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10 悪意に壊されたもの

 ベルンハルトに会った二日後、カミルが紙の束を手に帰ってきた。怒りを隠しきれない様子で、誰かを探している。


「カミル? どうしたの?」

「姉さん。あの女、とんでもないことを仕出かしてくれましたよ!」


 カミルが見せてくれた紙には、店の名前と購入した品、金額が書いてある。


「これは?」


 嫌な予感がしたリディアは、確認のために尋ねた。


「あの親子がツケ払いで買ったものの一覧です。他にも商人からお金を借りていて、支払い期限が迫っています」

「借金、よね。総額は……」


 ざっと計算したリディアは、その額に言葉を失った。今ある貯蓄で全てを払うのは無理だ。屋敷を売り払えば足りるかもしれないが、取引に応じてくれる商人と次の住居も見つけなければいけない。


「どうして、こんなことを……」


 お金なら十分に渡していたはずだ。


「あいつらは目の前のことしか見ていないんですよ。もっと早く行動すれば良かった!」

「カミル、先走るなと言ったはずだ」


 落ち着いた声と共にベルトホルトが現れた。背後には疲れた顔の父親と、見慣れない男性がいる。男性はリディアに軽く頭を下げた。


「ひとまず、あの二人を呼ぶとしようか」


 この場を仕切っているのはベルトホルトだ。リディアはまだ借金のことで気持ちの整理がついていない。


 継母とグロリアは自分達の部屋にいた。ノックをして入ってきたリディア達に対し、継母が不快そうな顔をする。グロリアは対照的に気まずい表情でうつむいた。


「何か用かしら。こんな大勢で押しかけて。失礼よ」

「失礼なのはどっちだ!」

「カミル。感情的になるなと教えたはずだ」


 ベルトホルトがカミルを止めた。そのまま静かに継母へ話しかける。


「あなたはキースリング家名義で、多額の借金をしているそうだな。返すあてはあるのか?」

「何か問題でも? 貴族ですもの。ツケ払いで買い物をするなんて、珍しくないわ」

「答えになっていない。どうやって返すつもりなのだ。キースリング家の資産で返すのは厳しいようだが」

「そんなもの、リディアローゼさんが工面するわ。私は家のことに関わってませんので」

「関わっていなくても、返済に困る額を借りるなんて、何を考えているんだよ。我が家を潰したいの?」


 カミルは今にも継母を殴りそうだ。リディアは弟の腕を掴み、冷静に尋ねた。


「どうして借金なんてしたの? 毎月、いくらか渡していたのに」

「足りるわけないじゃない」


 継母が面倒そうに言う。


「あんな端金じゃ全然遊べないわ」

「端金じゃないわ。子爵家の夫人と令嬢として恥ずかしくない額よ」

「あなたみたいな貧乏臭い娘なら、あれで足りるのねぇ」


 しみじみと、軽蔑の色をにじませて継母はうなずいた。


「しかも私たちに隠れてお金を稼いでいたでしょう? 貴族の娘が労働だなんて恥ずかしい。稼いだお金をせっせと貯めて、何を企んでいたのやら」

「何を、って。私の分のお金をグロリアへ渡していたから、自分が使うお金を稼いでいたのよ。残った分は私の結婚資金にするために貯金していたわ。あなたこそ、何を考えているの?」


「グロリアに良い経験をさせるために決まっているじゃない。貴族として恥ずかしくない教養のためよ。見窄らしい格好で外を歩けとでも?」

「それは大金を使わなくても叶うわ。我が家の名前で借金って……貴族が大金を借りられるのは、返せる当てがあると思われているからよ。土地や事業の権利書、売れるものがたくさんあるから。でも、我が家にはないのよ。一番高く売れるのは、この屋敷ぐらい。どうやって返すつもりだったの?」


