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5 婚約は唐突に

 部屋と同じように精霊の力を借りて狭い庭の手入れをしていると、裏口からメイド服を着た女性と品のある紳士が入ってきた。


「お帰りなさい。どうだった?」

「良い値段で売れました。店主は今後も取引を続けたいと言っていましたよ」


 答えたのは紳士だった。穏やかな表情で口が上手く、商取引をした時は彼に頼むことが多い。女性一人で商人と交渉すると足元を見られやすいので、彼のような社会的地位が高く見える存在は欠かせなかった。


「話は部屋で聞くわ。あなたも、ありがとう」


 続いてメイド服の女性に声をかけた。こちらは両手に糸の束を持っている。全て白く、数も多い。


「いえ。いつものことですから」


 切れ長の冷たく見える目とは対照的に、メイドの声は優しい。


 二人を連れて自分の部屋へ戻ったリディアは、まず紳士から革袋を受け取った。中身はとある商品を売却した金だ。重さから大体の額を察したリディアは、予想よりも多いと気がついた。


「前回よりも多いみたいね」

「常に製作者の名前を出して売ったことで、固定の客がつき始めたようです。新作ができれば、他へ売らずに持って来てほしいと申しておりました」

「じゃあ作った本人に伝えないとね」

「では私はこれで」


 紳士が軽く頭を下げた。彼の姿が揺らぎ、リディアのところへ一組のカフスボタンが飛んでくる。落とさないように受け止めたリディアは、カフスボタンを専用の箱に入れた。


 彼はカフスボタンに宿った精霊だ。


 古い道具には、たまに精霊が宿ることがある。物の中に蓄積された記憶を好ましいと思った精霊が、物と同化して記憶を自分のものにしてしまうらしい。


 物と同化した精霊は、簡単に使役できる下級精霊とは違う。それぞれに性格があり、どんなにお願いをしても気に入らなければ決して動かない。リディアは精霊が入った本体を大切に保管するのと引き換えに、彼らから助けてもらっていた。


「シェーラ。糸を」


 リディアはメイド服の女性から糸の束を受け取った。普通の縫い糸よりも太い。撚り合わせた糸は丈夫で、多少の力では切れないだろう。


 シェーラが寝室から隣へ続く扉を開けた。主にリディアの服や貴重品を保管している小部屋だ。窓は一つしかないが彩光には問題なく、晴れている昼間なら照明は必要なかった。


 窓の傍には長方形のテーブルが一つ置いてある。沢山の針が刺さった平らなクッションに、作りかけのレースがあった。レースから伸びた糸の端は、全て小さなボビンに巻き取られている。


 テーブルの前には半透明の人物がボビンをいじっていた。白いレースを頭から被っているので顔はよく見えない。だがボビンを動かす細い指や華奢な肩は、女性特有のものだ。脇目もふらずにひたすらレースを編む様子は、修道女に似た宗教的な静かさがあった。


 彼女はほとんど喋らない。こちらから話しかけても、一言二言返してくる程度だ。レースを編むのが好きだということと、ベルンシュタインという名前以外は、ほとんど知らない。


 ベルンシュタインは人間ではなく精霊だ。ある日ふらりとリディアのところへやって来て、レースを編みたいから協力してほしいと言ってきた。たどたどしい言葉で必死に頼んでくるのが可愛らしくて、道具を揃えてあげたのが出会いだ。


 彼女はレースを編むこと以外への興味は薄く、出来上がった作品の一部は売り物にしていいと言っている。レースを編む環境を整えている礼だそうだ。継母達が同居するようになって金策に悩んでいたリディアには、ありがたい申し出だった。


