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2 婚約は唐突に

 リディアとクラウスが結婚する半年ほど前。父親の書斎で書類の整理をしていたリディアは、廊下を走る音で手を止めた。


 きっと義妹のグロリアだ。


「お姉様は酷いわ!」


 予想通り、書斎の扉を乱暴に開け放ってグロリアが入ってきた。ノックをしてから扉を開けるという、初歩のマナーを守る気はないらしい。


 グロリアは栗色のふわふわとした髪に大きな黒い瞳という、どこか小型犬を想像させる姿をしている。服装もフリルやリボンを多用したものが好みらしく、今日も人形のような若草色のドレスを着ていた。


「私の宝石に呪いをかけたわね!? 夢の中にも出てきたんだから!」


 グロリアは一方的にまくし立てると、リディアへ向かってブローチを投げつけた。勢いよく飛んできたブローチが机の上に落ちる。幸い、ブローチは壊れなかったようだ。中央の青い宝石にも傷はついていない。


「リディアローゼさん。いい加減にしてくださる? どうして『私の娘』に嫌がらせをするのかしら。たとえ血が繋がっていなくても、家族でしょう?」

「お母様ぁ!」


 遅れてやってきたのは継母だ。涙目のグロリアを抱きしめ、優しく頭を撫でてやっている。グロリアは継母に縋りついたまま、潤んだ目でリディアを睨んだ。


 継母とグロリアは、母親が亡くなってしばらくしてから父親が連れてきた。元はどこかの男爵家で愛人をしていたが、男爵が亡くなるといくらかの財産を渡されて縁を切られたそうだ。


 父親に継母を紹介したのは、父親の従兄弟だ。遺された子供達には母親役が必要だと訴えて、父親を説得してしまった。


 継母とグロリアは同居を始めた数日は優しかった。ところが日を追うごとに嫌味が増え、今では顔を合わせるたび一方的に責めてくる。内容はどれもこじつけに近く、とにかくリディアが悪いと思っていることだけは伝わってきた。


 彼女達に言わせると、リディアが三歳下のグロリアに配慮しなかったのが悪いらしい。勉強や礼儀作法の先生を手配したり、グロリアがお茶会へ参加できるよう手を尽くすのが、リディアの役目だそうだ。


 もちろんリディアには、グロリアの教育に口を出す権利などない。教育は父親や継母の管轄だ。お茶会はどの家でも、礼儀作法の先生が出した課題に合格してから参加すると決まっている。本人が恥をかくだけでなく、茶会の参加者にも迷惑がかかるからだ。グロリアはまだ課題を出される段階にも到達していなかった。


 リディアはブローチを拾い上げ、そっと表面をなでた。


「これはあなたのブローチよね? 嫌がらせって、どういうこと?」

「お姉様の部屋に隠しても、私のところへ戻ってくる呪いよ! 今朝なんて私の枕元にあったんだから!」

「あら。今回はそんないたずらを企んでいたのね」


 リディアの部屋に自分の貴金属を置き、皆の前でリディアが盗んだと罪を捏造する遊びだろう。ところが肝心のブローチが、いつの間にか自分のところへ戻ってくる。とうとう困り果ててリディアのところへやってきたようだ。


 グロリアはよくリディアを悪役に仕立てようとしてくるので、今回の言いがかりもすぐに狙いが分かった。


「夢の中でブローチに『私を捨てないで』って言わせたのは、お姉様ね? 怖かったんだから! 今すぐ止めなさいよ!」


 泣き喚くグロリアを優しく抱きしめた継母は、穢らわしいと言わんばかりに、リディアを睨みつけてくる。


「可哀想なグロリア。ちょっと遊んだだけで、呪いをかけられるなんて」

「遊びねぇ……私の部屋はグロリアの遊戯室ではないわ。勝手に入らないでねって前も言ったでしょう?」

「今はそんな話なんてどうでもいいのよ!」


 リディアのお願いは、継母のお気に召さなかったらしい。大声で遮ってきた。


「とにかく、グロリアの宝石にかけた呪いを解いてくださる? 可哀想に。毎晩、悪夢にうなされているのよ」

「お姉様は私が嫌いだから呪いをかけたのね!」


 こうなると、もう何を言っても効果がない。彼女達は話し合いに来たのではなく、リディアを悪女にして責めることが目的なのだ。


 ――持ち物が戻ってくる呪い? 違うわ。精霊の仕業ね。


 リディアには、継母とグロリアの近くで笑う精霊が見えていた。手のひらほどの大きさをした人形のようなものが複数、浮いている。屋敷へ遊びに来る光や風の精霊達だ。


 きっとイタズラを仕掛けるグロリアを見た精霊達が、からかってやろうと思ってブローチを届けていたのだろう。グロリアは計画を何度も壊され、知らない間に手元へ戻っているブローチを見て、さぞ怖かったに違いない。