 リディアはカミルが持っていた一覧を見せた。

 継母は答えない。


「伯父様。結婚相手の家から渡される支度金は、いくらかしら? それと私が貯めた結婚資金で、少しは減らせると思うのだけど」

「それは姉さんが自分のために稼いだお金じゃないですか!」

「結婚前に家が無くなるよりはいいでしょ」


 カミルはリディアが持っていた紙を掴んだ。


「姉さんはいつも自分を犠牲にしてるじゃないか! 借金を肩代わりしても、あいつらは金蔓が見つかったとしか思ってないよ! 絶対に同じことを繰り返すんだから!」

「カミル。ここで言い争っていても借金は減らないわ。こんな額、あなたにも返せるあてなんて無いでしょう?」

「あなたって、いつもそうよね」


 ようやく継母が口を開いた。


「いつもいつも、その澄ました態度が気に食わないのよ。何を言っても平気な顔して。何でもできる自分を見せつけて、自慢したいのね!」

「お、お母様……」


 グロリアは母親へ向かって弱々しく声をかけた。すがるように手を差し出すが、継母の腕を掴む前に引っ込める。


「どうせあんたも陰で私たちを馬鹿にしていたんでしょう? 後妻と連れ児なんて可哀想。だから親切にしてあげましょうって。自分で結婚資金を貯めた? あらそう。随分と有能なのね。生まれた時から貴族ですけど、お金を稼ぐ苦労も知ってますって言いたいのかしら」


 継母はベッドの下から大きな箱を引きずり出した。


「これ、あなたの母親が結婚式で着ていたドレスだそうね。ご丁寧に母親からリディアローゼさん宛ての手紙がついていたわよ」


 ふたを開いた継母は、箱を蹴ってリディアの前へ押し出した。


 一番上に乗っていた手紙は、黒く塗りつぶされている。ところどころ見える細い線は、母親が書いた文字だろう。手紙の下にあったのは、刺繍をした白い端切れだった。


「それは……リディアローゼへ送ったドレスではないか。なぜあなたが持っている?」


 ベルトホルトの声に動揺がにじんでいる。

 リディアは無惨に切られたドレスから目が離せなかった。


「配達人が置いていったのよ。この家に届いた荷物を点検してあげたの。不審な物を届けられて、グロリアが怪我をしたらどうするのよ」


 継母が笑っている。


「幸せな結婚式になんてしてやるものですか。私なんて無理やり愛人にされて捨てられたのよ。もちろん結婚式なんてしてないわ。ドレスを母親から受け継ぐ夢なんて、最初からなかったわよ。あんたも、そうなればいいんだわ」


 リディアは箱の前に膝をつき、ドレスだったものを拾い上げた。


「なんてことを……シビル、君は、いくらなんでも……」


 父親がうめくように言った。


「酷い? 私が? 酷いのはどっちよ。私は一代限りの騎士爵の娘なのに、この娘は子爵の子よ。努力では手に入らないものがあるって教えてあげただけじゃない。教育よ教育」

「限度があるぞ。君のは八つ当たりだろう。リディアローゼに押し付けるものじゃない」

「うるさいわね! ろくに家へ帰ってこなかった人に言われたくないわ!」


 継母は肩で息をしてリディアを見下ろした。


「ようやく顔色が変わったわね。最初からそんな顔で泣けば良かったのよ。そうすれば、私だって少しだけ優しくしてあげたわ」


 今は何も考えたくなかった。


 父親の再婚相手だから、家族として受け入れなければいけないと思っていた。自分への態度が冷たいのは、実子ではないから仕方ない。こちらが誠意を持って接していれば、仲良くとまではいかなくても、険悪にはならないはずだと信じていた。


 結果は、何一つ届いていなかった。継母は最初からリディアと良好な関係を築く気がない。


 ――私の、夢だったもの。


 母親のドレスが残っていると聞いたとき、結婚する日が待ち遠しくなった。ドレスと肖像画を隅々まで見比べて、サイズを合わせて、少しだけ手を加えて本番まで待つ。そんな夢は、全部、壊れてしまった。


