7 婚約は唐突に
「私の結婚相手が決まったんですか?」
リディアは驚いて聞き返した。
見つからないだろうと半ば諦めていただけに、相手はどんな問題を抱えた男性だろうかと警戒心が働く。
「そうだ。言っておくが、拒否権はないぞ。絶対に断れない相手から申し込まれたんだ」
なかなか相手のことを話そうとしない父親に、リディは自分から話題を振ってみた。
「お相手は、どちらの家なのかしら。お父様がお断りできなかったということは、それなりの家格よね?」
父親はまた、ため息をついて書斎を見まわした。やがて本棚から歴史書を見つけると、王族の紋章が描かれているページを開く。
「あら。本当に?」
「本当だ。なぜお前が選ばれたのかは知らん」
「未婚の方のうち、どなたが?」
結婚していない王族のうち、婚約者がいると公表された者を除いても、複数人いたはずだ。
父親は人差し指を立てた。第一王子のクラウスだと言いたいらしい。
「婚約者がいらっしゃったはずでは?」
「色々あって破談になった」
「色々……噂になっていた出来事が理由かしら」
友人達から聞いた噂を信じるなら、第一王子は婚約者ではない女性との恋愛を楽しんでいた最低男、ということになる。もちろん噂なので頭から信じるようなことはしないが、何かしらの根拠になる出来事はあったはずだ。
「噂なんてものは当てにならん。正式な発表があるまでは、誰にも言わないように。必要なものは……ドレスやら式場の手配は全てあちらがやってくれるそうだ。いいか、式本番に風邪を引くんじゃないぞ。怪我にも気をつけろ」
言うだけ言って、父親は扉に手をかけた。一人分の足音が慌ただしく去っていくのを聞いた父親が、またため息をつく。結婚相手の名前を言わなかったのは、正しい判断だったようだ。
まだ結婚誓約式の日付けを聞いていない。だが疲れきった顔の父親は、仕事に戻ると言って、さっさと書斎を出て行ってしまった。
「さすがに数日後なんて無茶な日程ではないはずよね」
リディアは時間の余裕はまだあると予想し、事情を知っていそうな相手に手紙を出すことにした。自分の部屋へ戻る途中、待っていたグロリアに廊下を塞がれた。
「お姉様。結婚するんですって?」
「そのようね。道を開けてくれる?」
「お姉様と結婚する物好きがいるなんて驚きだわ。ねえ、相手は誰なの?」
「まだ秘密よ。相手の家から、そう頼まれたの。だから言わないわ」
絶対に教えてもらえないと知ったグロリアは、強引にリディアの腕を掴んだ。
「私に知られると都合が悪いの? もしかして私に結婚相手を取られると思ってる? お姉様と結婚する相手なんて、どうせブサイクで性格も終わってる人でしょ。そんな人と一緒になるなんて、絶対にお断りよ。お姉様にあげるわ」
グロリアの言葉には、執拗に傷つける棘があった。小さな子供の癇癪のような、今までの言い方とは違う。
自分よりも年下なこともあって優しく諭してきたが、残念なことに効果はなかったようだ。
「グロリア。よく知らない相手のことを悪く言ってはいけないわ。あなた、自分がどれだけ失礼なことを言っているのか分かってる?」
「な、何よ。怖い顔して……」
「グロリア」
びくりと肩を震わせたグロリアは、急いでリディアを掴んでいた手を離した。
「自分の思い通りにならないことなんて、この先も現れるわ。その度に、こうやってわがままを言うの? しかも会ったこともない人を罵倒して。もう子供じゃないのよ」
「お姉様は私のことなんて何も知らないくせに!」
「ええ。知らないわ。いつも私の言うことを聞こうとせずに、母親とべったりなんですもの。こうやって二人で話すのも初めてじゃないかしら?」
「うぅ……」
グロリアの目に涙が浮かんだ。
「あなたは一度、母親から離れたほうがいいかもしれないわね。自分の目で世間を見て、自分だけで判断するの。辛い時は泣いてもいいけれど、それは家の中だけにするのよ」
何も言わなくなったグロリアを置いて、リディアは自分の部屋へ向かった。扉を開けたとき、一階から聞こえてくる父親と継母の声に気がついた。
内容までは聞き取れないが、継母が激しく何かを言っている。声は玄関のほうへ移動し、玄関の扉が閉まると同時に聞こえなくなった。継母の剣幕に耐えられなくなった父親が、仕事を理由に家を出たのだろう。
リディアは継母の怒りがこちらへ向く前に、手紙を書き終えた。
「これを伯父様へ届けて」
精霊を呼んで手紙を託す。手紙は白い鳥の姿に変わり、窓から外へ飛んでいった。
父親がどうやって継母を説得したのかは分からないが、結婚相手について質問されることはなかった。グロリアはあれからリディアに会うのを避けているようだ。弟も伯父のところへ行ったきり戻ってこないので、屋敷の中は静かだった。
手紙を送った数日後、庭の手入れをしているリディアのところへ青い鳥が降りてきた。細長いクチバシに枝をくわえている。
「あら。伯父様の使い魔ね」
枝を受け取ると、鳥は静かに屋敷の屋根へ飛び去っていった。
部屋へ戻ったリディアは、枝を机に置いた。枝の正体は手紙だ。以前に教えてもらっていた手順で封印を解くと、白い封筒が現れた。
伯父は大切な手紙を盗まれないよう、色々なものに偽装して送ってくる。野鳥が人工物をくわえていたら目立つが、枝なら不自然ではない。
手紙には簡単な挨拶の後に、面会できる時間と場所が書いてある。リディアは内容を覚えてから、手紙に火をつけた。手紙は一気に燃え上がり、伯父の紋章がついた指輪が残る。
伯父が指定したのは王城の一角だ。当日はこの指輪が通行証代わりになるのだろう。
青いリボンに了承したことだけを書いて窓を開けると、先ほどの鳥が入ってきた。
「伯父様によろしくね」
鳥の首にリボンを巻き、先端をクチバシの前に出す。鳥はリボンをくわえ、伯父がいると思われる方向へ飛んでいった。
伯父に会えるのは久しぶりだ。カミルから近況を聞いているので、元気にしているのは知っている。母親が亡くなってから会う頻度は減ってしまったが、魔術のことを教えてくれる師として尊敬していた。
***
町で勉強に必要なものを買い物していたカミルは、見覚えのある後ろ姿を見つけて足を止めた。小型犬を思わせるふわふわとした髪の持ち主は、絶対に話しかけたくない人物だ。
――グロリア? ということは、あいつも近くにいるな。
カミルの予想通り、継母が近くの店から出てくる。しかも店主らしき男が、店の外まで見送りに来ていた。彼女達はかなりの上客扱いらしい。
二人の姿が見えなくなるまで隠れていたカミルは、改めて店の様子を確かめてみた。女性向けの仕立て屋らしい。表には見本のために作られたドレスが、胴体だけの人形に着せられていた。店の名前は、カミルも知っている高級店だ。
――あの二人……いつもお金がないって言っているけど。
継母は男爵家から相続した不労所得がある。リディアが渡しているお金と合わせれば、こうした店で服を仕立てるのも可能だろう。
「でもなぁ……嫌な感じがする」
カミルは買い物を中断し、店の扉に手をかけた。