第四話、日常と異変。
「ふわぁ〜。」
朝日を浴び、ベルが大きくあくびをする。
雲ひとつないほどよく晴れていて綺麗な空。
ベルは寝起きのいい方である。今もこのあくび一つで頭が完全に起きた。
風呂場に行ってパジャマを脱ぎ、シャワーを浴びる。昨日できた傷はもうない。
毎朝シャワーを浴びることは彼女の日課だ。寝ている間の汗を流し、体も温めることができる。
「ふぅ…。」
水の温かさに思わずため息が出る。
風呂から出てタオルで体を拭く。
このタオルもパジャマも、昨日の夜亘希から貸してもらったものだ。
昨日亘希は男物だが大丈夫かと気にしていたが、そんなことは関係なく大きさもピッタリで肌触りも良く、ぐっすり寝ることができた。
こうも堂々とお風呂を使えるのは彼女が亘希の母や弟がもう家を出たことを知っているからだ。
おそらく仕事場や学校が家から遠いのだろうとベルは推測付けていた。
彼女が起きた頃、その二人はまだ家にいた。
部屋のドアからこっそり確認すると彼の母は40代くらいの優しそうな女性、弟は小学生くらいの男の子だった。
「流石は亘希君のお母さん、優しそうだったな…。」
そう振り返って呟く。ある程度体が拭けたので彼女は指を鳴らした。
そうするとどこから現れたのか服が彼女の手の元に現れる。
その朝の静寂の中、目覚ましの音が鳴り響く。ベルはその音に気づくと、無意識的に頬が緩む。
そして、軽く手を叩いた。そしてそのまま亘希が寝ていたベッドの前に着地する。魔力が少しでもあれば彼女にとってはワープくらいなど朝飯前だ。
部屋の外に向かっている彼の背中に後ろから声をかける。
「おはよう、亘希くん。」
彼――皐月亘希は不意を突かれたような顔をして振り返った。
そしてベルに気づくとそのまま微笑み、おはよう、と返した。
こうして新しい朝が始まった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
彼女と二人でリビングへ向かう。
すでに開けられている窓とカーテン、洗濯に出されたタオル、濡れた風呂場。
そのどれもが彼女が自分より早く起きていたことを証明している。
リビングに入るとすぐにベルが席につく。
「えっ、どうしたの?」
「わからない?ご飯だよご飯!何か食べようよ!」
「えっ、ベルのも作るの?」
「ううん、その必要はないよ。私は君のを食べるから。いつも通りに朝ごはんを食べて。」
彼女の言ってることが全く理解できなかったが早速調理に取り掛かる。
…っと言ってもパンを焼くだけなのだが。
食パンにバターを塗ってトースターに入れ、2分半ほど焼く。ただそれだけ。コップに牛乳を注ぎ、自分も席につく。
「じゃあ、いただきます。」
「い、イタダキマス…?」
そう見様見真似でそういう彼女につい吹き出してしまう。
「なんで笑うのさ!こっちだって初めてで真剣なのに!」
「いや、なんか…ふふっ、ふふふ…。」
「だから笑うな!」
そういった和やかな空気で朝食が始まる。
亘希がパンを食べ始めると彼女は自慢げに手を前に出す。マジシャン気取りで布を取り出し、手を覆いまた布を取ると、そこにはさっきまでなかったはずのパンがそこに現れた!まるでタネも仕掛けもありませんとでも言うように見せびらかす。彼女の場合、タネも仕掛けもなくても魔法があるのだが。
出てきたパンはどう見ても亘希が今焼いたものと瓜二つだった。焼き色も焦げ具合も全く一緒。
「こうすれば同じ物を食べたことになるでしょ。」
まるでコピペの要領で出したパンをかじる。その途端目で見てわかるくらいに彼女の目が輝く。
「ん〜〜!美味し〜い!!」
そう大袈裟にも思える態度でどんどん食べ進める。そんな様子を見ていると不思議と心が温まる。
ご飯を美味しそうに食べる人と一緒に食事をするとこっちまで幸せな気持ちになるってこういうことなんだなと思った(人ではなく悪魔だが)。
ふと時計が目に入った。もう出ないと間に合わない時間だ。急いで食べ終え、制服に着替える。
「えっ、もう出るの!?まだ私食べ終わってないよ〜!」
そんな悲痛な叫びを無視しつつ、準備を終える。
頬をパンパンに膨らませたベルが玄関に駆け出してくる。焦ってしまい無理矢理パンを口に突っ込んだようだ。
笑いを堪えながら、
「持っていってもいいからゆっくり食べなさい。」
「んーん(はーい)。」
そう注意する。
そうしてゆっくりした朝は終わりを迎えた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ベルと二人で電車に乗り、学校に登校する。
このように誰かと一緒に登校することにいったいどれだけ憧れたことだろうか。
窓を流れていく景色もいつもよりも鮮やかに目に映る。
彼女はじっとこちらを見て微笑んでいる。悪魔である彼女の考えていることはわからない。それでも、彼女を友達として信頼してもいいと心の奥底で思い始めていた。
駅に着くといつものように人の波が二人を運ぶ。
ベルとはぐれないように手を繋ぐ。家族以外と手を繋いだのはいつぶりだろうか。そんな嬉しさに浸っている間に学校に着いた。
ウグイスの鳴く晴れた春の日だった。
去年も昨日も聴いたウグイスの鳴き声が今日はいつもと違って聞こえた。
