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30精霊屋敷

 鉱山から帰ってきた翌日、やけに精霊たちが騒がしかった。興味があるものを見つけたのだろう。しきりに動き回り、小さな声で話し合っている。リディアが近づくと、教えてもいいのか分からないと言って逃げてしまった。かろうじて聞き取れたのは、よその地域から知らない精霊が来たことだけだ。


 精霊が定住している地を離れて移動するのは、珍しいことではない。風の精霊は自由気ままに世界中を飛び回っているし、光の精霊は大半が太陽を追いかけていく。痩せてしまった土地を嫌って、引っ越す精霊もいる。


 ――どんな精霊が来たのかしら。


 リディアは好奇心を抑えきれずに窓を開けた。人間を嫌っていないなら、会話ができるかもしれない。移動してきた理由が土地の荒廃なら、クラウスに報告が必要だろう。単なる気まぐれで旅をしてきた精霊なら、知らない土地のことを教えてもらえるかもしれない。


「どこにいるのかしら」


 部屋から見える範囲にはいない。外へ出て探そうとしたリディアの耳に、使用人の叫び声が聞こえてきた。


「裏口ね?」


 精霊に尋ねると、そうだと答えがたくさん返ってきた。

 急いで部屋を出たリディアの後ろから、シェーラが無言でついてくる。


 裏口を通って庭へ行くと、尻餅をついたメイドが見えた。すぐ近くに若い庭師もいる。仕事で使っている剪定ばさみを剣のように構え、前方の何かを警戒していた。


「あら?」


 見覚えのあるものがいる。


「リディアローゼ。これは君の仕業か?」


 遅れてやってきたクラウスが呆れたように言う。


 庭に乱入してきたのは、銀鉱山の魔獣を退治する際に作った鉱石の犬だった。一時的に弱い精霊と契約しただけなので、リディアが魔術を破棄すると解放されたはずだ。


 鉱石の犬は、かろうじて形を保っている状態だった。銀鉱山の時よりも一回り以上も小さくなっている。鉱石以外に、どす黒く染まった土も混ざっていた。どうやら魔獣の血に含まれた魔力を取り込み、屋敷までやってきたようだ。


