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9 悪意に壊されたもの

「そう怒るな。二人が出会ったのは、ただの偶然。殿下がここを通る確率は限りなく低かったのだ」


 リディアの待ち合わせ相手、ベルトホルトが隠れていた茂みから出てきた。肩に乗っていた葉を払い、リディアへ手を差し出す。


 リディアはベルトホルトの手をとり、庭の外へ歩きだした。エスコートされる先は、魔術師団の本部だろう。庭は公にできない話をするには向かない。


 周囲にいた精霊達は、いつの間にか姿が見えなくなっていた。


「でも期待していたのでしょう? 隠れていたのは、どういうつもり?」

「将来、夫婦になる二人が楽しそうに談笑していたのだ。見守るのが年長者の役目だろう」

「あら。それが遅刻の言い訳かしら」

「まるで恋人同士のようだったぞ」

「お世辞が上手いのね。今回は許して差し上げますわ」


 リディアが予想した通り、魔術師団の本部がある建物の中へ案内された。ベルトホルトの執務室に到着すると、中にいた副官に軽く会釈される。副官は来客用のソファに座ったリディアにお茶を淹れてから退室した。


 お茶はいつも自分かシェーラが淹れていたので、他人がやってくれるのは新鮮な気分だ。


「さて、用件を聞こうか。と言っても、結婚のことについて聞きたいのだろう?」


 リディアの対面に座ったベルトホルトが、率直に話を切り出した。


「ええ。私を推薦なさったのは伯父様でしょう? 国王陛下に意見を言える立場で、私のことも知っているのは、伯父様ぐらいよ」

「そうだな。否定はしない」

「じゃあ私が適任だと思った理由も教えてくれるかしら」


 ベルトホルトが片手を扉へかざすと、室内の空気が張り詰めた。部屋の中と外で音が遮断されている。今から喋ることは、誰にも聞かれたくないようだ。


「リディアローゼ。君は第一王子について、どの程度まで知っている?」

「全て伝聞でよければお話しします」

「噂以上のことは知らないのだな?」

「知る手段がありませんし、その必要もありませんでした」


 社交界から遠ざかっているリディアが彼について知っていることなんて、どれも不名誉なことばかりだ。しかも現場を見たわけではない友人達から聞いたことなので、事実ではないことも混ざっているだろう。


 リディアは聞いた噂を簡潔に言った。


「第一王子には婚約者がいたけれど、愛人を作って遊んでいた。その愛人が婚約者に苛烈ないじめをされたと主張。第一王子は愛人の言葉を信じて、婚約者を一方的に断罪して婚約の白紙を宣言してしまう。ところが婚約者側が自身の潔白を証明し、第一王子は責任を取るために玉座から最も遠い地位へ落とされた。現在、第一王子がいるのは東の辺境。愛人とは強制的に別れさせられ、慣れない環境で苦労している。こんなところかしら」


「君はその噂を正しいと思ったかね?」

「噂を裏付けるだけの証拠を持ってないわ。正誤の判断はしておりません。噂は人の間を流れる間に、変容して余計な装飾をつけられるもの。正確なのは半分以下だと思っておいたほうがいいわね」


 リディアが気になったのは、別の部分だ。


「辺境は国の盾でしょう? そのような重要なところへ、不祥事を起こした人間を送るなんておかしいと思ったわ」


 血筋ゆえに粗末に扱えず、指揮官として役に立つかも不明だ。下手に動かさず、王宮の最奥で大人しくしていてもらうほうが、損失は少ないのではないかとリディアは考えた。


「だからね、婚約破棄の噂は事実とは違うかもしれないと思ったのよ」

「続けてくれ」


 ベルトホルトが頷いて言った。


「次に、殿下が辺境伯の地位についたという情報が正しいと仮定してみたわ。その場合、殿下が辺境伯としてやっていける実力があれば、婚約破棄騒動の噂は障害にならないわね」


 第一王子が辺境伯に任命され、すでに一年経過している。苦労しているという噂や、辺境で異変があったという話は流れていない。彼は問題なく辺境を統治しているという証拠だろう。


「敵国への寝返りを警戒する地域ですし、本当は色恋沙汰に惑わされる人物ではないのかも。じゃあ噂になるほど有名になった婚約破棄には、別の目的があったのかと思うのよ」

「ほう。その目的とは?」


 ベルトホルトの目に、面白そうな色が浮かんだ。


「婚約破棄騒動の後、王宮では大規模な人事異動があったそうね。最初から、そちらが目的なのではないかしら? 何らかの理由で重要な役職から外したい人物が複数いた。けれど皆が納得できるほどの異動理由がない。そこで騒動に巻き込む形で左遷したの。もしくは国政に関わる不正を摘発した? 不正に関わっていた人が、殿下の近くにいたのかしら」


