第二十五話、特訓。
出雲の旅から一夜明け――。
また、普通の日常が始まろうとしていた。
ゴールデンウィークは残り二日に差し迫り、再び学校が始まる日が迫る中…
「お願いします!」
澄んだ青い空に亘希の声が響き渡った。
そう言って頭を下げる先にいるのはアリエだ。
「何度言っても無理なものは無理です。私に特訓をつけてほしい、なんて。私の忙しさを舐めてるんですか?」
「そこをなんとか〜!」
出雲の旅から帰ってきたあの日、アリエにした頼み事。それは『アリエに特訓を付けてもらう』ことだった。アリエはすぐにそれを拒否したが、一夜明けた今日もこうして頼み込んでいる。
「大体、なんで私なんですか?そんなことくらいお嬢様に頼まれてはいかがですか?」
「…だってアリエの方が教え方は上手そうだし…。技、かっこいいし…。だめ…かな?」
「…ッ。」
アリエはしばらく考え込んだ後、大きくため息をついた。
「分かりました!いいですよ、やってやりますよ…。」
「…!ありがとう…!アリエ!」
「仕方なくですからね!勘違いしないでください!」
そう言うと家のドアの方まで駆け寄り、振り返って声をかけてきた。
「特訓は明日、8時からです。遅刻しないでくださいよ。」
「うん、分かってる。」
そう言うとアリエは家の扉をさっさと閉めてしまった。家の前にただ亘希だけが残されていた。
「…ふぅ。まさかベルの作戦が本当に効くとは…。」
そう、これはベルの差金である。
アリエが勧めたように、亘希も最初はベルに特訓してもらおうかと思っていた。しかし、そんな面倒くさいことベルはやりたくなかった。だから、アリエを犠牲にしたのだ。仲間を売るほどかとは思うが、ベルはアリエの弱点まで教えてくれた。
アリエの弱点、それは『おだてると弱い』ということ。褒めちぎった後に一押しすればイチコロ、だそう。まさか成功するとは思わなかった。
「どうどう?成功したでしょ?」
後を追ってきたのかベルが路地裏から現れる。
「まあね。まさか本当に効くとは…。」
「でしょ〜!あっ、このことは他の人には秘密にしといてあげてね。」
「分かってるよ。」
二人がそそくさと去ろうとしていると、突如扉が開いた。
「やっぱりあなたですか…。」
「…ッ!あ、アリエ…」
アリエは逃げようとするベルを猛スピードで追いかけて捕まえた。
「逃しませんよ…!お嬢様が彼に何か助言したのでしょう?」
「いやーそのー…アリエの方が教えるの上手いからっていうか…なんというか…」
「しらばっくれても無駄です!どうせ面倒くさいからと私になすりつけたんでしょう?」
「ギクッ」
「どうやらお仕置きが必要なようですね…。」
「ひぃー、それだけはご勘弁を〜!」
もはやどっちが主人なのかわからない。
「罰としてお嬢様にも特訓に付き合っていただきます!久しぶりにみっちり指導しますから覚悟していてくださいね?」
「ハッハイ…」
ベルの顔がどんどん顔が真っ青になっていく。
怒りの標的になってない亘希でもとてつもない圧を感じる。もはや殺気まで感じる。
「ではまた明日。お楽しみに。」
アリエの鋭い目がこちらを捉えながらドアが勢いよく閉まる。
「はぁ〜、怖かった〜!」
緊張が抜けたベルはぐったりと座り込んだ。
「ねぇ、アリエの特訓ってそんなにキツいの?」
「もうキツいという言葉でも表せないくらいだよ〜。」
もしかしたらとんでもないことを頼んでしまったのかもしれない。いったいどんなことをされるのだろうか。そんなことを考えながらその日は眠りについた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「みんな集まりましたか?あれ、お嬢様は…。」
次の朝亘希はアリエの家の前に集まった。しかし、ベルは一向に姿を見せない。
「少し用事があったから早めに家を出たんだけどその時はまだ家にいたはずだよ。」
「でしたらどこにいらっしゃるのでしょうか…。」
しばらくしてベルが走ってやってきた。
「ごめーん、ちょっと色々手間取っちゃって…!」
「遅刻ですよ?」
「本当にごめん!だから罰はかんべ…」
「罰としてスクワット百回です。」
「ガーン…」
まるで体育のスパルタ教師のような罰に、絶望した表情でベルが崩れ落ちる。
「座り込んでいる暇はありません。鍛錬あるのみです。早くしないと日が暮れてしまいますよ。」
「も〜、アリアの鬼!スパルタ!」
「好きなだけおっしゃってください。それでも体を動かしてください。さぁ、時間は有限ですよ。さぁ早く!」
「ひー!」
ベルの悲鳴が空に響き渡る。
「あのー僕は…。」
