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15東の辺境

 聖堂を出た終わったリディアは、クラウスと共に国王へ結婚の挨拶を済ませた。国王と初めて対面することになるが、口上は全てクラウスが述べる。家族としてではなく、貴族の義務として行うものらしい。リディアは隣で黙っているだけで良かった。


 着替えに使った控え室へ戻ったリディアは、着替えもそこそこに屋敷へ戻ることにした。明日はクラウスが領主を務める辺境へ旅立つことになっている。余計な疲れを残さないよう、早めに休む必要があった。


 平民の結婚誓約式なら、この後に宴会があるのだろう。


 リディア側の親族を招いた祝宴は、すでに終わらせている。新郎側が不在という異例の祝宴だったが、相手が王族なので誰も文句は言わなかった。


 クラウスとは控え室の前で別れたきり。明日の移動まで会えなくなる。まだ夫だという実感がなく、寂しいとは感じなかった。


 屋敷へ戻ると、すでに父親とカミルが帰宅していた。


「辺境伯はやけに急いで領地へ帰るんですね」

「東の辺境は、国境の一部をダルネシアと接している。あまり長く不在にしたくないのだろう」


 カミルの疑問に、父親が静かな声で答えた。


 ダルネシアとの国交は再開されているが、今も友好国とはいえない。隙を見せれば即座に消えてしまいそうな、危うい平和が続いていた。


「いよいよ明日なんですね。この家に姉さんがいないなんて、不思議な感じがします」

「そうね。もっと先になると思っていたわ」


 リディアは早めに就寝することにした。明日は家の前までクラウスが迎えに来てくれる。寝ぼけた顔なんて見せたくない。


 自分の部屋に入ったリディアは、持って行く私物を点検した。衣類などはシェーラが綺麗に詰めてくれている。貴金属も鍵付きの箱へ厳重に入っていた。もちろんクリスがついているカフスボタンも含まれている。


 辺境へ移住することは、他の精霊にも伝えた。大半はここに残ることを選び、リディアについてくるのはごく一部だ。ベルンシュタインはついて行くのが当たり前と言わんばかりに、自分で道具をまとめて荷物の中に紛れている。儚げな外見とは真逆の行動力だ。


 翌朝、いつもより早く起きたリディアは、窓を開けて外を眺めた。自分の部屋から見る光景は、今日で最後になるだろう。そう思っても実感がない。


「もう起きたんですか?」


 音もなくシェーラが部屋へ入ってきた。


「ええ。寝坊するよりいいでしょう?」


 クラウス達が迎えに来たのは、朝食を終えてしばらくしてからだった。彼らはリディアがすでに準備を終えていたことに驚いている。


「しばらく待つつもりでいたのだが……」

「クラウス様に会えるのが楽しみだったからでしょうか。早朝に目が覚めてしまいました」


 クラウスは目に見えて動揺した。頬が赤く染まり、さっと目をそらされてしまう。声が聞こえていた護衛たちが、微笑ましそうに笑っていた。


 ――どうしましょう。癖になりそうだわ。


 目に見える反応をされると、もっと他の表情が見たくなる。


「先に君の荷物を積むぞ。あれだけか?」


 露骨に話題をそらされてしまった。そこもまた可愛らしいと思ってしまう。リディアは自分で思っているよりも、クラウスが気になるらしい。


 ホロ付きの馬車にリディアの荷物を乗せても、まだ荷台には余裕があった。クラウスや護衛の騎士達は、最低限の荷物しか持ってきていないのだろう。かなり旅慣れているようだ。


 リディアが乗るのは箱型の一般的な馬車だった。質素なのは見た目だけで、座席には座り心地が良くなるようにクッションが敷き詰められている。よく見れば車輪のところにも、衝撃を吸収する仕掛けがあるようだ。


