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8 婚約は唐突に

 約束の日、リディアは日々の家事をシェーラに任せて屋敷を出た。キースリング家は馬車を維持できずに手放してしまったので、目的地までは徒歩だ。


 道中は護衛代わりにカフスボタンの精霊、クリスが同行してくれた。暴漢ぐらいなら一人でも対処できるが、男性が傍にいるだけで犯罪に遭遇する確率が減る。犯罪を誘発しないことも大切だと、シェーラにしつこいほど言われているので、素直に従っていた。


 王城の門前に到着したリディアは、門番からの視線を感じた。王国の中心を守っているだけあって、目の前にいるのが非力そうな令嬢でも油断しないようだ。


 リディアは門番に自分の名前と伯父に面会したいと伝え、指輪の紋章を見せた。すでにリディアが来ることは伝えてあったらしく、すんなりと通される。関係ない場所へ入らないように監視が付くかと思われたが、誰もリディアを追いかけてこない。伯父の指輪を持っていることが、信用の証でもあるようだ。


 ――伯父様と待ち合わせをしたのは、行政区画の庭だったわね。


 王城がある敷地は大きく分けて三つの区画に分かれている。門から一番近いところは、警備につく騎士達が控えている詰め所や騎士団の本部がある。彼らの検問を受けて通り抜け、右へ進むと文官達が仕事をする行政区画だ。父親が勤務している資料室も、ここにある。


 左は夜会用の広間や外国の賓客を出迎える迎賓館があるそうだ。リディアは王城で開催される夜会に一度だけ出席したことある。だが会場までは馬車で移動し、馬車を降りてからは案内係がついていたので、正確な場所までは分からない。


 最奥は王族が住む居住区画だ。最も警備が厳重で、限られた者しか出入りできない。


 手紙で教えてもらった道順で奥へ進んでいると、爽やかな風と一緒に精霊が漂ってきた。リディアの周囲を飛び回り、髪を引っ張ってくる。相手をしてほしいようだ。


「あなた達はここに住んでいるの?」


 話しかけられた精霊達の間から、可愛い笑い声がする。

 指定された庭に到着したが、伯父の姿はなかった。リディアの方が早く到着したのだろう。


「また必要になったら呼んでください」


 クリスは暇を持て余し、カフスボタンの姿に戻った。護衛が仕事を放棄してしまったが、警備兵だらけの王城内部でリディアが狙われることはないだろう。リディアも特に反対しなかった。


「怖いの、いない」

「いなくなった」


 精霊達はクリスよりも力が弱く、彼のことが怖かったらしい。姿が見えなくなった途端に、次々とリディアのところへ集まってきた。


 王城にいる精霊は随分とお喋りだった。庭の居心地がいい場所の話から始まり、見聞きした人間のことまで教えてくれる。皆が一斉に喋るので聞き分けるのが大変だ。だが歓迎されているのは伝わってくるので、リディアは精霊の話に耳を傾けていた。


「そこに誰かいるのか?」


 人間の声がした。周囲の精霊達は喜んでいる。


 生い茂った木の間から、銀髪の青年が現れた。全体の雰囲気は貴族らしい華やかさがあったが、近衛のような動きやすさを重視した服装をしている。長い髪を無造作に結んでいるのに、粗雑さは全くない。腰の長剣が飾りではないのは、装飾の無さと使い込まれた様子で分かった。


 青年がリディアの前に出てくると、集まっていた精霊のうち風の精霊が嬉しそうに近寄っていく。青年は鈴のような笑い声がする方向を見たが、不思議そうな表情をしていた。


 ――精霊の声は聞こえても、姿は見えないのね。


 青年は声の主のことは不思議に思うだけで、気味が悪いと感じていないようだ。そんな態度だから、精霊も機会があれば寄ってくるのだろう。


「王子だよ」

「知ってる?」


 リディアの耳元で、精霊が教えてくれた。


 王子と呼ばれている人物は複数いる。精霊は名前を言ってくれない。だがリディアは彼のことを知っていた。

 王子の中で特徴的な紫の瞳をしているのは第一王子のクラウスだけだ。


「君一人なのか? さっきから笑い声が聞こえる気がするんだが……」

「人間は私一人です。風のイタズラかしら」

「風のせいか。今日みたいなそよ風が吹いている時は、精霊が出てくるらしいな」


 青年は精霊の存在を否定していない。だが見えないので、完全に信じることもできないでいる。そんな態度だった。


「……精霊を、見てみたいですか?」

「そうだな。可能なら」


 青年の言葉を聞いた精霊達が一斉に騒ぎ始めた。


「この人、大丈夫!」

「本当はすごく見たがってる」

「小さいとき、いろいろ試してた」

「見せてあげて」


 精霊達は期待に満ちた目でリディアを見ている。


 ――本当に大丈夫?


