24護衛2
新緑色の瞳がクラウスを見つめている。リディアに見られると、クラウスは心の奥底を見透かされているようで落ち着かない。
隠していることを全部暴かれて、一つ一つを並べて観察される。見ないようにして放置していた傷を、リディアの言葉で思い出してしまう。
「クラウス様……」
リディアが口を開いた。
彼女はクラウスへの好意を隠さない。ありのままのクラウスを見て、素直に感情をぶつけてくる。クラウスの対応が冷たくても、全く揺るがない。どうせ自分の外見や地位しか見ないだろう、なんて考えていたクラウスの方が認識を改めるほどだった。
リディアは一般的な令嬢の枠にはまらない。精霊が見えるだけでも珍しいのに、行動力がありすぎる。侵入者の近くにいるのを見たときは、さすがに肝が冷えた。いくら身を守る手段を持っていようと、相手がどんな手を隠しているのか分からないのだ。
つい勢いで掴んだリディアの手首は細かった。非力で、簡単に捕まえられる。だからクラウスが抱えている問題に首を突っ込んでほしくなかった。自分が原因で他人が死ぬなんて嫌だ。
それなのにリディアはクラウスの言うことを聞かない。従順そうな見た目のくせに、誰よりも自由で、誰にも折られない芯がある。
リディア自身の性格は、嫌いではない。噂に惑わされず、事実に気がついてくれたのは嬉しかった。急に決まった結婚や待遇に不満をこぼさないどころか、辺境伯夫人として屋敷の中を取りまとめ、使用人たちと上手くやってくれている。
リディアが熱っぽい目で見てくるものだから、クラウスは目をそらしたくなった。こんなにも好意を向けてくれる彼女を、いまだに妻として受け入れることができないのは申し訳なく思っている。クラウスだけが流れについていけないだけで、彼女に問題はない。
「クラウス様。愛してます」
純粋な恋する乙女の声音と、こちらを誘惑する口元の色気が合っていない。
リディアの気持ちが変わっていない安心感と、唐突に生まれた別の感情が一緒になって混乱しそうだ。
「は!? ち、違っ……そうじゃない! 君が誰に依頼されたのか、どこまで事情を知っているのかとか、色々と! 真面目な話が!」
年下の令嬢に振り回され、赤面するとは思わなかった。どんな時でも感情の制御ができていたはずなのに、リディアを相手にすると簡単に崩れてしまう。
「そう言われましても。クラウス様に伝えたいことといえば、やはり抑えきれない大きな感情とか、常に抱いている恋心ですから」
恥ずかしそうに頬を赤く染め、リディアが微笑む。心の底から幸せそうだ。
今まで明け透けに好意を伝えてくる女性なんていなかった。婚約者がいたクラウスに愛を囁く女性がいたら、それはそれで問題だが。遠回しに気持ちを伝えるのが当たり前だと思っていた。だから、どう返せばいいのか分からない。
クラウスは片手で口元を覆い、近くにいたフリッツへ視線を向けた。この状況を楽しむかのように、フリッツの顔がニヤけている。クラウスのために話題を変えてくれる気は一切ないようだ。
「だからって、人前で言うことじゃないだろう」
「二人きりになりたい、と言うことですか? そんな。昼間からだなんて」
何を想像したのだろうか。クラウスは深く考えるのを止めた。
「申し訳ございません。想像したら目眩が……一時間ほど、お時間をいただけますか? 精神統一しておかないと、肝心なところで気絶してしまいそうです」
「だから、なんでそうなる!? そこ、微笑ましそうに見るんじゃない!」
「僕は邪魔だったようですね。しばらく席を外しましょうか?」
「外さなくてもいい!」
クラウスは執務机に軽く腰掛け、腕を組んでフリッツを睨んだ。普段なら、こんな行儀が悪いことはしない。
「クラウス様……素敵です。もう少し、魅力を控えていただけると大変嬉しいのですが。でも待って。ここで倒れたらクラウス様に介抱していただけるのでは……?」
「頼む。一度、どこかで頭を冷やしてこい」
クラウスは心臓のあたりを両手で押さえているリディアに、優しく言った。落ち着いてもらわないと、話が全く進まない。早く終わらせて休みたかった。色々なことを丸投げにして不貞寝したいと思わせたのは、リディアが初めてだ。
「……それで、君は誰の命令で動いているんだ」
深呼吸をしたリディアが落ち着いたようなので、クラウスは改めて質問した。
刺客を拘束したのは、リディアだと確信している。屋敷にいる人間に、あんな魔術の使い手はいない。彼女は精霊と協力をして詐欺師に悪夢を見せたばかりだ。刺客についても、似たような方法を使ったのだろう。
リディアはクラウスが狙われているのを知っている。さらに対策までしていた。これ以上、何を隠しているのか知らなければいけない。
「命令ではありません。可能であれば動いてほしいという依頼です。襲撃されたクラウス様を助けるかどうかは、私の裁量に任されております。ですが、依頼されなかったとしても、私は自主的にクラウス様を助けていたでしょう」
あっさりとリディアは認めた。
「君に全て教えたのは、伯父のゼンケル伯爵か?」
「はい」
王都にいた頃のクラウスが取り込まれそうになっていた派閥と、ゼンケル伯爵は折り合いが悪かった。表立って争うような政敵ではなく、予算配分で意見が合わなかったらしい。その影響かクラウスとは距離を置いていた。そんなゼンケル伯爵がクラウスを助けるのは、現状を変えたくない理由があると思っていい。
――戦争になれば魔術師団も戦力として出てこないといけないからな。俺が辺境伯として盾になっているほうが平和が続くと読んだのか?
