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38街道3

 馬を引いていたイザークが立ち止まった。


「奥様。馬は一人で乗れますか?」

「いいえ。残念ながら」

「では馬から降りていただけますか? 問題が発生しました」


 乗っている馬が落ち着きなく前足で地面をかいている。神経質で捕食者の気配に敏感な馬が、非常時だと教えていた。


 リディアが馬から降りてすぐ、イザークが剣を抜いて上へ振り上げた。リディアのすぐそばで金属音と鳥が羽ばたく音がした。


 驚いた馬が逃げていく。


「すいません。奥様だけでも逃げていただきたかったのですが」

「あなたの失態ではないわ」


 上から襲ってきたのは、ワシの上半身と獣の下半身を持った魔獣だった。魔獣が威嚇の鳴き声をあげ、体が半透明になっていく。完全に見えなくなったわけではないが、体のどの部分で攻撃してくるのか分かりにくい。


 少しでも助けになればと思い、リディアは持っていた札をばら撒いた。鳥の絵が書いてある札が、魔獣の体に貼り付いていく。完全に体を覆う量ではないが、足や頭の位置は分かりやすくなった。


「これでどう?」

「助かります!」


 イザークは魔獣の翼に斬りつけた。飛ぶために翼を広げていた魔獣は、羽を散らして後ろへ下がる。イザークがすかさず襲いかかり、反撃の隙を与えない。ところが魔獣はイザークを襲うと見せかけて、脇をすり抜けた。


「させるか!」


 イザークの反応が速かった。すぐに反転して魔獣の後ろ足を刺す。仕返しとばかりに飛びかかってくる魔獣を身軽にかわし、リディアには近づけさせなかった。


 こちらの有利で始まった戦闘だったが、一人で大型の魔獣と戦うのは難しいようだ。イザークはリディアという足手纏いがいる上に、なぜか魔獣はリディアを狙ってきた。


 戦闘の邪魔にならない位置まで離れているにも関わらず、魔獣はじわじわと距離を詰めようとした。魔獣の狙いに気がついているイザークは牽制したり、間に入ってくれている。


 魔獣がイザークの剣を前足で弾き、体当たりをしてきた。戦い慣れているイザークは後ろへ下がって威力を削ぐ。


 通常の戦闘なら、有効だったのだろう。魔獣はイザークを追わずに、一足飛びにリディアへ接近した。


「奥様!」

「来なさい」


 リディアは腰の短剣を叩いた。体内の魔力が一気に減る。


 肉薄していた魔獣がリディアに到達する前に弾かれた。魔獣を襲った何かは、リディアのところへ戻って短剣を構えた。


「シェーラさん! どこから来たんですか!?」


 名前を呼ばれたシェーラはイザークに視線を移したが、すぐに魔獣へと戻した。スカートの裾を翻し、突こうとしてきた魔獣のクチバシを蹴る。さらに魔獣の片目に短剣を突き刺すと、いつも通りの感情がない声で言った。


「どこと言われましても。敵を殲滅するのが先かと」

「そ……そうですけど……」


 冷たく返されて落ち込んだイザークだったが、気持ちの切り替えは早かった。リディアを守る役目はシェーラがやってくれると察し、魔獣を大胆に攻めていく。


 ようやく対等の勝負になったとき、街道を走ってくる馬が見えた。どんなに遠くにいても見間違えることはない。クラウスだ。馬の勢いを落とさず近づき、魔獣の首に剣を刺して走り抜けていく。


 馬の速度に乗った一撃は、深々と柄まで刺さった。とどめにイザークが魔獣の胸にとどめを刺す。魔獣は血の泡を吹いて倒れ、動かなくなった。


「お疲れさま。おかげで無事だったわ」

「……いえ、俺の功績ではありません。危うく奥様に傷を負わせるところでした」


 イザークは肩で息をしつつ、シェーラを見た。


 シェーラがいなければリディアは深傷を負っていたのは間違いない。主君に護衛を任されたイザークにとって、リディアが無事だったとしても、自分が動けなかったことは悔いが残るようだ。


 馬に乗ったクラウスが戻ってきた。全力で駆けて疲れている馬に配慮して、途中で降りてからリディアに尋ねてくる。


「無事か?」

「はい。イザークが守ってくれました」


 名前を出されたイザークは、複雑そうだった。


「姿が見えにくい敵の接近を察し、最初の一撃を防いだことは、護衛として十分な働きだったわ。私をかばいながら戦う不利な状況でも、絶対に諦めなかった。あなたが思うほど、惨めではなかったと思うわよ。ねえ、シェーラ?」


