第三十五話、禁忌。
「今からお前が彼女について何でも話してみろ。もし私の心を動かすことができたのなら、お前たちの手助けをしてやろう。特に、そこのベル嬢が主神の座に就くための手助けをな…。」
いきなり出された麒麟の要求。ベルの血筋のことを考えれば味方は多い方が良い。悪魔の血を引く限りそれに反発する者は必ず現れる。それに対抗できるだけの味方が今は必要だ。よって、今はこの試練を乗り越えなくてはならない。
「…どうした?早く言ってみよ。」
「その…。」
「何だ?」
「何でもというのは…一体どういう…?」
「…いや、失敬。説明不足だったか。」
麒麟がその金色の髪をかく。
「丁度いい。お前をここに呼んだ理由も今説明してやろう。静香、お前も気になっていただろう?こっちに来るといい。」
「は、はい…!分かりました…!」
静香が小走りでこちらへ向かってくる。そして麒麟と亘希の間の位置、丁度青龍の隣にちょこんと座った。
「我々神々だって政治的な対立なんて日常茶飯事だ。よって、各隊ごとに主神に立てる者が違うこともしばしばある。お前をここに呼んだ主な理由はこれだ。もし誰かに仕えるなら、その人がどのような人でどのようなことを目指しているのか…。これを知ることができれば誰に仕えるかは一目瞭然だ。しかし、我々隊長でも最高神の娘であるベル嬢に会うことは難しい。もし会えたとしても、そのまま問い詰めようものならたとえ私であろうと爪弾きにされてしまうだろう。」
目を閉じ含み笑いを見せながら喋っていた麒麟が目を開き、その鋭い眼光で亘希を見る。
「…だがここにお前がいる。契約者という立場故に、このベル嬢でさえも対等に相手することができる者がな。しかも玄武やアリエとの接触から我々とも十分接点がある。この誘いを断ることもないだろう。お前からなら十分に彼女のことを聞き出すことができる。そう思って私は君たちを、いや、君を招待したわけだ。」
「ちょっと!?私は何のために招待したのさ!?」
「…さっきも話した通り、貴方と会える機会は少ない。なら、会うならここが好機と思ってな。」
そして静かに静香を見やる。
「静香、お前が心配していることはこの彼の生死だろう?」
静香の体がビクッと震える。亘希も急に出てきた単語に戸惑っていた。
死…?
そんな彼を他所目に静香は小さく首を縦に振った。
「やっぱりな。お前ならそうだろうな。」
駄目だ。言葉が入ってこない。生死…?つまり死んでいる可能性があるってことなのだろうか…?そんな危険な行いをした覚えは亘希にはない。死への恐怖の冷や汗が静かに背中を流れた。自分の足の方に頬から垂れた汗が滴るのが見える。
ふと視線を感じて前を見ると、麒麟の瞳は真っ直ぐ亘希の方へ向いていた。
「やはり動揺しているな。まぁ当然そうだろうな。死を怖がらぬ者など稀にしかおらん。私だって死は恐ろしいからな。」
「は…はい…。」
「それで麒麟、一体どっちなの?返答によっては私…。」
「安心しろ。死んでなどいない。そこにいる彼は現世の体のままだよ。」
「…!よかった…!」
静香の顔が喜びに溢れ、輝く。亘希も何か死が遠ざかっていく感じがしてホッとしていた。
…ただ一つだけ、疑問があった。
「…静香、何で僕の生死をあんなに心配してたの?」
ただ偶然、この場所で会っただけで死んでいるのではと考えるのはおかしい。それが疑問だった。
「もしかして…この天界でのルール…知らない…?」
「ルール…?」
ベルの顔を見るとまるで全く知らないと訴えるように首を横に振った。自分がいずれ統治する場所なのにそのルールを知らないとは…。静香は小さくため息をついて話し出した。
「…ここ、天界ではね、生者の立ち入りを禁じているんだ。たまに入る人間から進化した神を除いてはこのルールは破ってはいけない禁忌として機能しているんだよ。」
「その通りだ。それがこの世界の禁忌だ。よってこれを破った者は重罪、ましてやその人間を天界に誘った神などは厳しく処罰されるそうだ。」
「重罪って…?」
麒麟は一瞬目を丸くしたがすぐに戻り、少し嘲笑うかのように口角を上げた。
「さぁな。私もその罰を受けている者を見たことがないから分からないな。もしかしたら拷問した後に八つ裂き…だったら恐ろしいよな。」
そう言って麒麟が苦笑する。
「じゃあその禁忌を破ってまで何で僕をここに…?」
「禁忌なんてものは時代が作り出した一つの常識に過ぎない。歴史と共に変わりゆくものだ。私はそう信じている。今の時代には変化が必要だ。禁忌を破ってこそ新時代が到来する。まぁ、それで批判を受けることもあるだろう。だが果たしてそれに屈したままでいいのだろうか。そう悩んだ末に私が見つけ出した方法だ。」