 ――壊すのは簡単なのね。


 母親はどんな想いを手紙に残してくれたのだろうか。ところどころ読める文字が残っているからこそ、もどかしい。


「カミル。お前が提案した通りにしてくれ」

「むしろ、予定よりももっと酷い状態にしてやりたいよ」


 父親とカミルが喋っていることが、頭に入ってこない。無惨な姿になった母親のドレスを見た時から、心が鈍って理解を拒否している。


 リディアは周囲をぼんやりと眺めていた。


「今日からこの家の権利は、今日から僕が引き継ぐ。父さんは半分隠居みたいなものだよ。だから、まずはこれに署名を」

「……はぁ? 何を言っているの。カミルさん、あなたはまだ未成年でしょう?」

「カミルの後ろ盾には、ゼンケル家当主である俺がつく。何も問題ない」

「そう。それで? その紙は何のつもり?」

「婚姻破棄に関する届出。つまり離婚届ですよ。父さんと、あんたは離婚して他人に戻るんだ」

「ふ……ふざけないで!」

「ふざけていないさ」


 父親の声はいつも通り静かだったが、珍しく感情が入っていた。カミルが用意した書類に手早く署名し、継母に見せる。


「私はそんなものにサインなんてしないわよ!」

「伯父さん。脅迫して署名させた契約書は無効でしたっけ?」

「脅迫したと証明できるなら、無効の訴えをすることができる。できるなら、な」


 皆に聞こえるように言ったカミルとベルトホルトの会話は、継母の逃げ道を塞ぐものだった。


「妹もさぞ無念だろう。娘のために残したものを、赤の他人が台無しにした。しかも味方であるはずの夫は役に立たない。だから言ったのだ。その女は信用できないと。よその家のことだから介入すべきではない、などと思っていた己が馬鹿だった」


 グロリアは青い顔をして、ただ震えているだけだった。


 自分の味方が一人もいないと察した継母は、スカートに隠し持っていたナイフを引き抜き、リディアへ向かって振り上げた。


「お前のせいよ! 死んで、償え!」


 刺されると分かっているのに、体が動かない。


 ナイフの先が自分へ近づいてくるのが、はっきりと見える。だがリディアよりはるか手前で、ナイフが硬いものに当たる音がした。


 透明な壁に阻まれた継母は、ナイフを持った手首を押さえる。


「ゼンケル伯爵。こうなるまで逃げていた私の処罰は、いかようにも。その前に私の手で後始末をします」


 リディアを守ったのは父親だった。魔術を使ったあと特有のきらめきが、右手のあたりに漂っている。

 父親はゆっくりと継母へ歩み寄った。


「今、君のナイフを弾いたのは防壁の魔術だ」


 継母の周囲に薄青く半透明の壁が現れた。


「攻撃を防ぐためだけだと思われている防壁に、別の使い方があることは知っているかな? こう、徐々に防壁を小さくしていくんだ。すると、中にあるものはどうなる?」


 壁の形が変化した。半球になり、継母を中心として徐々に小さくなっていく。継母は壁を叩いて何かを叫んでいるが、声は聞こえてこなかった。


「君の予想通りだよ。中にあるものは圧縮されて、最後には潰れる。本気で殺そうとしてくる敵の攻撃を防ぐために開発された魔術の壁だ。君の腕力では傷一つ付かないよ」


 父親は離婚の書類を壁の内側へ入れた。


「離婚届と、これらの契約書。全てに署名したら、防壁を解除する」


 継母を閉じ込めている壁が、ひときわ小さくなった。継母は急いで書類に自分の名前を記入し、父親へ見せる。


「そうだ。忘れるところだった。書類が正式に作成されたものだと証明しなければ……人差し指にこのインクを付けて、名前の後ろに押してくれ」


 すっかり諦めた顔になった継母は、言われた通りに赤いインクを指につけて書類へ押し付けた。


「お嬢様」


 状況を理解することで精一杯だったリディアは、自分の名前を呼ぶ声で我に返った。いつの間にかシェーラがそばにいて、リディアの肩に手を置いている。


「この場はカミル様達に任せて、お休みください。酷い顔色ですよ」

「でも……」

「姉さん。シェーラの言う通りだよ。後で教えてあげるから、今は休もう。ね?」


 シェーラはリディアの腕をとり、優しく扉へ誘導してくる。

 この部屋を出ると意識した途端に、リディアは体が重く感じた。

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