第四十五話、信頼。
「うわあぁーー!?すごい…!」
「だ、大丈夫?」
「うん、大丈夫。少し驚いただけ。」
下の家々は点のようにしか見えない。
亘希たちは遥か上空にいた。
「すごい速さだね…。出雲の時に一回だけベルと飛んだことはあったけどそれとは比べ物にならないくらいだよ。本当に最高!」
「う、うん…!ありがとう…!」
二つの人影が空中に浮遊し、あろうことか羽もなしに猛スピードで空を飛んでいる。
心地よい風の音が耳に響く。そのくらいの大風が吹いているのに不思議なことに体が吹き飛ぶ気配はない。
「これってどういう仕組みで飛んでるの?」
「姉様は『垂直抗力を魔法で増強して重力の反作用を強くすることで飛べるようになっている』とか言ってたけどよく分かんない…。」
「ふ〜ん、つまり物理法則無視か…。流石魔法。」
これならこれほどの強風で吹き飛ばないのも説明がつく。
「本当にありがとうね、黒龍さん。旅館まで送ってくれるなんて。」
「ううん、大丈夫だよ。私の方こそ逃げたせいで時間かけちゃってごめん…。」
「いいよいいよ。後でベルたちには謝ればいいし。それより…」
亘希は自分の今の状況を今一度再確認する。
黒龍が空を飛び、亘希がそれに乗っている。ここまではまだ分かる。
だがただ乗っているのではなく、うつ伏せになって飛んでいる黒龍の背中に抱きついている形になっているのはなんとも言えない。
「…なんか…シュールな光景だな…。」
「ご、ごめん!普通の姿勢で乗っちゃうと頭が魔法の範囲外に出ちゃうから空気抵抗とかで間違いなく首が飛んでっちゃうの…。」
「そんな危険なんだ…。」
「龍の一族はその名の通り龍の姿に変身することもできるんだけど、その分魔力の消費が大きいから…。龍の姿だと魔法の範囲も広がるから頭上げても大丈夫なんだけど、さっき逃げるのに魔力使いすぎて…。ごめんなさい…!」
「いいよ。仕方ないしね。」
「あっ、あと…!」
黒龍の速度が少し落ちた。その顔は赤くなっているようだった。
「…ちょっと…今はこのままがいい…から…。」
「…うん、わかった。」
何もない澄んだ空を二人は飛んでいく。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
遡ること数分前。
「もう大丈夫?」
「うん…。」
あの後、黒龍は心ゆくまで泣き続けた。亘希はそれを静かに見守っていた。
「さてと…帰ろっか。」
「うん…!」
黒龍が涙を目の端に溜めながら微笑む。
二人でゆっくりと山を降りる。
登ってくる時はとても大変だったが、下りは転ばないようにさえすれば大したことはない。
「…昨日は…その…。」
「…?」
亘希の背中をゆっくりとついてきていた黒龍が静かに話し出した。
「…巻き込んじゃってごめんなさい…。」
「巻き込む…?なんかしてたっけ?」
「あの…その…旅館に来るまでの道で…。」
「あっ、あれ黒龍さんが…!?」
黒龍は小さく頷いた。
ベルと二人で旅館に向かう際、迷い込んだ不思議な空間。
無限とも思えるほど道が遥か先まで伸び、あるはずのない分かれ道がたくさんあった。
「魔力があまり制御できなくて…暴走しちゃって…!ごめん…なさい…!」
せっかく泣き止んだのに、黒龍の目から涙がポロポロと落ちる。
「そのくらい大丈夫だよ…!だから泣かないで…!」
亘希はあたふたしながら黒龍を泣き止ませようとする。
「私ね…あの時も姉様の役に立とうと必死で…!姉様がアリエを捕まえるっていうから役に立とうとして…本当にごめんなさい…!」
「もう過ぎ去ったことなんだからさ、気にする必要ないよ。」
「ほんと…?」
「うん、大丈夫。」
やっと黒龍は泣き止んだ。
「これからもなんかあったら相談してくれて構わない。そりゃあ、ただの人間の僕が神様の君に役に立てるか分からないけど…できる限りのことはするからさ!」
「…。」
黒龍は黙って足を止めた。
「…?どうかし…」
ぼすっ。
振り返る亘希の背中を、黒龍は優しく抱きしめる。
「!?黒龍さん…!?」
「…。」
黒龍が亘希の体に顔を押し付ける。
黒龍の心地よい体温が背中から伝わってくる。
「…姉様と同じ…温かい…」
黒龍はそう小さく呟いた。
亘希はしばらく呆気に取られていたが、その背中を離そうとしない黒龍を見て微笑んだ。
おそらく彼女は姉に甘える機会が少なかったのだろう。
