3 婚約は唐突に
王都から遠く離れた辺境で、クラウスは届いた知らせに耳を疑った。
「結婚? 俺が? 何かの間違いだろう」
「いいえ。国王陛下から直々に手紙を託されましたので、間違いではありません。ご丁寧に内容まで教えてくださいましたよ」
クラウスの疑問に答えたのは、補佐役として情報局から派遣された男だ。物腰が柔らかく警戒心を抱かれにくいが、中身は油断ならない男だとクラウスは知っている。
「なぜだ。この手の話は絶対に来ないと思っていたが……」
「婚約破棄騒動をやらかしたバカ王子だから、ですか? あんなものを信じているのは、噂に踊らされている愚か者か、現実を認めたくない敵対勢力ぐらいですよ」
「フリッツ」
「事実です」
フリッツと呼ばれた男はそう言って、厄介な命令が書かれた手紙を机に置く。
王都から遠く離れた辺境で、クラウスは父親である国王の狙いを考えていた。何度読み直しても、とある家の令嬢と結婚しろとしか書かれておらず、詳しい説明はない。手紙を盗み読まれた場合を考慮して詳細を省いているにしても、手掛かりぐらいは残しておいてほしかった。
「……拒否権は無いんだろうな」
「はい」
フリッツはクラウスに見えるよう指を折りながら付け加えた。
「まず、離縁は許さないと伝言を預かっています。それから結婚して早々に別居、時期を見て離婚も駄目です。花嫁にわざと嫌われるように仕向けるのも駄目だそうです。白い結婚の選択肢は最初から潰されていますね。あきらめましょう」
「余計なことを……結婚する気はないと何度も言ったのに」
「それは無理ですよ。むしろ、あれだけのことをしたから、お父上もさっさと結婚させようと思ったんじゃないかと。結婚すれば守るものが増えて無茶しなくなるんですよ」
「もうすでに辺境という守るものがあるんだが?」
「僕に言われても」
ヘラヘラと笑うフリッツに文句を言ったところで、結婚を命じてきた父親に苦情は届かない。クラウスは自分に何の相談もなく結婚が決まったことに腹を立てたものの、今更取り消せるものではないと察して諦めた。
元々、自分の結婚は自由に相手を選べるものではない。早かれ遅かれ、決まっていただろう。
「相手は了承しているのか?」
「快く返事したらしいですね」
「そこに令嬢本人の意見は入っていないのだろうな」
「肯定とも否定とも言えませんね。でも貴族の結婚って、そんなものですし」
自身も貴族のフリッツは、あっさりと言う。
「相手は誰だ。さすがに蹴落とした家の令嬢ではないだろうが……リディアローゼ・フォン・キースリング?」
クラウスは記憶の片隅から、かろうじて家の情報を掬い上げた。
「存じ上げませんか?」
「いや……家は知っている。キースリング子爵か。文官だったな。魔術師の一族から妻を迎えたことぐらいしか、目立つ情報がない」
「政治に深く入り込んでいないから、候補に選ばれたのかと。揺さぶって味方につけたところで、無名すぎて影響力は皆無。こう言ってはなんですが、道端の石が転がった程度でしょう」
男の言葉は辛辣だが、大きな流れを変える力がないという意見には同意だった。
「娘を使って殿下を操ろうと考える者もいるかもしれませんが……殿下が令嬢を優先して動くかどうかは未知数です。キースリング子爵家を支配下に置く動きはあるでしょうね」
「キースリング子爵家の親戚は関与してくると思うか?」
クラウスの記憶が正しいなら、キースリング子爵夫人の兄は、国内外に名の知れた魔術師だ。クラウスと個人的な付き合いはないが、魔術師団の団長に就いている人物なので名前と功績はよく知っていた。
「キースリング子爵夫人が生きていた頃は交流していたようですね。令嬢が十一歳の時に病気で亡くなり、それ以降は行き来することが減った、と」
フリッツは手帳を見ながら言った。クラウスのところへ王からの手紙を持ってくる前に、一通り調べたようだ。
「夫人は亡くなっているのか」
「ええ。父親は妻の死から一年ほどで再婚したみたいです。恋愛からの再婚ではなくて、親戚からの勧めで。子供のために母親役が必要だったのかもしれませんね。良き母親役ができているかどうかは別ですが」
継母と子供の関係が上手くいかないのは、よく聞く話だ。だがフリッツは継母側に問題がある言い方をしている。
「外部の人間に知られるほどの問題があるのか?」
「継母とその子供はよく外出しているようですが、キースリング子爵令嬢はほとんど姿を目撃されていません。どうも父親の代わりに家の実務をしているようです。あの家から提出される書類は、彼女の筆跡ですね」
「……実子に負担を押し付けて、自らは放蕩三昧か? いや、放蕩するほどの資産があるのか?」
「とある貴族の遺族が、愛人だった継母と縁を切るために、王都の不動産を譲渡しています。そこの家賃収入で遊んでいるようですね。それでも豪遊するほどではないかと」
「なるほど。いい身分だな」
仕事をせずに遊んでいられる立場なのは羨ましい。素直に感想を言うと、フリッツも同意した。
「キースリング子爵令嬢も魔術師なのか?」
「そこまでは調べられませんでした。国に登録されている魔術師名簿には名前がありません。上手く隠しているのか、魔術の才能を受け継いでいないのか……」
あえて隠していることもあり得る。クラウスもいくつか魔術を扱えるが、暗殺などを警戒して全ては明かしていない。
「何を考えて彼女を選んだんだ。王都育ちの令嬢が辺境の暮らしに耐えられるとは思えん。それに俺の噂を知っていれば、拒否するのでは?」
「王家からの打診を、たかが子爵令嬢が拒否できるとでも?」
フリッツは手帳を閉じた。
「とにかく結婚の話は伝えました。花嫁を迎え入れる準備はこちらで行いますから、殿下は結婚式の準備を。といっても、逃げずに王都へ行くぐらいしかありませんけど」
女性が好む内装や必需品のことなど知らないクラウスには、ありがたい申し出だった。
「令嬢の調査はどうしますか?」
「続けてくれ。彼女が選ばれた理由を知りたい。絶対に、表に出ていない事情があるはずだ。俺も父上へ近況を報告するついでに探ってみる」
辺境は隣国と国境線を接している。王国の盾としての役割の他に、魔獣被害への対処も仕事のうちだ。領主の屋敷を留守にしていることも多いため、妻になる者にはクラウスの代理として動いてもらう必要があった。そんなところに何もできない女性を嫁がせるとは思えない。
息子として国王の人となりはよく知っている。キースリング子爵令嬢が持っている何かが、辺境で役に立つと考えたのだろう。
――暗号でも何でも使って、知らせてくれたらいいのに。
どうせ王都へ来た時に言えばいいとでも思っているに違いない。昔から父親は家族に対して話し合いが足りていないところがある。
クラウスは手紙を鍵付きの引き出しに入れ、苛立つ気持ちを鎮めた。