1話
私は白い桜を一度だけ、見た事があった。
確か、東和国と呼ばれる東端の島国でだったと思う。まだ、私が二十歳と若い頃だが。
現在はフレンヌ国にて暮らしている。私には三歳上の夫と今年で十四歳になる息子、十一歳になる娘がいた。他にも、今は亡き妹の忘れ形見の姪っ子がおり、五人暮らしである。
「……シェラ、今日もブランシュは元気だったなあ」
「本当にね、息子のノエルと娘のネージュとも仲良くしているし。明るい子だから、打ち解けるのも早いようだわ」
「だな、最初はどうなるかと思ったが」
夫のルシオがそう言って、笑った。ちなみに、ルシオは現国王の弟で公爵位を賜っている。対外的にはルシオ・ヘンデイン公爵と名乗っていた。私もシェヘラザーデ・ヘンデインと言って、愛称でシェラと家族からは呼ばれている。今は亡き両親や兄、姉、夫達は今もそう呼んでいた。
「なあ、シェラ。そろそろ、ノエル達が学園から帰って来るんじゃないか?」
「そうだったわ、出迎えに行かないと!」
「私も行くよ」
ルシオはそう言って、腕を差し出す。私は軽く手を添えて一緒にエントランスに行った。
ブランシュ、ノエル、ネージュの三人が既に帰って来ている。私はまず、ノエルに声を掛けた。
「お帰りなさい、ノエル、ネージュ、ブランシュ。授業はどうだったの?」
「……母様、俺は順調だったよ」
「あたしはちょっと、居眠りしちゃって。後で先生から叱られたわ」
「私はきちんと受けたわ、伯母様」
「そう、ノエルとブランシュは偉いわね。ネージュはもうちょっと、頑張りましょう」
「「「はい!」」」
元気よく、三人は答えた。あ、言い忘れていたけど。ブランシュはノエルやネージュより、年上だ。今年で十五歳になる。三人は賑やかにしながら、各々の部屋へと向かう。私はルシオと笑い合った。
翌日、子供達は学園へと登校した。私は見送った後、自室に戻る。日課にしている刺繍をするためだ。
「奥様」
「あ、ブレンダにヘレナ。どうかしましたか?」
「あの、お客様がいらしています」
答えたのはメイド長もとい、ヘレナだ。背が高く、スラリとした体格の女性で。年齢は三十八歳くらいか。癖っ毛らしい赤髪をきっちりとシニヨン風に纏め、メイド用の制服も隙なく着ている。
淡い翡翠色の瞳は切れ長でキリッとした顔立ちのカッコいいタイプの美女だ。性格は穏やかで温厚だが、見かけと中身のギャップがあり過ぎて。結構、誤解されやすくはあった。
もう一人のブレンダは背丈は平均的だが。どちらかと言うと、ふっくらした体格だ。
年齢は二十二歳くらいかな。
つらつらと考えていたが。二人が怪訝な表情になったので、慌てて意識をそちらに向けた。
「あ、その。お客様がいらしているの?」
「はい、確か。ブランシュ様のご友人で。お名前はルシアン・フレンヌ第二王子殿下です」
「……ルシアン殿下ですって?今、ブランシュはいないわよ?」
「はあ、それが。奥様にどうしても言いたい事があると仰せです」
「私にねえ、分かった。殿下はどちらに?」
「応接間にいらっしゃいます」
ヘレナが教えてくれたので、直ちに応接間に向かう。後をブレンダが追いかけてきた。一緒に向かった。
応接間にたどり着くと、ドアを鳴らす。中から、若い男性らしき声で返答があった。私は自らでドアを開けた。
応接間の向かい側にある二人掛けのソファーには、黒髪に淡い翠の瞳が印象的な美男子が腰掛けている。彼がルシアン第二王子だろう。私は王族に対するカーテシーをしながら、挨拶をした。
「……第二王子殿下、お待たせして申し訳ございません。夫に代わり、お詫び致します」
「あ、いや。ヘンデイン公爵夫人、そんなに畏まる必要はないですよ?ここは公式の場ではありませんし」
「それでもです、今は夫も王城に出勤していまして。不在です故」
私は深々と頭を下げたままで言った。けど、ルシアン第二王子は困惑したらしく、ため息をつく。
「公爵夫人、堅苦しいのは苦手なんです。楽にしてください」
「はあ、分かりました」
私はゆっくりと頭を上げる。第二王子は眉を八の字に下げて困った表情になっていた。
「……あの、とりあえずは。座ってください」
「はい」