甘えたくてもこれ以上大好きな姉に迷惑をかけたくなかった。アリエが産まれた後は姉としてもう誰かに甘えてはいけないと、そう決めつけていたのだろう。
そんな彼女が心を許してくれたことが、亘希はたまらなく嬉しかった。
「もう、大丈夫、だよ…」
静かに黒龍が亘希の背中から手を離す。
「…わかった。」
今度は二人並んで山を降りる。
十数分くらい経って、亘希たちは再び街の中に戻ってきた。
「やっと山を降りれた…。えっと…旅館は…」
「…あっち、だよ?」
「ありがとう。じゃあ旅館に…」
そう体を向けると、そこには何もなかった。
いや、何もないわけではないのだが、旅館らしきものは全く見えなかった。
「…。どこ…?」
「こっちであってるよ…?まだ少し先だけど。」
「少しって…それほんと?全然見えないけど…。」
「うん、15kmくらい。」
「全然少しじゃないよ…。」
15km…休憩なしで走り続けても1時間以上かかる距離だ。よく走れたなと自分でも思う。
「さて…どう帰ろうか…1時間もかかるし…。あっ、そうだ、電話は…こっちじゃ使えないって言ってたか…。どうしよ…。黒龍さんは何か連絡できる方法知ってる?」
黒龍は首を横に振る。
「そっか…。やっぱり歩くしかないか…。」
「あの…そのことなんだけど…!」
「なにか方法が?」
「うん。」
黒龍は目を閉じて深く深呼吸した。
すると目を開けた途端にオレンジのツノが一瞬光ったように見えた。
「…よし。準備できたよ。」
「準備って…何の?」
「もし…亘希さんが良かったらでいいんだけど…私に乗ってもいいよ…?私龍だから空飛べるし。」
「いいの!?」
亘希は目を輝かせてみを乗り出す。黒龍はその圧に押されながら返事をした。
「う、うん。」
「やった…!黒龍さん、本当にありがとうね!」
「そ、そんなに大したことじゃないよ…。」
黒龍は顔を逸らして赤くなった顔を隠した。
「じゃ、じゃあ私に乗って…?」
「うん!」
黒龍は亘希を乗せて遥か上空に飛び立った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
そして今に至る。
「も、もうすぐだよ…。」
「了解。本当にありがとうね。」
「そ、そんなに礼言わなくていいよ…。私だって亘希さんの役に立ててその…嬉しいから…。」
「…うん。」
こうして十分もかからずに二人は旅館に戻ってきたのだった。
「…で、どこに行ってたんですか?」
旅館についた途端に怖い形相をしたアリエにそう問い詰められる。間違いなく怒っている。
「あの〜…その〜…。」
「誤魔化してないではっきり言ってください。」
「…ちょっと山に…。」
「全く!朝ごはんも食べずに勝手に行って!もう昼も過ぎてますよ!」
「ほんとごめん!」
アリエは大きくため息をつく。
「…ですが、まさかあなたが姉様といるとは驚きでしたが。」
そう言ってアリエは黒龍の方を見やる。黒龍は亘希の背中にしがみついて隠れている。
「そういえばベルは?さっきから姿が見えないけど…。」
「お嬢様なら先程…」
そうアリエが話し始めたと同時に地響きが聞こえ始めてきた。その音はどんどん近付いてくる。
その方向を見ると凄まじい量の砂埃が立っている。
「見ーつーけーたー!!」
その砂埃を立てている主は猛スピードでダッシュしこっちに近づいてくる。そしてアリエたちにぶつかる寸前で静止した。
「ハァ…ハァ…ハァ…ハァ…。」
そう息を切らし、飛び込んできたのはベルだった。
「ベル!?何してたの!?」
「べ、別に?何にもしてないよ?」
「嘘が下手ですね。」
「アリエは黙ってて!」
「分かりました。あなたが彼を気にして山まで探しに行ったことは黙っておきます。」
「もう言ってるし!!」
亘希が不在の中、ベルはそこまでやってくれたらしい。本当に嬉しい限りだ。
「ベル…!ありが…!」
そうお礼を言おうとした瞬間、亘希は口をつねられた。
「痛っ!?」
「この前約束したよね?私の許可なしに他の子とどっか行かないって!」
「あー…。」
「昨日は静香と二人で散歩したんだって?そんなの…」
ベルは怒りに震えるように体を震わせる。
「…ずるーーーーい!!!!」
「…え?」
「今度は私に付き合ってもらうからね!!後これからは約束を破らないこと!いい?」
「い、いいけど…。」
「それならよし!…ん?」
