47 長い夜4
「顔を上げなさい」
老女の命令に従って、リディアは頭を上げた。
「あなたも精霊が見えるようね。名前は?」
「オイレンブルク辺境伯の妻、リディアローゼと申します」
「そう。あなたが……」
老女の言葉は最後まで聞こえなかった。通路から出てきた精霊が老女の周囲を飛び回り、口々に何かを伝えている。リディアには聞き取れない言葉だ。
ひとしきり聞いた老女は、再びリディアに話しかけてきた。
「ここがどこか知っている?」
「かつて後宮として使われていた場所です。今の名称はシルヴァヌス離宮だと聞いています」
「そう。そして私は?」
「先代国王陛下の側妃、ダヌシュカ様」
「その根拠は?」
まるで尋問のように、次々と質問が飛んでくる。
リディアは落ち着いて、一つ一つ答えていった。
「この離宮で喪服を召していらっしゃること。その喪服に西の国で好まれている模様が入っていること。そして何より、精霊が教えてくれました」
先代の国王が亡くなると、ダヌシュカは離宮の奥から出なくなったと聞いている。新しい王の時代に、ただの側妃の居場所はないというのが彼女の主張だ。さらに表のことには一切関わらないと、息子である王弟ですら面会を拒んでいる。
「面白い子ね」
黒いベールの奥でダヌシュカが笑った。
「いいでしょう。庭に無断で入ったことは不問にします。ついていらっしゃい」
リディアは黙ってダヌシュカの後ろを歩いた。
夜の庭は精霊が放つ淡い光に包まれている。先程までダヌシュカに話しかけていた精霊も、今は静かにリディアたちを注意深く見ていた。ここを訪れる人間が少ないのか、リディアを信用していないのだろう。
ダヌシュカが連れてきてくれたのは、庭の一角に設けられた東屋だった。そこにも精霊がいたが、リディアが近づいたとたんに屋根やベンチに隠れてしまう。ダヌシュカは精霊のことなど全く気にせず、ベンチに座った。
「あなたも座りなさい」
示された席に座ると、ダヌシュカはベンチに隠れていた精霊を呼んだ。外国語で話しかけたダヌシュカに、精霊が同じ言語で答えている。問答はしばらく続き、唐突に終わった。
「城で起きたことは、全て精霊から聞きました。あなたが精霊に導かれて歩いていたころ、精霊は私に庭へ出るように呼びかけてきたのは、保護を求めていたからなのね」
ダヌシュカが庭にいたのは、偶然ではなかったらしい。
「そして知りたいことがある。あなたは自分が狙われた理由を察しているけれど、確信には至っていない。精霊が教えてあげろと訴えてくるのよ。きっと、あなたは精霊と良き関係を築いてきたのね」
「嬉しいことです。精霊たちには普段から助けてもらっていますので」
また精霊がダヌシュカに耳打ちした。ダヌシュカは頷き、被っていたベールを取る。顔立ちはクラウスと似ていないのに、沈黙して考えている表情には面影があった。
「あなたが予想した通り、私はザハ・セドレから嫁いできました。あの国の王族は常に精霊と共にあり、心を通わせるのが使命です。しかし建国当時に比べると、それができる王族や貴族、国民は減ってしまいました」
ダヌシュカの国でも、精霊は半ば伝説の存在になりつつあるという。
「私もまた、精霊の姿を見て、声を聞くことができる。あなたのように。ですが、精霊を従わせることはできません。私ができるのは、精霊から情報を得ることだけ。私が知り得た事実を、あなたがどう受け止めるかは、あなた次第です」
「その事実とは、どういうものでしょうか」
「あなたの夫について」
ダヌシュカは簡潔に言った。
「彼は現国王の子供ではない。よく似ているけれど、残念ながら」
やはりクラウスの血縁上の父親は王弟だった。事前に予想できる材料があったおかげか、衝撃は少ない。
「理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「私の息子は精霊の存在を感知できないけれど、あなたの夫は声が聞こえるでしょう? ザハ・セドレでは、世代を跨いで能力が現れるのは、よくあることです。そしてこの国の王族は、精霊を感知できる者が長らく現れていない」
「精霊だと気がついていない、もしくは才能が現れにくかったということは?」
違う、とダヌシュカは首を振る。