 リディアは真剣な顔をしているベルトホルトに微笑んだ。


「そう怖い顔をなさらないで。私は政治家ではありませんし、いま喋っているのは、ただの妄想です。勝手な噂を流している人たちと同じことをしている自覚はあるわ」

「……いや、その通りだよ。精霊に聞いたのかね?」

「まさか。精霊は人間に都合がいい駒ではありません。もし婚約破棄騒動を見ていた精霊がいたとしても、私に喋ってくれるとは限らないわ。私は精霊が見えるけれど、弱い精霊を従わせる程度の力しかないの。伯父様も知っているでしょう?」


 ベルトホルトがリディアの力を知らないはずがない。母親が兄であるベルトホルトにリディアのことを相談したのだ。


 彼は精霊について教えてくれるだけでなく、関する文献を見せてくれた。未読のものをリディアに読ませるとは思えない。彼自身は精霊の姿が見えないものの、知識は持っているはずだ。


 ベルトホルトは表情を和らげた。


「試すようなことを言って悪かった。こちらの想像以上に君が事実に近いことを言い当てるものでな」

「違うところがあったら教えてほしいわ」

「君の予想通り、これは人事異動が目的だ。当時の第一王子の周囲には、権力を握り、思うがままに国を動かそうとする者達がいた。自分が王になれば彼らによって国が荒れると考えた第一王子は、自らを囮にして権力から切り離したということだ。俺が知ったのは、全てが終わってからだよ。元婚約者にだけは事情を話していたようだが、あの人はご自分だけの力でやり遂げた」


 ベルトホルトはため息をついた。


「当時は、ほとんどの者が騙された。すぐに気がついたのは、おそらく第二王子だろう」

「第二王子といえば、今は王太子ですわね。そして殿下の元婚約者と結婚したそうね」

「そう。弟こそ次の王に相応しいと考え、王位争いになる前に手を打ったそうだ」

「王位争い? 国王陛下はまだ健在でしょう?」

「王位争いというものは、本人達だけでやるものではない。王子が生まれた時から、周囲の者が勝手に始めるものなのだよ。何も知らない子供に、争いがあると思わせるためにね。まあ、王位の話はいいだろう。今回は関係ない」


 リディアも同感だった。


「第二王子と王子妃の仲は良好なのかしら?」

「ああ。とても良好だ。急に結婚相手が変わった混乱はあったようだが、今では仲睦まじく過ごしておられる」

「お似合いの二人よね」


 リディアの周囲には、二人が不仲だという話は伝わってこない。


「君を第一王子の結婚相手に推薦したのは、一種の保険だ」

「保険ですか?」

「あの婚約破棄をきっかけにした人事異動で、第一王子に恨みを持っている人物は絶対にいる。権力を握るべく外堀を埋めていたら、飾りにする予定だった第一王子に全てを台無しにされたのだ。婚約破棄騒動から一年経つ。そろそろ左遷先で力を取り戻してくる頃だ。逆恨みで何を仕掛けてくるのか、まだ読めない」


「私を殿下の護衛にするつもりですの? 伯父様たちにも相手の行動が読めないのに?」

「だからこその保険だ。中央にいる者が辺境に働き掛ければ目立つ。だから第一王子は辺境では安全とも言えるが、絶対ではない」

「どこにいるのか分からない刺客を炙り出すために、護衛らしくない者が必要なのかしら」


 ベルトホルトは満足そうに頷いた。


「刺客の対処は本物の護衛に任せておけば良い。君は王子へ向けられた最初の攻撃を防ぐ手助けをしてほしい」

「刺客の攻撃を防げ、とは言わないのね」

「今まで戦いとは無縁なところにいた君に、そこまでは求めないよ。敵の位置が分かれば、王子が動ける。接近戦なら王子は負けんよ」


「伯父様が私を信用してくださったのは分かったわ。でもそれなら私をメイドとして送り込んでも良かったのではなくて?」

「リディアローゼ。君は妹の忘形見だ。姪には幸せになってほしいに決まっているではないか。君の父親は家格が上の相手を探していた。その手助けをしたまでだ」

「確かに家格は上ですけれど……」


 この国最高の家柄だ。他のどの家も敵わない。


 ベルトホルトのことだから、リディアが結婚相手に選ばれるよう、手を尽くしたに違いない。血縁者であるリディアが王家へ嫁ぐのだ。少なからず影響力は増す。


 もし子爵令嬢のリディアと第一王子の結婚は釣り合っていないと言われたら、婚約破棄の噂が使える。まともではない噂が流れている王子に結婚を持ちかけられても、由緒正しい家柄の上級貴族は敬遠するではないかと言って。


 ――策士ですこと。


 魔術師団の団長ともなれば、ただの魔術が使える戦闘要員とは違って、政治的な取引も必要になってくる。


「あれこれと理由をつけたが、君を祝う気持ちに変わりはない。辺境は無骨な場所だが、交易路を備えているゆえに異国の珍しい品も多い。それにな、あちらには使用人が揃っている。金策に走り回って、一人で家事をしなくてもいい」

「……ご存知でしたのね」

「カミルが心配していた。我慢しすぎだと。俺もそう思う。君は常に穏やかにしているが、本当は抑圧しているだけではないかな?」

「ご心配には及びませんわ。もうすぐ弟が成人します。家のことも少しずつ引き継いでいますし、助けてくれる精霊もいますので。きっと伯父様が思っているよりも、余裕がある生活をしているわ」

