第六十話、突然の終わり。
「――おーい、おーい!起きてますかー!おーい!」
なんだ…声が聞こえる…。
「返事してください!えいっ!」
首筋に大きな衝撃が走る。その瞬間八岐大蛇は目を見開いた。
「痛っ!何するんじゃッ!」
「ぼさっとしないでください。転びますよ。」
「…!ああ…そうか…戻ってきておったか…。」
「…?変なこと言わないでください。いくら平和とはいえここは地獄、油断大敵ですよ。」
「分かっておる。…。」
オシリス…。
久しぶりに会えたと思えばすぐに別れおって…
…もう少し…話したかったのう…。
八岐大蛇の目の端に綺麗な水玉が光る。だがすぐにその水玉は八岐大蛇の手によって拭われた。
泣いている暇なんてない。吾が眠っている間に何があったのかは分からぬが、オシリスは今も囚われておる。もしかしたら故意なのかもしれない。だが、彼奴は哀しげであった。友が泣いているのに見捨てられるような吾ではない…!
「アリエ…。」
「なんでしょう?」
「『記憶の書庫』について、何か知らぬか?」
この天界では長い間寝ておった吾は無知に等しい。よって吾の持つ知識のみでは彼奴を救うことなど不可能じゃ。有識者がいる。この天界について多く知り、顔が広い者。此奴が適任じゃ。
「『記憶の書庫』…ですか…。知らない…とは言えませんね。」
「…!本当か…!」
「ええ、ですが詳しいと言うわけではありません。『記憶の書庫』は数百年も昔から天界を移動し続ける書庫であり、その所在は私たちにも分かりませんから。」
「そうか…」
「分かっていることは遥か昔に七大悪魔の一人、『強欲』が作り出したものであるということだけ。…なぜこのようなことを?」
「関係なかろう、お主には…。」
「…そう…ですか…。」
結局これだけの情報しか集まらんかったか…。だが、これはこれでいい情報じゃ。
魔法というものは発動する者が操作することで初めて構築される。そして魔法の発動中も発動した者は無意識にマナの配列が変わらないように制御している。この制御が外れれば魔法は崩壊する。この制御を外す行為が魔法解除というものだ。魔法解除は発動した者が自ら解除するか、或いは…マナの制御そのものが不可能になる、つまり死んでいなくなるかで行われる。特別な魔法でない限り全ての魔法は発動者の死と同時に崩壊する。
あの空間は単純な空間製造の魔法の応用だ。空間の維持には多大な魔力を消費するが、それを考慮しなければ誰でも発動できる。だがあの空間は最初構築されてから魔力の質が一切変化していない。つまり発動者は変わっていないのだ。それは恐らく彼女が言う『強欲』の者だろう。つまり…
『強欲』は死んでいない。恐らくこの天界か地獄のどこかに居る。其奴を問い詰めれば彼奴を解放する方法も聞き出せるかも知れぬ。それが最善手。それが吾の今やるべきこと。そのためなら吾の命も惜しくはない…。出雲は寝起きで全力が出せなかったが今ではこの宇宙ごと消し去ることも可能じゃ。『強欲』がどれほどの力の持ち主かは知らぬが彼奴を救うためなら汚い手だって…
禍々しい妖気が八岐大蛇に纏わりつく。
そんな時鶴の一声が響いた。
「――とにかく!何を考えているかは知りませんが無茶はしないこと!いつか後悔しますよ。」
「何も言っておらんだろう。構うな。」
「いいえ顔に出てます。私もたくさんの人と話してきましたがそういう顔は決まって無茶をしようとしている時の顔です。」
「無茶がなんだと言うんじゃ。吾が無茶をしたところでお主らには引き止める権利すらない。もし止めても吾は吾の心がままに動くぞ。」
「強情ですね…。…先ほどの態度の変わり様…不自然な失踪…無茶をしてでも何かをしようとする意気…おおよそ『記憶の書庫』に知り合いがいた、ってところでしょうか?」
「ッ…!お主どこまで知って…!」
「当たりですか。」
「ぬぅ…。」
どこまで読まれている?いや、そもそもなぜ知っている?あの異空間に他の魔力の気配はなかったはず…。
「あくまで私の予想ですけどね。」
「予想じゃと?どう予想したと言うんじゃ?」
「先程あなたは急に『記憶の書庫』について聞いてきた。『記憶の書庫』はあなたが眠っている間に作られたもの。つまりあなたが知るはずもない。」