「ザハ・セドレの民は好かれている精霊に関係した魔術を使うと、体の一部に模様が浮かび上がる。このように」
ダヌシュカは袖を捲り上げ、リディアに見せた。彼女が小さな光を出現させると、腕には放射状の赤い模様が浮き出てきた。
「息子の腕も、同様です。好かれている精霊は違いますが、あなたの夫にも現れると精霊が言っています」
「……精霊は嘘をつかない」
「その通り。嘘を言う必要がない。そして、現国王や王妃には、この特徴はありません」
ダヌシュカは元通りに袖を下ろし、ため息をついた。
「……王妃は愚かな選択をしました。政略で嫁いだ相手と、好いた相手が違うとはいえ、よりにもよって……」
「このことを知っているのは、ダヌシュカ様だけでしょうか?」
「おそらく、あなたの夫も知っている。だからこそ、彼は王太子にならなかった。側妃の孫が玉座に座ることになるから」
クラウスが汚名を被ってでも辺境へ行った理由が、また一つ明らかになった。単純な動機ではないと思っていたが、幾つ隠し事をしているのだろうか。
「もし王妃の前で血縁関係を証明しなければならない時がきたら、魔術を使わせなさい。あなたが言わずとも、彼が見せるかもしれません。秘密はいつか明らかになるのが、世の常です」
ダヌシュカはまたベールを被った。
「王妃には気をつけなさい。少女の心を持ったまま、大人になったような女性よ。王妃には常に理想とする世界があって、そこから逸脱すると元に戻そうとするのです。わがままが許される環境で育ったがゆえの行動だわ」
「それが私やクラウス様への攻撃に繋がっているのですか?」
「おそらく。いくつになっても、甘やかす人がいるのよ。困ったことにね。王妃の理想を見せて、見返りを求めている」
沈黙が流れた。
「……疲れたわ。私はもう休ませてもらいます。あなたも離宮に入って、空いている部屋を好きに使ってもいいわ。ここは誰も手出しできない。そういう契約になっているの」
国政に関わらない代わりに得た安全だとダヌシュカは言った。
「政治が安定している時に、古い人間なんて邪魔なだけよ。私が国王に口出しできると思って接触してくる人の相手なんてしたくないの。実の親子でも行動を強制することなんて出来ないのは、私がよく知っているわ」
経験からくる言葉には重みがある。
もう一度、ダヌシュカはどうするのか聞いてきた。
離宮にいる間は襲われない。シェーラに頼めば、クラウスや護衛たちに居場所を伝えてくれるだろう。安全が確認されてから出ていくほうが、守る側に負担が少ない。
「ありがたいお言葉ですが、私を匿うことはダヌシュカ様の立場を悪くするでしょう」
「表舞台から去った老人の立場なんて、無いようなものよ」
「クラウス様の血縁関係が明らかになれば、その限りではありません。それに私を消すために王城で、王の近くで騒ぎを起こしたのですから。騒動の主犯はすぐに捕まるでしょう。そうなった時に、クラウス様のそばにいたいのです」
「目的と成し遂げられる力があるなら止めません。良い夜を」
「はい。お休みなさいませ」
リディアは改めてダヌシュカに礼を言って、東屋を後にした。
今度は隠し通路を使わない。離宮の門がある方向へ歩くと、集まってきた精霊たちが道を示してくれた。
門に近づくとシェーラが鍵を開けた。通りぬけた後は精霊が閉めてくれるらしく、小さな光が門全体を覆う。精霊が見えない人は、勝手に閉まったと思うのだろう。幻想的な光景が見られないなんて、可哀想だと思う。
「シェーラ」
「はい」
リディアはずっと静かに控えていたシェーラを呼んだ。
「これからのことだけど」
見計らったように、暗い服の襲撃者たちが姿を現した。仮面に紙がついていない。服の一部がほつれているのは、護衛と戦った結果なのだろう。
「いきなり危機的状況というやつね。シェーラ。あなたは離脱しなさい」
「かしこまりました」
シェーラはそう言うなり、上から門を飛び越えて走り去った。
「あなたたちの主人のところへ連れて行きなさい。どうせここでは私を殺せないわよ。試してみる?」
リディアが軽く挑発すると、襲撃者たちは顔を見合わせた。仮面のせいで表情は分からないが、きっと困惑していることだろう。