 短剣の血をハンカチで拭っていたシェーラは、軽く頷いてリディアに同意した。彼女が渡してきた短剣は、曇り一つない。元通りに腰の鞘に納めた。


「はい。お嬢様がいない状況であれば、一人で魔獣を殺せたでしょう。動きに無駄が少ない」

「……あまり褒められると照れるんですがね。評価していただいたことは感謝いたします」


 お世辞ではなく、リディアが思っていることを言っただけだ。護衛がやったことを雇い主であるクラウスに報告するのは当然のことで、感謝されるほどではない。


 使用人と同様、護衛が働きやすい環境を作るのも、巡り巡ってクラウスのためになる。


「無事ならそれでいい……と言いたいところだが、顔色が悪いぞ」

「魔力を使いすぎたせいですわ。休めば回復します」


 大量の呪符を使ったことに加えて、遠く離れたシェーラを呼び出したのが原因だった。精霊に命令をすると、強さに比例して魔力の消費量も多くなる。シェーラのように居場所が離れている場合は、距離も消費量に加算されてしまう。


 身を守る手段として防壁になってくれる呪符も持っているが、大型の魔獣にも有効か試したことはない。シェーラを呼んで守ってもらうのが確実だった。


「無理しすぎだ。乗れ」


 クラウスはリディアを馬の上に押し上げ、後ろに乗ってきた。包まれているようで落ち着かない。


「イザークは、そこのメイドを頼んだ」

「分かりました」


 イザークが差し出した手を、シェーラは心から不思議そうに見下ろした。


「私は一人で歩いて帰れますので、どうかお気遣いなく」

「え!? だ、駄目だって。さっきのお礼とか、色々と話したいこともあるから」


 どうやらイザークはクラウスやリディアの前以外では、かなり砕けた話し方をするらしい。


 放置すると本当にシェーラは歩いて帰ってくるだろう。それではイザークが可哀想だ。


「シェーラ。せっかくの好意よ。乗せてもらいなさいな」

「……そうですか」


 シェーラは他にも言いかけたが口を閉じてイザークに従った。きっと、それが人間の流儀ならと言おうとしたのだろう。





 リディアを宿に送り届けたあと、クラウスは街道に戻ってユルゲンを出迎えた。


「ご苦労だった」


 ユルゲンは馬に乗せていた男を下ろした。クラウスが同行していた護衛に合図をすると、男の首を調べ始める。


「解けそうか?」

「これは……難しいですね」


 護衛は模様を指でなぞった。


「解除には時間がかかります。でも、どの学派がやったのかは特定できますね」


 魔術の基礎理論は大昔の賢者が発見した。魔力を持つ人間のうち、ごく限られた天才しか習得できなかった時代だ。その習得の効率化と魔術師の人口を増やすため、各時代の秀才たちが魔術理論を派生させていった。現代では魔術理論を学問として扱い、自分の属性に合った魔術を見つけやすくしている。


 魔術理論は学派によって個性がある。方言ほどの差しかないものや、外国語のように遠いものまで様々だ。


 男の喉に刻まれているものは、護衛に聞くまでもなく知っていた。


「グレゴール学派だな」

「ええ。殿下ならご存じですよね」


 知らないわけがない。この国だけでなく、諸外国の王族にも習得者がいる学派だ。国内では最大規模で、攻撃に使える魔術が多かった。


「魔術をかけた者を特定するのは不可能ですか……」


 ユルゲンは諦めた口調で言う。ところが護衛はすぐに同意しなかった。


「魔力の特徴を調べれば、一応は使用者を探すことができます。まあ、グレゴール学派の魔術を知っている者全てを調べる根気があれば、ですが」

「言い方は違うが、無理ということでは?」


 二人の掛け合いを聞きながら、クラウスは模様に触れた。意識を集中させて魔力を探ってみる。護衛ほどではないが、やり方は知っている。


 とても馴染み深い魔力だ。


「二人とも。もういい。分かった」


 クラウスは男を連れていくようユルゲンに命じた。


「分かったって、術者が特定できたんですか?」

「ああ。この男はいったん、領主に預けるしかないな。情報局に」


 引き取ってもらうと言おうとしたとき、男がうめいた。苦しそうに喉をおさえ、目を見開いている。喉の模様が徐々に赤くなっていく。


「待ってくれ! 俺は何も喋ってないぞ!」


 目を覚ました男が叫ぶ。遠くにいる術者に呼びかけ、ひざまずいて空を仰ぐ。自分の潔白を示そうと必死だ。


「殿下、下がってください」


 ユルゲンがクラウスを庇う。もう一人の護衛は喉の模様を妨害しようとしたが、諦めて後ろに下がってきた。


「見てないで助けろよ! 俺はただ、仕事で呼ばれただけなんだ! 珍しい生き物を見たいって言われたから!」


 今度はクラウスたちへ向かって、男が懇談し始めた。


「本当に知らなかったんだ! そりゃ、特別料金でそういう仕事もするけどよ! くそっ……あの女のせい……絶対に、許せ――」


 模様が弾けた。地面に血を撒き散らし、頭が落ちる。体は首が落ちた反動で前のめりになり、どさりと倒れた。


「……ずいぶんと容赦がないな」

「誰かの依頼で、我々を待ち構えていたのでしょうか」

「殿下。術者に心当たりが?」

「残念なことに、俺の身内だったよ」


 クラウスは男の上着に手をかけた。


「とりあえず、この死体を検分しようか。残りの証拠を集めたら、埋葬してやろう」





 森の行方不明者は、魔獣の被害者ということで話がついた。その魔獣が操られて連れてこられたという事実は、調査中のため伏せておくらしい。外国から連れてこられた魔獣を使って辺境伯を殺害しようとしたなど、計画した者が判明しても公表できないだろう。


