49 長い夜6
「私が生まれた国ではね、子供といえども王女は積極的に他国へ行くのよ。将来のために。馬鹿馬鹿しいと思っていたけれど、あの人に会って考えが変わったわ」
お互いに好意を持っていた王妃と王弟は、婚約を取り付けることに成功した。
「でも両家は政略結婚のために言っているとしか受け取ってくれなかった。私が知った時には、あの人じゃなくて兄の方と結婚することになっていたのよ。あの人は仕方がないって、諦めていたけれど」
せめて別の家だったなら、死ぬまで会わない生き方もできた。だが嫌でも顔を合わせるうちに、一線を越える機会が訪れてしまった。
「たった一度だけよ。でもあなたは生まれてきた。私は神の導きだと思ったわ。
政治の思惑で歪んでしまった未来が、私が本当に辿るはずだった道が示された。あなたが王になることで、私の心は満たされるはずだったのに」
「そんなものは、ただの言い訳だ」
クラウスの顔色は悪かったが、ふらつくほどではなかった。
「余計なことをしてくれたわね。あなたが全てを台無しにしたのよ。あなた以外は王の子供だから、王妃としての義務は果たしているわ。血の継承には問題ない。あなたは先王の孫なのよ? 継承権を持っているのに、何が不満なのよ」
「もちろん王妃様の不貞行為ですわ。全ての原因ですもの」
口を挟んだリディアは、王妃に睨まれた。
「クラウス様が婚約の白紙化を計画したのは、王妃様が過去になさったことを知ったからでしょう?」
「君は本当に自由だな……」
いくぶんかクラウスの顔色が良くなっている。
「そうだよ。ヘンドリックと元婚約者は、お互いに好意を持っていた。昔の母上と叔父のように。彼女は信用できる女性だが、母上のことが頭から離れなかった。見ないふりをして結婚していたら、俺の方が耐えられなかっただろうな」
「王妃様も、そのことは察しておられたのでしょう? だからディアナ様に辛く当たるようになったのではないかしら」
「ディアナが喋ったのね」
王妃は両肘を抱えた。苛立った気持ちを落ち着かせるように、右手で肘をさすっている。
「次の王妃になる資格を与えてあげたのは私よ。それなのに婚約が白紙になってすぐに、ヘンドリックと新しく婚約するなんて汚らわしい。あの子はね、クラウスと婚約している最中もヘンドリックに懸想していたのよ。どうしてあの子だけ幸せになるの?」
自分のことは棚に上げて、王妃は面白くないとばかりに吐き捨てた。
「それで、私をどうするつもり? あなたたちは私が全ての原因だと思っているようだけれど。私がやった証拠なんて、出てこないわよ」
「母上が命令していなくても、実行犯に命令した者は、母上のためにやったと白状しています。俺自身も狙われた。国境を守る辺境伯を狙うことは、国家の安寧を脅かすことと同じ。ですから、母上には反逆の疑いがかけられています」
「どうしても私のせいにしたいのね」
「王城内で武器を振り回した女性は、母上に連れてきてもらったと吐きました」
シビルのことだろう。情報局が時間をかけて聞き出したに違いない。
「もう、夢を見るのはやめてください。この国は母上の箱庭ではありません。第三者には、母上は権力を使って思い通りに国を動かそうとしたとしか見えない。ご自分が何をしたのか、見つめ直す時です」
クラウスは外で待機している騎士を呼んだ。
「ここへ来る前に、父上には全てを話しました」
「なんてことを……」
王妃の顔が青白くなっていく。
「父上からの伝言です。愛想が尽きた、と。全てご存じでしたよ。母上が想像するよりも、ずっと前から」
室内に入ってきたのは女性の騎士だった。王妃の手首に魔術を封じる細い鎖を巻き、外へ連れ出そうと背中に手を添える。王妃は数歩踏み出し、力なくクラウスを見た。
「あなたは昔から頭が良かったわね。武術も得意で、誇らしかったわ」
「……ありがとうございます」
「産むんじゃなかった。あなたの存在が全ての過ちよ」
王妃は振り返らずに部屋を出ていく。
無言で見送るクラウスは、いつも通りの冷静な態度に戻っていた。白くなるまで握りしめた拳から、赤い雫が一つ落ちる。
リディアは正面からクラウスに抱きついた。
「クラウス様が生まれてきて良かった。あなたの存在は、私の人生を豊かにしてくださいました」
気分屋の王妃なら、深い傷を残していくだろうと思っていた。長男のクラウスばかりを優遇して次男のヘンドリックを蔑ろにしていたのだ。その長男が自分の思い通りにならなかったときは、どんな被害が出ようとも望みを叶えようとした。そんな自分のことしか考えていない王妃が、クラウスの心情に配慮をしたことを言うはずがない。
だからリディアはここにいる必要があった。実の親から贈られた呪いに等しい言葉なんて、クラウスの記憶に要らない。新しく家族になったリディアが、何度でも上書きする。聞き飽きたと言われるほど、何度でも。
クラウスがリディアの肩を掴んだ。強引に体を引き離し、八つ当たりのようにキスをされても、リディアは抵抗しなかった。
唇が離れて抱きしめられる直前に見えた、辛そうな顔はきっと気のせいではない。
「リディアローゼ」
「そろそろ愛称で呼んでくださいな」
「リディア」
「はい」
「君は……」
続きが聞こえてこなかった。裏切るなと言いたいのか、母親のようになるなと言いたいのかは、クラウスにしか分からない。
「いついかなる時も、あなたを慕い、魂が消滅する瞬間まで、変わらない愛をあなたへ。結婚制約式で私が誓ったことは、今後も変わりません」
「……君は俺が言わないでおいたことを表に出すのか」
「はっきり言わないと、伝わりませんわ」
クラウスは返事をしなかったが、リディアを抱きしめる力が強くなったことが、彼なりの答えだろう。




