28坑道の魔獣3
魔獣の解体が終わり、素材の大半は町へ渡された。荒れてしまった坑道や広場の修復費用に充てるためだ。余った費用は町の予算にする予定だと坑夫が教えてくれた。
「山から降りてくる魔獣やら、どこからか流れてくる盗賊の対策ですよ。あいつら、こっちの生活なんてお構いなしに荒らしてきやがる。領主様が来てからは騎士団の巡回が増えて被害が減っているんですけどね。全く出ないわけじゃない」
「魔獣の素材を売ったら、お金があると思われるんじゃない?」
会話が聞こえていた護衛の一人が言った。
「高額になる素材は取引をしたら目立つから、換金してから渡します。それに素材は売るだけではなくて、加工して使うこともありますよ」
今回出た魔獣なら、蛇の尾は丈夫なベルトになるそうだ。毛皮も使い道がある。どれをどう分配するかは、鉱山町の人間に任せている。
「あなたたちも素材をもらったの?」
「もらう時もありますね。売るのが面倒なんで、俺は給料に上乗せしてもらってますよ」
全てが終わったのは、とうに日が暮れた頃だった。
「今夜はここにお泊まりになっては? 夜道は危険です。今日は月も出ておりませんし……」
ヘルゲに提案されたクラウスは、迷っている様子だった。山を降りれば屋敷までは平坦で知っている道だ。彼だけなら帰還を選んだのではないだろうか。
「急いで帰らなければいけない用事はありますか?」
「いや。ない。そうだな……旅慣れていない君を連れて、夜道を進むのは危険か。世話になろう」
領主が滞在すると知った町の者は喜んでいた。町に一つだけある宿へ案内し、酒の準備を始めた。
「酒を飲むために来たわけでは……」
「そうおっしゃらずに。戦勝記念ということで」
乗り気ではないクラウスを、ヘルゲが上手に説得している。結局は好意を無碍にできなかったクラウスが折れ、宴会が始まってしまった。
リディアは酒を飲まずに女性の輪に混ざっていた。鉱山町の生活は王都とどこが違うのか興味がある。話し相手になってくれた女性たちもまた、貴族の生活を知りたがった。
「家のことを考えて結婚しなきゃいけないんでしたっけ? 子供の頃から婚約者がいるとか」
一度は聞かれると思っていた。リディアは集まっている女性たちへ説明した。
「子供の頃に婚約者が決まるのは、意外と少ないのよ。だいたい思春期ぐらいから婚約者探しが始まるわ。でもね、家のことを考えた結婚って、貴族以外もするでしょう?」
「してた?」
「ちょっと思いつかない……」
「たとえば店を構えている商人とか。職人の家でも、優秀な弟子と娘を結婚させるそうじゃない」
リディアが聞き齧った例を出すと、彼女たちは思い当たることがあったらしい。口々に誰かの名前が挙がっていく。
「私のお爺ちゃんが婿養子だったわ。忘れてた」
「行商に来てる人、奥さんとは見合いで出会ったって言ってたわ」
「リディアローゼ様は結婚に不安とかなかったんですか?」
「ないわ。むしろ楽しみだったの」
「詳しく聞きたいです!」
みなリディアが話すのを待っている。期待して静かにされると、話さなければいけない気分になってきた。
「いいわよ。じゃあクラウス様がどんなに魅力的か、語ることにするわ」
それから、リディアは当たり障りのない範囲で彼女たちに語って聞かせた。気分が乗って少し誇張してしまったかもしれないが、彼女らは飲酒をしているので明日には忘れているだろう。
一通り語り終え、今度は女性たちの恋愛について聞かせてもらった。身分の違いはあるものの、恋愛に対する憧れにそう違いはない。
楽しい時間はすぐに過ぎてしまう。そろそろ解散しようかと男性側から声をかけられ、名残惜しいまま別れた。
「楽しんでいたようだな」
宿の部屋へ行く途中、クラウスが話しかけてきた。
「ええ、とても。もっと時間が欲しかったわ。そちらも盛り上がっていましたか?」
「それなりに」
途中までついてきた護衛は、部屋の前で立ち止まった。今夜は廊下で警戒するようだ。平和そうに見える町でも、全員がクラウスに好意を持っているとは限らない。
護衛には後で差し入れを持っていったほうがいいだろうか。
宿の主人の好意によって、リディアとクラウスは二階の同じ部屋だった。ベッドが二つ並んだだけの殺風景な室内だ。鉱山町に泊まるのは行商人か巡回警備の騎士しかいない。内装に力を入れなくてもいいのだろう。
「……これは、ベッドをくっつけるべきですよね?」
「必要ないな。一人でゆっくり寝たい」
「寝相が悪くて、そちらのベッドへ入ってしまうかもしれません」
「余計なことをしたら、朝まで気絶していてもらうぞ」
あわよくば同じベッドで眠りたいという下心は、即答で拒絶された。
クラウスは扉側のベッドに腰かけ、もう眠る気でいる。ほんのり頬が赤く、だるそうだった。
