11 悪意に壊されたもの
リディアが退室したあと、カミルは散らばったドレスの切れ端を箱へ入れた。
あんなに憔悴している姉を見るのは初めてだ。いつも穏やかな表情で、よく働く姿しか見たことがなかった。もっと早く行動していれば、継母の犯行は防げただろう。何度後悔しても足りなかった。
「これで必要な書類は揃ったかね?」
「はい。あとは彼女達へ告知するだけですね」
父親と継母が署名した書類は、事態を見守っていた人物へ手渡された。伯父の伝手で同席してもらった書記官だ。大金が絡むような契約時に、不正を防止するために雇われる。彼は伯父の知己でもあるので、防壁の魔術を使った事実は、知らないと証言してくれるだろう。
カミルは床に座りこんで青い顔をしている継母の前に立った。
「先ほどあなたがよく読まずに署名したのは、借金の借用書です」
「……借用書?」
「方々で作った借金を、一度我が家で肩代わりします。あなたは労働で得たお金で、我が家への借金を返してもらいます」
「なんでそんなことをしないといけないの!?」
「あなたが作った借金だからですよ。これでも利子は低めにしてあるんですから、感謝してほしいぐらいですね」
「その話だが、変更を提案する」
ベルトホルトが言った。
「我がゼンケル家が借金を肩代わりしよう。いくら言ったところで、そなたは身内の情に訴えて返済を拒否するだろうな。カミルが取り立てに行っても素直に払うとは思えん。だが赤の他人ならば、泣き落としは通用しない。手加減など一切せず取り立ててやろう」
「ひっ……」
冷めた視線のベルトホルトが継母を睨む。
「伯父さん。いいんですか?」
「ああ。このままでは、リディアローゼの支度金と結婚資金に手を出さねば、返済できないだろう? あの金はリディアローゼのものだ。この女の遊びに使っていい金ではない」
カミルは安堵した。自分ではお金を稼ぐ方法なんて、たかが知れている。利子を返すだけで精一杯だ。リディアの提案通りにするしかないと諦めていた。
キースリング家の名義で作られた借金をベルトホルトが肩代わりすれば、ゼンケル家の派閥に入ったと周囲は思うだろう。今までキースリング家はどの派閥にも属さず、影が薄いこともあって存在感がなかった。だがこれからはゼンケル家の派閥闘争に、少なからず巻き込まれることになる。
――でも、他に道はないんだ。
何年も借金の返済に費やせば、またリディアに迷惑をかけてしまう。きっと返済の足しにしてほしいと、まとまったお金を送ってくるに決まっている。もうリディアには自分の幸せだけを考えてほしかった。
「借金の返済方法として、そなたが持っている不動産からの収入は、すべてこちらへ渡してもらう。その代わりに働き口は紹介してやろう。住み込みの仕事だ。怠けたり問題を起こすたびに待遇は悪くなるから、心して働くように」
カミルにしてみれば、ベルトホルトのやり方にはまだ温情があった。何年もリディアを冷遇し、傷つけたのだから、もっと過酷なところへ追いやってしまいたい。一方で、年長者であり第三者のベルトホルトでなければ、過剰な制裁をしてしまうだろうとも思う。
重要な決断は感情を排除して下せと、他ならぬベルトホルトに教えてもらった。だからカミルは口を挟まず任せることにした。
「働く……? 私が? 嫌よ、そんなこと……私は貴族なのよ! 働くなんて下賎なことはしないわ!」
嫌だと首を横に振る継母に、誰も声をかけない。
ベルトホルトは戻ってきたシェーラに、継母の身の回りのものを荷造りするよう命じた。シェーラは一度だけ、継母を見てから行動を開始した。言われた通りにカバンの中へ衣類を詰め始めたシェーラだったが、入れ方は雑だ。彼女も継母に対し、怒りを抱えている。
カバンに入れられるものを見ていた継母は、貴金属やドレスが入っていないと喚いても、シェーラは無視し続けていた。
「もう変更点がなければ、しかるところへ書類を届けに行きますが……」
「ない。よろしく頼む」
