18東の辺境4
執務室でクラウスは辺境内の視察計画を立てていた。
国境付近で隣国を監視する砦はもちろん、辺境内にある町や村も気になる。今年は魔獣の被害が少ないが、油断できない。領民には街道の整備に人手を差し出したぶん、税の取り立てを低くすると約束した。事務官に算出した一覧を出すよう命じたから、そろそろ提出する頃合いだろう。
やるべきことは多いが、人手と金には限りがある。その調整で苦労するものの、王宮で貴族と派閥闘争するよりは、やりがいがあった。
事務官や辺境の騎士団長を交えた会議が終わったころ、リディアが面会を申し出てきた。頭を休めるにはちょうどいいだろう。集まっていた者へ解散を告げると、なぜか皆、微笑ましいものを見た顔で執務室を出ていった。
「お仕事の邪魔ではありませんでしたか? こんなに早く会えるなんて思わなくて、心の準備ができていないのですが……」
「一区切りついたところだ。心の準備なんて、君に必要か?」
ほぼ初対面の相手に、あれだけ堂々と婚約破棄の真相に切り込んできたのだ。肝が据わっていないとできない。
頬をバラ色に染めたリディアは、上品に口元を覆って言った。
「不意打ちの遭遇は、好きの過剰摂取になってしまいます。それに先ほどヒルデガルト事務官から、頑張ってくださいと言われて、期待と緊張で心が苦しくて」
「分かった。彼には後で注意しておく」
とりあえず明後日まで待とうと思っていた税金の一覧は、明日の朝に提出させようとクラウスは決めた。
「わけの分からないことよりも、用件を言ってくれないか」
リディアは胸に手をあてて息を吐いてから言った。
「幽霊の正体が分かりました」
「もう分かったのか」
「夜まで待たずとも同じ現象を再現できますが、いかがいたします?」
クラウスとしては正体不明な幽霊でないと分かっただけで十分だ。だが怖がっていたメイド達は違うだろう。怯える必要はないと理解するには、口で言うよりも証拠を見せてやるほうがいい。
それに彼女達の幽霊話が飛躍する前に、手を打っておきたかった。
カルラが話そうとしていた童話は、導入部分がリディアと重なるところがある。遠方から嫁いできた女性によって、村が被害を被るところだ。まだ何もしていないリディアと同一視するような使用人はいないと思いたいが、この先に何か不幸なことがあったときは予測できない。
原因不明の現象がおきたとき、人間は原因を探そうとする。同じことを繰り返さないためだったり、不安を解消するためだったりと、動機は様々だ。
リディアは強制的に結婚させられた相手だが、味方もなしに放置するような扱いはしたくなかった。彼女は家族や友人達と離れ、一から人間関係を築いていかなければならない。こちらの生活に慣れるまで、手助けが必要だろう。
「見る前に、君の仮説を聞きたい。再現する時は、あのメイド達にも見せようか」
「ではメイド長と執事にも同席してもらいましょう。もし他の使用人が幽霊現象に遭遇したときは、二人から説明してもらうのが良いかと。クラウス様や私では、使用人の会話を掌握できませんし、使用人はまず直属の上司に相談するものでしょう?」
「そうだな」
リディアから仮説を聞いたクラウスは、指定された使用人を集めて一階の廊下へ来た。リディアはすでに到着しており、廊下の床板を見ている。こちらに気がつくと、艶のある笑みを浮かべた。
「この屋敷は面白いわね。今まで発覚しなかったのが不思議なくらい」
「そうか。その話は後で聞かせてもらう」
「ええ。秘密ですものね。もちろん心得ておりますわ」
リディアは使用人達へ向かって、集まってもらった理由を簡単に述べた。
「ここが幽霊の声や叫び声を聞いた場所で間違いないわね?」
問いかけられたメイドのうち、叫び声を聞いたという小柄なメイドがうなずいた。
「はい。ここです。あの日から、ここを通るのが怖くなって、いつも急いで通り過ぎるようにしてるんです」
「分かるわ。あの声を初めて聞いたら、驚くわね」
「奥様も聞いたんですか?」
リディアは手に持っていた羽を、窓へ向かって振った。ちょうど天体観測の塔が見える方向だ。
リディアが合図をしてすぐに、外と壁側から叫び声に似た音が聞こえてきた。
「な、何? どういうこと?」
メイド達はお互いに身を寄せ合い、不安そうにクラウスを見てくる。執事とメイド長も動揺こそ表に出していないが、同じ気持ちのようだ。
「クラウス様は先ほどの鳴き声をご存知ですね?」
