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35精霊屋敷6

「これはまた、ずいぶんと大きなものが開きましたね」


 崩れかけた塔に連れてきたシェーラは、感情が希薄な顔でそう言った。


「完全に入り口を壊すには、塔を解体してしまう他に方法はありません。ですが解体作業のために塔へ近づけば、まず間違いなくあちらの世界へ落ちてしまうでしょう」


 リディアは部屋から持ってきたナイフをクラウスに見せた。


 ナイフは刃の部分が錆びてしまっている。手入れをせず、屋外に放置してわざと劣化させた物だ。


 精霊は何故か錆びついた刃物を嫌う。劣化して朽ちかけているものは、精霊が入る器には向かないとシェーラから聞いたことがある。せっかく入っても、すぐに出ていくことになるからだそうだ。この特性を利用して、錆びた刃物を精霊避けに使ってる。


「クラウス様。今から私たちがやるのは、精霊が入り口を使いたくないと思うための小細工ですわ。精霊が近寄らなくなったら、入り口としての力が弱くなります。人間が通れなくなるほど弱まってから、解体工事をなさるのが良いかと」

「そうなるまで、どれくらいかかる?」

「およそ五ヶ月ほどでしょうか。あまり急いで精霊を排除すると、彼らの怒りを買いますので。穏便に進めないと」

「そうか。精霊を怒らせるのは本意ではない。どうせ元々使っていない場所だ。焦らずやろう」


 クラウスなら、そう言ってくれると思っていた。やはり精霊のことを理解してくれる人は付き合いやすい。

 リディアはシェーラにナイフを渡した。


「お願いね」

「かしこまりました」


 シェーラは刃に触れないよう、慎重に柄の部分を掴んだ。これまで見た中で、最高に嫌な顔をしている。


「そんなに嫌なのか?」

「刃物の錆に触れることは、人間で例えるなら、厨房に出てくる黒い虫を素手で掴むようなものです」


 クラウスが尋ねると、シェーラは極端な例を出してきた。例の黒い虫を想像してしまったらしいクラウスは、可哀想なものを見る目でシェーラに優しく言う。


「……断ってもいいんだぞ」

「いいえ。人間が入り口に近寄るのは危険です。この中で精霊は私だけ。もしあちらの世界へ入ったとしても、すぐに出てこられます」


 なるべく刃を見ないように、シェーラが入り口へ近づいた。ちょうど出てこようとしていた歩く植物の集団が、ナイフを見つけて急いで引き返していく。血の気が引いた顔で人間には理解できない言葉を発し、押し合いながら入り口へ殺到する様子は、なかなか貴重な光景だ。


「クラウス様。あそこに珍しい炎の精霊がいますわ」

「いかにも植物の精霊という見た目のくせに、炎?」

「花に見える部分が揺れているでしょう? あれが彼らの命である炎です。気に入った相手を見つけたら、そっと頭の炎を相手に灯して気持ちを伝えるのですわ」

「なんでだろうな。俺には気に入った相手に火をつける放火犯としか聞こえないんだが」


 最後尾にいた精霊の炎が、前にいる精霊の葉に触れた。勢いよく燃え上がった炎は精霊の体全体に広がっていく。火をつけてしまった精霊は、オロオロと燃えている精霊の周囲をうろついたあと、一目散にあちらの世界へ走り去った。


 残された精霊はしばし呆然としたあと、慌てて追いかけていく。きっと新しい出会いが始まったのだろうと、リディアは好意的に解釈することにした。


「……盛大な恋の炎だったわね。トラブルから始まる恋もあると思うわ」

「恋の炎って物理だったのか。てっきり比喩だと思っていたよ」


 シェーラは大きく振りかぶって、錆びたナイフを入り口へ投擲した。ナイフが吸い込まれていった途端、中から多種多様な絶叫がこだまする。


「くっ……」


 クラウスが耳を両手で塞いだ。精霊の姿が見えない彼は、耳だけで精霊の存在を感じている。そのため聴覚が発達して、リディアが聞いているよりも大きな音が聞こえているようだ。


