26坑道の魔獣
襲撃があった数日後、銀鉱山で坑夫をまとめているヘルゲという男がクラウスを訪ねてきた。すぐに執務室へ呼ばれたリディアは、なぜヘルゲがクラウスに面会を求めたのかを察した。
「坑道に魔獣が出ました。おそらく一番深い坑道で生まれたのでしょう。あそこは前も魔獣が出てる」
「入口を封鎖して、どれくらい経過した?」
クラウスはリディアへの説明を後回しにして、ヘルゲに尋ねた。リディアは空気を読んで黙って待つ。
「昨日の昼に魔獣を確認して、すぐに閉鎖できました」
「怪我人は?」
「避難する時に八人。うち二名が重症です」
「……良くはないが、最悪でもないな。分かった」
クラウスはいったん魔獣の話から離れ、リディアが新たに銀鉱山の主人になったと紹介した。表面上はリディアに対して礼儀を保っていたヘルゲだったが、リディアが今までのやり方に口を挟む気はないと言うと、わずかに安心したように見えた。
「この領へお越しいただいた早々に問題が発生しましたが、あの山では珍しくないと思ってください。その代わりと言ってはなんですが、銀の品質は高いんで多少休んでも元は取れます」
「そう。産出量も気になるけれど、採掘してくださる皆さんのことも心配だわ。危険な仕事ですもの。無理はなさらないで。お金よりも命のほうが大切よ」
「ありがとうございます。皆に伝えましょう」
ふとヘルゲの目元が優しくなった。きっとリディアは甘い奴だと思われただろう。クラウスが領地を治めるにあたって、時には厳しい方針をとることもある。だからリディアは甘いぐらいで丁度いい。それにリディアは他人を犠牲にしてまでお金が欲しいとは思わなかった。
簡単な紹介が終わったところで、クラウスはヘルゲに言った。
「先に鉱山へ戻ってくれ。俺も後から向かう」
「かしこまりました」
ヘルゲが執務室を出たあと、クラウスは改めて銀鉱山が抱えている問題について話してくれた。問題といっても、世界中の鉱山となんら変わらない。鉱山から魔獣が湧き出てくるのは常識だ。違うのは魔獣の種類だけで、鉱山を抱えている国や領地は、必ず魔獣対策の手段を持っていた。
ヘルゲが真っ先にクラウスへ報告したのも、魔獣対策は領主の仕事だからだ。リディアに報告しても、結局はクラウスに話がいく。鉱山の名義はリディアになったが、クラウスがいないと採掘を続けるのは難しい。
「ここの銀鉱山に出る魔獣は凶暴で、真正面から戦っても勝ち目がない。そこで坑道に餌になる鶏を放って、しばらく入り口を封鎖しておくんだ」
餌にする鶏は、食肉用に改良された足が遅い種類だ。繁殖力が強く、各家庭で簡単に飼育できる。魔獣が出なければ、そのまま領民の食糧になるそうだ。
「餌には麻酔薬を仕込んでいる。魔獣向けの強力なやつだ」
「魔獣が動けなくなったところを始末するのかしら?」
「残念ながら、完全には効かない。だが動きを鈍らせることはできる。酒に酔ったようにふらついているところを、討伐する」
「坑道内は狭いのでしょう? 少人数で退治しないといけないの?」
「たいていは広い場所まで誘導するが、やむ負えない場合は先頭の一人で始末することもある。取り囲んでしまえば楽なんだが」
話が終わったクラウスは、鉱山へ行ってくると言った。
「魔獣がいては何もできないからな。怪我をした者の様子も気になる」
「クラウス様も魔獣の討伐に参加されるのですか?」
「ああ。戦える者が一人でも多くいれば、早く片付くだろう?」
「私も一緒に行ってもよろしいですか?」
「……どこへ?」
剣帯をつけようとしていたクラウスは、そのままの姿勢で止まった。
「鉱山です」
「危険なんだが」
「はい。試してみたいことがあります。上手くいけば、魔獣討伐のお手伝いになるかと」
「作戦の詳細は?」
リディアが詳しく話す間、クラウスはずっと無言だった。
「駄目とおっしゃるなら勝手に行きますが、よろしくて?」
「よろしいわけないだろう」
ため息をついたクラウスは、革の手袋を持ったまま扉へ向かった。
「……坑道の中には入らないように」
「ありがとうございます」
「準備ができたら出発するぞ」
許可が降りたリディアは、急いで自室へ戻り、シェーラに手伝ってもらいながら着替えた。下働きの少年のようなズボンをはき、上から実家で着ていた丈夫な服を着る。汚れを気にしなくてもいい服装は久しぶりだった。