「ああ。夜泣き鳥だな。こちらでは、ほとんど見かけないが」
リディアは羽を使用人達に見せた。
「王都の近郊に生息している鳥よ。険しい山岳地帯に棲んでいるから、平地が多いこの辺りでは基本的に見かけないわ。あなた方が知らずに恐れるのも無理ないわね」
あの鳥の鳴き声は、正体を知らない者には叫び声のように聞こえる。クラウスは王都で生まれ育ったので、彼らが感じた恐怖に気が付かなかった。
「そ、そんな鳥がなぜここにいるんですか?」
メイドの間から声が上がった。カルラだ。
「あの塔の最上階。崩れたところに巣があるのよ。本来の生息地から外れたところで巣を作るのは、あり得ないことではないわ。あそこは見晴らしがいい高台ですもの。都合が良かったのね。夜泣き鳥に限らず、他の動物や魔獣でも同様のことがあるわ」
「奥様は巣を見たんですか? あそこは封鎖されていますよ」
カルラはやけに挑戦的な態度だ。
「私は入ってないわ。でもね、塔の壁や周辺に鳥のフンが落ちているのよ。大型の鳥が塔の上へ飛んでいくところを見たことはない?」
メイド長と執事は、それで納得したようだ。無言のままうなずいて、続きを待っている。
――羽がどこに落ちていたのか、言わなかったな。
クラウスは巣の周辺か塔の内部で見つけたのだろうと予想した。回収したのはシェーラかもしれない。リディアが羽を振って合図をした相手も、シェーラだろう。そうでなければ、羽を振っただけでタイミングよく鳥が鳴くわけがない。
「じゃあ、私が聞いた低い声はなんだったんですか? 奥様がここに住むって知らされた時に、塔へ雷が落ちるなんて不吉ですよ」
嫌な展開になりそうだ。クラウスはメイドを嗜めようとしたが、リディアに先を越された。
「あの塔は誰も使わなくなって、手入れもされていなかったわ。外壁の劣化具合は、素人の私が見ても分かるぐらいよ。それに、あの塔に雷が落ちた形跡はなかった。崩れてしまったのは、雷ではなくて強風でしょうね」
リディアは廊下の壁にかかっている絵画に手をかけた。
「誰か、この絵を外してくださる?」
すぐに動いたのはクラウスと執事だった。絵画は大きく、額も木材を彫刻した立派なものだ。力がないと壁から下ろすのは難しいだろう。
絵画を外したところには、金属製の筒が壁に埋まっていた。筒は下へ続いているようだ。筒の端には粘土のような土がついたあとがあった。
「これが低い声の正体よ」
「何ですか、これは?」
「伝声管だ。これは先端が切られているようだが」
クラウスは砦で実物を見ている。リディアから事前に、屋敷の中にも伝声管があることを教えてもらったが、正確な位置までは特定できなかった。
伝声管を知らなかったメイドに簡単な説明をすると、余計に混乱してきたようだ。
「どうしてそんなものが、この屋敷にあるんですか?」
「この伝声管が繋がっているのは、あの塔の最上階よ。何代も前の辺境伯が天体観測をしているとき、使用人を呼ぶために使ったのでしょうね。この廊下からさらに別の部屋へ繋がっていたのか、分からないけれど。使わなくなったから壁のところで切って、蓋をしていたのでしょうね。絵をかけていたのは、それを隠すためかしら?」
クラウスはリディアが見ていた床を確認してみた。床板には不自然に真っ直ぐな溝がある。廊下が完成した後に切ったような跡だ。伝声管を床下へ通すさい、床板を剥がしたのかもしれない。
「誰かが塔から呼んでるってことですか?」
カルラが嫌そうに言った。
「もしそうなら、面白かったわね。でも残念ながら風のイタズラよ。最上階の一部が崩れて、伝声管が剥き出しになってしまった。だから風向きの条件が合えば、空気がここを通って声のように聞こえるの」
リディアはもう一度、塔へ向かって羽を振った。今度は低く唸るような音が聞こえてくる。
「これが幽霊の正体よ。理由を知ると、怖くなくなるでしょう?」
「良かったぁ。ただの風だったんですね」
カルラ以外のメイドは、明らかに安心したような顔になった。
「蓋をしておけば、もう音は聞こえてこないわ」
「完全に排除するのは難しそうだな。ひとまず粘土でも詰めておくか」
害虫や小動物が侵入してくる可能性を考えれば、無くしてしまうほうがいいのは分かっていた。伝声管を取り除くには、壁を壊して床板を剥がす必要がある。今すぐ対処できる問題ではなさそうだった。