「姉さん。元気でね」

「あなたもね」


 馬車へ乗る前、見送りに出てきたカミルが心配そうに言った。父親は何も言わないが、二人とも同じ顔をしている。血は争えない。


 馬車にはクラウスとシェーラも同乗した。もしキースリング家が上位貴族なら、メイドを何人も連れて行くのだろう。リディアにはシェーラがいれば不自由しない。もし人手が必要になったら、辺境で探す予定だ。


 改めてクラウスと対面すると、リディアは恥ずかしくてうつむきそうになった。


 ――待っているだけの女じゃ駄目よ。夫婦円満の秘訣は会話からだって伯母様が言っていたじゃない。


 継母達が家を出たあと、ベルトホルトの妻は母親の代わりに何かと世話を焼いてくれた。彼女はリディアのことが気になっていたものの、手助けできない立場をもどかしく思っていたらしい。現状を放置していた父親とベルトホルトへの不満をぶちまけた後は、社交界で必要なことを惜しみなく教えてくれた。


 リディアは話題になりそうなものを探しているうちに、クラウスへ確認したいことを思い出した。だがリディアが質問をする前に、クラウスから話しかけてきた。


「この結婚に不満はないと聞いたが、本当か?」


 手紙で聞いてこなかったのは、第三者に読まれるのを避けるためだろうか。

 もちろんリディアに不満などない。


「はい。ありませんわ」

「自分で言うのもなんだが、俺に関する噂を知らないわけではないだろう」

「その噂とは、愉快な物語のことでしょうか? 暇つぶしにはなりますけれど……それよりも私が興味を惹かれたのは、あの婚約破棄騒動の台本を書いたクラウス様本人です」

「台本? なんのことだ」


 クラウスには、この程度の言葉は揺さぶりにもならなかったようだ。本気で意味が分からない様子で聞き返された。


 第一王子として政治や外交に関与してきただけはある。たとえ心の中では動揺していたとしても、全く顔に表れていない。


 ――でもそれは政治面の話よね。


 リディアは馬車に乗る前にクラウスが見せた表情を思い出した。


「ゼンケル伯爵から、クラウス様が置かれていた立場を少しだけ教えていただきました。身動きできない己の立場を嘆くことなく、目的のために自分が持てるもの全てを投げ打つ覚悟。私、とても心を動かされましたわ。知れば知るほど見えてくるクラウス様の思考が、とても綺麗で」


 クラウスが騒動を起こした経緯を詳しく知るにつれ、彼がとても冷静に行動した痕跡が見える。事実、政治に関わる人物が入れ替わっても、国内に混乱は起きていない。人事異動も含めた計画を実行するにあたって、事前の根回しを念入りに行ったのだろう。


 リディアも家族のために自分を抑圧していたが、クラウスには遠く及ばない。彼の場合は、血縁者だけでなく国全体に影響が及ぶのだ。


「ですから、二つほど確認したいことがあるのです」

「……聞くだけ聞こうか」

「クラウス様の協力者だった令嬢は、どこかで平穏に暮らしているという認識でよろしいかしら?」


 婚約破棄の話は、クラウスのことばかりが話題に出てくる。恋愛関係にあったと言われている令嬢のことは、数えるほどしか出てこない。最も玉座に近いと言われていた第一王子と熱愛していたのに、これはおかしな話だった。


 二人が会っていた店の名前まで知られているくせに、出会ったきっかけを誰も知らない。全くと言っていいほど接点がないにも関わらず、いつの間にか出会って交際をしている話が流れてきた。そして今は令嬢の存在だけが消えている。


「確か、ブラント伯爵令嬢でしたね? 婚約破棄をしたと言われている日から、家には帰っていないようですわ。クラウス様の護衛を一人連れて逃亡していると言われていますけれど、外国に伝手がない彼女が出国したとは思えないわ。どちらにいらっしゃるのか、見当がつかないのです」

