36街道
「奥様……必ず戻ってきてくださいね」
「しばらく会えないなんて辛いです……」
王都へ出発する日の朝、玄関ホールに集まったメイドたちは、口々にリディアとの別れを惜しんでいた。
「少しの間、留守にするだけなのに。なぜここまで盛大な見送りになっているんだ」
大袈裟だと言うクラウスに、メイドたちが反応した。
「だって、奥様が屋敷からいなくなるんですよ?」
「週に一度の朗読会が楽しみだったのに!」
リディアが持っている本を少しづつ読み聞かせる会だ。最初はリディアの部屋で行っていたが、回数を重ねるごとに人数が増えたため、今では食堂でやっている。メイドたちの反応が素直で可愛いので、今度も続けていくつもりだ。
「冷害夫が手のひらを返して迫ってきたところを、主人公が軽くあしらうターンに入ったんですよ。続きが気になるじゃないですか!」
「そんなに気になるなら、フリッツにでも読んでもらえ」
「いや、そこで僕に振るのやめてもらえます?」
辺境に残るフリッツが苦笑している。
「フリッツさんか……」
「恋愛小説に興味ありませんよね?」
「無理しなくてもいいですよ」
メイドたちは薄く笑って、フリッツに優しく声をかけた。
「クラウス様。遠回しにお呼びじゃねえよって言われてる気がするんですけど?」
「気のせいだろ。仕事が増えなくて良かったな」
「仕事は増えませんでしたが、傷は増えましたね……」
リディアはすっかり落ち込んでいるメイドたちに言った。
「みんな。王都で新しい本を買ってくるわ。お留守番、よろしくね」
馬車に乗ると後からルカを抱えたシェーラも乗ってきた。ルカは置いていこうかと思ったが、まだ人間について勉強中だ。精霊だと知らない使用人に預けると、危険に巻き込まれるかもしれない。じゃれついたはずみで指が無くなってからでは遅いのだ。
クラウスも同じ馬車に乗り込み、扉が閉まった。走り出してしばらくすると、シェーラはごゆっくりと言って姿を消す。馬車の中を広く使えるように、という気遣いだ。馬車が止まれば、また出てくるだろう。
辺境内は問題なく通り過ぎた。よく知った領地内だからか、護衛たちの表情にも余裕がある。隣の領地との間にある関所では、緊張気味の騎士たちに見送られた。領主であるクラウスが視察も兼ねて通過すると思ったのだろう。
「通り道になる領地から、ぜひ立ち寄ってくれと言われているが、今回は歓待を受けないつもりだ」
「理由をお伺いしてもよろしいかしら?」
「理由は二つある。誕生記念の夜会には、絶対に遅刻できない。その夜会の前に、親族として会っておきたい。王都に到着する時間が遅くなれば、面会時間が減る」
「クラウス様。甥と遊びたいなんて考えておられます? 王子殿下はまだ三ヶ月。一緒に遊ぶのはまだ早いですわ」
「……君は俺の気持ちを代弁するのが趣味なのか」
「正解でしたか。ありがとうございます」
リディアは後ろからついてきている荷馬車を思い出した。人数分の荷物のほかに、誕生祝いが積み込んである。リディアが選んだ贈り物も入れた。受け取ってもらえるだろうか。
――子供はよくないものに狙われやすいのよ。王家ならそれなりの守護をつけているでしょうけど。念には念を入れないとね。
一番の動機はもちろん、クラウスが甥に会うのを楽しみにしているからだ。無粋な精霊や悪魔ごときが、クラウスの邪魔をしていいわけがない。
旅は順調に続いていたが、王都の隣にある領地に入った途端に足止めを食うことになった。
「申し訳ありません殿下」
町で一番上等な宿で顔を合わせるなり、謝罪をしてきたのは領主の息子だった。クラウスが領地を通過することは、あらかじめ領主に知らせてある。彼は関所に遣いを出し、近くの町でクラウスを待っていた。
「本来であれば父が殿下をお出迎えすべきですが、怪我により出歩くことが難しく……」
「構わない。それより街道で魔獣の被害が出ていると聞いたが?」
