第十七話、白い星の降る夜。
「『ヴァイズ・ゼンゼ』!」
白い閃光がガープを貫く。その瞬間白い光が周囲を包んだ。
あまりの眩しさで目を瞑る。しばらくしてベルが亘希の肩を優しく叩く。
「亘希くん、もう大丈夫だよ。」
目を開けると一目でわかるほどそこは変わり果てていた。雲は晴れ光が差し込んでいる。『夢の間』の結界がひび割れている。今にも崩れそうな音を立てる結界の中、ガープは地に倒れ伏せていた。その体は潰れ、血が吹き出している。
「倒した…?」
「ううん、まだ生きてる。」
二人が武器を構え、警戒しながら近づく。
ベルの予想通りガープはまだ生きていた。血が吹き出し骨が変な音を立てながらも再び立ち上がる。
「…ッ…!いったいなぁ…!このアタクシを…!」
ベルは亘希を地面に下ろし、再び鎌を構える。
「亘希くんはここで待ってて。私はこいつと決着をつけるから。」
「でも…!」
「大丈夫だから。じっとしてて。」
亘希の静止も聞かず、ベルはその首へ鎌を振るう。
ガープは黙り込んで表情が見えない。その首に刃が触れかけた瞬間、亘希が叫んだ。
「…!ベル、止まって!」
「えっ…?なっ…!」
空に人影が見えた。その人影はもうベルの近くまで接近していた。
「フルフルハンマー!」
「…っと!?危なっ!」
ギリギリの所でベルは攻撃を避け切った。
土煙が舞い、前が見えなくなる。すぐにベルは後退り、ガープのいた場所を注視する。ガープの血はもう止まっていた。
「アタクシを倒す?ご冗談を。ですがここは見逃してあげることにします。せいぜい感謝しなさいっ!」
「見逃すっていうか…自分が負けそうだから逃げるだけでしょ?」
「ッ〜!うるせー!ですわ!ですが…。フルフルさん!」
「はいっす!」
フルフルと呼ばれた悪魔が姿を現す。長い白髪をツインテールにした少女だった。さっき乱入してきた悪魔だ。その肩には巨大なハンマーを担いでいる。
「ご自分の立場がわかっているのかしら?こちらは二人。あなたたちはあなたと格下一人だけ。勝ち目なんてありますの?」
「なにを〜!」
ベルがまんまと挑発に乗る。
「ベル、一旦退こう。」
「えっ、なんで?私ならあのくらい…!」
「ベルももう戦えないでしょ?あれだけ傷を受けて…。」
「あ…。」
先の戦いでベルはもう満身創痍だった。それを回復魔法で補っているため魔力もほぼ枯渇状態。このまま戦っても戦力としては勝っていても先に魔力切れになって負けるのは見え透いていた。
「…わかったよ。心配してくれてありがとう、亘希くん。」
「うん。」
「でも、倒せないのは残念だなー。ちぇ、海軍中将とモンスターのくせに。」
「だから海軍中将じゃない!」
「モンスターじゃないっす!」
捨て台詞を吐いたベルに二人が乗る。意外にも全員挑発には弱いようだ。
「…まぁ、いいわ。アタクシはまたすぐに来るわ!今度こそはあなたをアタクシのモノにするから。首を洗って待ってなさい!」
「っす!」
そうして二人は空中に飛び立ち、結界の外へ去っていった。
二人が去った後、結界はまるで絵の具が落ちるように消え去り、ベルたちは何事もなかったかのように静かなホテルの廊下に立ち尽くしていた。
「…終わった…?」
「…うん…!勝った…!勝ったよ、亘希くん!」
「うわっ、急に抱き付かないで…!」
ベルは亘希を強く抱きしめる。その小柄な体の一体どこから出しているのかありえないほどの強さで抱きついてくる。
「べ…ベル、勝ったのが嬉しいのはわかるけど…首が絞められて息が…!」
「あっ、ごめんごめん!あまりにも嬉しすぎてさー!ふふっ!下界最初の大勝利!なんちゃって…。」
「最初…?これまで来たことなかったの?」
「そうだよ。下界で初めて会ったのが君!」
「それってつまり…!」
ベルが微笑んで振り返る。
「そう、私の契約者は亘希くんただ一人だよ。ありがとうね、私と契約してくれて。」
「ベル…!」
「…私はね、ただ悪魔の真似をすることしかできなかった。それをするしか私を守れなかった。最初は悪魔になりきらなくちゃって、無理に意気込んでたよ。でも、私は悪魔にはなれなかった。あの『夢の間』で困っている君を見捨てられなかった。優しさを捨てて怪しく恐ろしく振る舞おうとしてもいつも私が邪魔した。その時気付いたんだ。私には悪魔の才能がないって。」
ベルは他の誰よりも賢かった。それが自分に合っているのかすぐに分かってしまう。最初から気付いていたのだろう。それでもベルは悪魔という選択肢を捨てられなかった。他の人にはない自分の個性を、自分という存在を内から支えてくれる概念を。
「それでも私は悪魔を演じ続けた。それが私の理想像だったから。お爺様みたいになればこんな悩み消えるんだろうなって。君にも悪魔として接してきたし、その繋がりが壊れるのが怖かった。悪魔じゃない自分を君は必要としてくれるんだろうかって。演じて演じて演じ続けて、神である自分を忘れようとした。そんなバカな私を君は受け止めるって言ってくれた。認めてくれた。ありがとう、亘希くん…!私を、忌み子だった私を認めてくれて…!」