王子の言う通りにした。ドアに近い方のソファーに座る。その時に、一緒に来ていたブレンダが素早く私の分の紅茶やお菓子を用意した。私は礼を述べると、ブレンダは一礼して応接間を出る。廊下にて待機するようだ。
「さて、今日にこちらを訪問した理由ですが。あの、夫人。姪御のブランシュ嬢について、話したい事がありましてね」
「あら、ブランシュについてでございますか?」
「はい、確か。ブランシュ嬢はヘンデイン公爵夫人の妹君の娘さんでしたよね。実は最近に、ブランシュ嬢がもしかしたら。先代の陛下のご落胤かもしれないと我が母から、聞きました」
「え、あの子が先代の国王陛下のご落胤?!」
「公爵夫人、声が大きいです。まだ、確証が出たわけではありませんから。ただ、ヘンデイン公爵は我が父王の弟君。夫人も姻戚関係にあります。だから、早めにお知らせした方が良いと父王が判断なさいました。それで私が参上する事になったのです」
王子は真面目な表情で言った。私はブランシュの母で妹でもあるローズマリアを思い出した。かつて、私はフレンヌ国の西部にあるヴィオラ侯爵領にて生まれ育つ。ローズマリアも一緒だ。濃い栗毛色の髪に青緑色の瞳の私に対して淡い青銀色の髪に白銀の瞳のローズマリアは対照的だった。
同じ父母から生まれたはずだが、外見も性格も真逆な私達ではある。けど、気が強いながらにしっかり者の姉の私と穏やかで物静かな妹との仲は良好で。
確か、私が遠く離れた島国の東和国に留学する事になったのは十五歳の頃だった。妹はまだ、十二歳だったが。留学期間は四年。旅立つ際、妹が泣きじゃくっていたのをよく覚えている。
ブランシュは若い頃のローズマリアにそっくりだ。顔立ちや性格がだが。髪色は白銀で瞳が淡い蒼と違いはある。それでも、私は在りし日の妹を思い出す。ブランシュが我が家に来てからはしょっちゅうだ。
「……そうですか、だとしたら。ブランシュは王女だったと言う事ですね」
「ええ、ブランシュ嬢は先代の陛下に瞳の色が酷似しています。しかも、髪色も王家に多い白銀。我が母である王妃殿下もおっしゃっていました」
「ですけど、殿下。それが本当の話だとして、ブランシュをどうなさるつもりですか?」
「そうですね、父王や王妃殿下はブランシュ嬢を王城に引き取りたいと仰せです。また、隣国のイーリス王国の皇太子に嫁いでもらいたいとも考えておられますね」
私はあまりの事に驚きを隠せない。まさか、ブランシュが隣国に嫁ぐなんて。しばらくは王子と話し合った。
ルシアン第二王子が帰り、やっと私は落ち着いて考える事が出来た。とりあえず、夫には話さないと。次にブランシュ本人にも。
自室にあるカウチに腰掛けた。さて、夫のルシオは夜の八の刻には帰って来るだろうから。それまで、待っていようか。ぼんやりと壁掛け時計を見つめた。
八の刻になり、本当にルシオは帰って来た。私は自らでエントランスホールにて、出迎える。
「お帰りなさい、ルシオ」
「ああ、ただいま。シェラ」
ルシオはそう言いながら、着ていたジャケットを近くにいる執事に預けた。私はそれを見ながら、昼間にあった事を思い出す。
「……あの、ルシオ。後で相談したい事があるんだけど」
「相談?何かあったのか、シェラ」
「ええ、あの。やんごとなき方がいらしたとだけは言っておくわ」
「やんごとなき、か。分かった、今から私の部屋に来てくれ。シェラとの話が終わるまで誰も通さぬように、スティール」
「はい、畏まりました。旦那様」
「さ、行くぞ。シェラ」
執事のスティールが一礼すると、ルシオは私の手首を掴む。仕方なく、付いて行った。
その後、ルシオの部屋に入る。ちなみに、応接間だ。ルシオは内鍵を掛ける。カチリと小さな金属音が響いた。
「シェラ、単刀直入に言うが。やんごとなき方というのは王宮の方だな?」
「そうよ、いらしたのはルシアン殿下。ブランシュのご友人ね」
「……成程、ルシアン殿下か。ブランシュについて、何を仰せになった?」
「ブランシュの出生にまつわる事だったわね、確か。先代の国王陛下のご落胤かもしれないと仰せだったわ」
そこまで言うと、ルシオは片手で頭を抱え込んだ。
「……あの小僧、また余計な事を」