とりあえずゼンケル伯爵と利害は一致しているようだ。
「刺客を拘束したのは、君の魔術か?」
「そう思っていただいても構わないわ」
リディアは一瞬だけフリッツがいる方向に視線を向けた。フリッツはリディアの右後方にいる。彼はリディアの視線に気がつかなかっただろう。
――フリッツには知られたくないのか。精霊関係だな。
意図を読み取ったクラウスは、それ以上追求するのは止めておいた。二人きりの時なら喋ってくれるかもしれない。
「よく刺客が来ると分かったな」
「庭に侵入した男性は、ただの酔っ払いだとシェーラが教えてくれたのです。あんな物騒なものを持っていたのに。男性が警部の裏をかいて庭へ侵入できたのは、内部の誰かが手引きをしたのかもしれない。クラウス様を油断させるための陽動だとしたら、本命は明け方に来ると思いました。夜通し、酔っ払いの相手をして疲れたでしょう?」
「そうだな」
「私には、敵の規模が分かりません。そこで辺境へ到着した時から、シェーラと手分けをして仕掛けをしておきました。クラウス様の身に危険が迫った時に、発動するように」
「……助けてくれたことは礼を言う」
せめて仕掛ける前に教えてほしかった――そう言おうとしたが、リディアに求めてばかりだと気がついた。
自分からリディアと対話をしようとしたことがあっただろうか。食事の時ぐらいしか、まともに顔を合わせていない。妻ではなく同居人のように扱っておきながら、考えていることを全て話せと要求するのは傲慢だ。
「最後の質問だ。君は、俺の護衛のように動いているが……なぜだ」
「理由を突き詰めれば、自分のためですわ」
また即答された。迷わず進むリディアが羨ましい。
「きっかけが他人からもたらされたものでも、私は自分の意思で動いています。クラウス様の隣に居られることは、私の幸せ。その幸せを壊そうとする人たちを排除しているだけよ」
「やや攻撃的だと自覚しているか?」
「だって、黙っていたら潰されるだけですから。結婚が決まったころ、私は沈黙して耐えていたことがありました。自分が我慢をすれば、事態が好転すると思っていたわ。人の善意を信じすぎて、思い出を一つ駄目にしてしまった。もうあんなことは繰り返したくないの」
それは継母と義妹が家を出るきっかけになった出来事だろうか。クラウスは質問を飲みこんだ。今それを聞いたら、リディアの心にある傷を開いてしまう気がする。
他人の内面には、もう踏み込みたくない。
「クラウス様。私はこれからも、危険が迫れば排除していきます。駄目と言われても、これだけは譲れない」
リディアの表情は柔らかいのに、声は一歩も引かない強さがあった。
「なぜ、そこまでする?」
「あら。簡単な話ですわ。クラウス様を愛してしまったからです。愛する人を守りたいと思うのは、当然では?」
リディアはいつも真っ直ぐな感情をぶつけてくる。感情が揺らいでしまったのは、絶対に寝不足なせいだ。顔に熱が集まって、クラウスは何も言えなくなってしまった。
***
執務室を出たリディアは、隠し持っていた薄い紙を廊下の隅に貼り付けた。紙は透明になって見えなくなる。実家で家事の手伝いに使っていたものを、少し改良したものだ。
同様のものを屋敷の中や使用人の靴に仕掛けていた。クラウスを狙った使用人が勝手に転んだり、着ている服に拘束されたのは、そのせいだ。
「お嬢様」
小声でシェーラが話しかけてきた。
「執事は無事です。怪我のせいで、しばらくは安静が必要な状態ですが」
「良かった。致命傷は避けられたのね」
クラウスの次に、彼の生活を支える者も大切だ。経験豊富な執事がいなくなるのは惜しい。
「これからの行動は、いかがしますか?」
「とりあえずクラウス様を守るための活動を止めろとは言われなかったわ。許可をいただいたと思ってもいいわね」
クラウスはとても疲れている様子だった。きっと寝不足な上に襲撃されたせいだろう。誠心誠意そばで癒してあげたかったが、そちらは却下された。添い寝ぐらい許してくれてもいいのに、残念だ。
「これまで通りクラウス様を守りつつ、距離を詰めていくしかないわ。何か特別な出来事があれば効果的かしら?」
そろそろ二人で出かけるように提案してみようか。リディアは言い訳に使えそうなものがないか考え始めたが、現時点で有効な策は思い浮かばない。