「そんなの証拠になるわけなかろう。天界で他の神から聞いたのかも知れんぞ?」
「もちろんその可能性もあります。ですがあなたたちは先程急に失踪し、少し経つともうすでに探したところで気絶していた。これは前回の『記憶の書庫』の出現報告と似通っているんです。」
「…どんなじゃ?」
「…道を歩いていると急に無限に広がるような書庫に移動していた。そこには褐色の肌の少女がいて『悩みは何か?』と聞いてきた。そこには無限の知識が収められていて悩みはすぐに消え失せた。しばらく経つと鐘が鳴り、その少女は『キミを帰す』と言う。再び気がつくと元の場所に戻って気絶していた…という報告です。気絶した体験者と共に歩いていた人も今回の私たちのような体験をしたそうです。」
…この報告は正しい。褐色の肌の少女とはオシリスのことだろう。何の拘りかは分からないが、彼女は体を替えるたび褐色の肌の若い少女だけを依代としてきた。鐘がなったことや悩みを聞かれることも今自分の身にあったことと似ている。
「つまりはあなたは先程『記憶の書庫』に行ってきた。その可能性が高いというわけです。私の予想ではその少女はあなたの知り合いだと思うのですが…どうです?」
「…当たりじゃ。つくづく頭の回る奴じゃのう。」
「光栄です。」
「褒めてはないわ。」
こうも簡単に見破られてしまうとは。此奴には敵わん。隠し事など到底不可能か。
「…吾はその知り合いを助けたい。どんな手を使ってもな。それだけは絶対に譲れぬ。」
「そうですか。なら私も、少しお力添えを。」
「はぁ?お主の助けなど要らぬ。一人で十分じゃ。」
「…では勝手に手伝わせていただきます。ではまず…」
「要らぬと言っておろう!?話を聞け!」
そう怒鳴ってもアリエは淡々と話を進める。
「『強欲』のことならベルゼブブ様が詳しいでしょう。彼なら居場所も特定できるかも知れません。」
「本当か!?」
「…助けなど要らないんじゃなかったんですか?もし助けていいなら、ベルゼブブ様の所まで案内しますけど?」
アリエは八岐大蛇を見て意地悪そうに笑う。
いつも丁寧な話し方をするがたまに癇に障る奴だ。
「…分かった…!!好きにせい。一応頼りにはしといてやる。」
「…はいはい。では彼の居城へご案内します、」
「…早くせい。」
何かが吹っ切れたような、そんな気がした。
ああっーもう。自己犠牲はやっぱり無しじゃ。もう白けた。
そもそも彼奴が頼んだのは此奴の監視。ただそれだけ。
命令を素直に聞くような口ではないが、友の頼みとあらば別じゃ。
八岐大蛇は先を行く亘希の肩へと手を伸ばした。普通に伸ばしただけでは届かず、背伸びしてジャンプして、やっとの思いで届いた。
「わっ!どうしたの?」
「…期待しておるからな。」
「えっ、急に何?怖いんだけど…。」
「…フン。」
足並みを揃え、一行はベルゼブブの城へ向かった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「――ベルゼブブ様が不在!?」
「はい…今し方発たれましてな。数週間は戻らないとのこと。」
「そうですか…。」
ベルゼブブの城まで来たはいいものの、肝心の本人は不在らしい。これでは『強欲』のことも聞けまい。丁寧に教えてくれたこの執事のような風貌の男も『記憶の書庫』や『強欲』の居場所について知るはずもないし…。
とりあえずアリエは城の外で待つ皆の元へ帰ることにした。
「――ということだそうです。」
「何じゃ、居らんのか…役に立たないのう。」
「失礼ですよ。まあ、彼はたまに天界にも来ますしいつかは会えますよ。」
そんな時、アリエの肩に掛かっているトランシーバーが音を立てて鳴った。
「はい、こちら地動隊隊長アリエ。どうぞ。」
『ピピッ…こちら司令官。諸事情により北の地獄の入り口が封鎖された。君達には至急任務に当たってもらいたい。南側の出口を使い、天界に来てくれ。場所などは順を追って話す。一旦切るぞ。プツッ。」
トランシーバーからの声は女性だった。
「今のは?」
「司令官です。さあ、地獄観光は終わり、すぐ動きますよ。」
そういうアリエの顔はいつもよりも真剣だった。
「何やら天界で良からぬことが起こっているようです。」




