25間話2
フリッツはクラウスの補佐や秘書官のような仕事をしているが、正確には彼の部下ではない。情報局という情報戦で後ろ暗い活動をしている組織から派遣されてきた。それも「独身者なら身軽に転勤できるよな?」という、上司の一言で。
――身軽といえば身軽なんだけどさ……僕以外の人員を増やしてほしいなぁ。
つい上司への愚痴が出る。
一般人のふりをしながらクラウスの下で働くのは、それなりに楽しい。国王や情報局とクラウスの間で伝書鳩になる仕事さえなければ。王都から辺境までの移動は面倒だし、絶対に蔑ろにできない立場の人々と会うのは緊張する。定期報告は、もっと貴人慣れしている者がやってほしい。
フリッツは厩から屋敷の入り口へ向かって歩いていた。クラウスを暗殺しようとした元使用人を王都へ送り届け、先ほど戻ってきたばかりだ。上司に経緯を説明して、ついでに王都の動きも仕入れてきた。辺境には遠隔地と会話ができる魔術道具があるが、やはり自分の目で見ないと分からないこともある。
――思い切って情報局を退職して、クラウス様に雇ってもら……っても、今と変わらないだろうね。
一般人に戻るには、色々と内情を知りすぎた。クラウスと情報局の橋渡しとして、今度もこき使われる未来は変わらないだろう。
クラウスを探して屋敷の中を歩いていると、サロンの入り口にいるメイドを見つけた。こっそり中の様子を覗いているようだ。
「えーと、カルラ? 何してんの?」
名前はすぐに出てきた。情報局の人間なら、人の顔と名前を忘れるなんてあり得ない。だがフリッツはわざと思い出すまで時間がかかったふりをした。情報局から出向してきているのは、一部の者しか知らない秘密だ。リディアのように自力でフリッツの正体に気がつくのが異常なだけで、普通なら見破られない。
カルラは小さな悲鳴をあげ、フリッツを振り返った。
「もう。驚かさないでください。今、取り込み中なんですから」
「へー。誰かが喧嘩でもしてるの?」
サロンではクラウスとリディアが仲良くお茶をしていた。いつもと同じ光景だ。リディアが幸せそうに話しかけ、クラウスが聞き役になっている。
婚約してから半年、結婚してから一ヶ月ほどしか経過していない。それにしては上手くやっているほうだとフリッツは思う。夫婦として成り立っているかは別として。
「……で、どのあたりが取りこみ中なの?」
これではただの覗き見だ。
「え? フリッツさんは、なんとも思わないんですか? 旦那様は奥様に全く関心がないんですよ?」
「あー……」
なるほど、そう見えるのか――フリッツは困った顔を浮かべながら、心の中では冷静にカルラを分析していた。
フリッツは二人のことを知っているから、異常だと思わないだけだ。ところがカルラのような使用人は表面的なことしか知る機会がない。特にクラウスは非常に分かりにくく、誤解するのも無理はなかった。
王族は感情的になるなと教育されている。感情に任せた政治は身を滅ぼすだけでなく、周囲への影響も大きい。第一王子として政治や外交に関わってきたクラウスなら、心の底から怒っていても笑顔の仮面で隠すなんて当たり前だった。平然とやってのける演技力があるからこそ、婚約破棄をきっかけにした人事異動なんてものを成功させたのだ。メイドに採用されるまで王族どころか貴族にも会ったことがなかったカルラに、読み取るのは難しい。
「いや、全く関心がないわけじゃないと思うよ」
フリッツの分析では、クラウスはよく知らない相手とは恋愛ができない性格だ。たとえ一目惚れしていたとしても、恋をしていると思っていない。王命で拒否できない結婚をさせられたリディアを、妻と思うようになるのも時間が必要なのだろう。
貴族の結婚に恋愛感情は必要ないと教えられ、感情を排して物事を俯瞰するのに長けていても、割り切れないものがあるらしい。
「家の都合で結婚したようなものだからね。カルラの周りにも、見合いで結婚した人とかいない? 初対面の相手を伴侶と思うのは難しいよ」
「いますけど……でも、だからって奥様に酷いことを言うのは違いますよね」
「酷いこと?」
「君を愛することはないって言ったんです」
「んっ!?」
とんでもない言葉が出てきた気がする。フリッツはもう一度、カルラに同じことを言ってもらった。
「だから、旦那様が君を愛することはないって奥様に言ったんです」
それは分析結果に合わない。クラウスが無闇に人を傷つける言動をするなんて、これまでの行動パターンとは違う。むしろクラウスはリディアを婚約破棄騒動の間接的な被害者だと思って、丁重に扱っている。
「聞き間違いじゃなくて、本当にそう言ってたの?」
「言ってましたよ。奥様はかなりショックだったみたいで、こう、両手で」
カルラが見たというリディアの行動には、引っかかるものがあった。暗殺者を捕まえた後のリディアが奇行に走りかけていたのを知っているからこそ、絶対に誤解だという確信がある。おおかた興奮して叫びたくなるのを我慢していたのだろう。
そういえば最近、メイドたちがクラウスに対してよそよそしい。身分の違いのせいだろうと楽観的に考えていた。現実は勘違いしているせいで、遠巻きにされているだけだったらしい。