席から立ち上がり、刀に手を掛ける。
「常識も禁忌も破るためにある。私はそう考えることで数々のことを成し遂げ、この座に就いた。」
麒麟は刀を鞘ごと抜き、ゆっくりと歩いて亘希に接近する。
思わず後ずさる亘希に麒麟は自らの刀を手渡した。
「『魔の血を引く者が天を継ぐべからず』。これが古くから天界に残り続ける根強い常識だ。さぁ、お前はどうする?この剣を取り古き常識を断ち切り、悪魔を天に導くという禁忌を犯すか?それとも古き伝統を守り現状を維持するか?」
試すような顔で麒麟が亘希の顔を覗く。
「まぁ、無理に受け取る必要はない。それも一つの正しい選択だ。自分でよく…。」
亘希は迷わず剣を握り締めた。麒麟が面白いものを見るような目で亘希を見つめる。
「…ほう。」
「亘希くん…。」
ベルの心配そうな顔が視界の端に映る。そんなベルの不安を打ち砕くように亘希は宣言する。
「僕は、ベルの助けになるよ。これまでもこれからも、僕はベルを支え続ける。」
いつだって、僕はベルに守られてばかりだった。あの観覧車の中、ベルの胸の中で嘆き続ける自分が嫌いだった。
「ベルはいつだって僕のそばで寄り添ってくれた。隣で笑ってくれていた。そんなベルを僕は心の底から応援したい。」
僕は友達としてベルの役に立てているのだろうか。これまで何度も心に浮かんだ疑問。未だ拭えずにいるその疑問の答えは分からない。でも…
亘希は麒麟に真正面から向かい合った。
「…ベルはとても優しい人です。」
自分の血筋を親のせいにすることなく一人罪を背負った悪魔。どんなピンチでも後ろで庇っている人を見捨てない優しい悪魔。自分の過去の苦悩より相手の過去を優先して一緒に悲しみ、笑い、楽しんでくれる悪魔。こんな悪魔はどこを探してもベル一人だろう。
「僕はそのベルの優しさを受けるだけで、何も返してあげられてない。僕はただ、それが嫌なだけです。」
ベルが敵と戦う中、ひたすら無力だった自分。足手纏いになりながら無意味な攻撃を続ける自分。そのどんな自分もベルは受け止めてくれた。その太陽のような笑みで笑ってくれていた。
「僕はまだ、悪魔だからどうだとか、主神ならどうだとかまだよくわかりません。それでもこれだけは言えます。ベルはどんなことが起きても皆んなを守ろうと行動できるそんな立派な神様です。僕が憧れる神様そのものです。」
どんな逆境でもそれでも敵に立ち向かう彼女を今まで何度も見てきた。そんな彼女を僕は心の底から支えたいと言える。きっと、何度でも言い張れる。『頼っていいと言われたことが何より嬉しかった。』僕はこれまでベルの助けになれたのかは分からないけど、ベルは確かにあの時そう言って僕を頼ってくれた。頼りっぱなしの僕でも少しはベルに何かを返せたのかもしれない。
「困っている人を見逃せない彼女なら、誰であろうと諦めずに立ち向かう彼女なら、きっと唯一無二の天を支える神になれます。僕はそんな彼女を支えたい。これからもずっと隣で支えたい。」
「…それがどんな禁忌でもか?」
「はい、必ず僕は彼女の力になります。これからもベルに頼られるようなそんな人になれるように精進します。だからお願いです…!!」
亘希は麒麟に深々と頭を下げた。
「ベルの主神になるための手助けをお願いします。本当に…よろしくお願いします。」
しばしの沈黙が二人の間で流れた。僕の考えていることはきちんと麒麟に伝わったのだろうか?そういう思いが胸の中を駆け巡る。
「…分かった。では、私の心は動かなかったということだな。」
「えっ!?」
驚きの声を上げる亘希に麒麟は優しく微笑む。
「実はもとよりベル嬢の下につくことは決めていたんだ。お前の演説のおかげでそれは確信になったがな。実にいいスピーチだった。」
「あっ、ありがとうございます…!」
よかった。言いたいことはきちんと伝わったようだ。
「…それにしても。」
何やら楽しげな表情で麒麟が呟く。
「『ずっと隣で支える』とか、まるで告白みたいな言い草だな。なるほど面白いものを見せてもらったよ、恋人さんたち。」
ベルと亘希が二人で顔を見合わせる。どんどんお互いの顔が赤くなっていくのが分かる。
「ちっ、違っ!そういう意味で言ったんじゃ…!」
「そ、そうだよ…!私たちは契約者だけど恋人じゃないっていうか…!」
二人してあたふたする光景に周囲から笑いの声が上がる。
麒麟まで大笑いする中、二人は時々相手の顔を覗きながら顔を赤くするのだった。




