40王都
ほぼ予定通りに王都へ到着したリディアたちは、正面の大門から王城に入った。
クラウスは辺境伯の身分だが、王族としての籍はまだある。街道では馬に乗って自由に移動していたクラウスは、王都へ入る前に馬車に移った。同じく馬車にはクラウスが使用している家紋入りの旗を掲げたので、よほどのことがない限り進行を妨げられることはない。
城内に入った馬車が向かったのは、一番奥の王族が居住している区画だ。リディアにとって初めて入る場所になる。
車止めで馬車が完全に停止すると、城の使用人が扉を開けて踏み台を用意した。
「兄上」
わざわざ出迎えてくれたのは、第二王子のヘンドリックだ。少し赤みがある銀髪や顔立ちは父親である国王によく似ている。兄弟で並んで立っていると、クラウスのほうは母親似だと感じた。
「ようやく二人で来てくれましたね。もっと気軽に帰ってきてもいいんですよ」
「気軽に帰れる距離じゃないだろう。元気だったか」
「誰かに押し付けられた立場のせいで、毎日が忙しいですよ」
物静かなクラウスに比べ、ヘンドリックは快活で表情がよく変わる。
「内政は俺よりお前が向いている。適材適所だ。諦めろ」
「そんなことないと思うけどなぁ……そう思いませんか?」
ヘンドリックはリディアに同意を求めてきた。
「正式な場以外で会うのは初めてですね。ようこそ」
「お久しぶりです。王太子殿下。第一子の誕生を心よりお喜び申し上げます」
「ありがとうございます。立ち話もなんですし、どうぞ中へ。ディアナもあなたと会いたがっていましたよ」
「私もディアナ様に会いたいと思っておりました。幼少期のクラウス様のことを、ぜひお聞きしたくて」
「待て。聞いてどうするつもりだ」
建物内へ入ろうとしていたクラウスが立ち止まった。
「どうするも何も、好きな人のことを知りたいと思うのは当然ですわ。だって、クラウス様に聞いても教えてくださらないでしょう? 愛らしい子供時代の姿絵と照らし合わせて、見ることが叶わなかった過去を心ゆくまで追体験することの何がいけないのかしら」
「人を娯楽扱いするんじゃない。逆の立場だったら嫌だと思わないのか。俺が君の過去を聞いて想像に耽っているなんて」
「大歓迎ですけれど?」
「聞いた俺が馬鹿だったよ」
忌々しそうにクラウスが吐き捨てると、ヘンドリックから笑いがおきた。
「いや、失礼。変わりましたね兄上。楽しそうでなによりです」
「今のやりとりのどこに楽しさを見出したんだお前は」
呆れているクラウスには構わず、ヘンドリックが話しかけてきた。
「兄上の昔のことは、俺のほうが詳しいですよ。機会がある時にお話ししましょうか?」
「ぜひお願いします」
しっかりと約束を取り付けたリディアは、上機嫌でクラウスの後をついていった。
クラウスが向かった先はサンルームだった。温室が併設されている。遠くから覗いただけでも、図鑑でしか見たことがない植物がいくつも見えた。室内に漂っている甘い香りは、どうやら赤く熟れた果物らしい。
勧められた席に座って待っていると、国王と王妃が揃ってサンルームに入ってきた。
「遠路はるばる、ご苦労だった」
「お久しぶりです」
クラウスと国王の会話は、一般的な親子とは違っていた。
「オイレンブルク辺境伯夫人。愛想がない息子だが、これからも支えてやってくれ」
「もったいないお言葉です」
今度は王妃がクラウスに声をかけた。
「しばらくこちらに滞在するのでしょう?」
「用事が終われば、すぐに帰ります。あまり長い間、オイレンブルクを留守にしたくありません」
「仕事熱心なのはいいけれど、働きすぎじゃないかしら。あなたが辺境へ行かなくても、うまくやっていたのに……」
「状況が変わりつつあるのです。何かあってから王族を辺境伯に任命しても遅いのですよ」
クラウスに説得されても、王妃は不満そうだ。
「あなたは何もかも自分だけで決めてしまうわね。辺境のことだけじゃないわ。身の振り方だってそうよ。ヘンドリック。あなたも兄に一言言ってやりなさい」
「母上。その話はまた今度にしましょう。準備ができたようですし、座りましょう」