「あなたが作ってくれたレース、とても好評だったみたいよ」


 ベルンシュタインはリディアのほうを見上げて頷いただけだった。再びレースへ視線を落とし、黙々と編み始める。


「他に欲しいものはある?」


 ベルンシュタインは手を止めて、束になった糸を見た。


「……今はいい。十分」


 囁きに近い小さな声だ。頭から被っているレースが揺れて、名前の由来になった琥珀色の瞳が一瞬だけ見える。


「分かったわ。必要なものがあったら、いつでも言ってね」


 作業に戻ったベルンシュタインの邪魔をしないように、リディアは小部屋を出た。


「次は洗濯物と食事の手伝いね」


 食事は雇った料理人が作ってくれる。だが高齢のため力仕事ができる助手が必要になってきた。新しく使用人を雇う余裕は、もちろん無い。必然的にリディアや弟、シェーラの三人が交代で手伝うことになった。


 洗濯物を干しているところへ行こうとすると、シェーラが引き留めてきた。


「私が行きます。お嬢様は休んでいてください」

「でも」

「どうせ朝から働き詰めだったんでしょう? 人間の体は弱いのですから、休憩が必要です」


 シェーラは言葉が足りないと思ったのか、少し考えてから言った。


「私は奥様から、娘を頼むと言われたんです。だから健康に気を使うのも、私の仕事です。お茶を淹れますから、座っていてください」


 彼女が言う「奥様」は、リディアの亡くなった実母だけだ。


 いまリディアの身近にいる精霊のうち、シェーラだけは母親から紹介されたときからずっと傍にいる。他の精霊達は母親が亡くなると、一人ずつ別れの挨拶と共に去っていった。


 シェーラが精霊だと知っているのは、リディアと弟だけだ。父親は人間の姿になれる精霊がいると知らない。継母とグロリアはシェーラのことをメイドではなく雑用係だと思い込んでいる。シェーラが白いエプロンのメイド服ではなく、暗い色の服を着ているからだろう。


 継母達はシェーラを自分達のメイドにする気はないらしい。むしろ目の前にいても、いないものとして扱う。雑用は下賎な人間がやることで、自分達のような高貴な人間の近くにいるなど、あってはならないそうだ。


 リディアには理解できない考え方だが、それが彼女達の信条なのだろうと思って触れないようにしている。


「今度、洗濯が好きな精霊でも捕まえてきましょうか。ひたすらレースを編む精霊がいるんですから、探せば見つかりますよ」


 シェーラが淹れてくれたお茶は柑橘の爽やかな香りがした。



 ***



 継母達と一緒に食事をすると、料理への不満とお金の話になるのは分かりきっていたので、リディアはいつも自分の部屋で食事をするようにしていた。


 いつも通り質素な食事を終えたころ、弟のカミルが伯父の家から帰ってきた。


 カミルの顔立ちはリディアと似ているので、姉弟であることを疑われたことがない。リディアよりも明るい薄茶色の髪は、光の加減で金色に見えるときがある。カミルは父親譲りの鳶色の瞳を嫌い、リディアのような緑色が良かったと、よくぼやいていた。


 母親が亡くなってから、リディアはカミルが心の支えだった。弟の世話で忙しくしている時は、寂しさを忘れていられる。弟が成長するにつれてかかる手間が減り、寂しく感じることはあった。だが聡明な大人へ近づいていく弟はリディアの自慢だ。


「姉さん。またあの二人が姉さんを困らせていたって本当ですか?」


 カミルはシェーラから聞いたのだろう。呆れた顔でため息をついた。


「誰のおかげで自分達が快適に暮らせるのか、知ろうともしないのかな」

「きっと自分のことで精一杯なのよ。あまり意地悪を言っては駄目よ」

「いや、余裕がないんじゃなくて、姉さんを困らせて笑いたいだけだよ。結果は散々みたいだけど」


 まあいいや――カミルはそう言ってリディアの向かいに座った。


「いつまでも、あの二人の好きにはさせないからね。今日はそのことで伯父さんと話し合ってきたんだ」

「勉強してきたのではなく?」


 カミルは父親が魔術を嫌っていると知り、最初から説得を諦めている。自分から母方の伯父に頼みこみ、魔術を教えてもらえるように段取りをつけてきた。今では魔術だけでなく、子爵家を継ぐために必要な教育も、伯父のところで受けているらしい。