 叫び声をあげたメイドと庭師は、魔獣が侵入してきたと思ったのだろう。可哀想なことをしてしまった。


「解放したのですけれど……こんなことは初めてだわ」


 契約を終えたにも関わらず、形を保ったままリディアに会いにきた。伝えたいことでもあるのか、尻尾を振ってリディアに近づいてくる。


「危険な状態か?」

「お嬢様。下がってください」


 クラウスとシェーラが同時に前へ出た。とたんに犬は尻尾を丸め、怯えたように動かなくなった。


「……子犬ですね。危険はありません」


 鼻で笑ったシェーラは、犬を鷲掴みにしてひっくり返し、面白くなさそうに言う。


「ねえ。クラウス様」


 後ろからクラウスの袖を掴み、リディアは小声で話しかけた。メイドたちは精霊のことを知らない。混乱させたくなかった。


 クラウスは無表情でリディアを見下ろし、冷たく聞こえる声で言った。


「君が何を言おうとしているのか、当ててやろうか。飼いたいんだろう? あれを」

「まあ。私のことをよくご存知なんですね。愛の力かしら」

「今までの行動パターンから連想しただけだ」

「飼ってもいいかしら? 戦闘を経験して、魔獣の血を取り込んだ影響で自我が芽生えたのかもしれないわ。放置するほうが危険です」

「……君が責任を持って世話をするなら」


 犬とリディアを交互に見たクラウスは、意外なことにあっさりと許可を出してくれた。


「あと、見た目をどうにかできないか? 犬の死体にしか見えない」

「自信はありませんけれど……できるだけやってみますわ」


 メイドと庭師には、ただの汚れた迷子犬だと説明をした。二人は半信半疑のようだったが、主人であるクラウスも口添えしたおかげで、信じる気になったようだ。


 犬を崩れかけた塔がある付近へ連れてきたリディアは、まず話しかけてみることにした。


「ねえ。あなたは私に会いに来たのよね?」


 犬は嬉しそうに尻尾を振っている。


「私に伝えたいことがあるの? それともそばにいたいだけ?」


 尻尾の動きだけでは分からない。


「あなたが喋れるようになるまでは、分からないわね。十分な力を蓄えるまで、犬のふりをしていてね」


 今度は腹を見せて寝転んだ。胸から腹にかけて撫でると、見た目を裏切らない鉱石の硬い手触りだった。これを犬と言い張るのは難しい。


「このままだと一緒にいるのは厳しいわね。あなた、もっと犬っぽくなれる? 人間社会に溶け込めないと、討伐されてしまうわよ」


 犬の姿を説明しながら魔力を流してやると、鉱石の体が崩れ始めた。中に含まれていた銀が姿を現し、一つの塊になっていく。


 不純物が取り除かれた銀塊は、とても小さい。小指の爪ほどしかない銀塊がコロコロと地面の上を動き回り、質素な指輪になった。


「まあ。賢いのね」


 自分から核となる本体を作った精霊は初めて見た。


 褒められたと感じた犬は、指輪の体でくるくると回り、今度は真っ白な子犬の姿になった。


「すごいわ。ちゃんと姿を真似できたじゃない」


 なんとなく、顔が退治された魔獣に似ている。血を取り込んだことで、ある程度の記憶も引き継いだのだろうか。


「今日から、あなたは番犬になるのよ。一緒にクラウス様を守りましょうね」


 犬は小さな尻尾を振りたくり、リディアに向かって可愛く吠えた。



***



 リディアが犬を拾った。正確には犬ではないが、便宜上は犬と言うしかない。


 幸い、あの鉱石を寄せ集めた姿を見たのは、メイドと庭師の二人だけだ。泥で汚れ、毛が絡まっているせいで、恐ろしく見えただけだろう。そんな理由を後からでっちあげ、なんとか納得してもらった。


 クラウスはサロンを走り回る真っ白な子犬を見ていた。


 リディアが投げた布のボールを追いかけ、小さな口で噛みついては彼女のところへ持っていく。もっと遊んでほしいのだろう。期待に満ちた目は輝き、細い尻尾で喜びを表してた。


「絵になりますねー」


 サロンに入ってきたフリッツが微笑ましそうに言った。クラウス宛ての手紙を差し出してくる。差出人はフリッツの上司だった。


「そうか?」


 受け取ったクラウスは、手紙を上着の内ポケットに入れた。休憩中の今は仕事に関することから離れたい。


「絵に興味ありませんか?」

「描くことに興味はない。構図や題材について聞かれても、答えられるだけの知識もないしな」


 フリッツが言う通り、リディアと子犬は絵の題材になりそうだった。無邪気に戯れる子犬を見守るリディアは、優しく慈愛に満ちた目をしている。対象が子供でも成立しそうだ。


 リディアに撫でられた子犬は、ころりと転がって腹を見せた。


 貴婦人と子犬。


 題名をつけるなら、そんな個性のない名前になるだろう。よほど名前が売れている画家でなければ、埋もれてしまいそうなほど、ありふれた題材だ。


「夕方になったら散歩へいきましょうね」


 リディアは子犬の首に、赤い首輪を巻いてやった。


「いいこと? 将来は馬の速さについていけるようになるのよ。クラウス様の狩りや魔獣の討伐についていかないとね。あなたが敵を探して仕留めてもいいのよ?」

「君は純粋な気持ちで犬を愛でられないのか」


 リディアの顔は笑っていても、目が真剣だ。本気で戦闘用の猟犬に育てようとしている。


 どうせ笑顔の理由は、子犬の可愛らしさ由来ではないと思っていた。予想通りの結果に、頭痛がしそうだ。


「面白い奥様ですね。羨ましい」


 なんの責任もないフリッツが、無責任なことを言う。


「代わってやろうか」

「ご冗談を」


 フリッツは逃げるようにサロンから出ていった。


「あっ」


 フリッツが出ていってすぐに、リディアが子犬の口元から何かを出そうとしている。


「駄目よ! それは食べちゃ駄目!」

「助けてー」

「食べられる!」


 精霊の声がクラウスの横を通り抜け、開け放した窓から外へと逃げていく。どうやら子犬は近くにいた精霊を食べようとしたらしい。


「いいこと? 精霊を食べるのはまだ早いわ。今はクラウス様の犬になることだけを考えるのよ」


 精霊は精霊を食べることがあるらしい。食物連鎖のような力関係があるのだろうか。クラウスは一度も、精霊同士が争っている声を聞いたことがないから知らなかった。


 精霊という名前も分類も、人間が勝手につけたものだ。精霊にしてみれば、動物や植物と同じくらい大雑把な仕分けなのかもしれない。


 クラウスは無言で立っているシェーラに話しかけた。


「……君も精霊を食べるのか?」

「この付近にいるのは、あまり美味しくありません」

「そうか」


 すでに食べたらしい。


 シェーラは小首を傾げてクラウスを不思議そうに見つめたあと、あっと小さな声をあげた。


「ここへ来てからは、喋っているものには手を出しておりません。もっと弱くて大量にいる精霊です。あれらは人間の食糧で例えるなら、葉物野菜に該当するかと」

「へぇ。なるほど」


 君はサラダ感覚で精霊をつまみ食いするのか――クラウスは言いたいことを飲み込んだ。


 子犬がシェーラに怯えていた本当の理由が分かった気がする。あれは捕食されると思っていたのだ。飼い犬になった今もシェーラが近づくと、びくりと体を震わせてリディアに体を寄せることがある。


