第2話「時間割」
ここ都立小名木川高校では、各学年がA組からD組までの四クラスずつで構成され、それぞれに三十人程の生徒が分配されていた。
全校生徒約360人の内の誰か若しくは複数の人間が、授業中に非常ベルを鳴らして私の平穏で普通の学生生活を異常たらしめていた…実に忌々しい存在だ。
のどかに『頼んでおいた物』を受け取るため、私は入学してから初めて放課後の学校に身を残していた。
私は何の変哲もない普通の帰宅部で、どこぞの幽霊部員なんていう肩書きも無ければ、委員会や生徒会に名を連ねてもいない。そもそも自由参加だった新歓にも顔を出さなかった。
「のどかー…」
防音仕様が施された重たい音楽室の扉を開くと、ヴァイオリン・フルート・トロンボーン・チューバ・マリンバ・コントラバス…本当に弾く人がいるのか疑っていた楽器を手に持った生徒達が、一斉に私を見つめてきた。
(目立ってしまった…)
「あら?五月七日じゃない」
聞いたことのある良く通る声、いや…これは聞きたくもない音だ。
鶴山美織―私と同じ中学出身で、忘れていたけれど吹奏楽部員だった。
高校に入ってから髪をピンクベージュに染めて、ショートだった長さもセミロングまで伸ばしていた。
(男子からのウケでも意識してるのかな?)
とにかく美織は普通じゃない。
普通を正義とする私とは相反する存在だった。
どんなことに於いても、自分が一番目立ちたい人間で、勉強でもスポーツでも何でも一番になりたがる…そして、やたらと胸がデカい。
170センチ近いタッパに、キリッとした三白眼の猫のような形の真っ黒な目をしていて、男子生徒からは高嶺の花みたいに持て囃されていた。女子生徒からも人気が高かったけれど、彼氏がいたことは無いらしい。
宝の持ち腐れとはコイツみたいな奴のことを言うのだろう。そういうところは可愛らしいというか、哀れというか憎めない奴だった。
「ぷッ…」
「ちょっと!あんた相変わらず人を馬鹿にしたように笑うのね」
「べつに笑ってないけど」
こうやって、理由は分からないけれど何かと私に突っかかってくる子だった。それがおかしくて顔を見るだけでつい吹き出してしまう。
「あんたが音楽室に何の用?楽器なんて出来ないクセに」
「のどかに用があるだけで、鶴山に用だなんて一生無いよ……ぷッ」
「あっそ!晴山さーん、五月七日が来ているわよ」
このやりとりを見ていたのどかは、申し訳なさを絵に書いたように姿を現した。
「いやいや〜相変わらず仲良しだね二人とも」
(調子に乗るからそういうことは言わないで欲しい)
「まあね!私が五月七日と仲良くしてあげてるのよ」
(さいで…)
「理ちゃん、これ頼まれてたヤツね」
のどかが手渡してくれたのは、コピーされた三枚の時間割だった。
「さすがのどかだね、誰かさんとは大違いだよ」
「あんたそれ私に言ってるでしょ?」
「ぷッ……鶴山には関係ないよ」
「ほんっっっとうに憎たらしいわね!」
「でも他のクラスの時間割なんて集めてどうするの?」
「まあ、ちょっと気になることがあってね…」
あの事件…非常ベルが鳴ることには何かしらの法則がある。
のどかの一言に光明を得た私は、自分のクラスであるA組以外『三クラス分』の時間割を手に入れる必要があった。
普通の学生生活を取り戻すためなら、少しくらい頭を働かせても良いと思ってしまった。
「面倒なことにならなきゃいいけどな…」
秋分と呼ぶには未だ暑すぎる日差しを避けて、日陰を選びながらいつもより少しだけ早足で家路についた。