第五十五話、地獄穴。
「さて、そろそろ移動しますよ。」
天界での宴を終え、亘希たちは荷物をまとめ、移動する準備を整えていた。
服もいつものものに着替え、溜まっていた緊張もその服と共に脱げたような気がした。
「これから行くのはえっと…どこだっけ?」
「もう忘れたんですか?地獄ですよ。」
「…そうだった…。地獄ってどんなとこなの?全然いいイメージが湧かないんだけど…。」
地獄といえば、罪を犯した人間が死後に送られる場所だったはずだ。罪の深さによって落ちる場所は異なり、阿鼻地獄などその層によって名前がついている。そしてそこに落とされた者は文字通り地獄のような罰を受け、更生させられる…と言った感じだったはずだ。
「それはもう地獄のような場所…でしたよ。」
「でした?今は違うの?」
「はい、今はいろいろ規制が厳しいですからね…。罰一つ与えるのも大変ですよ…。」
「人間界と同じじゃん…。」
「まあとにかく、それほど危険じゃないので安心してください。罪人以外には、ですが。」
アリエはそう微笑んで言った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
亘希たちは行きと同じように馬車に乗り、セントラルアッシュを後にした。
「何はともあれ無事に終わってよかったよ〜。」
「ですね。混沌が介入してきたり危うい事態はありましたがね。」
ベルが冷たい馬車の床に寝転がり、大きく伸びをする。
「はしたないですよ、お嬢様。」
「いいもん〜、ここでは亘希くんとアリエしか見てないんだから。」
「吾もおるわ!」
すかさず八岐大蛇がツッコミを入れる。
「ねぇ、アリエ…、」
「…?どうかしました?」
「ミカエルさんとそんな話せずに出てきちゃったけど大丈夫かな…?話したい、って言ってたんだよね?」
シグナスとの会合の前、アリエは確かにミカエルが亘希との会合を望んでいると言った。それはただでさえ最高神との会合を控えていた亘希をさらに追い詰めたが、終ぞそれが行われることはなかった。
「…彼から直々に『もう必要ない』と申されました。ですので心配は無用です。」
「そう…。」
「安心してください、怒らせてしまったというわけではありません。彼は観察眼の鋭いお方。あなたを一目見て何か確信に至ったか、或いは…。」
遠くなっていく都を窓から見つめながらアリエはそう告げた。
「なんにせよ、気に病むことでもないですよ。安心して地獄旅を楽しんでください。」
「その字面自体に楽しむ要素が一つもないんだけどね…。」
亘希はそう苦笑した。
「…それはさておき、地獄には入り口が二つ存在します。北のデゼルアルヴァと呼ばれる地方に一つ、南のアクシノスと呼ばれる地域に一つ存在します。ですが、南は特に危険であなたのような天界初心者を連れていくのは不可能です。ですから我々は今、北に舵を切っています。」
「なるほど…。そのデゼル…何とかってところはどんな所なの?」
「別名は雪の砂漠。その名の通り雪のように白い砂が全域を覆っています。あの地の方々は皆地動隊よりなのですんなり通してくれるでしょう。」
前方を見れば確かに遠くの方で黒い雲がかかっている。
「一つ警戒しなければならないのはカンナカムイです。」
「カンナカムイ?」
「はい、彼女も龍の一族の一人ですが、完全に独立していますし一匹狼ですから。一応、天界との協力関係は結べていますがイマイチ協力はしてくれません。それに自身の城周辺に立ち入ることを禁じているのでもし間違って入ってしまえばどうなるか分かりませんから。」
「ふ〜ん。」
そう語り合う四人の後ろでただ一人佇む影があった。
「…で、」
「…?」
桃色の髪が馬車の揺れと共に揺れる。その度に彼女の鈴の髪飾りがシャランと音を立てた。
「何で私も行かなきゃならないのよ…。」
「レイ…。」
地動隊別働隊月影隊隊長・レイエル。
亘希とは一度しか面識がないが、アリエは彼女を連れてきていた。
「あなたは優秀ですし、カンナカムイとも面識が面識がありますしね。連れてきて損はないです。」
「ゆ、優秀なのは…否定しないけど、でも…!」
「いや否定しないんだ…。」
亘希がそうツッコミを入れる。