粘土を詰めるとクラウスが言ったとき、不満そうな声が聞こえた。人間の声とは聞こえ方が違う。遊びは終わりだと告げられた、幼児に似ている。
――精霊だな。
クラウスに聞こえたということは、風の精霊だろう。おそらく伝声管の中に入って遊んでいた個体が、文句を言いに来たに違いない。
幽霊の正体が風や鳥の鳴き声だと判明したので、クラウスは解散を告げた。メイド達には不審なものや不可解な体験をしたら、まずメイド長といった直属の上司に報告するよう言うと、素直に返事をしていた。
「さあ、あなた達は仕事へ戻りなさい」
メイド達はメイド長に促されて、それぞれの持ち場へ戻っていった。幽霊じゃなくて良かったという会話も聞こえてくる。執事は手頃な粘土を探しに、メイドとは反対の方向へ歩いていった。
「……幽霊のほうが良かったわ」
リディアは不満そうだった。
「幽霊だったら、君が余計なことをしたせいで悪霊が蘇ったと勘違いされて、非難されていたかもしれないんだぞ」
「もし悪霊や魔獣が封じられているなら、領主のクラウス様が知らないはずありませんもの。そういった危険なものは、代々の領主に申し送るでしょう?」
「そうだな。幸いなことに、辺境にはその手の封印は存在しないよ」
「幽霊の話を聞いたとき、クラウス様には正体の見当がついていたのでは?」
「正体とまではいかないが、勘違いだろうとは思っていたよ」
不可思議な現象の大半は、遭遇した者の勘違いだとクラウスは思っている。だいたい、声だけの幽霊なんて実害がないなら放置しても問題ない。今回は幽霊が出た原因がリディアになりそうだったから、対処の必要を感じただけだ。
「それよりも、君は俺の忠告を聞かなかったな。あの塔は危険だと言ったはずだが」
「私は塔の中へ入っておりませんわ」
全く悪びれたところもなく、リディアが微笑んだ。
「内部を確認したのはシェーラよ。あの子は精霊です。人間のように、瓦礫に押し潰されたりなんかしません」
「精霊? 彼女も?」
どこから見ても人間にしか見えなかった。
「王都で見せてくれた精霊とは違うのか?」
「ほぼ同じです。そのままの姿で自然界にいるか、物に宿っているかの違いですわ。強い力を持った精霊は、人間にも見えるようになります。おとぎ話の中には、精霊と結婚をする話がありますよね?」
古い物に精霊が宿る話は、クラウスも聞いたことがあった。精霊を宿したと言われている剣なら王都にもある。王子であるクラウスでさえ式典の時しか見たことがなく、普段は厳重に保管されていた。人の形に変化した逸話は聞いたことがない。
まさか身近なところに人間と変わらない姿の精霊がいるとは思ってもみなかった。
「俺に教えても良かったのか」
「クラウス様なら信用できますし、誰かに話したところで信じてもらえませんわ」
「……精霊だと証明しなければ、信じられないだろうな」
精霊と交流したり、姿を見せてくれたリディアでなければ、今の話は信じられなかった。
それよりも、とリディアが付け足した。
「詳細を黙っていてくださって、助かりました。私が到着早々にクラウス様の言いつけを破ったと思われたら、メイド達は私を信用しなくなりますから」
「自覚があるなら、今度は守ってもらいたいものだ」
「時と場合によるとお答えしましょう」
執事が庭師を連れて戻ってきた。庭師は粘土を持っている。粘土で伝声管を塞ぎ、絵画を元通りの位置にかけて応急処置は終わった。
「これでもう幽霊の声は聞こえなくなったわけだが……よくこの場所だと分かったな」
執事たちが去っていくと、クラウスはリディアに言った。
「単純なことです。あの塔付近にいた精霊に、調べてもらいました。みな面白がって伝声管の中へ入ってくれましたわ。そのついでに隠し通路も見つけてしまいました」
「いずれ君に教えようと思っていたんだ。手間が省けたな」
到着して早々に、リディアはこちらの予想を上回る行動力を見せてくる。メイドの不安を解消するどころか、辺境伯と伴侶だけに伝えられる隠し通路まで見つけてしまった。
ますますリディアのことが分からなくなる。王都で様々な駆け引きをしていたせいか、クラウスを油断させるために敵が送ってきた工作員ではないのかと思ってしまう。
「……あの。そんなに見つめられると、照れてしまいます。心臓が疲労で止まってしまったら、助けてくださいね」
リディアがときどき熱にうかされたようなことを言うので、クラウスはますます信じるのが不安になった。