王妃を止めたのはヘンドリックだった。
テーブルに茶器を並べたメイドたちが壁際に下がる。何も聞かされていないものの、略式の茶会が始まるらしいことは察した。
国王は気を遣ってリディアにも話しかけてくれるが、王妃は視界に入れようともしない。給仕をしに来たメイドへの態度からすると、どうやらリディアは息子の妻ではなく使用人と同じ扱いのようだ。
――無理もないわ。子爵家の娘なんて、王妃様から見れば平民と同じでしょう。
王妃は外国から嫁いできた。この国の下級貴族と交流なんてしてこなかったし、これからもする必要がない。
身近にいるメイドですら空気扱いなのだ。存在感がなかったキースリング子爵家の娘は、それ以下でも不思議ではなかった。
国王と王妃が滞在したのは、そう長くなかっただろう。カップの紅茶が無くなると、二人はサンルームを出ていった。
「……母上は相変わらずか」
王妃の姿が見えなくなると、クラウスがぼやいた。
「そうですね。頑固というか、融通が利かないというか」
ヘンドリックがリディアに謝罪をしてきた。
「すいません。元からあんな感じの人なんですが、最近はますます頑なになってしまって……」
「気にしておりません。お会いした時から、そうではないかと思っておりました」
「俺からも謝らせてくれ」
クラウスも申し訳なさそうに言った。
「酷くなったのは、おそらく俺のせいだ。結婚を白紙化してすぐに辺境へ行ったのが気に入らないらしい」
「でも兄上は国のことを考えて行動したのに」
「あの人が言うには、王族は自分で動くよりも人を使うのが正しい在り方だそうだ。俺が王になると信じて疑わなかったから、裏切られた気分なのだろう」
「自分の親とはいえ、俺は苦手ですけどね。俺のことは散々、放置してきたくせに。最近では馴れ馴れしくて……って、夫人に言っても仕方ありませんね」
ヘンドリックはことさら明るい声を出した。
「息子に会いに行きますか? この時間なら起きていますよ」
「もちろん。そのために王都まで来たんだ。君も来るか?」
「ええ。喜んで」
サンルームを出て建物の奥へ進み、独立した別棟へ案内された。王太子夫婦専用の建物だそうだ。柔らかい陽の光が差し込む内部は明るく、控えている使用人の表情は心なしか穏やかだった。国王がいる建物は、やはり緊張感が違うのだろう。
両開きの扉が開け放してある部屋に、ディアナと乳母らしき女性がいた。周囲には子供のために揃えたおもちゃがある。
「ディアナ。兄上たちを連れてきたよ」
顔を上げたディアナは、リディアたちを見るなり笑顔になった。ここにいる使用人たちが、なぜ心に余裕があるのかよく分かる。ディアナの優しさが詰まった笑顔は、見ているこちらも幸せな気持ちにさせるようだ。
「ようこそ。来てくださって嬉しいわ。もう陛下にお会いしたのかしら?」
「先ほど終わった。体調は?」
「何も問題ありません」
クラウスが柔らかい声音と表情なのは、ディアナの人徳だろう。
昔馴染みの会話に入れないリディアは室内を見回した。窓に紐で繋いだ平らな人形や、旗がかかっている。この国では子供が産まれたら伝統として飾っている、幸運のお守りだった。
――さすが王室ね。妖精避けとしての機能が損なわれていないわ。
伝統として受け継がれてきたものには、必ず理由がある。本来の名前は失われてしまったが、あれは悪質な妖精の悪戯を避けるために考えだされた飾りだ。
妖精は時として赤子を誘拐して、他人の赤子と入れ替えるような悪戯をする。妖精の子供を入れ替えに使うこともあり、被害に遭った家はほぼ不幸に見舞われてしまう。そんな悲劇を繰り返さないように、窓や庭、玄関に妖精が嫌う物や模様を作り出してきた。
床のおもちゃの中にも、魔除けとなるようなものがあるかもしれない。
「オイレンブルク辺境伯夫人。お会いできる日を心待ちにしていました」
ディアナは王妃と違って、リディアを空気扱いする気はないようだ。クラウスに向けていたものと同じ笑顔で、リディアに声をかけてきた。
「私も、この日が来ることを楽しみにしておりました。私のことは、リディアローゼとお呼びください」