「あなたはいっつもこういう誘いに乗ってくれませんから。あなた、いつも私たちから距離とってますけど私はそんなあなたを結構気にしてるんですからね。一応、上司ではあるんですから…。」
「アリエ…。」
「それに、私が今は生殺与奪の権を握ってますから!」
「え…?」
レイの困惑の声が静かな馬車の中に響き渡った。
「もちろん本当に死ぬとかではなく、社会的に、です。先ほども言った通り私は上司。どの部下を昇格させてどの部下を落とすかの権限は持っています。ですから、今回の旅は参加してください。もし降りるというのならあなたは降格です。」
「そんな卑怯な…!」
「…なんて、冗談ですよ。ただ私は、あなたにも楽しんでほしいんです。上司部下の関係ではなく…そうですね…友達として、ですかね?」
「友達…。」
「あなたは私を友達とは思っていなくてもいい。ただ私は、私にとってはあなたは大切な部下で仲間で、友達ですよ。」
レイの薄紫色の瞳が一瞬揺れたような気がした。
「ふ、ふん…。友達なんか…必要ないわ…。」
「そうですか。」
アリエはそうにっこり笑っていったが少し悲しそうにも見えた。
「…でも、旅にはついて行ってあげる…。一応、世話になってるし…。」
「これがつんでれなどというものか。」
「そうだね〜。」
八岐大蛇が彼女を興味深そうに見つめ、ベルがニコニコしながら見守っている。
「ツンデレなんてものじゃないわ!今すぐ言い改めなさい!」
「だって〜!ツンデレ以外そんな言葉言わないし〜。それに、ツンデレキャラ、似合ってるよ〜!」
「違うし!似合ってなんか無い!」
ついに堪忍袋の尾が切れたレイが鞘から刀を抜き出す。
ギラリと輝く二振りの刀。その両方を構え、狭い馬車の中でベルに突っ込む。
「霊想斬!」
「ちょわっ!ここ馬車の中だから落ち着いて…!謝るから!」
「本当に?」
「う、うん!」
レイは小さくため息をついて刀をしまった。
「ご、ごめんなさい。調子乗りました。」
「分かったわ。許す。」
「…!ありがとう…!大好きー!」
「ちょっ…!さっきまで怒ってた人に距離近すぎでしょ…!?」
そんな皆んなを乗せて、馬車はガタゴトと荒道を進む。
黒い雲がもう間近に見えていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
大粒の雨が馬車に降り注ぐ。
水をかぶった一角獣が嫌そうに首を四方八方へ回した。
「雨、降ってきましたね…。砂漠なのに…。」
「この辺りはもうカンナカムイの能力範囲圏内よ。彼女は存在するだけで豪雨と落雷をもたらす。それも一人で行動している理由なんでしょうね。」
「なるほど…。」
少し先に城が見えた。ただし一般的に知られている和風の城とも西洋の城とも異なる形状をしていた。
その城は全てが氷で出来ており、時折雷が反射してキラキラと輝いていた。
「あの城がカンナカムイの居城よ。詳しいことは彼女に聞いてみないとわからないけど、彼女自身が建てたとも遥か昔から立っているとも言われているわ。」
「ほー、詳しいのう…。」
「アリエに頼まれて天界への協力要請の紙を彼女に私に言ったのは私だしね。全く大変だったわ。」
「それは本当に申し訳ございません。」
「いいわ、今更。」
城を通り過ぎ、亘希たちは大きな穴にたどり着いた。
どこまでもどこまでも続いているような大きな穴。一度落ちてしまえば死は避けられないだろう。
「ここが、地獄の入り口…?」
「その通りよ。この穴を抜けた先が地獄。さぁ、行くわよ。」
「行くって…この穴を飛び降りるの!?」
「当たり前よ。他に何があるっていうの?」
「でも心の準備が…!」
「そんなものは必要ない…!黒龍さん、あの穴の中心に向かって馬車を進めて。」
御者席の黒龍が窓枠から顔を覗かせる。
「でも、そんなことをしたら落ちちゃうよ…?」
「ああっーー!どいつもこいつも…!大丈夫に決まっているでしょ!?貸しなさい!」
優雅に御者席に飛び移ったレイは黒龍の持っていた手綱を半ば強引に奪い、穴へスピードを出して駆けさせる。
一角獣たちは躊躇うことなく穴の中央へまっすぐに進んでいく。
「このまま行くわよ!」
「うわーー!」
レイ以外の全員は悲鳴を上げながら深い地獄へと落ちて行った。




