第四十六話、天界へようこそ。
「――さて、皆様、準備は完了致しましたか?」
「僕はできてるよ。」
「わ、私も…ハァ…ハァ…。」
「私も…ハァ…ハァ…。」
息を切らしつつ戻ってきたベルと黒龍もそう声を上げる。
いったいどこまで走ってきたのだろう。彼女たちの髪や服にはたくさんの葉や枝が絡まっていた。
「…で、本当にあなたも付いてくるんですか?」
そう言ったアリエの目線の先にいるのは八岐大蛇。
「当然じゃ。吾もずっとここにいては退屈じゃからのう。ちと付き合ってやろうと思うてな。何より、吾程の戦力があれば貴様らも安心じゃろう?」
「それはそうですが…。玄武様には?」
「あの者には既に許可を取っておるわ。心配するでない。」
アリエは大きくため息をついた。
「…分かりました。同行を許可します。」
「かたじけないな。」
「ですが…」
そう言ってアリエは八岐大蛇の服を概観する。
かろうじてプライベートゾーンは隠れているが、それが意味がないと思えるほどの刺激的な服装だ。ヘソは出てるし、それはズボンと言えるのかと聞きたくなるほど足が短いズボン、何よりまあまあの大きさのある胸や体のラインが強調されて何とも見るに堪えない。
「…その服を何とかしてくれませんかね…。」
「ん?どこがおかしいのじゃ?普通じゃぞ?」
「あなたの基準はどうなってるんですか…。もしかして眠ってる間に恥じらいというものをどこかに捨ててきたんじゃないんですか?」
「何を言うておる。吾は八岐大蛇になって須佐之男の野郎に倒される前からこの装束を着ておるわ。」
「それなら尚更ヤバいですよ!?」
「そうなのか?特に不自由はなかったが…うーむ…」
八岐大蛇は腕を組んで少し考えるような動作をして、何かを思い出したような顔をして人差し指を上げた。
「あっ、そういえば吾がとある村落の社に住まわせてもらっていた時に村の童共が変な目で吾を見ておったことはあったのう…。」
「それ、あなたがその子供たちに変な性癖を植えつけたからですよ…。」
「そうだったのか…。吾に惚れるとは大変じゃな。」
「他人事みたいに…。」
ため息をついたアリエは二人して大の字に倒れる黒龍とベルに目を移した。
「お二人とも大丈夫ですか?もし無理そうなら少し休憩時間を取っても…」
「だ、大丈夫…。早く行こ…」
「私も…も、もう大丈夫だよ…」
「それならいいですけど。じゃ、八岐大蛇が服を取ってき次第出発しましょうか。」
「?吾はもう服着てるぞ?」
「上着を着てください。そのままではあなたはただの痴女てす。」
「そうとは思えんがのう…。まあいいわ。着てやる。礼を言うがいい。」
「はいはい…。」
八岐大蛇が部屋へ駆け込んで行った後、ようやくベルと黒龍が起き上がった。
「わ、私でも追いつけないとは…なかなかやるね…黒龍さん…」
「あ、ありがとう…。」
動くたびに二人の体から枝や葉がボロボロと落ちる。
「次からは亘希くんとバイキングに行く時は必ず私も誘うこと!いい?」
「…?…?私、バイキングには行ってないけど…?」
「えぇ!?」
ベルはバッと体を亘希の方へ向けた。
「亘希くん〜、違うなら早く言ってよー!」
「何度も言ったよ…。話を聞いてなかったのはベルの方でしょ…。」
「えぇ〜。私が聞いてないって言ってるんだから言ってないのと同じですー。」
「お嬢様、屁理屈言わないでください。」
そう頬を膨らませるベルと亘希の間にアリエが割って入る。
「お嬢様はいっつも話をよく聞かずに突っ走るんですから…。猪突猛進にも程があります。」
「そうかな〜。私は話はよく聞く方だよ?」
「全然違います。さっきだってもう彼は帰り始めてるって報告したのにそれを無視して突っ走っていっちゃったじゃないですか…。」
「!…み、見間違えじゃない?」
「そんなわけないです。それにこの前だって…」
「ストップ…!!もうこれ以上はやめて!私のライフはもうゼロだよー!!」
「…?生きてますよね?」
「うん。」
「比喩だから!!本当に死んでるわけないから!」
ベルは大きくため息をついた。
「で、我が騎士アリエよ、今日の行程を言いたまえ〜?」
「その話の振り方はイマイチ気が乗りませんが…。まあ、いいでしょう。」
アリエはどこから出したのか何枚もの紙の束を一人一人に配っていく。
「これって…しおり?」
「はい。私が昨日徹夜でまとめました。」
「徹夜で!?アリエ〜、寝なよ〜!こんなのどうでもいいからさ〜。」
「冗談ですよ。…ってこんなのどうでもいいって何てこと言ってるんですか!!」
そうアリエが激昂するのを見てベルは悪戯っぽく笑いながらしおりをめくる。
綺麗な構成に見やすい字の大きさ。そして天界のあらゆる場所が簡潔に分かりやすくまとめてある。アリエらしい丁寧な作りのしおりだった。
「すごい…!全部アリエが作ったの!?」
「はい。皆様方が読みやすいような配置や字の大きさを考慮して作成させていただきました。なにか不備な点やご意見があればお教えください。」
「いやいや、ほんと完璧だよ。言うことなしって感じ。」
まさしく非の打ち所がないとはこのことだ。
だが亘希は行程表を目で追ううちに大きな空欄を見つけた。
「あれ…?ここって…。」
アリエがまるで亘希がそう言うのを待っていたようにすぐに語り出した。
「そのしおりはまだ未完成です。その空欄を埋めなければ完成したとはいえませんから。」
「じゃあなんで…」
「そこに入れる予定はあなたへの確認が必要かと思いまして。他でもないあなた自身の決断で決めた方がいいと判断しました。」
アリエがそこまで言うほどの予定とは何なのだろうか。さっぱり見当がつかず、亘希が首を傾げていると、
「単刀直入に聞きます。あなたはお嬢様の父君、つまり最高神・シグナス・ヴォン・グラディス様にお会いする気はございませんか?」
「え…?」
「あなたがもし良ければお会いしたいと仰せです。どうか聞き入れてくださいませ。」
「ちょっ、ちょっと待って…!」
――さ、最高神!?に僕が?