 見えない存在を信じるのは難しい。リディアは精霊と話しているところを同世代の子供に見られた時、独り言だと思われて気味悪がられた。父親も同様に思っているのか、精霊に関することは表に出すなと言われている。魔術に詳しい伯父はリディアの力を否定しないが、彼も見えない側の人間だ。


 精霊の声が聞こえるなら、彼らと交流できる素質がある。

 リディアは近くにいた風の精霊を呼んだ。


 精霊の姿が見えない原因の一つは、彼ら自身の力が弱いからだ。シェーラやカフスボタンの中にいる精霊は強く、人間の肉眼に見えるよう姿を作ることができる。だから観測する環境を整えるか、精霊の力を補ってやれば、弱い精霊でも見える。


 伯父の家や魔術師団の研究所なら、観測できる装置があった。大掛かりな上に部外者のリディアが扱えるものではない。代わりにリディアは精霊へ力を貸すことにした。


「殿下の近くで笑っていたのは、風の精霊です」


 リディアと青年の間に薄い布を纏った小人が現れた。空中に留まって、青年の反応を待っている。

 青年は初めて見るであろう精霊に目を輝かせた。


「これが精霊? 思っていたよりも小さいな」

「小さくても強い」

「人間、弱い」


 小さな体で偉そうにふんぞり返る精霊に、他の精霊が加勢した。どちらも怒っているわけではなく、事実を教えてあげているらしい。精霊は自然の力が具現化したものだと言われている。人間が自然に勝てないのは事実だから、精霊にも勝てないという理論だ。


 面と向かって弱いと言われた青年は、そうだなと言って苦笑した。


「大きさで強さを測るのは間違いだった。すまない」

「謝る。偉い」


 精霊は青年の肩に乗り、ご機嫌で歌い始めた。リディアが精霊に貸した力がなくなりかけている。青年には姿が徐々に消えているように見えるだろう。


「俺の近くで笑っていたのは、やはり精霊だったか。風が吹いていると聞こえてくるから不思議だったんだ」

「精霊は気に入った人間に力を貸すのが好きなのです。殿下は風の魔術が得意ではありませんか?」

「ああ。昔から風の魔術だけは練習しなくても使い方が分かる。君は凄いな。見えるだけじゃなくて、彼らとの付き合い方も知っているのか。ところで――」


 青年の雰囲気が変わった。精霊を見て上機嫌だった姿は消え、リディアの反応を探っている。検問中の騎士と同じ空気だ。


「君はなぜここに? この先にあるのは王族の居住区だ」

「魔術師団の団長と、ここで待ち合わせをしているのです。初めて入る場所ですので、ここが城のどこなのか分かりませんでした」


 青年によると、ここは行政区と居住区を隔てる目的で作られた庭だそうだ。行政区から王族が見えないようにすると同時に、侵入者対策の魔術が仕掛けられている。魔術を管理しているのは、魔術師団の中にある部署だろう。おそらく、この近くに魔術師団の本部があるはずだ。


 リディアに目的を隠す理由はない。ここを指定してきたのは伯父だ。リディアは証拠になりそうな指輪を見せ、王族を害する目的はないと示す。


 紋章を確認した青年が、指輪に何かの魔術をかけた。指輪が本物かどうか確認したのだろう。

 ほのかに光る指輪を見た青年は、警戒を和らげた。


「なるほど。彼の身内か。そうだとしても、この庭はあまり入らない方がいいのだが」

「では別の場所へ移動しましょうか?」

「……いや、すれ違いになるかもしれない。面白いものを見せてくれた礼だ。君のことは花の精霊だと思って忘れることにしよう」


 そう言って青年は薄く微笑んだ。

 リディアは一瞬だけ呼吸を忘れた。


 彼は精霊を否定しない。

 精霊と交流しているリディアを、異物だと思っていない。

 それどころか、リディアを凄いと言ってくれた。

 精霊は大丈夫だと言っていたが、やはり不安はあった。


 ――良かった。


 居住区へ去っていく背中を見送りながら、リディアは背後の茂みに向かって話しかけた。


「さて、伯父様。この出会いはどんな目的のために計画されたことなのか、説明してもらいますわ」

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