「それを知って、どうするつもりだ」

「何も。上手く家族から逃げきってほしいわ。彼女、身売り同然に結婚させられる寸前だったみたいだから」


 恋人だと噂されていた令嬢の家庭については、今頃になって明らかになってきた。社交界を覗いた程度のリディアが掴めたぐらいだ。他の者は、もっと前から知っていただろう。


「売られる前にクラウス様と恋仲だと騒がれて、消えてしまったんですもの。気になりますわ」


 クラウスは感情を出さないまま、こちらを観察している。


「……詳しい行き先は言えない。おそらく息災だろう。これでいいか」

「はい。十分です」


 今の言葉で確信が持てた。


 二人は恋人ではなかったのだろう。クラウスから思慕や後悔といった感情が感じられない。彼女の境遇を知ったクラウスが、逃亡先を用意する代わりに恋人役を頼んだのではないかとリディアは思った。


「二つあると言ったな。もう一つは何だ?」


 まるで交渉のテーブルについた顔でクラウスが言う。仕事の時はこんな顔をしているのねと、リディアは膝の上に置いた手をそっと握りしめた。これから毎日、クラウスの新たな一面を発見できるのだ。気を抜くと顔がにやけそうなほど嬉しい。


「では遠慮なく。あの婚約破棄は人事異動が目的だと囁かれていますが、クラウス様の本当の目的は、婚約の白紙化でよろしいですね?」


 一瞬だけクラウスの視線が鋭くなった気がした。瞬きをする間に不穏な空気は消えている。


「君がそう思った理由は?」

「第二王子と王子妃が心から祝福してくださったから、でしょうか。まるで婚約破棄自体が無かったかのように。クラウス様と二人の間に確執はないのでしょう?」

「もう一年以上も前の話だぞ。今さら仲違いをしてどうする」


「そう頭では理解していても、感情が追いつかないのが人間です。ふとした時に表へ出てきてしまいます。クラウス様は婚約破棄騒動で元婚約者を盛大に傷つけたとありますが、王子妃には被害者が持つような感情の揺らぎが見られませんでした。クラウス様は計画を実行する前に、王子妃には目的を話していたのでは?」

「そこまで言うなら、俺が婚約を白紙にしたかった理由も考えているのか?」

「ええ。最も可能性として考えられるのが、弟と婚約者の恋を応援したかった、ですわ。婚約者と弟がお互いを慕っているのに気がついたクラウス様は、政治的な問題と共に解決なさった。私はそう解釈しましたが、いかがでしょう?」


 クラウスは何も言わない。ただ眉間に不愉快そうなしわが寄っただけだった。


 否定をするほどの間違いはないが、素直に肯定するのは悔しい。そんな言葉が聞こえてくるようだ。クラウスが何重にも隠していた目的を、結婚したばかりのリディアが指摘してくるとは予想外だったらしい。


 おそらくクラウスは、元婚約者や恋人と噂された令嬢との関係などを聞かれると思っていたのではないだろうか。恋愛感情はあったのか、今も交流があるのかなど、多くの女性が聞きたがっているようなことだ。


「……そうだ、と俺が言ったら、君は信じるのか? 本当の俺は噂通りの男かもしれないんだぞ」

「嘘をつく理由がありませんわ。そうでしょう? 私一人を騙したところで、事実は変わりませんもの」

「君は目の前に不可解なことがあれば、解きたくなる性格なのか?」


「そうかもしれません。ですが、何でも首を突っ込むわけではありませんわ。今回は夫になる人のことですから、とことん知りたいのです。よく知らない人を愛するなんて、できませんもの」

「あ、愛する……?」

「ええ。家族から、これからは自分の幸せを追求するよう言われてしまいました。それで、自分なりに考えてみたのです。私が幸せになるには、まず夫を愛することから始めるべきではないかと」


 沈黙しているクラウスを見て、リディアは気がついた。


「もしかして結婚したことをお忘れですか?」

「忘れるわけないだろう。昨日の話だぞ」

「良かったわ。これからも忘れないでくださいませ」


 結婚を無かったことにされたらどうしようかと思ったが、妻として認めてくれているようで安心した。


「君、庭園で会った時と性格が違わないか?」

「あの時はまだ猫を被っておりました」

「なるほど。そちらが本性か」

「まあ。本性だなんて。ほぼ初対面の男性に遠慮なく質問できる女性は、少ないと思いますわ。ましてや、誰が聞いているのか分からない場所で、クラウス様が隠している目的を尋ねるなんて」

