第7話:菱川家
ここで『開拓屋』の勤務形態について少し説明しておこう。
地上に突如としてダンジョンが出現し、そこからモンスターたちが出没するようになってからというもの、政府にはダンジョンの攻略とモンスターの対策を講じるための統括組織としてモンスター対策庁が発足した。
モンスター対策庁には『地上に出現したダンジョンを察知する能力』を持った能力者がいるらしく、その能力者が日本に出現したダンジョンの場所を特定。その後、ドローンなどを使った偵察によって有害物質や毒素の有無を調査し、人間が侵入可能なダンジョンか否かを精査した後に『開拓屋』へと攻略依頼の一報が届けられるようになっている。
ダンジョンを攻略する理由として最も重要なのは、出現したダンジョンを即座に察知し、そのダンジョンからモンスターたちが市街地へと流入しないように食い止めることにあるので、どのダンジョンを攻略するかはモンスター対策庁の命令次第で、場合によっては県外へ赴くこともある。
「美味しいスイーツを食べながらダベっているだけで終業時間になると、何だか罪悪感があるよね」
時刻は17時。
働き方改革やら会社のルールやらで、一日に受けるダンジョンの依頼は一件のみと社長の菱川が定めているため、愛知-012番ダンジョンでの仕事が終わった午後からは暇だった。ティーカップを洗いながら小雪が口を開く。
「あら?別に罪悪感を感じる必要はないのよ?何せあなたたちはちゃんと仕事を終えてきているのだから」
「と言っても、ゴブリンたちを006番ダンジョンに送ったのも合わせて6時間くらいで終わっちゃったんだけどね」
攻略したダンジョンが「ひしかわ開拓」の事務所がある場所からそれほど遠くなかったというのもあって移動には時間が掛からなかったため、全ての業務を終えて事務所に着いたのは14時頃だった。事務所に着いてからはケーキを食べて紅茶を飲みながら3時間程度ダベっていただけである。
「交通整備をする警備員だって、雨で工事が中止になって仕事がなくなると午前中で終業になることがあるって言うじゃない?わたしたちが知らないだけでそういう職種もあるのよきっと」
パソコンに向かったまま顔を動かさないので、何か事務的なことでもやっているのかと思ったらマインスイーパーに興じていた。四角いマスの上にポチポチとフラッグを立てていく。
「ねえ杉冴ちゃん」
「わたしのことは「社長」と呼びなさい?」
「ねえ社長……」
「何かしら?」
余程集中したいのか、時折考えるような仕草を見せながらブロックを崩していく。20×20マスの広大な数のブロックがあるため、短い時間では終わりそうにない。
「社長はどうして『英雄』じゃないのに『開拓屋』をやろうと思ったの?」
「……意外と繊細なことをずけずけと聞いてくれるわね?」
「いやあ、二人っきりだから、こういう話をするのもいいかなって思って」
「未成人の女の子二人がするにしては、少し重すぎる話かもしれなけどね。――おっと、法律で18歳成人になったから、18歳の複野さんは成人なんだっけ?」
談話スペースとなっている長机を一瞥する。
四方山・撫霧・夜暗森の三人は勤務時間が終了すると、食べ終わったケーキの皿とフォークを小雪に押し付けてさっさと帰ってしまった。西から射し込んだ陽光に照らされて机が寂しく光る。
「18歳って言ったらJKよ?JK?夢の高校生活を満喫しても良かったんじゃないかしら?」
「あはは……。両親がモンスターに殺されちゃったうえに身寄りがないから、生きていくためには自分で稼ぐしかないんだよね……。学校に行っている余裕は時間的にも金銭的にも微妙かな」
「……そうだったわね。不快にさせてしまったのなら申し訳ないわ」
仕方がないので食べ散らかされた皿とフォーク・カップを運んで給油室で洗う。
「でも、それだと最終学歴が中卒になっちゃうわよ?それで言いのかしら?」
「今のところ『開拓屋』の仕事だけで食べていけてるから、特に不自由はしてないかな」
「今はそれでいいかもしれないけど、もしダンジョン出現の謎が解明されてモンスターが根絶されたら、あなたは無職に逆戻りよ。社会情勢が元の姿に戻った時のためにも学歴は付けておいた方がいいんじゃないの?」