 リディアはハンカチをクラウスの頭に被せた。


「静かにしてね」


 人型に切った紙に話しかけ、ハンカチに乗せる。完全に音を消すことはできないが、少しはましになっただろう。


「……これのどこが穏便な方法なんだ? 人混みに火球を投げこんだような騒ぎじゃないか」


 まだ耳に違和感があるらしく、クラウスは苦しそうに言った。文句を言う元気があるなら大丈夫だ。


「穏便ですわ。殺していませんから」

「俺が考える穏便とは違うようだな」

「言葉で伝えても、彼らは従ってくれません。自分たちに害がなければ、欲求に従って行動するのです。毒餌を撒いて、あの塔は危険だと知らせる方法もありますが……精霊の死体が散乱することになりますので」

「ああ、そうか。君は精霊が見えているから」

「ルカが食べると危険です」


 不自然な沈黙が流れた。


「やはり食べるのか」

「食べます」


 ルカはただの子犬ではないと改めて知ったクラウスは、少し寂しそうだった。普通の犬も飼うことを勧めてみようか。


「ルカにとって、精霊は食料か?」

「食料というよりも、強くなるためですわ。取り込んだ精霊の力と記憶の一部を、自分のものにするのです」

「じゃあ、食べさせたほうがいい?」

「取り込んだ力の影響で姿が変わることもありますわ。あまり節操なく食べさせるとああなるかもしれませんね」


 高い空を飛んでいるミズダコを指さした。見上げたクラウスの頭からハンカチが落ちる。


「頼む。犬以外の姿にはしないでくれ」

「角ぐらいは許していただけますか?」

「いいよ。尻尾が二股になってもいい。あの軟体生物じゃなければ、許可する」


 心が広い夫で良かった。これで安心して育てられる。あとはシェーラと相談をして、育成の方向性を決めていこうとリディアは企んだ。


 見た目は犬。中身は異形。大切なクラウスを守るためだ。襲ってくる者は跡形もなく食われるかもしれない。


 ――襲ってくるほうが悪いのよ。平穏な生活を脅かすなら、相応の代償を払わないと。


 少なくとも、やった者勝ちにはさせない。


 入り口が静かになった。風景の揺らぎもほとんど消え、リディアにも扉が見えるようになっている。


「あとは定期的にナイフを投げ込めば、入り口としての機能は消えるでしょう。次は王都から戻ってきたあたりでしょうか」

「つまり、定期的にあの叫び声を聞くことになるのか」

「ご安心を。投げ込む前に予告いたしますので」

「どのあたりが安心できるか分からんが、よろしく頼む」

「お嬢様」


 仕事を終えたシェーラが戻ってきた。ハンカチでナイフを持っていた手を拭きながら、屋敷のほうを気にしている。


「先ほどの処置で、いくつかこちらの世界に精霊が逃げてきました。屋敷へ向かった精霊もいるのでお気をつけください」

「あら。大変。屋敷には精霊避けも設置したのよ。罠にかかっていないといいけれど……」


 リディアの嫌な予感は、人間のものではない叫び声で確信に変わった。シェーラが失礼しますと言って、ひと足さきに屋敷へ駆けていく。


「リディアローゼ。君という奴は……」

「ご、誤解ですわ」


 何が誤解なのかリディアにも分からないが、このままではクラウスの好感度が下がることは察した。


「精霊の中には人間に害を与えるものがいます。クラウス様が精霊に魅了されて連れて行かれないに、守っているだけです!」

「軟体生物を相手にするほど飢えてないぞ。というか、あちらの世界は人間の常識外の見た目なんだろう? 死んでも行きたくない」


「うぅっ……クラウス様が精霊を理解するほど、精霊への好意が下がっていく……でも精霊を警戒してくれたほうが誘拐されにくいし……私はどうすれば?」

「その葛藤は屋敷の中を確認してからにしてくれ。罠と言ったな? どんな惨状が待っていることやら」

「その場から動けなくしているだけですわ」

「どうせ無理に動いたら腕や足が取れるような罠なんだろう? あんな叫び声で無傷なほうが驚くわ」

「クラウス様がそこまで私のことを理解してくださっているなんて……結婚して良かった」

「はいはい」