必要なものを詰めたカバンを持ち、クラウスの姿が見えた厩舎へ向かう。クラウスは真っ黒な馬を連れ出したところだった。
「早くないか? もう着替えたのか」
「自分から行くと言っておいて、お待たせするのは失礼ですわ」
「その荷物は?」
「知り合いから頂いた薬です」
「知り合い?」
「ゲルトナー侯爵令嬢、フレデリカ様です」
「……君の交友関係はどうなっているんだ。社交界にはほとんど顔を出していなかったんだろう? ゲルトナー侯爵は薬草学の権威だぞ。ご令嬢も薬草の知識が豊富と聞いたことがある」
「彼女がどうしても手に入れたい薬草を私が持っていたので、お譲りしただけですわ。軽いから邪魔になりません」
「……本当に軽いな」
カバンを馬の鞍にくくりつけ、クラウスは馬に跨った。リディアは彼の後ろに乗る。
「二人で乗っても大丈夫なのですか?」
「問題ない。こいつなら普通に走れる」
黒い馬は立派な体格をしていた。艶やかな毛といい、かなり手をかけて育てたのだろう。人にもよく慣れている。リディアが近づいても堂々と立っていた。
裏門へ馬を誘導すると、すでにフリッツが鍵を開けて待っている。
「しばらく留守にする」
「お気をつけて。他の戦闘員は先に行きましたよ」
フリッツはリディアにいい笑顔を向けた。
「初めての乗馬デートですね」
「そうなのよ。楽しみだわ」
「遊びじゃないからな」
不機嫌な声になったクラウスがリディアの手を軽く叩いた。落ちないようにクラウスにつかまっていたリディアは、予想していなかった不意打ちに心が躍る。気軽に触れてくれるのが嬉しい。少しではあったが、距離が縮まった気がした。
「落ちるなよ」
「一生、離しません」
「返答がずれている自覚はあるか?」
馬が門をくぐった。街道に出ると速度を上げ、遠くに見える山を目指す。
初めて乗った馬の背中は高く、想像以上に揺れる。リディアは自分からついていくと言ったので、絶対に文句や愚痴を言いたくなかった。黙ってクラウスにしがみつき、流れていく景色を眺める。慣れてくると、クラウスに触れている今は、最高に幸せな時間なのではないかと思い始めた。
――心拍数が上がっているのは、初めての乗馬が怖いからじゃないわ。きっとクラウス様に抱きついているせいよ。間違いないわ。
自分の中の冷静な部分が、それは違うと告げている。リディアは現実を無視して、幸せな解釈を選んだ。クラウスのことを考えている方が、苦しさを忘れていられる。
途中で何度か休憩を挟み、銀鉱山の手前にある町に到着したのは、昼をだいぶ過ぎたころだった。町の入り口にいた顔見知りの護衛がこちらに気がつき、町人へ合図をした。ほとんど閉まっていた門が開く。
「領主様。本当に来てくださったんですね」
「怪我人が出たと聞いた。容態に変化はないか?」
「町の集会所で手当を受けています」
クラウスは頷くと、町の中心地へ馬を進めた。
門の付近にいた護衛は一人だけだった。他にも数人の町人がいる。みな弓や槍で武装して、緊張した顔で周囲を見ていた。
魔獣対策だろうか。それとも銀鉱山を守るためなのか、リディアは判別がつかない。
「大丈夫か?」
「ええ。まだ生きてますわ……」
振り返ったクラウスに、リディアは平静に答えた。
「帰りは急がないから楽なはずだ」
集会所へ近づくと、中からヘルゲが出てきた。すぐに中にいる誰かを呼び、こちらへ走ってくる。先に馬から降りたリディアが挨拶代わりに微笑みかけると、ヘルゲは心底驚いたようだった。
「奥様まで? とにかく、こちらへどうぞ。お疲れでしょう」
「その前に、怪我人の様子を知りたい」
リディアは鞍に固定してあったカバンを外した。
「よく効く傷薬を持ってきたの。案内してもらえるかしら」
「傷薬?」
ヘルゲの視線がリディアのカバンに移る。
「知り合いから譲っていただいたの」
「で、では、集会所の中へ」
馬は坑夫らしき若者が手綱を持ち、どこかへ連れていく。リディアがいる場所からは見えないが、厩があるのだろう。
集会所の中は広く、複数人の町人がいた。奥の衝立で隠れているところに、怪我人がいるらしい。
「逃げ遅れた坑夫がいたんです。そいつらを助けるために魔獣とやり合って、怪我をしました。死人が出なくて良かった、なんて強がってますけどね」
