第五話、梟の王。
亘希は夢を見ていた。
暗くて深い森の中、たくさんのフクロウに追われる奇妙な夢。最後には追いつかれ、自分の体に群がられる。
そういったところで目が覚めた。ただ、夢から覚める直前に見えた空に浮かぶ睨むような巨大な目が脳裏に焼きついて離れなかった。
起き上がろうとしたところで亘希は自分の手が誰かに握られてることに気付いた。白く柔らかく、そしてほんわりと温かい手。ベルが亘希の手を握っていた。
ベルは亘希が起きたことに気付くと、
「おはよう、亘希くん。」
そう声をかけてくれる。だがその顔はいつもの笑顔ではなく、心配の表情を浮かべていた。
「大分うなされてたよ。また怖い夢を見たの?」
「…うん。」
そう、この夢を見るのはもうこれで4度目だ。
フクロウの使い魔を倒した日からもう4日が経過していた。
あれから特に異変は起こっていない。その嵐の前のような静けさに亘希の気が休まることはなかった。その緊張からこんな夢を見るのかも知れない。亘希はそう推測していた。
「今日は特にうなされてたよ。…こんなに汗かいて。はい、タオル。」
「…ありがとう。」
ベルが差し出してくれたタオルで汗を拭く。頭だけではなく背中にも大量の汗をかいていた。
「…これはシャワー浴びてきたほうがいいな…。」
「そうだね。ゆっくり浴びてきなよ。今日は休日なんだし。」
「わかった。ありがとう。」
「うん。」
そういって亘希は部屋を後にした。
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ベルと契約して初めての休日がやってきた。
フライパンに生地を入れ、パンケーキを作る。今日は休日。時間はいくらでもある。
熱々のパンケーキを皿に入れ、席につく。
悪魔と一緒に食べる食事ももう慣れた。
「えっ、これって…。」
「パンケーキっていう料理だよ。こういう休みの日はたまに作ってるんだ。」
「へー、美味しそう!意外な特技あるじゃん!」
「ありがと。じゃあ食べようか。いただきます。」
「い、いただきまふ。」
「もう食べてるじゃん…。」
ご飯を食べ終え皿を片付けていると、
「見て見て!あそこすごく綺麗だよ!」
そう騒ぐベルの声がした。気になったので行ってみると、彼女が指差す先には桜並木が見える。その道はベルが来てから一度も通っていない道だ。
「あの花の名前くらいは知ってるよ。サクラ、でしょ?まだ一度も見たことがなかったんだよね。」
「じゃあ今日はお花見でもしようか。」
「うん、するする!」
ベルの笑顔が眩しく輝く。
「じゃあお菓子とってくるね!」
そう言って部屋までダッシュ。そしてどこから持っていたのかパンパンのリュックサックを持ってきた。
それを見て亘希は呆れつつ、でも少しワクワクしながらお花見の準備をした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
鍵を閉め、家を出る。
春風がそよそよと気持ちよく吹いている。
こんな日は桜吹雪が見られるはずだ。空も晴れていてお花見にはちょうど良い天気だった。
太陽が桜並木までの道を明るく照らす。シャツ一枚でも快適に過ごせそうな暖かさだった。
「暑いし重いー!」
ベルの悲痛な声だけが空に響き渡る。
「いやそんだけ持ってきたのはベルでしょ…。自業自得だよ。」
「そんな事言わないでさー、少し持ってよ〜!」
「嫌だ。我慢しなさい。」
「なんでそんなこと言うのさー!」
このようにベルに振り回されるのは今日だけではない。昨日も一昨日も放課後はずっと振り回されていた。駄菓子屋に行ったり、ショッピングセンターに行ってみたり…。その度彼女は自分のお金で買い物をするが毎回持ちきれないほど買って、亘希が荷物を持つ羽目になっていた。
「まぁ楽しかったからいいけど…。」
「なんか言った?」
「なんでもない。さあ、もうすぐ着くよ。」
広い道に出ると窓から見た時と同じように桜が一直線に並んでいた。予想した通り風で桜が散り、桜吹雪を起こしている。
ベルは初めて見た桜を優しく愛でている。その姿はまるで花の精のように美しかった。
…だが、その片手に三色団子を3串も手にしていることが玉に瑕。さっきまでみたらし団子をほうばっていたはずなのだがそれもいつの間にかなくなっている。彼女が食べた物の共有はされていない。だが、いつも亘希が食べているものをコピペし、それを何個にも複製して食べている上に、こうして大量にお菓子を食べるのを見ていると、いったい彼女の満腹はどのくらいなのか気になってくる…いや、逆に恐怖まで感じてくる。
持ってきていた弁当も一瞬でなくなり、二人は時間を忘れてお花見を楽しんだのだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「いやー、楽しかった!」
そう彼女が満足げに言う。
もう日は傾き、あたりを茜色に照らしている。
「こんなに楽しんだのは久しぶりだよ。」
「持ってきたお菓子ももうなくなっちゃったしね。いったいどこに消えたんだか。」
「ふふふ、私の食欲は無尽蔵だよ。」
「お二人は本当ニ仲がよろしいのデスネ!」
「まぁ、契約者だしね。」
「明日も楽しもうね、亘希くん!」
「うん。」
額に冷や汗が流れる。急いで後ろを振り返る。
後ろには誰もいない。
「ウフフ、驚かせてしまっテ申し訳ございマセン!」
そう隣から声がする。その声には生気が感じられない。まるで合成音声のように不気味で不自然だった。