ベルは亘希の背中に隠れる影を見つけた。
「あなたって確か…黒龍…さんだっけ?」
「う、うん。」
「どうして亘希くんの背中に…。っていうかいつの間に仲良くなって…。はっ、まさか…!」
ベルは何かに勘づいた顔で驚きの顔を見せた。
「まさか…?」
ごくり。
「スイーツバイキングで二人だけで食べ放題行ったなーー!?」
「へ…?」
あまりに予想外の回答に亘希と黒龍の二人は唖然とする。
「そしてその後お菓子作って…ま、まさか…他にも美味しいお菓子を…!?」
「待って、一旦お菓子から離れよう。」
「ってことは普通のバイキング?それともビュッフェ?」
「いや全く違う…。」
「許さーん!!黒龍さん!」
「ひゃ、ひゃい!?」
いきなり話を振られて黒龍がビクッと体を震わせる。
「ぐへへ…ビュッフェ…バイキング…」
「ベル、よだれ出てるよ…」
「待てーー!」
「〜〜!?」
急に追いかけてくるベルに黒龍は震えながら逃げ出す。対するベルも同じくらいのスピードを出して黒龍を追いかける。
こうして亘希とアリエの二人だけが取り残された。
「ベル…。」
「あの…。」
「?」
「どんな手を使ったんですか?姉様とあそこまで仲良くなるなんて。」
「そ、そんなに仲良くしてるように見える?」
「はい、姉様は付き合いの長い私たちでさえあんな行動は滅多に見せませんから。」
アリエは目で二人を追いながらそう言った。
「何にもしてないよ。」
亘希はそうアリエに返す。
「僕はただあの子のそばに居てあげただけ。そばで微笑んでただけだよ。結局は、最後にあの子が勇気を出したからだよ。」
「そうですか。全く意味がわかりませんね。」
「そう?」
「はい。」
そう言うとアリエは二人から目を逸らし、亘希の方を見た。
「…あなたはベルのこと、友達以外でどう思ってるんですか?」
「うーん。強いて言うなら恩人…かな。」
「恩人?」
「うん、あの子がいなかったら僕は誰にも話せなかった。ベルのおかげで僕は独りぼっちじゃなくなった。友達もできた。本当に感謝しきれないよ。」
「…それはあなた自身の努力の成果ではないのですか?」
「それはあるかもだけど…その勇気をくれたのはベルなんだよ。」
「…それと同じですよ。」
「え?」
「お嬢様もあなたと同じことを仰られていました。あなたが変われたのは自分のおかげではなくあなた自身のおかげだと。あなたは何もしてないつもりでも、姉様には知らず知らずのうちに影響を与えてるんです。それをお忘れなきよう。」
そう言うとアリエは目を瞑ってしまった。
「そう…なのかな…。」
亘希は快晴の空を見上げた。太陽が眩しく照らしている。
「あなたは…」
「?」
「あなたは、もう私が信用できるくらいの人にはなりましたか?」
「どういうこと?」
「そのままの意味です。私がお嬢様を託してもいいと、そう思えるほどの人間に、あなたはなれましたか?」
そうアリエが目を閉じながら質問する。
亘希は少し考えるような動作をとった後、こう答えた。
「…分からない。アリエのその基準がわからないから何ともいえないけど…でも。」
「…!」
アリエの目が開き、亘希を捉える。アリエの綺麗な水色の瞳に、亘希の姿がはっきりと映し出される。
「もうなれてる。そう信じてる。」
「…そうですか。」
アリエは大きく伸びをして旅館の中にそそくさと戻ろうとする。
「アリエは…。」
「はい?」
「アリエは僕のことどう思ってるの?」
「というと?」
「だからその、アリエは僕を信じれると思ってるの?」
アリエはしばらく驚いたような顔で亘希の顔をじっと見つめていたが、目を閉じて大きくため息をついた。
そして何も言わずに部屋へ戻り出してしまった。
「えっ、アリエ!?無視!?」
突如、亘希の額に激痛が走る。何かが額に当たった。ズキズキとその場所が痛む。血は出ていないようだった。
「いたた…。ん…?」
当たったのは四神会議にて麒麟から預かった刀だった。前を見るとアリエが微笑んでいる。
「私は信用していない相手なんかに特訓をつけたりはしません。つまりそういうことです。」
亘希は大きく目を見開いた。アリエも刀を召喚して自分の腰に挿す。
「さぁ、もう出ますよ。準備してください、お嬢様の契約者さん。」
「…うん!」
微笑むアリエに亘希は満面の笑みで腰に刀を挿してアリエと共に歩き出した。