「だいぶお酒を飲みました?」
「飲まされた。坑夫が飲む酒は強すぎるな」
「部屋に入るまで、酔った姿を見せないのは素敵です」
ようやくリディアにくつろいだ姿を見せてくれた。着実に信頼を得ているような気がして、心に温かいものが広がっていく。
リディアは一階へ降り、宴会の跡を片付けていた宿の主人を探して声をかけた。水差しとコップを借りたいと言うと、主人は要望通りのものに加えて、小さな焼き菓子までつけてくれた。
階段の途中でポケットからカフスボタンを出す。
「これは大丈夫?」
小さな声が聞こえる。水や焼き菓子に危険なものは入っていない。
焼き菓子は護衛に渡し、部屋に入った。クラウスはベッドで横になっていたが、まだ完全に眠ってはいないようだ。右手の甲を両目の上に乗せ、照明の光を遮っている。
「水を持ってきました。飲みます?」
「……うん」
子供のような返事だった。リディアは水差しの取手を持つ手に力を入れる。危うく落とすところだった。
ゆっくり起き上がったクラウスは、水を入れたコップを見る。紫色の瞳が潤んでいた。コップを渡すと、クラウスは両手で受け取って飲み始める。
――待って。酔っ払ったクラウス様が無意識で可愛いを体現してるわ。
弟の幼い頃を思い出した。小さくて可愛かった弟は、世話を焼いて守ってあげたくなる存在だった。久しく忘れていた感覚だ。
「おかわり、要ります?」
「いらない。寝る」
空になったコップを受け取り、クラウスが脱ぎ捨てた上着を拾った。横になったクラウスと目が合う。言いたいことでも我慢しているのだろうか。
リディアはそっとクラウスの手を握った。握り返してくる手は温かくて、男性特有の無骨さだ。
長い指がリディアの手をしっかりと捕まえてくる。クラウスはしばらくリディアの手を離さず、感触を確かめるように指の一本一本を順番に撫でた。
「……俺は」
「はい」
沈黙が長い。
手が離れて、今度は指を絡ませてしっかりと握られた。
クラウスは夢と現実の間にいるのだろう。遠くを見ている。
「俺は、皆を守れているだろうか」
「はい。クラウス様のおかげで、平和に暮らしています」
「そうか」
クラウスの顔に浮かんだ安堵の笑みは弱々しかった。ちょっとした刺激で消えてしまいそうだ。
殺されそうになるほど誰かに恨まれている人生は、楽ではないだろう。クラウスが払った代償は大きかった。隣にいる味方が、翌日には敵になっているかもしれない。あの使用人のように。
こうなると知っていたはずだ。もっとも玉座に近かった王子が、政治を大きく動かす危険性に気がつかないはずがない。
――他には何を隠しているの?
たかが魔獣を討伐するためだけに、領主が出てくる必要はなかった。騎士に任せて報告を聞くのは駄目だったのか。一人で抱えてしまうのは、信頼していた者に裏切られた反動かもしれないというのは、リディアの妄想だろうか。
酔っていなければ、今すぐ抱きしめて、大丈夫だと言ってあげたい。リディアが想像しているよりも多くのものを背負っている人に、絶対裏切らない味方がいると伝えたかった。
紫色の瞳が瞼に隠れた。静かな寝息が聞こえてくる。
「おやすみなさい」
リディアは手を離し、自分の唇に触れた。その指先をクラウスの唇に軽く触れさせる。今はこれが限界だ。眠っているのをいいことにキスをするのは、暴行と同じだとリディアは思っている。
初めてのキスは、お互いが起きている時がいい。酒に頼らず、二人が同じ気持ちでないと、後悔してしまう。
綺麗な思い出にしたい。数年、数十年後に二人で思い出して、照れるような。
唇から手を離すと、クラウスが薄く目を開いた。
「ディアナ?」
聞こえてきた名前に、リディアは息が詰まった。
クラウスの元婚約者。クラウスの弟と結婚した王子妃。穏やかな性格と聡明さは、若い貴族女性が一度は憧れる。二人が一緒にいた時間の長さは、リディアの比ではない。
彼女はリディアが知らないクラウスを知っている。婚約破棄の件では、彼女の悪い噂を聞かなかった。むしろ同情されていた。
「君も、同じなのか……」
クラウスのつぶやきには、様々な想像の余地がある。
「同じ? どなたと?」
「行くな」
リディアはそっとクラウスに囁く。
「リディアローゼは、ずっとあなたの傍にいます」
ベッドに手をかけ、再び眠ったクラウスの唇に触れるだけのキスをした。
少し前の自分が見たら驚くだろう。眠っている相手を襲うなんて駄目だと考えていたのだから。
リディアは静かに空いているベッドへ入り、目を閉じた。王子妃のことは、もっと冷静になってから考えたい。
感情に任せてしまえば、きっと楽になれる。でも感情のままにクラウスを問い詰めたら、リディアが望む結末にならない。
まだ一ヶ月。
演劇で例えるなら、ようやく導入が終わった場面だろう。




