第十三話、悪魔の囁き。
ベルたちがバスに乗ってしばらく経った頃――。
アリエは家に帰ってきていた。
家に溜め込んだ食料が少なくなってきたので買い出しに行っていたのだ。
ちなみに彼女の家では支出のほとんどが食費だ。家賃等は上が払ってくれるし、水道費や光熱費は彼女自身が水や電気を生み出せるので問題ない。あと払うとすれば日用品くらいだ。
「…少し休憩しましょうか…。」
食料を冷蔵庫にしまい席に着く。
「…お嬢様は今頃何をされておられるのでしょうか…?」
そんな中アリエの電話が鳴った。
「…はい、もしもし。」
電話の相手は青龍だった。
「…はい、今は家にいます。えっ、お嬢様たちなら出雲に向かわれましたよ?…何かあったんですか?」
青龍の一言でアリエの表情が一変する。
「…!邪石が破壊された…!?」
邪石とは色々な妖怪や悪霊などが封印された岩のことだ。その妖怪自身が封印されたものもあれば、魂だけが封印されたものもある。その多くが世界各地に点在しており、日本では神社などに祀られているものもある。栃木の殺生石が主な例だ。
それが破壊されるということは即ち封印が解かれるということを意味する。
「…で、そいつは今どこに…?…分かりました。すぐに対処します。」
電話を切るやいなやアリエは駆け出す。
もうバスは出てない。ワープも出雲ほど遠くなれば使い物にならない。
「急がなければ、お嬢様が危ない…!」
アリエは無我夢中で走っていく。
日はもう沈みかけていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
一方その頃、出雲の二人はというと――。
「ふ〜、やっとついた!」
「すっかり遅くなっちゃったね。」
そんな事態になっていることに気付くはずもなく、二人はホテルへ向かおうとしていた。アリエがチェックインの時間を遅く予約してくれていたおかげで時間にはギリギリ間に合いそうだ。
「えーと、ホテルは駅の結構近くにあるみたい。」
「ちょっと地図見せて…あっ、あれじゃない?」
「ほんとだ。じゃあチェックインまで時間がないし早速行こうか。」
「うん!」
とは言っても駅からホテルまでは徒歩数分と、結構近い。
なのでゆっくりと歩いて行っても間に合うだろう。
空は澄み渡っていて星がよく見える。今日はまだ月が出ていないので尚更だ。
「あっ、流れ星。」
「えっ、どこどこ!?」
「もう見えなくなったよ。」
「え〜、次見つけたら言ってよ〜?願い事言うんだから。」
「見つけてから言ったらもう消えてるでしょ…。」
そんなこんなで二人はホテルへ辿り着いた。
このホテルには最上階に温泉があるそうなので、明日に備えてゆっくり休めそうだ。
チェックインを済ませ、エレベーターで上へ上がる。
「何階に泊まるの?」
「七階だったはずだよ。荷物置いたら夕ご飯食べに行こうか。」
「どこか予約してるの?」
「うん、近くに出雲そばのお店があったからそこを予約してるよ。そこの店予約しないと結構混んで入れないこともあるらしいし。」
「ふ〜ん。」
エレベーターが止まり扉が開く。
部屋はなかなか広い部屋だった。景色も良く、少し赤みがかった空や、下を見下ろせば夜景が見える。
「いい景色〜!星空も綺麗だね!」
「うん。街中じゃこんな綺麗な星空見られないから来て良かったよ。明日はずっと晴れみたいだし、いろいろ楽しめそうだよ。」
「よかった。あっ、そうだ!亘希くん、こっち向いて!」
「えっ?」
見るとベルが見るからに高そうなカメラをこちらに向けていた。
「はい、チーズ!」
咄嗟に笑顔を作る。
パシャ!
