは、はは…。」
「ベル…。」
明らかに無理している時の笑い方だ。
こういう時どうすればいいんだろう?これまで会ったことも話したこともなかった人に助ける義理があるかないかと言われるとないのかもしれない。彼は、ベルの友達だ。でも、友達の友達は友達と言えるのだろうか?彼のことも何も知らないただの人間が彼を助けられるのだろうか?
でも、今は迷わなくていい。ベルが困っているんだ。助けないと。麒麟さんともシグナスさんとも約束したはずだ。
ベルをずっと隣で支え続けると。
「ベル。」
「…?」
「助けよう、あの子を。多分あの肉の繭みたいなものの中に、あの人はいる。さっきの触手みたいなのが邪魔をしてくるだろうけど、皆んなでサポートするから。ベルは、あの子を助けてあげて。みんなも、いいよね?」
全員、無言で頷く。
「どうして…?亘希くんはあの子と今日初めて会ったでしょ?なのに…どうして助けるって言い切れるの?どうして救ってあげようとするの…?」
「確かに僕はあの子のこと何も知らない。どうしたら喜ぶのかも、どうしたら助けられるのかもわからない。でも、僕はベルの友達だから。ベルが困ってるならどんなことだろうと手伝う。友達の友達も友達。君がそう信じろって言ってくれるなら、僕は信じるよ。」
「でも…あの子も知らない人に迷惑かけて平気な柄じゃない。私だってそうだよ、亘希くんも迷惑も心配もかけたくない。私がやれることまでは私一人でやりたい。いくら友達とか、契約者とは言っても、これは個人的な問題だから私一人でやるよ。だから…」
「ううん、それでも手伝う。もう手伝うって決めちゃったし、ベルが何て言ってもこれだけは絶対に譲れない。」
「ご、強情だな〜、亘希くんは。でもほんと、大丈夫だよ。大丈夫って言ってるじゃん。亘希くんが譲れないって言うなら私はもっと譲れないんだから…。」
「じゃあ勝手に手伝う。」
「ええ…。勝手についてくるなら命の保証は全くできないよ?そ、それでもいいの?」
アリエが一歩前に出て亘希の隣に並び立つ。
「その点はご心配なく。私たちは皆を警護しますから。」
「…アリエ、ありがとう。」
「本当に…?私手伝っても何もしてあげられないよ?それどころか今もこうやって巻き込んでしまったみたいにまた亘希くんに迷惑かけちゃうかもしれない…。」
「そのくらいいいよ。迷惑なんてどんとこい!…って少し恥ずかしいけど、心の中ではいつでも叫べるから。」
「あの子も君に冷たくして、亘希くんが傷ついちゃうかも…。」
「ううん、ベルの友達だもん、そんなことないと思う。」
「ッ…。…亘希くんはさ、優しいね。不安なんてもうどこか飛んでっちゃったよ。じゃあ、今から迷惑かけるけどいい?」
「ああ、もう覚悟はできてるから。」
「…でも、これは迷惑じゃないといいな…。」
「えっ…?」
ベルの柔らかい唇が亘希の額に触れた。
突然のことに顔が赤くなり体が固まる。
「えへへ、私の加護を亘希くんに授けるよ。これで亘希くんは私が魔力を直接貸してあげられる。簡易的な方法だけどしっかり効果はあるから。」
「へ?え、ええ?」
「そんな驚かないでよ…。私も少し恥ずかしかったし…。〜〜〜〜〜ッ!ああ、もう!やっぱり少しじゃないみたい!すっごく恥ずかしかったんだから…。…手、繋いでもいい?」
「え?うん…。」
「じゃあ…。」
もう何度も握り合った手。でも今はなぜか新鮮な気がした。
二人で目の前の肉塊に向き合う。
「全くいい迷惑だよ。亘希くんと友達になるまで許してあげないんだから!」
「うん、ベルを困らせた分は償ってもらわないと。」
「…じゃ、行くよ!」
「…うん!」
二人は共に目の前の巨大な肉塊へと友達を救うため飛び出した。




