第四十二話、お願い。
「――ではもう一回聞きますよ!天国と地獄、どっちがいいですか?」
「え、ほんと何この状況。」
天界に泊まって一夜明け、初めて見る天界での日の出を拝んだ後、アリエが聞いてきた質問。
さっぱり意味が分からない。
頼みの綱のベルはまだ寝ている。
「えっとつまり…僕はこの一夜のうちに死んだってこと?それでどっちに行きたいか選ばせてるってことでいいの?」
「いいえ違います!なんですかその突飛した考えは!寝ぼけてるんですか!?ですからどっちに先に行きたいか聞いてるんです!」
「???」
尚更訳が分からない。
「ああ、妹よ、そんなんじゃ訳わかんないぞ。」
遅れて起きた赤龍がアリエにそう助言する。
「そうですかね…。」
アリエが不満げに頬を膨らませる。
「そうだと思うぞ。」
「普段から言動が意味不明なあなたには言われたくありませんでしたが…」
「辛辣ッ!酷いぞー!」
そう泣きつく赤龍を抑えながら、アリエがため息をつく。
「昨日、天界を案内するって言いましたよね?」
「ああ…。」
亘希は昨日の夜のことを思い出す。
そういえばそうだった。今日はアリエに案内してもらう日だった。
「今は神と悪魔は休戦し、良好な関係を表では取っています。ですから今は悪魔の本拠地である地獄も天界の一部。ですから今私たちがいる場所を天国、その下にある世界を下界、つまり人間界、そしてそのまた下にある世界を地獄と呼んで区別しているんですよ…。」
アリエがそう説明する。
確かにベルという神と悪魔のハーフ、つまりイレギュラーな存在がいる以上、神と悪魔との関係はある程度良いと考えた方が辻褄が合う。
「つまり、アリエがどっちも案内してくれる…ってこと…?」
「そうですよ。感謝してください。」
「…!本当にありがとう!」
「うわっ、抱き付かないでください!」
「あっ、ごめん…!つい感極まって…!」
アリエは亘希を払うついでに赤龍も払いのけるとふぅ…とため息をついた。
「最近あなた、お嬢様に似てきていません?お嬢様もいつもこうやって抱きついてきますし。」
「えっ、そう…かな…?そうなのかも…。」
確かにベルは誰彼構わずこうやって抱きつく。今も少しベルの行動に慣れすぎてついやってしまったのかも知れない。まぁ悪い気はしないが。むしろ嬉しいのかも知れない。
「あっ、褒めてはないですからね。」
「ですよねー。」
そんな声を聞いてか、ベルがゆっくりと起き上がる。
「ふぁ〜!おはよう…。」
「おはよう、ベル。」
亘希はそうベルに微笑んだ。
すかさずアリエが着替えを持ってベルの前に跪く。
「おはようございます、お嬢様。こちら、お召し物です。」
「あっ、ありがとう!」
「さすがアリエ、仕事早いね〜。」
「うむ。流石自慢の妹なのだ。」
「このくらい当然です。」
と、謙遜しておきながら、アリエはまるで『どーですかすごいでしょ』とでもいうように胸を張る。
「さて、お嬢様の着替えが終わり次第、朝ごはんにしましょうか。」
「そうだね。」
「私、少しお姉様たちの様子を見てきます。」
「行ってらっしゃ〜い!」
そう言って部屋を出て行ったアリエを追って赤龍も部屋を飛び出して行った。
「亘希くんは外出てて。私着替えるから。あっ、それとも私の、見る〜?」
まるで誘惑するように微笑みながらベルがゆっくり服をめくる。
「みっ!?見ないよ!?じゃ、外出てるから!!」
紅潮した顔を隠しながら後期は部屋を駆け出した。
「もう。からかっただけなのに…」
その後のベルの言葉が亘希に届くことはなかった。
旅館の外で上がった息を整えながら門にもたれかかる。
「はぁ…。ベルは何であんなことを…。」
一応前もこんなことはあった。出雲のホテルでのことだ。ただあの時は事故でベル自身もすごく恥ずかしがっていた。
だが今回は間違いなくベルが自分から仕掛けてきた。普段からベルはスキンシップは激しいが、こういうことは初めてだ。どういうつもりなのか全く分からない。
不意に昨日のアリエの言葉が頭に流れる。
『お嬢様を…ベルを頼みましたよ。』