カメラのフラッシュ音が鳴った。
「ふふふ、いい笑顔だったよ〜!」
よかった、間に合ったようだ。
「そのカメラどうしたの?見るからに高そうだけど…。」
「えへへ〜、アリエに貸してもらったんだ〜。めちゃくちゃ頼み込んだら渋々渡してくれたよ。」
「へ〜、よかったじゃん。壊さないようにね。」
「…うん。」
「?」
ちなみにカメラを借りる際に『絶っっっ対に壊さないでください。もし壊したら…。その時は覚悟してください。』と殺気すら感じる目で睨まれたことは亘希は知らない。そのせいで『壊す』という単語が軽くベルのトラウマになっていることも。
「…さて、そろそろ出ようか。まだご飯までは時間あるけど、一度夜の出雲の町を探索してみたかったし。ベルもいい?」
「うん、いいよ。ご飯の後はどうするつもりなの?」
「えっと、特に予定はないし、夜も遅いからお風呂に入って寝ようと思ってるよ。それがどうかした?」
ベルは少し顔を俯かせた。
「…あのさ、お風呂入ったら…少し、話をしない?」
「…それって…。」
「うん、今回の旅の本題。もう覚悟はできてるから。」
そう言ってベルが亘希の目を見つめる。その目には不安が見え隠れしていたが、それ以上の覚悟を宿していた。
「…わかった。でも今はそんなに緊張しなくていいよ。今は楽しむこと最優先。その時が来るまで深く考えすぎないようにね。」
「うん、ありがと。」
ベルの顔から不安や緊張がとける。
「鍵持った?」
「うん、じゃあ行こっか。」
ベルがドアノブに手をかける。ドアを開けて部屋の外に出る。
そこはホテルの廊下――ではなかった。
「――ふふっ、ようこそ。アタクシの狩り場へ…♡」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「――アタクシは序列33、階級『総裁』、ガープと申します。以後、よろしくお願いします。」
そう名乗った悪魔――ガープは礼儀正しくスカートの裾を上げた。ただしその声は神経を逆撫でするように邪気を纏っていた。
ガープは急に苦しむような動作を取り息を荒げる。
「…ああ…♡やっと…やっと会えた…♡アタクシの…アタクシだけの王様…♡」
頰を赤く染め、恍惚とした表情でベルへ手を伸ばす。
「…ガープ…って言ったよね…?」
「あら、ご存知でしたか!?それはなんと嬉しいことでしょうか…!あなたほどの者に知っていただけているとは…♡」
「まさかあなた…!」
「そうです!アタクシが、アタクシこそがあなた様を心から愛し、身も心もあなた様に捧げる大悪魔、ガ…。」
そう興奮して頰を赤らめながら喋るガープをベルの言葉が遮る。
「…海軍中将?」
「はぁ!?んなわけねぇだろ!アーシはそいつじゃねぇッ!大悪魔ガープだ!」
自分の言ったことに気づいたのか、ガープの表情が固まる。
「…こほん。お見苦しいところをお見せしました。今のは全て忘れてください。」
「いや無理あるでしょ…。」
ベルは改めて周りを見渡す。なぜか後ろに亘希もドアもない。だが禍々しくはあるものの、どこかでみたような景色が周りを包んでいる。
「…やっぱりここって…。」
「あら、お気付きのようですね。その通りです。ここは『夢の間』。正しく言うならばその改良版の結界です。」
「改良版って…。」
「あの『夢の間』は私が天使だった頃に創り上げた最高傑作です。それを複製してさらに改良することなどアタクシには朝飯前です。」
ガープが誇らしげににっこり笑う。どこか人間味があるその笑顔だが、ベルには仮面を付けているようにしか見えなかった。
「…で、私に何がしたいの?っていうか、最近私に突っかかる輩多すぎない?」
「アタクシは何時でもあなたが幸せでいることを望みます。ですからアタクシはあなた様のためにいつも最善を尽くすのです…!ですから…。」
「それって質問に答えて…。」
そうベルが言い詰めようとした時、ガープが指を鳴らした。笑顔もすでになく、冷徹な目でベルを見つめる。
「『堕ちろ』」
急に意識が深い沼に落ちる。体が倒れる。
亘希は大丈夫だろうか…。亘希は…。
そこでベルの意識は完全に落ちた。
「ふふっ、いい夢を…♡神と悪魔の御子、ベルゼ・バアル様♡」
ただ悪魔の笑い声だけが響いていた。