「あの二人は父さんが何も言わないのをいいことに、増長しているんです。姉さんの言うことなんて、全く聞かないでしょう? 僕が言っても同じです」


 そう言って、カミルは気分が悪そうに肘をテーブルについた。


「他にも何か言われたの?」

「……姉さんは、グロリアが養子に入っていないことをご存知ですか? 戸籍上では、僕たちは他人のままなんです。父さんが面倒くさがって手続きしなかったのかもしれません。だからグロリアは僕に結婚しようとか血迷ったことを言い出して……あの後妻も、そうすれば丸く収まるなんて言うんですよ」

「それ、いつ言われたの?」


 カミルが二人を避けているのは知っていたが、グロリアに言い寄られていたことは気が付かなかった。


 グロリアも結婚について本格的に考えないといけない時期に来ている。いつまでも嫁ぎ先が決まらないリディアを見て、焦っているのかもしれない。


「一昨日です。ちょっと強く言い返したら素直に引き下がったんで、実害はありませんよ」


 優しそうな見かけによらず、カミルは気が強い。相手が年上だろうと物怖じしないので、グロリアが無茶な要求をしてきても真っ向から拒否していた。


「でも、このまま放置もできません。姉さんの結婚が決まりそうになったら、余計な横槍を入れてくるかもしれませんし。グロリアが姉さんの結婚相手に迫って、台無しにすることだってあり得ます」

「それは言い過ぎじゃないかしら?」

「姉さんは悪意に鈍感すぎます」


 カミルははっきりと言った。


「父さんが深く考えずに再婚なんてするから、我が家の評判は良くないんです。面倒な後妻と連れ子に家を乗っ取られた、って噂ですよ。姉さんの結婚相手がなかなか見つからないのも、彼女達と親戚付き合いをしたくないからです。逆の立場なら、我が家だってそうしたでしょうね」

「そんなに有名だったの?」

「姉さんの友人は、気を遣って言わないだけです。姉さんが家のために働いているのを知っているから」


 カミルはイスに座り直して、リディアに向き直った。


「僕も、もう子供じゃありません。いつまでも姉さんに甘えていいわけがない。だから、まずはあの二人を」


 最後まで言うことなく、カミルは扉の方を見た。


 廊下を走る音がする。もうすっかり聴き慣れた、グロリアの足音だ。


「カミル! どうして私のところへ会いに来ないの?」


 扉を乱暴に開け、グロリアが入ってきた。


「どうして会う必要が?」


 カミルの声は冷たい。拒絶する態度を隠そうともしないカミルに、グロリアは一瞬怯んだ。


「どうしてって、家族じゃない。私はあなたの姉なのよ」

「他人だよ。僕の姉はリディア姉さんだけだ」

「またそんなこと言って! お母様! カミルってば酷いのよ!」

「お前達は何を騒いでいるんだ」


 継母よりも早く、父親が現れた。いつもなら王城で仕事をしている時間のはずだ。父親の背後には、驚いた顔の継母が見える。彼女もたった今、夫の帰宅を知ったようだ。


「まあ。いつお帰りに? 早かったのね」


 継母が笑顔で父親に話しかけたが、父親の疲れた表情は変わらなかった。


「事情があって早退してきた。リディアローゼ。お前に話がある」

「お父様! そんなことよりも聞いてよ! お姉様ってば私に意地悪ばかりするのよ!」

「その話は後だ。リディアローゼ、書斎へ来なさい」


 あっさりと聞き流されたグロリアは、不満そうにリディアを睨んでくる。


「姉さん。食器は僕が片付けておくから」


 カミルに背中を押される形で、リディアは自分の部屋からでた。父親はとっくに書斎へ向かっている。継母が物言いたげにリディアを見てくるが、今は相手をしている暇はない。


 父親の後から書斎へ入ると、扉を閉めるように言われた。誰にも聞かれたくないのだろう。


 言われた通りに扉を閉め、机を挟んで父親の前に立つ。父親は覇気のない声で短く言った。


「お前の結婚相手が決まった」

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