鉱山の中では、坑夫の中で腕が立つ者が武器や閃光弾を持ち込んでいる。数人で足止めしている間に、避難するためだ。魔獣の討伐は、一度鉱山を閉めてから行われる。
管理された鉱山であれば、出てくる魔獣は目覚めたばかりで動きが鈍い。さらに閃光弾の音と光で驚き、一時的に動きを止める。下手に攻撃しなければ、無傷で逃げられるのも珍しくない。
今回、この鉱山に湧いたのは例外だった。目覚めたばかりなのに、人間を見かけるなり襲いかかってきたそうだ。
「まずは全員の生還を喜ぼうか。最後まで戦ってくれた坑夫は、十分に労ってやらないとな」
クラウスは衝立の奥へ進んでいく。リディアも後に続いた。
報告で聞いた通り、二人の男性がベッドの上にいる。一人は左腕に包帯を巻き、そばにいる女性が差し出したカップを受け取っていた。もう一人は足を怪我したようだ。青い顔で横になっている。
「具合はどうだ」
クラウスが声をかけると、その場にいた者が姿勢を正そうとした。だがクラウスはそのままでいいと言って、足に包帯を巻いている患者に近づいた。
包帯には血がにじんでいた。太ももの付け根あたりに結んでいるスカーフは、止血のためだろう。怪我をした足の下には枕を置いている。
「手持ちの止血薬を使ったのですが、効果は……」
ヘルゲがそっとクラウスに囁いて首を横に振った。このままだと、怪我人の命が危ない。
リディアはカバンの中から底が浅い瓶を取り出した。フレデリカによると、回復を速める魔術の効果も含まれている薬らしい。中に詰まっている軟膏をクラウスに見せた。
「布に塗り広げて、患部に付けるそうよ」
「これを使わせてもらうか」
クラウスが清潔な布を取ると、意図を察した周囲がやんわりと止めた。
「私たちが代わりにいたしますので……」
「どうか、こちらへ」
遠ざけられたクラウスは少し寂しそうだった。町人としては領主に治療をさせるなんて、恐れ多くてとんでもないと考えたゆえの行動だろう。クラウスもそれを理解しているだろうが、疎外感は少なからずある。
――仲間外れみたいで寂しいのかしら。たまに子供らしいところが出てくるのよね。
夫の新しい一面を見つけたリディアは、にやけそうになる頬に力を入れた。誰も見ていないと思いたかったが、クラウスには気づかれてしまったらしい。寂しそうな表情は消え、眉間に皺を寄せた顔になった。
ほぼ一ヶ月、毎日のようにクラウスを観察しているリディアには分かる。あれは照れているのだ。
「……リディアローゼ。君は怪我人の治療をしたことがあるのか?」
「いいえ」
「では薬を彼女に渡して、下がっているように」
怪我人のそばに、中年の女性が困った顔で待っている。リディアは彼女に薬を渡し、邪魔にならないようクラウスの隣に立った。
集会所に門のところで会った護衛が来た。
「町の出入り口を封鎖しました。他の戦闘員は鉱山の入り口にいます」
「鳥は放したか?」
ここへ来る前に言っていた、魔獣を麻痺させる鳥のことだろう。
「はい。まだ魔獣が食いついた様子はなく……」
「今回は別の方法も試してみたい。坑道へ入るのは、その後だ」
二人が話している間に、治療が終わったようだ。リディアは残った薬を受け取り、カバンへ入れた。
「行こうか」
クラウスに促され、集会所を出た。町の入り口とは反対方向にある門を通り抜け、山道を登る。道は真っ直ぐに舗装されていた。採掘した銀を運ぶためだろう。山道に慣れていないリディアでも歩きやすい。
坑道の入り口前は、広場になっていた。右へ続いている道は、鉱石から銀を取り出すための精錬所がある。そちらへ続く道も封鎖されているようだ。
広場にいくつか置いてある荷車には、鉱石が積まれていた。遠目には黒っぽい石にしか見えない。
「早速、始めるか?」
「はい。準備をしてまいります」
クラウスはうなずいて、広場にいた数人の護衛がいるところへ歩いていった。
残されたリディアはカバンに入れていた紙の束を取り出した。四つ足の獣に似せて切ったもので、頭の部分には精霊を従わせる言葉が書いてある。それらを鉱石に乗せ、リディアはそっと話しかけた。
「起きて。一緒に遊びましょう」
小さな電撃が文字の上を走る。紙を中心に鉱石が動き、長い紐状になって荷車から落ちた。