 精霊について余計な知識が増えてしまった。


「……そういえば、名前は決まったのか?」


 目的はともかく、可愛がっているなら名前ぐらいはつけただろう。

 リディアは子犬を抱いて、困った顔をした。


「まだ決まっていないのです。グリンブルと名付けようとしたら、シェーラに止められてしまいました」

「だろうな」


 今なお語り継がれる、百年前の大量殺人鬼と同じ名前だ。クラウスは有能な侍女を心の中で称賛した。


「強く育ってほしいという願いをこめたのに」

「強さはともかく間違った方向に育つだろうよ」


 田舎の子供でも知っている不吉な名前の犬なんて飼いたくない。


「もっとありふれた名前のほうがいいかしら? 熊太郎?」

「そうか。君の周りでは、そんな名前がありふれているんだな」


 このままだと、とんでもない名前で犬を呼ぶ羽目になりそうだ。


「もっと見た目に近い言葉にしたらどうだ? 女性の間では食べ物の名前をつけることが流行っていると聞いたが」

「見た目とか、食べ物ですか?」


 リディアは首を傾げて、思いついた名前で犬を呼んだ。


「マッシュポテト?」

「却下」

「白パン」

「うん。神は君に名付けの才能を与えなかったようだな」


 妻のセンスが壊滅的なことが判明した。クラウスは犬の命名権を取り上げることにした。リディアには可哀想なことだが、放置しておくと犬が可哀想だ。


「名前は俺が考えておくから」

「まあ。よろしいのですか? 実は名前を考えるのが苦手で……助かりますわ」


 だろうな――クラウスは言いかけた言葉を我慢した。


 クラウスは犬が好きだ。見た目だけでなく、人に寄り添う友になれるところが。躾次第で賢くなり、共に狩りもできる。


 猟犬や警備のために王城で飼われていた犬は、全て名前と性格を覚えていた。自分で飼うことはできなかったが、世話係に頼んで触れ合う機会を作っていたほどだ。いつか飼おうと思っていたものの、憧れが強すぎたのか最初の一歩が踏み出せなかった。


 こんなにあっさりと犬を飼うことになるとは思わなかった。


 ――中身は普通の犬じゃないけどな。


 生き物と呼んでいいのかすら分からない。





 執務室で届いた手紙を読んでいると、子犬がボールを咥えて入ってきた。入り口付近でウロウロしていたが、クラウスと目が合うと尻尾を左右に振る。


「遊びに来たのか?」


 声をかけてやると、尻尾の動きはさらに激しくなった。下にボールを落とし、鼻先でこちらへ押しやる。クラウスが遊んでくれる人だと信じて疑わない。


 これだから、犬は可愛いのだ。

 クラウスは手紙を鍵付きの引き出しに入れた。


 ボールは子犬が咥えやすいように、柔らかく作ってある。丈夫な端切れを縫い合わせたもののようだ。振ると鈴の音がした。


 何度か投げて遊んでやると子犬は満足したのか、床に座っているクラウスの近くで伏せた。


「お前はどんな成犬になるんだろうな」


 子犬の耳は大きく、先が尖っている。音がする方向にすぐ顔を向け、好奇心もあるようだ。


「足が太いな」


 大きく育つのかもしれない。クラウスが知っている大型犬はみな、子犬の頃は足が大きかった。


 前足を触って骨格を確かめていると、子犬は戯れてクラウスの手を甘噛みしてきた。


「こら。俺の手はおもちゃじゃないぞ」


 子犬の口から手を離して、膝の上に乗せてやった。子犬はしばらくモゾモゾと動き、やがて居心地がいい場所を見つけて動かなくなる。頭から尻尾にかけて撫でてやると、安心したのか目を閉じた。


「ルカにしようか。お前の名前。邪竜を退治した俺の先祖の名前だぞ。本当かどうかは分からないけどな。強くならなくてもいいから、健康で長生きしろよ」


 子犬は同意するように、一度だけ尻尾を振って眠ってしまった。



***



「あああぁ。クラウス様が、あんな優しい顔で犬と接しているなんて……」


 リディアはこっそりと執務室をのぞき、尊い光景に脱力した。


 ボールを持って逃げた犬が執務室へ入っていった時は、クラウスに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。仕事の邪魔をしてしまったことを詫びようとしたリディアの耳に届いたのは、クラウスが優しく子犬へ話しかける声だ。もっと聞きたいと思っているうちに、執務室へ入る機会を逃してしまった。


 悪いことばかりではない。クラウスが犬好きということが判明したし、仕事を中断してまで遊んであげる優しさも見ることができた。


「生きてて良かった……」


 色々と辛いことはあったものの、世の中に絶望して死を選んでいたら、この光景に遭遇できなかった。


「お嬢様の表現は少し大袈裟ではないでしょうか」


 いつの間にか出てきたシェーラが、呆れたように言う。


「いいのよ。好きな人が存在している空間ごと、私は愛しているんだから」


 気配に気がついたクラウスが声をかけてくるまで、リディアは犬を撫でる夫の姿を眺めていた。

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