部屋に戻ったリディアは、シェーラから呼び止められた。
「お嬢様。一つ、分からないことがあるのですが」
「何かしら?」
「ゼンケル伯爵と第一王子は味方ですか?」
「完全な味方とは言えないけれど、敵でもないわ」
「味方ではないのに、ゼンケル伯爵が第一王子を助けるのは、なぜですか? お嬢様を結婚相手に推薦したのも、第一王子を守る目的もあったそうですね。それならお嬢様ではなく、もっと力がある貴族の令嬢と結婚させた方が良かったのでは? キースリング家を味方にしても、辺境へ送る武力なんて持っていませんよ」
「いつでも制圧できるほど弱いと見せかけたいからよ」
リディアはソファに座った。
「この国の北から北東を守っているのは、国王陛下直属の騎士団。高い山脈も要塞代わりになっているおかげで、隣の国は手出ししにくいわ。西から南は王家の人間が領地を治めているでしょう? 特に南の王弟殿下は侵略を防いだ実績もあるわ。彼が元気な間は、攻略しにくい領地ね」
「東は、この辺境ですね」
「ええ。侵略される可能性が高いのは、ここよ」
クラウスが意図的に流した噂によって、国内の人事が一新された。空白だった東の辺境にも王族がつき、中央の動きと連動しやすくなったと言える。
「天然の要塞に守られた騎士団、戦争の功労者、王都育ちの第一王子。どこが最も弱く見える? 侵略の成功率を上げるなら、この辺境へ進軍するのが最善策に見えない?」
「敵は自分で侵略の経路を選んでいるようで、実は選ばされているということですね」
「そうよ。誰だって楽に勝ちたいもの。弱いところを攻撃するのは戦争の基本よ」
「敵を誘導して有利な場所から潰す作戦なら、当然ながら第一王子は軍備にも力を入れているのですよね?」
「ええ。きっと私たちの結婚に隠れて、人や物を動かしたわ」
シェーラは黙って続きを待っている。
「結婚したのは王都育ちの王子よ。新しい生活に必要なものを、王都から取り寄せても疑問に思わないでしょう? あるいは妻のための贈り物という名目でもいいわ。その大切な荷物を途中で盗まれないように、信用できる『強そうな人』に守らせるの。ね? 普通に戦力を連れてくるよりも、簡単に偽装できるでしょう?」
「辺境へ入ってきた人は、そのまま各地の砦へ?」
「そうよ。クラウス様が各地を視察する時に、護衛のふりをしてついていってもいいわね。外国へ行く商人に用心棒として雇われて、出国した人もいるかもしれないわ」
「敵の動きを知るために、ですね。ところでお嬢様」
シェーラは不思議そうにリディアを見た。
「そういった情報の断片は、社交界で掴んだのですよね? ただ遊んでいたわけではなく」
「ええ。みんな、たくさんのことを教えてくれたわ」
「辺境が置かれている状況も? ずいぶんと簡単に喋ってくれるのですね」
「しばらく社交界を眺めていたら、私は『地位の低い世間知らずな女』だと思われたほうが動きやすいと気がついたの。周りが油断して、大切なことを喋ってくれるから。どうせ私に聞かれても大丈夫だと思っているのよ。ねえ。辺境の今と似ているでしょう? 弱くて、いつでも潰せそうなところが」
実際は、手を出してしまえば特大の罠にはめられる。クラウスが水面下で進めている計画の一端を知ったとき、ますます彼のことが好きになった。
汚名を被ってでも国を守ろうとしているクラウスの生き方は、リディアには崇高で尊く感じる。潔いほど真っ直ぐで、とても不器用だった。
彼には計画を支える者が必要だ。どうしようもなく追い詰められて、折れてしまう前に。その役目は自分だとリディアは思っている。
「シェーラも覚えていて。どんなに弱そうな相手でも、猛毒で反撃してくるかもしれないわよ。一撃で致命傷にならなくても、ゆっくりと内側を蝕んで気がついた時には手遅れ、なんてこともあるわ。どんな相手も、侮っては駄目」
クラウスにも言ったが、リディアは継母に遠慮しすぎて、母親の思い出を壊してしまった。あの時は弟が中心になって限りなく元通りにしてくれた。きっと二度目はない。壊れたものは、元に戻らないのが普通だから。
遠慮をしていたら、リディアの大切なものが奪われると学んだ。だからリディアは奪われる前に、敵を見つけて排除しないと、幸せになれない。クラウスの隣という特等席で、彼の気高い生き方を見ていたいのだ。