 リディアは本当のことを言うべきか迷った。


 精霊が見える者は少ない。文献や魔術書には精霊の記述が数多くあるが、見えない者には存在しないことと同じだ。リディアの言うことを信じようとしないグロリアは、適当なことで誤魔化していると思って怒るだろう。


 リディアは亡くなった母親が精霊のことを知るきっかけをくれたから、彼らとの付き合い方が分かる。そんな予備知識もなしに、近くにいると言っても恐怖心を煽るだけだ。


 ――もどかしいけれど、教えないほうがいいわね。


 リディアは信じてくれない継母達に苛立ったが、表に出すのはやめた。苛立ちや怒りが連鎖して、嫌なことまで思い出してしまう。穏やかな表情は人間関係を円滑にする。常に穏やかでいることは、貴族女性として当然だと習った。


 リディアは家のために感情的な言動を控えると決めたのだ。どんなに嫌味を言われても、怒鳴られても、貴族政治の練習だと思って割り切っている。


「これはもう慰謝料が必要よっ」


 グロリアがハンカチで涙を拭きながら言った。


「お姉様が受け継ぐ予定の遺産から支払ってもらうわ! 今すぐ!」

「私がお父様から受け継ぐ遺産なんてないわよ。この家の財産は、家を継ぐ弟のものになるから」


 収拾がつかなくなる前に、リディアは机の上に袋を二つ置いた。彼女達の気をそらす、とっておきの話題がある。


「忘れないうちに渡しておくわ。今月のあなた達の生活維持費よ」


 狙い通り、継母達はすぐに大人しくなった。急いで袋を回収し、中身を確かめて残念そうな顔をする。


「これだけ?」

「新しいドレスが欲しいのに。全然足りないわ!」

「我が家にはこれ以上の額なんて出せないのよ。足りないなら節約するか、自分で稼いでもらうしかないわね」


 二人は足りないと騒いでいるが、子爵家の夫人と令嬢が最低限、身なりを整えられる額はある。


 幸いにもリディアはお金を稼ぐ手段を持っているので、家の資産からお金を受け取っていない。継母達が使っているのは、実母やリディアが受け取っていたはずのお金だ。


「どうせ私達へ払うお金を、お姉様が横取りしているんでしょ」


 拗ねたグロリアが恨みがましく言った。彼女はリディアが家計を管理しているのが気に入らないと、以前に言っていたことがある。


 お金を中抜きしていると疑われた怒りよりも、そんな発想しか出てこないグロリアが可哀想になってきた。グロリアはリディアが彼女の幸せを妨害していると信じている。


「……グロリア。どうして私がお金を取ったと思うの? 何か根拠があるなら教えてほしいわ」

「お金を取ってない根拠なんて、お姉様が出せばいいじゃない」

「証拠というのは、疑う側が出すものよ。もし私がお金を取ったと仮定するなら、それは何に使われていると思う? 豪華なドレスで夜会へ出席? 私がそんなドレスを着て外出したら、あなたはきっと気がついたはずよ」

「それは……」

「今もそう。私はあなたよりも高価なものを身につけているかしら? あまり外出をしない私がお金を使うところなんて、限られていると思うのだけれど」


 継母とグロリアはリディアの服装にようやく目を向けた。リディアの服は地味な灰色で、使用人が着ているものに近い。グロリアの普段着のほうが、よほど良い生地で仕立てられていた。


 二人は気まずそうに親子で顔を見合わせたが、見なかったことにしようと決めたらしい。先ほどよりも大きな声で言い放つ。


「ふんっ! じゃあ意地汚く貯めこんでいるのね! 地味な服は私達への当てつけよ!」

「ケチなリディアローズさん。余裕でいられるのも今のうちよ。私達があなたに何をされたのか、夫へ報告させていただきますから!」

「お姉様なんて大嫌い! さっさと結婚して出ていってよ!」


 旗色が悪いと知り、二人は言いたいことを言ってリディアに背を向けた。乱暴に扉を開け、その勢いのまま書斎を出て行く。もちろん扉は開けっぱなしだ。


「相変わらず自由な人達ね。微笑ましいわ」


 リディアは奔放な継母達のことを頭の中から追いやった。


 もうすぐ税金の徴収がある。必要な書類をまとめて、期日に提出するのはリディアの仕事になっていた。


 父親はもともと活動的な性格ではなかったが、母親が亡くなってから輪をかけて無気力になっている。最低限の労力で仕事と生活をしているだけだ。家長としての仕事はおざなりになりやすく、見かねたリディアが手伝うようになった。


 リディアが手伝うから、父親はますます家のことを放置するのではないだろうか――そう思っているが、他に方法がない。税金を滞納した挙句に、家を潰されても困るのだ。


 (カミル)をお願いねと言って息を引き取った母親の遺言もある。だから弟が成人してリディアがやっていることを申し送るまでは、手を貸そうと決めていた。

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