「ルシオ?」
「すまん、ブランシュが先代の国王陛下とローズマリア様の御子だというのはだいぶ前から、知っていた。陛下から聞いたよ。というか、先代の陛下も崩御の数日前に聞かせてくださった。まあ、あの小僧が言いたいのはブランシュがイーリス王国の王太子に嫁ぐから、腹積もりはしておけというところだろう」
「成程、けど。それなら、王宮に私やあなたを呼び出せばそれで済むじゃないの」
「小僧はそんな堂々とした事はしないだろうな、姑息な事は得意なのに」
なかなかに皮肉を言うわね。ルシオはルシアン殿下が気に入らないようだ。
「シェラ、ブランシュ一人をイーリス王国にやるのは私もかなり心配でな。何とか、メイド一人でも付けて送り出したい」
「それはそうよね」
「後、君も付いて行ってくれたらとも思うが。いや、これは無理な話だな。忘れてくれ」
ルシオはそう言って、踵を返した。内鍵を開けたらしく、ドアノブが回される音が微かに聞こえる。
「……シェラ、話はひとまずここまでだ。明日、ブランシュやノエル、ネージュも呼ぶから。皆で今後を話し合うぞ」
「分かった、そのつもりでいるわ」
「夜も遅い、シェラは寝てくれて構わん」
私は頷く。ルシオは右肩に軽く手を置いた。
「たく、そんな重要な事を私ではなく、君に話すとはな。あの小僧には説教の一つでもしないと気が済まんな」
「そうね、私に言われてもとは思ったわ」
「ああ、じゃあ。おやすみ、シェラ」
右肩に置かれた手が離れる。久しぶりにちょっとだけ、むず痒い気持ちになった。
翌日の夕方、ブランシュ、ネージュやノエルが帰って来たのを見てルシオは自身の書斎に皆を呼んだ。私もだが。応接セットである三人掛けのソファーの一つ、執務机側にルシオと私が腰掛けた。ノエルは向かって右側の一人掛けのソファー、向かい側のソファーにブランシュとネージュが座る。
「皆、集まったな。これから、ブランシュの事で大事な話がある」
「……あの、伯父様?」
「どうした、ブランシュ?」
「私の事で大事な話とおっしゃいましたが、もしかして。ルシアン殿下に関係があるのですか?」
「ちょっとはあるかな、けど。ブランシュ、唐突ではあるが。お前が先代の国王陛下とローズマリア様の御子だと言うのは知っているな?」
ルシオがはっきり言うと、ブランシュは目を見開いた。しばらく、沈黙が書斎に降りる。
「……お母様の遺品にあった手記から知りました。最初は、嘘だと思っていましたけど」
「いや、本当なんだ。ブランシュ、驚くだろうが。お前に隣国のイーリスの王太子との縁談が来ている。それについて、話し合うためにこちらに呼んだんだが」
「そうでしたか、王太子殿下との。私が嫁ぐより、第一王女殿下の方がいいのに」
「……どうやら、王女には他に好いている男がいるようでな。固く拒まれたと陛下がこぼしておられた」
「全く、あのワガママ王女は。ブランシュ姉様、断っても良いと僕は思います!」
ルシオがため息をつくとノエルも勢い良く言った。私やネージュ、ブランシュは顔を見合わせる。
「ノエル、そんな事をしたら隣国を怒らせる要素になる。迂闊に言ってはいかん」
「……はあい」
「でだな、ネージュ。ブランシュが隣国に嫁ぐのは学園を卒業した後になる。お前にはブランシュが慣れるまでで良いから、一緒に付いて行ってもらいたいんだ」
「あ、あたしが姉様とイーリス王国に行くんですか?」
「そうだ、陛下も賛成しておられる。まあ、ネージュが嫌なら。他の者に頼むがどうする?」
「……あたしも姉様が心配です、付いて行きます」
ネージュが答えると、ルシオはちょっと寂しげに笑う。
「すまんな、ネージュには酷な事をさせるが。信頼できる人間が一人でもいたら、ブランシュも気が楽だろうから」
「すみません、伯父様。ネージュちゃん」
「詫びる必要はない、ブランシュ。ネージュには他国に行かせて勉強させるつもりでいた。ノエルもな」
『え、父様?』
ネージュやノエルが二人して素っ頓狂な声を出した。ブランシュも驚きの表情を浮かべる。
「ネージュやノエルには広い視野を持ってほしいからな、だからだ」
「はあ」