 例によってクラウスはリディアに詳細を話してくれない。そうなるだろうと思って、クラウスの服に盗聴できる道具を仕込んでおいた。洗濯すると消えてしまう欠点を除けば、リディアの望み通りに動いている。


 ――珍しい魔獣使いに依頼できる財力があって、さらに使い捨てにもできるクラウス様の身内ね。だいぶ敵が絞れてきたわ。


 まず弟王子は排除してもいいだろう。彼はクラウスのほうが次の王に相応しいとぼやいているらしい。兄弟仲も良好。クラウスを殺す理由が乏しかった。


 第一王女も除外だ。まだ幼く、魔獣使いとの繋がりを作れるほどの人脈がない。


 ――国王陛下と王妃様は?


 とりあえず保留だ。財力と人脈は申し分ない。だがクラウスを始末する理由が思いつかなかった。王位争いはもう決着がついている。


 ――王弟殿下? でも彼も同じよね。


 リディアは馬車の窓から外を見た。もうすぐ森の入り口だ。馬に乗ったクラウスの後ろ姿も見える。


「……ねえ、シェーラ。あの魔獣は私を狙ったように感じたわ」


 置物のように座っていたシェーラが目を開けて肯定した。


「はい。間違いなく」

「弱そうだから狙った。追跡してきたから狙った。クラウス様の近くにいたから狙った。どれかしら」

「お嬢様だから狙ったという選択肢をお忘れでは?

「魔獣をけしかけられるほど、恨まれていたのね」

「もう婚約破棄した馬鹿王子の噂を信じている者などいない、ということです。第一王子との結婚を夢見ていた令嬢にとって、お嬢様は突然現れて美味しいところを掻っ攫っていったトンビですよ」

「事実を知った女性から恨まれる理由しかないわね」


 馬車が止まった。扉が開き、まずシェーラが降りる。続いて外へ出たリディアは、人形用の小さなイスを持っていた。


 町の古道具屋にあったものを手直しした特別品だ。全面に布を貼り、綿を詰めた贅沢な作りに仕上がった。とはいえ人形用なので値段はたかが知れている。


「精霊さん。いらっしゃる?」


 森の入り口で呼びかけ、石だらけの場所にイスを置いた。


「目的の魔獣を見つけられたのは、あなたのおかげよ。このイスを受け取ってもらえないかしら?」

「いい心がけじゃない」


 リディアの目の前に警告してくれた精霊が現れた。イスの周囲を飛び回って見学したあと、行儀よく座って目を閉じる。


「悪くないわ。私たちのこと、よく理解しているようね。いいわよ。森の中では襲われないようにしてあげる」


 精霊はイスを持って姿を消した。もう呼びかけても出てこないだろう。


「先へいきましょうか」


 リディアが呼びかけると、遠巻きにしていた護衛たちが、はっとした様子で動き始めた。


「あれだけでいいのか?」

「ええ。求めているものが分かりやすい精霊で助かったわ」


 クラウスが納得できない様子なのは、たいした労力ではなかったと思っているからだろう。


 森の中の魔獣は自分たちが通るために討伐したものだ。精霊のためにやったことではない。イスだって人形用だから修復に時間はかからなかった。


「クラウス様。精霊と人間は言葉が通じますが、価値観は違うのです。人間にはゴミにしか見えなくても、彼らには至高の品に見えることがありますわ」

「まあ、人間同士でも理解できないことはあるし、君がそう言うなら間違いないのだろうな」


 結論を出したクラウスは、リディアを馬車に乗せて外から扉を閉めた。


 再び動き出した馬車が森の中へ入っていく。薄暗くなった車内に、小さな光が現れた。先ほどの精霊だ。


「余計な生き物を消してくれたから、一つだけ予言してあげる」


 精霊はリディアをじっと見ている。


「あなた、死ぬわよ」


 唐突に聞こえた不吉な言葉に、シェーラは鋭い視線で精霊を注目した。

 棘のある雰囲気を不快に思った精霊が、膨れっ面になる。


「嘘じゃないわ。あたしには見えるの」

「そうね。人間はいつか死ぬわ」


 リディアは落ち着いていた。良くない言葉を投げかけてくる精霊には慣れている。人間に敵意を持っている精霊なんて、過激なことを言って脅してくることもあるのだ。こんなことで感情的になっていたら、ストレスで身が保たない。


 変わらない態度のリディアに、精霊は満足したらしい。リディアの前髪をなでた。


「分かっているなら、いいわ。そうよ。いつか死ぬわ。もちろん、あたしたち精霊も。行動一つで死の沼に落ちてしまうのよ」


 言いたいことを言い終えた精霊の姿が消えた。

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