――どうしようかなぁ。
正直、クラウスとリディアは放置していても問題ないだろう。書類上は夫婦として認められている。行動力の塊のようなリディアが、あらゆる手段を使ってクラウスを落とすのは予想がつく。今も率直な言葉で愛を伝え、クラウスを振り回している最中だ。
奥ゆかしい表現で愛情を伝えるのが当たり前な環境で育ったクラウスが、感情を揺さぶられないわけがない。絶対に異性として意識し始めているだろう。本人に自覚があるかどうかは別として。
使用人が主人に対して反抗心を抱くのは良くない。ただでさえ面倒なものが侵入してきた直後だ。リディアを危険に晒したと思われて、さらに敵対視されていく。
「……よし、確かめに行こう」
「え?」
「どうしてクラウス様がそんなことを言ったのか、気にならない?」
「無理やり結婚させられたからじゃないんですか? 貴族って、家のために結婚するんですよね?」
「そうだよ。だからこそ、いきなり愛さない宣言なんて馬鹿なことはしないよ。せっかく繋いだ家同士の結びつきを壊すことになるからね」
フリッツはカルラの背中を押して、サロンへ入っていった。すぐにクラウスが気がつき、補佐とメイドという組み合わせを不思議そうに見ている。
「王都から戻ったのか。早かったな」
「向こうにいても休めないんで、帰ってきました」
「今到着したの? 大変だったわね」
労ってくれるリディアに、フリッツは少し癒された。クラウスへの言動が少し突飛でも、綺麗な女性が優しくしてくれるのは心の栄養になる。
「そう言ってくれるのは奥様だけですよ。ところでクラウス様。一つ問題が発生したようです」
「聞こうか」
「奥様に、君を愛することはないって言ったのは本当ですか?」
クラウスがむせた。突発的な事柄に冷静な対処をしてきた彼にしては珍しい。滅多に見られないなと、フリッツは感心した。リディアが辺境へ来てから、面白い展開が続いている。
「あなたにそれを教えたのは、カルラね?」
リディアはクラウスの背中をさすりながら、カルラに話しかけた。
「す、すいません。盗み聞きするつもりはなくて……」
「ねえ。あの時のクラウス様は、全てが完璧だったと思わない?」
「……え?」
何を言っているんだろうこの人――カルラの表情がそう物語っている。
「私ね、友達に勧められた本を読んでいたのよ。でもどうしても理解できない部分があって。クラウス様が再現してくださったら、感情移入できるかもしれないと思ったの」
「もしかして、それが例のセリフですか?」
フリッツが口を挟むと、リディアは嬉しそうに微笑んだ。
不意打ちで美人の笑顔を見せられたフリッツは、クラウスが羨ましくなった。こんな笑顔を毎日のように向けられる立場になりたい。
「だから言いたくなかったんだ……」
咳き込みすぎて涙目になったクラウスがつぶやいた。
「本当に、素晴らしい演技力だったのよ。ぜひ他のセリフも聞きたいわ」
「誰が言うか」
ここ最近のクラウスは、リディアに対してずいぶんと気安くなったらしい。王都にいた頃は絶対に女性へ言わない言葉遣いをすることが増えた。
「ええと……じゃあ、私、ずっと勘違いしてたってことですよね……? どうしよう。他のメイドとか、メイド長にも喋っちゃったんですが……」
カルラは青ざめた顔でフリッツたちを見た。
誤解を解くなら、本当のことを話すしかない。ただしクラウスが言うのは逆効果だ。事実を隠蔽しているのではないかと邪推される。
「皆を集めて、私から説明するわ。誤解させちゃったのは、私のせいですもの」
「そうだな。君が言い出したことが発端だ」
冷静さを取り戻したクラウスが同調した。関わる気は一切ないという態度を隠そうともしない。実害こそないものの、完全に被害者だ。無理もない。
リディアは落ち込んでいるカルラに言った。
「ねえ、あなたも例の本を読んでみる?」
「でも……私、あまり文字が読めません……」
「じゃあ、今夜、私の部屋へ来る? 朗読してあげるわ。あなただけじゃなくてもいいのよ。希望者を募りましょうか」
フリッツは優しい笑顔に隠されたリディアの本音を察した。
――あ。同志を増やす気だ。
優しく語りかけて、己が望む方向へ誘導する手口は、フリッツには馴染み深い。
きっとリディアは本の内容か、クラウスについて語り合いたいのだろう。友人との文通は、距離に比例して時間がかかる。手紙を送って返事が届く前に、熱が冷めているなんてこともありうる。
「ほどほどにな」
同じくリディアの思惑に気がついたクラウスが、あまり抑止力にならないことを言った。もう完全に諦めている。
「奥様が辺境に馴染んでいるみたいで良かった、とか考えてます?」
そうフリッツが言うと、クラウスは無言のまま不機嫌そうな顔になった。正解だったらしい。
――この人、もしかして身内には甘いんじゃないか?
もしそうなら、婚約破棄騒動にも当てはまるかもしれない。そこまでフリッツは考えたが、分析する前にあえて止めた。
すでに終わった話だ。新たな解釈が出たところで、結果は変わらない。どうせ真実はクラウスにしか分からないのだ。