「ブランシュ、半月後にはイーリスの王太子がこちらに来訪する予定だ。お前もそのつもりでいてくれ」
「分かりました」
「では、これにて話し合いは終わりだ、解散!」
ルシオが言ったら、ネージュとノエルはほっとしたらしい。すぐに立ち上がり、書斎から出て行く。けど、ブランシュは出て行かずにソファーに座ったままだ。どうしたのかと思い、私は声を掛けた。
「ブランシュ、どうしたの?」
「あ、伯母様。私、ルシアン殿下に言われたのを思い出して」
「殿下に?」
「確か、「君は俺から言ったら、叔母に当たるが。イーリスの王太子との縁談は当然、受けるだろう?」と。私、戸惑ってしまったと言いますか」
「やはり、陛下に忠告をしておく。ブランシュ、あの小僧の戯言は気にするな」
「……はい、伯父様」
ブランシュは頷くと、ソファーから立ち上がる。一礼して書斎を出て行く。私とルシオは困り顔で顔を見合わせたのだった。
あれから、早いもので半月が過ぎた。イーリスの王太子殿下がフレンヌを来訪する当日だ。ルシオは朝早くから、王宮に呼ばれて行った。私は自室にてブランシュがお嫁入りする事を考えている。
一回は親代わりとして、伯母として王太子殿下とは会っておかないと。もちろん、ルシオも一緒にだ。いつかはそういった機会があるといいが。私はぼんやりと自室の窓辺に寄り、空を眺めた。今は夏が終わり、初秋といえる時節だ。澄んだ空に鰯のような雲を見やるのだった。
また、一ヶ月が経っていた。すっかり、秋真っ盛りと言える十の月に入っている。イーリスの王太子殿下はまだ、フレンヌに滞在中だ。確か、来月には帰国なさると聞いた。私はブランシュと一緒に王太子殿下に贈るハンケチーフに刺繍を施していたが。
「ブランシュ、後少しで刺繍も完成ね」
「うん、伯母様が教えてくださったおかげです」
「あら、嬉しい事を言ってくれるわ」
私はまんざらでもないため、にこやかに笑う。ブランシュは針をピンクッションに戻したり、糸を片付けたりしている。私も完成間近のハンケチーフを机に置く。片付けようと立ち上がった。
すると、ドアが乱暴にノックされる音がしてブランシュが片付ける手を止める。驚いたらしい。私も何事かとドアの方を見た。
すぐに、バンッと大きな音で開けられる。中に入って来たのはヘレナだ。
「お、奥様、ブランシュ様。大変です!」
「どうしたの、ヘレナ?」
「あの、それが。イーリスの王太子殿下がこちらに来訪なさいました!」
「え、それは本当なの?!」
「はい、ブランシュ様に今すぐに会いたいと仰っています」
私はブランシュと目を見合わせた。いきなりの事に、頭が付いていかない。それでも、仕方なく三人でエントランスに向かった。
エントランスには三人程の近侍の方と一際高貴な身分だと分かる男性がいた。近侍の方々は金や銀、赤毛と目を引く髪色に、なかなかの美貌を持つ美男子だ。その三人に囲まれた男性も負けてはいない。艶やかな翡翠の髪を短く切り揃え、透明感のある切れ長の藍色の瞳が印象的な超がつく美男だ。いかにも、切れ者といった雰囲気を醸し出してもいる。
年齢はブランシュより、二、三歳程は上だろうか。
「いきなり、このように来て申し訳ない。あなたがヘンデイン公爵夫人でしょうか?」
「あ、はい。私ですが」
「初めまして、俺はイーリス王国王太子で名をエリシュオン・デ・イーリスと申します。以後、お見知りおきを」
「まあ、丁寧にありがとうございます。私はシェヘラザーデ・ヘンデインと申します。隣にいますのが姪のブランシュです」
「は、初めまして。ブランシュ・ラ・ヘンデインと申します」
互いに、自己紹介を済ませた。王太子もとい、エリシュオン殿下は私とブランシュを交互に見る。
「……ふむ、白銀に蒼の瞳か。やはり、先代の国王の子だと言うのは事実のようですね」
「あの?」
「ああ、失敬。あまりにヘンデイン嬢が可憐だから、ついですね。いや、冗談はよしておきます」
「……はあ」
「ヘンデイン嬢、今からすぐに王宮に来てください。陛下やルシアン王子があなたに用があるとか。後、夫人も同伴をお願いしたい」
「分かりました」
私は頷くと、ブランシュの手を握る。そのまま、王宮に行けるように身支度や荷造りをしたのだった。