 クラウスはリディアのハンカチを拾った。差し出された手を掴むと、軽く引っ張られた。


 発言は軽く流したくせに、リディアをエスコートして屋敷へ戻るのはずるい。また一つ好きな理由ができてしまった。



***



 人間が寝静まったころ、シェーラは静かに屋敷を出た。敷地内を見回っていた護衛の目を盗み、崩れかけた塔へ向かう。


 虫の声に紛れて、精霊たちが囁いている。


 人間が来た。ようこそ。こんにちは。それとも、さようなら。


 塔の入り口は、水面のように揺らいでいた。こちらとあちらを隔てているのは薄い膜だけだ。


 シェーラは入り口に落ちていた新品のナイフを拾い上げた。表面に塗られた液体は、おそらく毒だろう。


 膜を通り抜けてあちらを覗いたシェーラだったが、すぐに戻ってきた。


「遅かった」


 リディアにどう報告しようか。


 おそらく侵入者は塔から屋敷を観察しようとしたのだろう。ここは適度に屋敷から離れており、隠れる場所には困らない。一応、護衛たちはここも巡察しているが、辺境伯の言いつけを守って中に入ろうとしなかった。


 あちら側へ迷い込んでしまった人間を連れ戻すことは可能だが、心までは戻ってこないかもしれない。辺境伯を狙っていた者を、リディアは手間をかけて癒そうとするだろうか。


 シェーラは自分なりに考えた結果、見なかったことにした。


 これは不幸な事故だ。侵入者がいた証拠はシェーラが持っているナイフだけ。シェーラはナイフをあちら側へ放り投げた。これで何も残らない。後ろ暗いことをしている人間が一人消えただけ。辺境伯を問い詰める者なんていないだろう。


「いえ、報告だけはするべきですね」


 塔の周辺に不審者がいたのだ。見晴らしがいい場所でも侵入できる技術を持った者がいると知らせるのは、決して無駄ではない。


 もう一度、あちら側へ渡る。侵入者の体を探ってみたが、身元の手がかりになりそうなものは何も持っていなかった。


 リディアの部屋へ戻ったシェーラは、静かに伏せているルカを見つけた。昼間の人懐っこい姿とは違う。獲物を待ち伏せしている猟犬のように、目が爛々としていた。


「敵、いた?」


 ルカが覚えたばかりの言葉で聞いてきた。


「あちらへ行った。もう手遅れ」

「手遅れ?」

「壊れた。主人に献上できない」

「わかった。残念」


 ルカは面白くなさそうに寝転がった。だがすぐに起き上がり、シェーラに近づいてきた。


「シェーラ、お世話する精霊。でも敵を狩るのはなぜ?」


 ようやくルカが周囲を気にするようになった。今までは自分の気持ちが最優先で、可愛がられることばかりを考えていたのに。


 人間社会を学ぼうとしているところを感じ取り、シェーラは感心した。このまま普通の犬と同じか、それ以上の早さで成長してくれたら、他の人間に犬だと言い訳ができる。


「こちらの世界にある物質と融合した精霊は、物の記憶と役割を思考の主軸にします。私は貴族女性を守るために作られた物に、己の価値観を委ねました。ゆえにリディアローゼを守るのは、私の役目なのです」


 ルカが混乱して動かなくなった。どうやら難しい言葉を使いすぎたようだ。


「つまり、リディアローゼを守るのが私の仕事。守る仕事の中に、彼女のお世話と敵の排除が入っているのです。今は難しくても、そのうち理解できます」

「わかった。そのうち理解する」


 シェーラはクラウスのようにルカを撫でてやった。ルカの尻尾が左右に振れる。


「少し休みます。夜間の警備は任せました」


 精霊に肉体的な疲労はないので、人間のように眠る必要はない。だが自分の体を構成する霊力を蓄えるために、活動を休止する必要があった。


 体に使っている霊力の供給を止めると、真っ先に視界が暗くなる。肉体が煙のように消え、感覚は薄暗いところにいる自分の本体と同調した。


 ――やはり落ち着く。


 人間と同じ姿になって動き回るのもいいが、本来の姿になるのが最も安心する。シェーラは人間のように視界を閉じ、意識を断絶させた。

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