隣に生えた木の上に金髪の美しい女性が立っていた。茶色のドレスの上に赤いローブを羽織っている。そこで二人は違和感に気づいた。その女性は細い枝の上に立っている。普通の人間が乗って折れないわけがない。
なんとも不思議な雰囲気の女性だ。さっきも何気なく自然に会話に割り込んできた。異様なまでの圧迫感がそこにはあった。
「誰…!?」
「いきなり会話に入ってキテ本当ニすみマセン!何せお二人が楽しそうに話していまシタから…。嗚呼、自己紹介をしなくテハ。私は悪魔。階級『君主』、ストラスと申しマス。」
ストラスと名乗った悪魔は不気味な笑みを浮かべていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「…悪魔が私たちに何の用?」
そうベルが聞く。こっそりと鎌に手をかける。
「貴方様を一度お目にかけタク…。居ても立っても居られズにここまで訪ねてキテしまいマシタ!本当にゴメンなさい!」
「…じゃあもう用は済んだでしょ。さっさと帰ったら?」
「イエイエイエイエ、まだ終わっテおりません。私が貴方に聞きたいノハ…そう、貴方自身について、デス、あの方の『忌み子』である貴方に。」
「…ッ!」
ベルの瞳が揺れる。その様子を見てストラスは甲高い笑い声を上げる。
ベルはもう力が抜けたように鎌から手を離していた。
「ソウデス!ソウデス!その反応が見たカッタのデス!ワタクシはそのような顔が大好物ですのヨ。美しい少女が絶望に顔を歪ませるその姿ガ!嗚呼なんと美しく哀れ!いいデス…いいのデス!」
亘希はベルの手がわなわなと震えていることに気づいた。
「ベル…」
その声が届かないうちに、
「…黙れ…黙れ黙れ!」
今まで聞いたことのないような声でベルが声を荒げる。鎌を構える。その鎌には目で見てわかるほど魔力が込められていた。
悪魔が怒り、悪魔が嗤う。
ベルが鎌を振るう。それを木から飛び上がったストラスが足で受け止める。その足には鉤爪があり、それが鎌をがっしりと掴む。
「…やっと効いてきましたカ。ここまで耐えたコトはむしろ誇るべきデスワ。」
ベルはやっと自分がストラスに斬りかかったことに気づいた。魔力と感情の操作ができない。さっきの攻撃にほとんどの魔力を込めてしまった。そう焦っている間にその体に新たな攻撃が迫っていることにベルは気づかなかった。ベルの横腹に強い蹴りが入る。
「ぐあっ…!」
木に叩きつけられる。そのまますかさず攻撃が入る。
「あの男に先に干渉しておいたのは正解でしたワ。お優しい貴方では悪夢にうなされている彼に触れずにいることなどできナイでしょうからねェ…!」
何も考えられない。感情がぐるぐると回り、立つことすらままならなくなっていた。
力を振り絞り渾身の一撃を入れる。するとストラスはローブを翻し、そのまま鎌を受け止める。その瞬間ローブの一部が鋼鉄の羽根に変わり、攻撃を跳ね返す。
その隙をつかれ、また数発攻撃を入れられる。
「まぁ、ワタクシは誰も傷付かないで終わることを望んでおりますカラ。だから貴方のことヲ少し教えてもらうだけで十分ナノデス。なぜ貴方はこの下界でこのように現を抜かしているのデスカ?」
「お前には…関係ない…でしょ…!」
鋼鉄の羽根の矢がベルを狙う。
「私は『強欲』ほど知識欲は有りマセンが、多くのことを知り、また多くのことを知りたいと思っておりマス。そのため貴方のような珍しい『事例』が気になって仕方がないノデス!なぜ忌み嫌われている貴方がなぜまだあの場所にいたガルのかを!!」
彼女に亘希の声はもう届かない。それでも亘希は懸命に叫ぶ。このままではベルが壊れそうだったから。ベルがベルではない何かになってしまいそうだから。
「はぁ…はぁ…はぁ…!」
ベルの息が荒くなる。もう体力も魔力も底をつきかけていた。
そんな中彼女の脳内には声が響き渡っていた。
『私が助けてあげるよ。だからあなたはゆっくりおやすみ。』
意識が急激に遠のいていく。何か暗いものに自分が呑まれていく。
「早く答えたほうが楽デスヨ。…?…はて…?」
ストラスはベルの体の違和感に気づいた。
傷が癒えている。その上、煙のようなものが彼女を纏っている。
急に殺気を感じ横に飛び退く。そこを鎌の放物線が通過していく。
避けれたはずだった。が、その鋼鉄の羽根の鎧はその装飾とともにいとも簡単に砕け散った。
「一体何ガ…。」
さっきまでの不気味な笑みは消えていた。彼女がベルを観察する間もなく次の攻撃が入ってくる。先程とはまるで別人のようだ。その攻撃には焦りも恐怖も存在していなかった。次々と彼女の身を飾る装飾が剥げていく。彼女の口元が再び歪む。
「やっと現れましたネ!そう、私は貴方ではなくアナタに会いたかったのデス!」
そう笑う彼女の体を鎌が捉えた。が、ストラスは自身の体を一部フクロウに変身させることで避けていく。
ついにベルの鎌がストラスの首を斬り落とした。だがその傷跡にどこからともなく飛んできたフクロウが止まり、頭の形に変形する。
「アナタなら私を楽しませてくださいますヨネ、そう…最期まで…。」
そうストラスが呟く。
すると先ほど落ちた装飾や鎧が光りだし爆発を起こした。その爆発はベルとストラスをも巻き込んでいった。
煙が晴れるとベルは傷だらけになっていた。息も絶え絶えになっている。
対してストラスは無傷、トドメを刺そうとベルに近づく。
「そこまでです。」
凛とした声が夕暮れの空に響き渡った。