「……それもそうか。手紙も同様の理由か」

「誰に読まれても支障がないようにいたしました」


 クラウスとの結婚が知られただけで、たくさんの招待状が届いたのだ。こっそり手紙を読まれるかもしれない可能性は十分にあった。


「もしかして、手紙では盛大に愛を語るべきでしたか?」

「しなくていい」


 その後はお互い婚約破棄の噂に触れることなく、会話が続いた。


 先ほどよりもクラウスの態度は柔らかくなっている。少しは心を開いてくれたのだろうか。リディアにとって順調な滑り出しだ。



***



 数日をかけて辺境へ戻ってきたクラウスは、精神的な疲れを感じた。理由はリディアだ。


 庭園の出会いと手紙の印象から、もっと物静かで神秘的な印象を抱いていた。クラウスが悪いのは自覚している。長年の悩みだった正体不明の声に答えをくれたことで、勝手に人物像を作りあげていたらしい。


 馬車の中での会話は、そんな想像を砕くには十分だった。


 出回っている婚約破棄の噂について、一度は聞かれるだろうと思っていた。元婚約者との軋轢や、恋人だと囁かれた令嬢など、妻としては面白くなくても気になる話題だ。ところがリディアはこの二つについて、あまり関心を持っていない様子だった。


 これまでクラウスが会ったことがある女性の大半とは違う。

 リディアは明確な根拠を元に質問を投げかけてくる。途中から仕事の話をしているような気分になった。


 彼女が到達した結論は正しい。


 婚約破棄は弟と元婚約者のためにやったことであり、政治的な問題は丁度良かったから利用しただけだ。


 弟と元婚約者がお互いに淡い恋心を抱いているのは分かっていた。同時に、自分が王になれば立場を利用されてしまうことも。一つ一つに向き合って時間をかければ、何も変えずにいられたかもしれない。だがクラウスは二つとも自分から切り捨てる楽な道を選んだ。


 己への悪評など、どうでもいい。王位への執着心は最初から持ち合わせていなかった。弟から初恋の人を横取りするほうが辛い。婚約者が気持ちを押し殺したまま、自分と結婚しようとしているなんて、知らないままでいたかった。


 誰かに相談できるわけがない。


 だから自分に擦り寄って権力を得ようとしている派閥は、目くらましにちょうど良かった。国のためという大義名分があれば、自分の弱さを知られずに済む。


 それなのに、リディアに見破られるとは思わなかった。まだ協力してくれた令嬢との関係を問い詰められるほうが、クラウスには楽だ。


 逃げたと思われたくなくて、彼女が正しいと言えなかったなど、リディアには知られたくない。


 ――リディアローゼ・フォン・キースリング。今まで彼女の名前が表に出てこなかったのが不思議なぐらいだ。


 クラウスの内面に入ってくることさえ言わなければ、彼女との会話は楽しめた。あまり知らなかった精霊の話も興味が尽きない。こちらから話題を振っても、面白くなさそうな顔をしない。


 ある一点を除いて、リディアと信頼関係を築くのは難しくないと思われた。


 ――いきなり好意を全面に出されると戸惑うのだが。


 嫌われるよりはいい。そんなことは百も承知だ。ただ、好意を隠すことなく向けられると、どう反応すればいいのか迷う。


 クラウスから見たリディアは、底が見えない。出会って日が浅いから当然と言えば当然だ。そんな相手から好かれているなんて思えない。愛情を伝える時に色気が漂っているのは、裏があるのではないかと勘繰ってしまう。


 ――まだ世間知らずの令嬢が来たほうが楽だったかもしれないな。


 馬車が止まった。クラウスは始まってしまった新婚生活を、どう乗りきろうか考えていた。

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