ベルの目からは大粒の涙がこぼれ落ちていた。
そんなベルを優しく抱きしめ返す。
「どんなベルでも僕は認めるよ。そのまま悪魔のままでも、他の自分になっても、ずっと。」
「ありがとう…ありがとう…!」
そう静かに涙を流すベルの体は暖かかった。
「…さて、もう大丈夫だよ…。一旦部屋に戻ろう。」
「あっ、そうだった!ここ廊下だった!誰かに見られてないかな…?」
「大丈夫だと思うよ。見られてる感じはしなかったし。」
「よかった〜。じゃあ部屋戻ろうか。」
「うん。」
部屋に戻りようやく一息つく。しかし何かを忘れているようなそんな気がした。
「ねぇ、ベル…。」
「ん〜?」
「何か、忘れてない?」
「えっ、何かあったっけ…。あ。」
「えっ、何か思い出した?」
「ご飯。」
「あ。」
時計はもう予約していた時間になっていた。
「まずい…!急がなきゃ!」
「う、うん…!」
急いで部屋を出る。エレベーターを待っている余裕は二人にはなかった。
暗い夜道を二人で走る。亘希は走りながら蕎麦屋に連絡する。
「…はい、すみません!もうすぐ着きます!」
「どうだった…!?」
「まだいけるって。急ごう!」
こうして二人は蕎麦屋に着いた。
「よかったよ〜、入れて。」
「うん、私もどうなることかと思ってたよ。」
「余裕もあったはずなんだけどな〜。」
「全部あいつのせいだよ!次会ったら絶対許さん!」
「まぁそうだね。僕も色々あいつのことは許せないかも…。今すぐにだって殴りたいくらいなのに。」
相手の思い出したくもない過去を引き出し、繰り返し見させる。字面だけ見ると黒歴史を持っている人にぴったりのようにも思えるが、断じて許される行為ではない。知られたくない過去は誰にだってあるはずだ。それによってトラウマが蘇る人だって少なくないだろう。
『アタクシはまたすぐに来るわ!』彼女はそう言っていた。
「…まぁ、いずれ会えるだろうからいっか。今は旅を楽しもう。」
「そうだね。」
少し待つと頼んでいた出雲そばが出てきた。
「よし、食べようか。」
「うん!」
初めて食べる出雲そばはとてもおいしかった。遅刻をしても入れてくれた上にこんな美味しい蕎麦を出してくれた店の人には頭が上がらない。ベルも間髪入れず蕎麦を啜っている。
「美味しい〜!」
「本当だね!」
温かい出汁が疲れた体に染み渡る。
二人はお腹いっぱいになるまで(ベルは際限なく食べ続けようとしたので亘希が制止した)蕎麦を啜った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「あ〜、美味しかった〜!」
蕎麦を食べ終わった二人は店を後にした。
「体があったまったよ。ねぇ、ベル、またいつかさ…」
その時だった。大きな地響きが二人を襲った。
「地震!?」
今まで感じたことがないほどの大きな揺れ。普段のベルならすぐに亘希に飛びついていただろう。だが今はそんな状況ではなかった。揺れがある程度収まるとベルは亘希に手を出した。
「すぐに掴まって。移動するよ。」
その目はいつになく真剣だった。
「…何かあったの?」
「山から強い魔力を感じた。ほっとくと多分大変なことになる。」
「大変なことって…!」
「分からない。でも今は急がないと…!」
亘希を掴んでベルは空を飛んでいく。
そうして件の山に着いた。
「…ここで確かに…。」
そんな時だった。
「フルフルミラクルハンマー!」
「おっと!?また危なっ!?」
デジャブを感じる光景と共にやってきたのは…
「約束通り、回復したからすぐに来たわ。」
まだ別れて1時間も経ってないガープとフルフルだった。
「また来るって…。伏線回収早すぎるでしょ…。」
「いつ来てもアタクシの勝手よ。ここであなたを倒して…。」
違う。さっきの魔力は彼女たちではない。もっと大きな…。
「よそ見は厳禁っすよ!」
フルフルのハンマーが二人に距離を取らせる。
「フルフルさん、あなたは彼を。アタクシは彼女を対処しますわ。」
「了解っす!」
早速分断されてしまった。
このままでは駄目だ。ベルは焦っていた。二人に負けるからではない。このままでは明らかに勝算が…。
「アタクシを見てそんなに興奮していただけるとは…とても嬉しいですわ…!」
彼女の鞭がベルへ伸びたその時再び地響きが起きた。
「!?何事…!?」
ガープも予想外の展開に焦りを見せている。
そんな彼女たちの瞳に映ったのは巨大な大蛇の姿だった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
一方その頃、出雲大社。
涼しい夜風が木の葉を揺らす中、一人の少女が立っていた。
もうとっくに神社は閉まり、誰もいないはずなのに。
そんな彼女の元にも地響きと強大な魔力は届いていた。
彼女はそちらを一目見ると、歩き出した。
その時ありえないことが起きた。パラパラと白い雪が降り始めたのだ。明らかに季節外れなその雪は彼女の足跡を白く埋めていく。
その日出雲ではこの月の史上最低気温を記録した。