「あなたは初心者なので簡単なものから始めます。」
「よかった…。」
「そうですね…ではまずは腕立て伏せ五十回を…。」
「それでも多すぎるって!」
「でもお嬢様の半分ですよ?十分少ないじゃないですか。」
「だからそれが多すぎるって言ってるの!普通じゃないから!」
「四の五の言わずに始めなさい!」
「やっぱりスパルタじゃん!」
こうしてベルと亘希の地獄の特訓が始まった――。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「そういえば、なんで特訓をやろうと思ったんですか?」
アリエの出す課題を一通り終え、亘希が休息をとっているとアリエがそう尋ねてきた。亘希は少しベルを見つめた後目を閉じた。ベルはまだ素振りをしている。あと250回といったところだろうか。
「出雲で強い悪魔や怪物にあって、それを難なく倒す強者にも出会って、でも僕はベルについていくことさえできなかった。できても不意打ちとかくらいで他には何もできない。」
「私は不意打ちができただけでもすごいと思いますけどね。」
「それだけじゃ駄目なんだよ。僕はまだ戦いでベルの役に立ててない。せめて敵一人くらい足止めできるくらいにならないと僕はいつまでも足手まといのままだ。だから天界に行くまでの間に強くならなくちゃいけない。」
あの麒麟からの手紙。四神の会合へ招待するその手紙には会合の日程まで書いてあった。6月のとある日に行われるそれに間に合わすには時間がもう一ヶ月しかない。
「僕は彼女の、ベルの力になりたい。ベルが危険な時に守ってあげられるような存在になりたい。だから特訓て少しでも力をつけようと、そう思ったんだ。」
『あと100回!うおおー!』と最後の力を振り絞るベルがその後ろにある太陽のように明るく輝いている。彼女を曇らす雲を晴らせる存在になりたい。
「…そうだったんですね。」
地面に置いてあった亘希でも持ち上げられなかったバーベルを片手で軽く持ち上げる。
「努力が必ず報われるとは限りません。それでも、たとえ報われなかったとしても努力し続ける者には何かしらの恩恵があります。私だってそうだったんですから。」
「アリエも…?」
「はい、お嬢様のそばに立ちたい。その一心で必死に努力して今ここに立っているのですから。」
努力は無駄にはならない。何かしらの結果が最後には残される。その努力の結果はいつしか受け継がれ、波紋を起こす。その波紋が今の世界を作っているのだ。
「よし…。よいしょ!」
亘希が勢いよく立ち上がる。
「もう再開するのですか?」
「うん、確かにこうやってたら時間がないからね。」
「はぁ…。分かりました付き合いましょう。」
いくら時間が経ってもいい。必ずベルに見合う契約者になる。それが僕の願いだ。そのための努力は惜しまない。
今日の特訓は地平線に日が進むまで続いた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
所変わってここは誰も知らない孤城の内部。
もう住んでいる人がいないように寂しさが残る城の中、ただ一人その城で佇んでいるのはフルフルただ一人だった。
ここは元総裁、ガープの城だ。この城には使用人などはおらず、ガープとフルフルだけが暮らしていた。
しかし、今回の出雲の件でガープは亡くなり、フルフルはこの広い城にひとりぼっちで残された。
「ガープ…様…ッ!うう…、」
今でもこのように時々思い出して自然と涙が流れる。そんな時城の外から足音が聞こえたので急いで涙を拭く。
「何すか。」
「アラアラアラ、久しブリの対面デスのに、冷たいデスネ〜!」
「ッ…悪魔ストラス…!」
その表情を見た瞬間、フルフルの怒りが沸点を超える。ストラスの首根っこを掴み壁に押し付ける。
「あなたっすよね!ガープ様に出雲に行けって命令したのは!」
「命令も何も…アソコに貴方が待つバアルがいるって助言シタだけデスワ。」
「お前は分かってたんでしょう!あそこに八岐大蛇が現れる事を!」
「…何のことだか。」
「ッ…!」
怒りが抑えられない。ストラスのひょうきんな態度がかえって怒りを増幅させる。
「ちょっと二人とも。喧嘩はせんといてくれるかな?仲間内の争いほど醜いものはあらへん。」
そんな中、窓の方から女性の声がした。
見ると、茶髪の女性がこちらを見下ろしている。
この方はもしや…
「あなたはまさか…!」
「そうそう、あんたとは初めましてやね。ウチはアマイモン。これからよろしゅう頼むで。」
常に不敵な笑みを浮かべるその女性――アマイモンはフルフルにウィンクをして静かに微笑んだ。