いきなりのアリエの提案に亘希は困惑した。
確かにいつか神様に会えたらな〜、とはベルと出会う前から思っていた。しかし神様の娘であるベルに出会いその願いは叶ったはずだ。なのに、それよりも上の位、全ての神を束ねる最高神に会える機会が回ってこようとは夢にも思わなかった。
「あなたはまだ自覚がないのかもしれませんがあなたが今契約しているのは最高神の家系、つまり最高クラスの地位を誇る神の一族の娘なのです。そんな彼女と契約しているあなたは出自がどうであれ、それに並ぶだけの地位を手に入れたも同然です。なので当然あの方と面会する権利はあります。」
「そっ、そんな地位は求めてないし何より最高神様となんて…。畏れ多すぎるよ。」
「む、無理はしなくていいよ…?いざとなれば私があの方には交渉してみるよ…。」
「ありがとう、黒龍さん。でも…。」
これを逃せばおそらく二度とこんな機会は回ってこない。亘希はそう悟っていた。
でも怖い。そんな神様に僕が会ってもいいんだろうか。下手なこと喋って何かなってしまうのではないか。
そういう疑念が頭の中を駆け巡る。
「私は…。」
そうベルが呟くように喋り出した。
「私は、お父様に亘希くんを会わせたいけどな…。もちろん亘希くんがどうしたいかでいいけど。」
「ベル…。」
だが、亘希にはそんな勇気はなかった。
仕方がない。断ろう。流石に人間と最高神、差が大きすぎる(そもそもベル※最高神の娘とも差が大きすぎるのは置いておいて)。
「ごめんだけど…アリエ…」
そう言おうとした瞬間アリエのトランシーバーが鳴った。
「あっ、すみません。少し出ますね。もしもし…」
しばらく話した後、ベルは何故か微笑んで帰ってきた。
「すみません。断ろうとしている所悪いですが最高神様からの新たな命令です。」
「え?」
「あなたを客人としてお嬢様と共にお連れしろとのことです。この命令には逆らえませんよ?」
「…ってことはつまり…。」
「はい。問答無用で最高神様との面会は決定です。粗相のないようにお願いします。」
「…え?えっ?…はああああー!?」
晴れた空に亘希の悲鳴が響き渡った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
一方その頃。
天界のどこかにある大きな屋敷。この場所は何故か半分のみを太陽が照らし、もう半分は夜の暗闇が包んでいた。
その屋敷の中の廊下にその老人はいた。モノクルをかけ、整った口ひげを付けた白髪の老人だ。彼は熱々の食事を乗せたワゴンを持ってとある部屋に向かっていった。
屋敷の廊下には彼一人以外誰もいない。部屋も多くあるがこの老人の部屋と他一つの部屋を除いて、ほとんど全ての部屋が未使用だ。だが塵一つ落ちてはいない。それはこの老人の日頃の行いの成果なのだがここでは割愛する。
老人は一際大きな扉の前で足を止めた。
深く深呼吸をし、優しく扉を叩く。
「坊ちゃん、お食事の準備ができました。」
返事はない。いつもの通り鍵がかかっていて中に入ることはできない。
老人は中にいるであろうその人に聞こえないように小さくため息をついた。
老人は軽く一礼した後ワゴンを置き、その場を去った。
老人の足音が遠ざかる中、その部屋の主は微動だにしなかった。ただ部屋の端に置かれている大きな振り子時計をただ静かに見つめていた。
その時、窓に吊るしてある紫色の宝石がきらりと一瞬輝いた。
ハッとした表情で彼は宝石を見やる。窓から吹き込む風に揺られながら宝石は点滅していた。
「ベル…?」
そう彼は小さく呟いた。
月と太陽が静かに屋敷を照らしていた。