書記官は書類を薄いカバンへ丁寧に入れ、さっさと帰っていった。
これで継母とグロリアは赤の他人へ戻る。カミルはため息をついた。
「親はこれで片付いたな。娘のほうだが」
ずっと黙っていたグロリアは、肩を震わせた。
「ご……ごめんなさい。お母様がこんなことするなんて、知らなくて……」
「その謝罪は僕らへ言っても意味がないよ」
「そう、よね……お姉様に言わないと……」
「まさか、今から会いに行くつもり?」
「お嬢様は伏せっておられます。しばらく面会はお控えください」
シェーラの言葉で、グロリアはまたうつむいた。
――姉さんを罵倒して困らせていたくせに。
謝罪すれば元通りになると思っているような、グロリアの態度が嫌いだ。どんなに自分の行動を顧みて罪悪感を抱えようと、二度とリディアに会ってほしくない。
「さんざん姉さんへ酷いことをしたのに、謝るだけで許されると思ってるの? 僕は何度も止めろって言ったよ」
「だ、だって、お母様が喜んでくれるから……だから……」
「だから母親がドレスを切るのも、黙って見てたんだ」
グロリアを睨むカミルの肩に、ベルトホルトが手を置いた。
「落ち着けカミル。さて、娘のほうだが、未成年ゆえに深く考えずにやった行動もあるだろう。まともな教育を受けられるよう、奉公に出てもらう」
「グロリアにも働けというの!?」
悲痛な声で継母が叫ぶ。
「そんなの許さないわよ! 私の娘なのよ!」
「自らの行動が招いた事態だ。恨むなら己を恨め。どこかへ売るわけではないのだ。真面目に働いていれば、いずれまた一緒に暮らせるだろうよ」
グロリアは静かに泣き始めた。いきなり生活が変わってしまったことには同情するが、彼女に非が全くなかったわけではない。例えば母親を諌めたり、リディアを助けていたなら、全く違った待遇になっただろう。
荷造りが終わったシェーラがカバンを閉めた。もちろん貴金属やドレスの多くは入っていない。継母が買い漁った品は、全て売る予定だ。
「外へ追い出しますか?」
「頼めるか? 外で待機している馬車へ入れろ。しかるべき場所へ連れていく手筈になっている」
「かしこまりました」
「痛っ! 離しなさいよ! 離して! 覚えていなさいよ! 絶対に復讐してやる!」
「うるさいですね。さっさと行きますよ。それともゴミのように窓から捨てられたいですか?」
「平民風情が生意気なのよ!」
シェーラは継母の腕を掴み、引きずるように部屋の外へ連れていく。痛いと継母が訴えても、彼女は力を緩めなかった。
「……今日はここまでにしておこう。明日の朝、娘のところへ迎えを寄越す。荷造りはシェーラに頼め」
ベルトホルトは帰ると言って、部屋を出ていった。
一段落したが、カミルの心は晴れやかとは言えなかった。自分だけの力では、何一つできないことを思い知らされただけだ。継母を追い出すために必要な手続きのほとんどは、伯父がいなければ用意できなかった。
未成年だから仕方ないと、開き直れたら楽だろう。カミルにとって年齢を理由にするのは、逃げることと同じだ。リディアだって成人前から家のことをしていた。リディアに頼って甘えた挙句、行動が遅れてしまったのはカミルの落ち度だ。
――これからは、僕がしっかりしないと。
その前に、カミルは父親に聞きたいことがあった。
「父さん。どうして魔術が使えることを黙っていたの?」
部屋を出ようとしていた父親が足を止めた。
「使えるのに、どうしてあんなに否定的なのさ」
「使えるから嫌いなんだ」
おいでと言われたカミルは、ドレスが入った箱を持って父親を追いかけた。この部屋にはグロリアがいる。彼女はベッドに腰掛けて黙っているが、きっと二人の会話は聞こえているはずだ。
廊下へ出ると、父親は書斎へ向かっているところだった。
「お前が生まれる前に、南のダルネシアと大規模な戦争があった」
「うん。伯父さんのところで、歴史の先生から聞いたよ」
「俺は防壁の魔術を評価されて、ゼンケル伯爵が率いる前線部隊へ配属された。貴族同士が足を引っ張りあって、ろくに物資が届かないところへな」