「ベル、今日は学校の間は外で待っててくれる?」
「いいけど…なんで?」
「少し…勇気を出してみようと思う。君を助けられた時と同じように。」
「それってどういう…。あっ…なるほどね。分かったよ。」
なんとなく察してくれたらしい。
学校の門の前で別れ、一人教室に入る。
いつもなら黙って座り、ただ授業を待っていた。
でも今日は…。
「…おはよう。」
そう隣の席の子に声をかける。確か名前は松島くんだったか。
「おっ、亘希から話しかけてくるなんて珍しいじゃん。おはよう。」
そう返してくれる。そういえばベルと契約する前、一人で席で黙っていた自分に彼はよく声をかけてくれていた。今まではうまく会話のキャチボールが成り立たず全然続かなかった。でも今は、自分が投げたボールを彼は受け止めてくれた。その時亘希は自分がひとりぼっちではないことに初めて気づいた。
―――一方その頃、ベルは―――
「…あついーーー。もう夏じゃんこれ!春はどこだよ春は!」
そう一人で暑さに苦しんでいた。木陰に入るが全然暑さはひかない。
そんな彼女を嘲笑うかのように鳥が鳴く。
「ホッホー。」
この辺りでは聞き慣れない声だった。見ると大きな茶色いフクロウが木に止まっている。
「フクロウ…?」
そう呟くと同時にそのフクロウは飛び去っていった。羽根が静かにゆっくりと落ちていった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
学校が終わり、待ち合わせ場所へ向かう。
「遅かったじゃん。」
そう不機嫌そうな顔でベルが文句を言う。
「ごめんごめん。それと――ありがとう。」
「えっ、何が?」
「一人で行かせてくれて。おかげで少しはクラスに馴染めたと思う。」
「…その感じだといい収穫になったみたいだね。私が暑い中で待ってた甲斐はあった?」
「それは本当にごめんって。」
ベルがぷくーっと頬を膨らます。
「でも今気づいたけど、コンビニとか涼しい場所に行っとけばよかったんじゃない?」
「…あ。」
気まずい沈黙が少しの間流れた。
二人で駅に向かって歩き出す。空は暗くなり出して次々と道の端の街灯が点灯し出す。
「君と会ったのもこのくらいの時間だったよね。」
「もう1日経ったんだ…。早いね。」
「友達1日目終了記念でもやってく?」
「まだ1周年ですらないのに?」
「確かに…。ふふっ。」
急にバサバサ…と羽音が聞こえた。
その方向を見ると大きなフクロウが止まっている。
「…フクロウなんてこの辺りにいたっけ?」
「私は昼間にも見たよ。」
「僕は初めて見るけど…。」
またバサバサ…と聞こえる。
「ねぇ…ベル…。」
「うん…。」
またバサバサと。
明らかにおかしい。気付けば数十羽ものフクロウが電灯からこちらを見ていた。
ベルが静かに鎌を取り出す。そして魔力で複製しその一本を亘希に渡す。
急に鳴き声が止む。
「構えて!」
一斉に飛びかかってくる。
フクロウの群れは一度空中を旋回した後、亘希たちのほうへ一直線で向かってくる。それを交わしつつ斬る。この前の輪入道と違い、割とあっさりと刃が通る。数羽を斬ったが一向に減る気配はない。
こうなったら、とベルが鎌を構え直す。
「亘希くんは横に避けてて!いくよ!ベスビオ・インパクト!」
途端にフクロウの群れの中に炎の渦が生まれる。それはフクロウをどんどん巻き込み巨大化し、最後には大爆発を起こした。
跡には何も残らなかった。
「ふぅ…。終わった終わった。」
「今のは?」
「『使い魔』。悪魔が生み出す手下たちだよ。」
「それがなんで今ここに?」
「わからない。でももう全滅したみたい。早く帰ってご飯食べよう。」
「うん。」
そんな二人をまだ一羽のフクロウが見ていることに二人は気づかなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ここがどこだか知る人はいない。ただそこには大きな城だけがあった。
古代エジプトの遺跡のような岩でできた宮殿。そんな中にほんわりと松明の火とシャンデリアの明かりだけがついている。
その中にはただ一人、女性の姿があった。
王様が着るような赤色のローブの下に茶色と黒が主に使われたドレスを着ている。その女性はただ鏡をみつめていた。その鏡には街灯と悪魔と男を写していた。
「見つけタ…。見つけタ見つけタ!うふフ、やっと見つけまシタワ!あれがこの世界を統ベル者の『忌み子』!なんと美しく、なんと可愛らしく、なんと哀れな子!一度目にしておきたいと思っていましたガ、こうも早く見つカルとは…。なんという運命の巡り合わせデショウ!ふふ…ふふふ…。…さて、横にいる男は小蝿かしラ?小蝿は五月蝿くて小汚い…。ワタクシは嫌いデスワ。小蝿…五月蝿い…ふふっ、蝿の王だけに?…一度お会いしに行くことにしまショウ。蝿は早めに駆除するに限ることデスシ。」
そんな奇怪な言動をする彼女はその顔に不気味な笑みを浮かべていた。
階段まで歩き、下の階を覗き込む。そこには大量のフクロウがいた。その数、約2600羽。
「このくらい残機があれば大丈夫ですワネ。嗚呼、会えるのが楽しみデスワ!オッーホッホッホ!」
城にはただ彼女の不気味な笑い声だけが響いた。