遣いは詳細を語らなかった。知らされていないのか、詳しく言えない事情があるのだろう。普通の魔獣ではないかもしれない。そう考えていたところに、領主の息子から聞かされたのは、奇妙な話だった。
「父は魔獣の討伐へ赴き、負傷して帰ってきました。ついていった騎士のうち、数名がまだ帰ってきていません。彼らから聞いただけですので、不明瞭なところもあるかと思います」
まず、街道を進んでいると、小さな人形から不気味な予言を聞かされるそうだ。
「怖いのが来た、喋ると吊るされる、と言って人形は消えるのです。通行人が何人も行方不明になっていますが、理由は分かりません。最初は盗賊の仕業かと思いましたが、荷物は全て残っていました。行方不明者の共通点もなく、悪魔や幽霊の類でもありません」
神官を呼んで現場を見てもらったが、絶対に悪魔ではないと言われたらしい。
「私も行方不明になった場所を見ました。魔獣がつけたような痕跡を確認できたので、通行人を襲っているのはおそらく魔獣なのでしょう」
「領主は――君の父親も、そう言っていたか?」
「はい。魔獣に襲われたと。残念ながら寝込んでしまいましたので、どのような魔獣なのかは不明です。供の騎士はさらに怪我が酷くて、会話ができる様子ではありませんでした。殿下が通過なさる前に片付けておきたかったのですが……」
「予言を言うのも魔獣か?」
「分かりません。木の皮を集めて作ったような外見です」
予言をする人形の姿を聞いたクラウスが黙ってしまった。
「殿下?」
「あ、ああ。なんでもない。行方不明者が出た場所を見に行きたい。この近くか?」
「いけません。危険です!」
領主の息子は血相を変えて反対してきた。
「殿下の武勇は存じ上げておりますが、相手は正体不明の化け物です。せめて調査が終わるまでは滞在していただくか、他の街道をお通りください。夫人もご一緒なのですから」
きっとリディアなら分かってくれると思ったのだろう。領主の息子が同意を求めるように見てきた。一般的な貴族女性なら、彼と一緒にクラウスを説得するものだ。
「私も喋る魔獣が気になるわ。教えてくださる?」
あいにくとリディアはクラウスの味方だ。彼がやりたいことを優先して支えるのは当然のこと。説得する相手は領主の息子であり、クラウスではない。
「いや、しかし……もし殿下たちに何かあれば……」
「心配せずとも、この領で俺が怪我をしても責任を追及することはない。こちらでも調査をして、手に負えなければ王都から増援を呼んでくる。これならどうだ?」
増援の二文字は、領主の息子にとって聞き流せない言葉だったに違いない。正体不明の魔獣を調査してくれる上に、討伐に必要な増援まで手配してくれる。表情から葛藤している様子が見てとれる。
「無理は、なさいませんよう……殿下は結婚なさったばかりなのですから」
「覚えておく」
クラウスの返事は素っ気ない。
行方不明者が発生した場所を教えた領主の息子は、案内人として関所で会った遣いの者を紹介した。彼は領主が怪我で寝込んでいるため、代理として他にもやることがある。くれぐれも気をつけるようにと、念を押して帰っていった。
「……結婚したばかりと言われて、幸せそうに微笑みながら、そうだなと返事をするクラウス様が見たかったですわ」
「願望を抱くのは勝手だが、口から出ないように気をつけなさい。寝言だと思われるぞ」
「寝言と思われても見たいものは見たいのです。それとも、結婚したことを後悔してますか?」
クラウスが完全に心を開いていないのは感じていた。リディアばかりが追いかけている。鬱陶しいと思われていないだろうか。
「後悔はしていない。君はよくやっているよ」
うつむいていたせいで、どんな顔で言ってくれたのか見逃してしまった。自信がなくても前を向きなさいと母親に言われていたのに。リディアが顔を上げたとき、クラウスはすでに部屋を出るところだった。
「まず喋る魔獣を探すぞ。証言が正しいなら、あれは君の専門だろう?」