「それならいいが……」


 ベルトホルトはまだ疑っているようだ。


「結婚式の準備は全てあちらが行なってくれると聞いたわ」

「ああ。王族から持ちかけてきた話だ。貴族同士の結婚とは違う。準備資金として、君にはいくらかお金が渡される。それで、だ。ドレスのことだが」


 確かドレスも心配するなと言っていた。


「君の母親が結婚式で来ていたドレスを、我が家で保管しているのだが。どうする? もちろん新しく作りたいなら、言ってくれ。どちらの意見でも受け入れてもらえるさ」

「お母様の……」


 母親のドレス姿は、家にある肖像画で見たことがある。裾へ向かって広がるデザインが、花のようで綺麗だと思っていた。


 結婚式に母親がいないのは寂しい。だが彼女のドレスを着られるなら、きっと近くで支えてくれている気持ちになるだろう。


「もちろん、お母様のドレスを着たいわ」

「では家へ送るように手配しようか。仕立て直す時間が必要だろう」


 聞きたいことは全て聞いた。リディアは家へ帰ることにした。


「今日は会えて嬉しかったわ」

「俺もだ。君は今まで、よく我慢した。カミルのことは任せておけ。今より悪い状況にはさせん」


 やけに引っかかる言い方だ。だがベルトホルトはリディアに嘘や気休めを言う性格ではない。きっと大丈夫だろうと気にしなかった。


 次は王都に住んでいる友人との約束がある。結婚して辺境へ移住する前に会っておきたかった。



 ***



「ねえ、お母様。あいつ、どこ行ったの?」


 グロリアは玄関にいた母親を見つけて声をかけた。


 袖のボタンが取れてしまったからリディアに付けさせようと思ったのに、屋敷のどこにもいない。きつい顔をした使用人なら見つけたが、グロリアは彼女が苦手だった。


 あの使用人はリディアの言うことしか聞かず、グロリアが話しかけてあげても、ろくに返事をしない。用事を言いつけようものなら、従う理由はないと言って拒否してくる。言うことを聞かない使用人なんて、リディアよりも使えない。


「さあ? ここ最近はどこかへ出かけているわね。結婚が決まって浮かれているのかしら」


 リディアの結婚相手は、まだ教えてもらえない。面白くなかったが、きっと酷い相手だから言えないのだろうとグロリアは思った。もしグロリアが良い相手と結婚することになったら、隠すなんてことはせず皆に自慢する。絶対にリディアも同じ行動をすると思っていた。


 ――可哀想なお姉様。どんな相手だろうと、私は慰めてあげるわ。


 母親は両手で抱えられる大きさの箱を持っていた。箱は持ち運びやすいように、取手がついている。


「お母様。それ、なあに?」

「あの娘宛てに届いたのよ」

「ふーん。汚い色の箱ね」


 グロリアは薄茶色の外側を見て言った。


「いいえ。これはね、水を弾く紙が貼り付けてあるの。大切なものを入れる箱よ」

「大切なもの?」

「そうよ。この大きさは、きっとドレスだわ。あの娘、結婚式に着るドレスでも注文したのかしら」


 母親は箱を引きずるように持って階段を上がっていく。グロリアも後に続いた。

 よく分からないが、母親の気に食わないことがあったらしい。


 自身の寝室へ入った母親は、箱をベッドの上に置いた。箱の重みで綺麗に整えられたシーツにシワが寄る。


「お母様。それ、あいつのでしょ? どうしてここへ持ってきたの?」

「決まっているじゃない。点検してあげるのよ。趣味が悪いドレスだったら、きちんと指摘してあげないとね」


 箱の蓋を固定していたヒモを切り、蓋が開けられる。最初に見えたのは、白い生地だった。


「うわ……ぁ……」


 綺麗だった。グロリアが持っているどのドレスよりも、高いものだと一目で分かった。表面の細かい刺繍には、銀糸が使われているようだ。生地を動かすと光沢が見える。ところどころに縫い留められた宝石も、輝きに一役買っていた。


「お母様。これ、すごいわ。ねえ、いつこれを着るつもりなのかしら」

「……結婚式よ。あいつ、結婚式で着るつもりなのね」


 ドレスを箱から出した母親が、低い声で言った。


「……お母様?」

「本当に、憎たらしい娘ね。何もしなくても、簡単に幸運が手に入るなんて。絶対に、幸せな結婚式なんてさせないわ」


 薄寒いものを感じたグロリアは、母親から一歩離れた。


 母親がリディアを嫌っているのは知っている。今日は帰ってきたリディアにドレスを投げつけて、無駄遣いしたことを責めると思っていた。楽しい遊びの始まりに期待したのは、グロリアだけのようだ。


 先ほどまで笑っていた母親がいない。無表情でドレスを見下ろし、乱暴にドレスを掴んだ。


「どんなに足掻いても手に入らないものがあるって、教えてあげるわ」


 グロリアは何か良くないことが起きる気がしていた。

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