「では私も、ディアナと」
「結婚式にも来てくださいましたね」
「ええ。本当は、堂々と出席したかったのですが……政治を理由に、邪魔をされてしまいました。親族の結婚式なのに隠れなきゃいけないなんて、おかしいわ」
「そのお気持ちだけで十分です」
少し話しただけでも、彼女が分け隔てのない好かれやすい性格だと分かる。クラウスが心を掴まれるのも無理はない。
別棟付きの使用人が化粧箱を持ってきた。リディアとクラウスが用意した贈り物だ。化粧箱は中を調べるために、一度開けた形跡がある。
「気に入ってもらえるだろうか」
二人で用意したのは双子のぬいぐるみだ。焦茶色のクマがクラウス、クリーム色のクマをリディアが担当した。お揃いのリボンを首に巻いている。
「まあ可愛い! 良い友達になってくれそうね」
「さっそく息子にも見せてやろう」
白いベビーベッドの近くに、ヘンドリックがイスを持ってくる。ディアナは双子のクマをベッドにいる子供へ見せてから、イスの上に座らせた。
「……リディアローゼ。今更だが、あのクマに精霊を入れたりしてないよな?」
「あら、クラウス様ったら。私のことを何だと思っていらっしゃるのかしら」
「い、いや。違うならいいんだ。疑ってすまない」
もちろん入れている。ぬいぐるみを作っている工房で出会った、妖精狩りとして名を馳せた精霊だ。リディアが見える側の人間だと気がつき、あちらから声をかけてきた。
報酬はいらない。妖精を駆逐できるならと言うので、産まれたばかりの王子の専属護衛として採用したのだ。精霊は人間のように嘘をついて契約することはできない。王子に害はないし、何も問題ないだろう。
「兄上。せっかくですから、抱っこしますか?」
「……いや、首が座ってないだろう? 怖くて触れない」
クラウスはかなり悩んだ末に断った。
「リディアローゼさんはどうしますか?」
「クラウス様と同じですわ。今日はお顔を拝見させていただくだけにしようかと」
「そうですか。まあ、機会はいくらでもありますから、その時にでも」
王子を見た第一印象は、小さいという一言だった。平均的な大きさだそうだが、赤子を見る機会がなかったリディアには基準が分からない。ただ、守らなければいけないと思うだけだ。
クマの護衛を持ってきたのは正解だった。
「王太子殿下にそっくりね。でも目元はディアナ様似かしら」
「これが一年もすれば歩いて喋っているなんて信じられんな」
手足を動かし、たまに声を出す甥の姿に癒されたクラウスは、国王に会ってくると言った。
「辺境伯としての仕事をしてくる。君は……」
「リディアローゼさん。よろしければ、私の話し相手になってくださいませんか?」
ディアナからの思いがけない誘いだった。
「子供を産んでからは特に、限られた人としか会っていなくて」
「私でよろしければ喜んで」
「兄上。俺も近くにいますから、ご心配なく」
「お前がそう言うなら、安全ではあるが……」
なぜかクラウスは疑いの目をリディアに向けた。
「クラウス様がいない間に、私がクラウス様のことをお二人から聞き出すと思っておられます?」
「よく分かってるじゃないか」
「根掘り葉掘り質問しながら、お待ちしております。それとも、恥ずかしい過去を暴かれるのではないかと心配なのですか? ご安心を。何を聞いても、そっと胸の内に秘めておきますから」
「余計に心配になることを言うんじゃない。ヘンドリック、喋る内容は厳選するんだぞ」
「兄上の帰りが遅くなったら、口が滑ってしまうかもしれません」
「おい。俺を裏切るのか」
意地悪く笑ったヘンドリックは、クラウスの背中に手を添えた。
「兄上。俺は色々と許していないことがあるんです。勝手に辺境へ行ったこととか、婚約のこととか。仕返しに兄夫婦の仲が深まることをして、何が悪いんです? ご理解いただけましたか。では行ってらっしゃいませ」
面会の時間が迫っているクラウスは、後で覚えていろと悪役のような台詞を言って出ていった。
「……驚いた。あんな一面があったのですね」
ほとんど聞こえない声の大きさでディアナがつぶやいた。