亘希は大きくため息をつき、その言葉を何度も反芻する。
「分かってるよ…。」
亘希はそう呟いた。
そのまま目を閉じ少し昨日のことを思い出していた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「お願い…?」
川のそばの電灯がチカチカと点滅する。
「はい、私からの大切なお願いです。」
アリエは真剣な顔つきでこちらを見ている。亘希は戸惑いつつもアリエに向き合う。
「…分かった。聞くよ。」
「ありがとうございます。」
アリエは軽く礼をすると、また歩き始める。
「…出雲でのこと、聞きました。」
「あっ、そっか。玄武さんってアリエの元同僚なんだっけ?」
「はい、昔からの旧友です。」
アリエの顔に僅かに笑みが浮かんだような気がした。
「…あなた方には、少し酷な体験をさせてしまったかも知れません。本当に申し訳ございません。」
「…。」
アリエが言っているのはおそらく八岐大蛇との戦いでのことだろう。
あの時、亘希たちが目にしたのは見るも無惨に喰われる悪魔の姿だった。
あの時の光景が目に焼きついて離れない。一生消えることはないのかも知れない。
「…あなたはあの時、お嬢様がどのような反応をしていたか覚えていますか?」
「ベルの反応…?」
ゆっくりと記憶を辿る。
あの時、ベルは震えていた。いつもはあんなに自信いっぱいのベルもあの時ばかりは普通の女の子のように恐怖に震え、亘希の体に縋っていた。
「ベルは…怖がってたよ。体も震えて、上手く立つこともできてなくて…。」
「…やはりそうでしたか…。」
アリエは少し悲しげな表情でため息をついた後、空を仰ぐ。
「…私からのお願いというのはお嬢様のことについてです。」
「ベルの…?」
「はい。」
そう首を縦に振ってアリエがその鋭い目つきで亘希を捉える。
「…私たち騎士というのは本来、お嬢様のような高貴な方を守るために存在しています。私は何度も何度も悪魔を斬り、お嬢様にお仕えしてきました。もう血なんて見飽きるほどに。」
「そんなに…。」
「多くの悪魔は協力などしませんから目的も多種多様です。ですが多くはお嬢様を狙ってやってきます。まあ神々の長となる方なのですから当然です。なのでその度に私はお嬢様をお守りしてきました。ですが…」
アリエはゆっくり目を瞑った。
「その守られる存在であるはずのお嬢様まで戦場に加わるようになりました。お嬢様はその身分上、戦いとは無縁の世界で生きてきました。端的に言えば平和ボケした子供に過ぎません。ですが魔法の素質としては十分あった。だから稽古をつけたんです。その結果お嬢様はみるみる力を伸ばし、ついにあそこまで成長されました。」
少し誇らしげな表情をしてアリエが微笑む。
「ただ…。」
アリエが少し目線を落とす。
「そのせいで私はお嬢様を慣れない戦場へ送り出すことになった。現代の人間と同じです。死とは無縁な暮らしをしているからこそ、いざ向き合った時に怖くなってしまう。その結果がこれです。本当に騎士として、お嬢様を守る者として、何より友達として失格でした。」
亘希からはアリエの表情は見えなかったがひどく落ち込んでいるのがわかる。
「ですが、こうして首を突っ込んだ以上、お嬢様ももう戻れないでしょう。あの方は今まで触れることもなかった死や戦いに触れざるを得なくなります。そうなればあの方はどうなってしまうか分からない。ですから私はあの方の契約者であるあなたにそれを支える役を頼みたいのです。」
「え…僕に…?アリエは…。」
「私はあの方の騎士である以前に地動隊隊長。常に隣に居られるとは限りません。ですから、少なくとも私が居ない間はあの方の助けになってやってください。友達として、私からのお願いです。」
そう言ってアリエは深々と頭を下げた。
亘希の中でさまざまな迷いや不安が交差する。
確かに契約者である以上、一番隣で居てやれるのは自分だ。しかし僕がそんなアリエが言うような存在になれるのだろうか。むしろ足手纏いになって逆に僕が支えられてしまうのではないか。
「アリエ…。」
――でも。
「僕は…!」