カミルには初耳だった。南の国境を接している国との戦争は、ベルトホルトが活躍して勝利したと伝わっている。父親の名前はどこにも残されていない。
「当時のゼンケル伯爵は、まだ爵位を継いでいなかった。彼の父親が存命だったからな。それに政治的な立場も弱かった。後方にいた貴族どもは、自分達の安全が守られることばかりを考えていたんだ。平民や下級貴族の俺達に危険なことを押しつけて、食料すら寄越さない。前線が崩れたら次は自分達の番なのに」
前を歩く父親の顔は見えない。だが覇気のない声で、大体の表情は予想がついた。
「味方も物資も減っていく中、俺だけは防壁を維持するために普通の食事を出されるんだ。みな、飢えそうになっているのに。お前の防壁が頼りだからって」
書斎へ入ったカミルは、扉を閉めて続きを待つ。
「ゼンケル伯爵が捨て身の攻撃をしなければ、お前は生まれていなかった。国が一つ消えていただろうよ。なあカミル。お前、精霊を操れることは誰にも言うな」
「どうして知ってるの? 姉さんしか知らないはず……」
こちらを振り返った父親の目は暗く、どこか遠くを見ているようだった。
「妻が……お前の母親も知っていた。だから俺も知っている。いいか、強い力を持っている者は自制心が必要だが、付け入る隙を与えないことも必要だ。お前を利用しようとする奴らに気づかれるな。あいつらは成果だけを盗んで、こちらには何も残さない。自分以外は道具としか思っていないんだ。だから俺は貴族同士の争いには関わらないと決めた」
「父さん……」
父親が無気力だった理由を、カミルはようやく知った。母親が生きていた頃は、まだ正常に近かったのだろう。だが支えてくれた妻を亡くし、惰性で生きていたのかもしれない。
「お前は父親を恨んだままでいい。魔術の勉強は続けてもいいが、何の魔術が使えるかは隠しておけ。切り札なんてものは、死ぬまで使わない方がいいんだ」
父親は金庫を開け、指輪を一つ出した。
「お前自身を切り札にするな。俺みたいに利用されるだけだ。俺の場合は運良くゼンケル伯爵が理解してくれて、俺に関する記録を消すことができた。あの人は自分が目立つことで、俺や、他の功労者を守っているんだ」
「他の? 他にも、父さんみたいに隠している人がいるの?」
「守る側にいた俺ですら、地獄を見たんだ。他の者はそれ以上だろう。この話はもういいか? これをお前に渡す。俺よりも有効に使えるはずだ」
渡された指輪には、キースリング家の家紋が刻まれている。この国の貴族が重要な契約をする時に使う印だ。契約書に特殊なインクで捺印して使う。
父親はカミルへ実権を任せるだけでなく、当主の座から降りるつもりだ。カミルの決定には全て従うと行動で示している。
「父さんは、それでいいの……?」
「お前とリディアローゼには苦労をかけた。申し訳ないと思っている」
しばらく一人にしてほしいと願う父親にかける言葉を見つけられず、カミルは素直に書斎を出た。
突然のことでカミルにも考える時間が欲しかったが、まだやるべきことがある。カミルは箱を抱えてシェーラを探した。玄関へ向かうと、ちょうど彼女が入ってくるところが見えた。
「シェーラ。お疲れ様。あいつは素直に馬車へ乗ったのかな?」
「暴れておりましたので、気絶させて乗せました」
「そっか」
カミルは箱をシェーラに見えるよう持ち上げた。
「君は僕以上に姉さんのことに詳しいよね」
「お嬢様がお腹の中にいる時から、近くにおりますので」
「シェーラに協力してほしいことがあるんだ」
自分の言葉が精霊に影響を与えやすいことを思い出し、カミルは予防線を張ることにした。
「今から提案することは、君が嫌だと思ったら断ってもいいよ。君自身の判断で、僕に協力するか決めてほしい」
「……かしこまりました」
シェーラが答えるまで、若干の間があった。
彼女の表情は読みにくい。だがカミルの言葉で強制されている様子はなかった。