「その時はその時でまた考え直せばいいかな。私、杉冴ちゃんと違って計画立てて物事を進めるのはあまり得意じゃないし。……っていうか、そういう杉冴ちゃんこそ16歳だから中卒だよね?紺屋の白袴ってやつじゃないの?」
「わたしは現在進行形で通信制の高校に通っているから高校在籍中よ?一緒にしないで頂戴。あと、わたしのことは「社長」と呼びなさい?」
このまま立ち話をするのも物寂しい。
食器乾燥機に置かれたカップを拾って布で水気を拭き取ると、先ほど飲んだのと同じ紅茶を淹れる。
「折角ならお茶でも飲みながら話さない?ティータイムの延長ってことで」
「残業手当は出ないけど、それでもいいって言うなら付き合うわ。……さて、話が思いっきり脱線してしまったけど、本題はどうしてわたしが16歳にして『開拓屋』の社長をやっているか、だったかしらね?」
モニターに表示されていたウインドウを閉じると長椅子に座る。
「複野さんは菱川グループっていうのを知っているかしら?」
菱川グループとは、自動車・半導体・医療機器・宇宙開発・書籍・貿易・政治などのあらゆる分野において常にトップを牽引しているグループである。その規模の大きさと影響力の強さから、「菱川無くては社会は回らない」と称されるほどだ。
「わたしはその菱川グループの社長・菱川透澄の娘なのよ」
松田・石橋・鈴木。
やはり思い浮かぶものは自動車メーカーが多いが、比較的人口が多い苗字と同じ名前を持つ大手企業も多く存在するのだ。偶然苗字が被っただけかと思っていたが、どうやらそういうわけではないらしい。
「わたしたち菱川家にはルールがあって、菱川の家に生まれたからには必ず起業をし、その業界のトップに立つような大企業に育て上げなければならないの。それができないような奴は「菱川」の姓を名乗ることすら許さず、軽蔑され、勘当されてしまうのよ」
「厳しい家柄なんだね……」
「始まりは江戸時代に豪商となったこと。そこから様々な分野で優秀な成績を収め、優秀な人物を輩出してきたことで有名になった家なのよ。200年以上前から連綿と行われてきたことだから、誰も疑問を持たなかったけどね」
紅茶を啜る。
淹れたてで湯気の立ったダージリンティーはとても熱いが、セカンドフラッシュなため一回目よりもの甘味のある香りが鼻孔を刺激する。
「それで、杉冴ちゃんは「ひしかわ開拓」を一流の『開拓屋』にしたくて奔走していると」
うっかり社長呼びをし忘れたが、話の腰を折りたくないのかそのまま言葉を続ける。
「ええそうよ。『開拓屋』という業態はここ数年で生まれた新規事業だから、わたしのような新参でも参入しやすく、手探りでもやりやすい分野なのよ」
「だったらさ、「ダンジョン攻略は一日一回」なんて決めないでさ、もっとせかせかやった方がいいんじゃないの?」
「質問に質問で返すようで申し訳ないけど、複野さんは「桃李成蹊」という言葉を知っているかしら?」
「???」
初めて聞く単語だ。首を横に振る。
「「桃李物言わざれども下自ら蹊を成す」。前漢の歴史家である司馬遷の著・『史記』に記された言葉よ。「いい香りのする桃や李の木の下には、その匂いにつられた人々が自然と道を作るように、優れた人格や才能を持つ人の元には、自然と優れた人材が集まって来る」って意味よ」
「……もしかして私って優秀ってこと?褒められちゃった?」
「今のはそうとも取れる言い方だったけど、それが言いたいわけじゃないわよ?」
紅茶を飲む動きに合わせて美しく艶のある黒髪が揺れる。
「わたしは、この「桃李成蹊」っていうのは、人格以外にも様々なことに言えると思っているの」
「というと?」
「優れた人格や才能を持つ人の所に優秀な人材が集まるように、ちゃんとした仕事をちゃんとすれば、良質な仕事の方からこちらに寄って来る。大事なのはせかせかやるよりも、しっかり仕事をして従業員たちをしっかり休ませることではないかしら?焦ったって何も変わらないのよ」
「…………」
齢16にしてこれほどにしっかりとした考えを持っているというのか。為人なのか将又「菱川家」に生まれた性なのか。思わず閉口してしまう。
「わたしが知っている企業には、「8時間勤務の三交代制よりも、12時間勤務の二交代制にした方が人件費が安く済むじゃん!!」とか言って二交代制に移行した企業を知っているけど、そういう人を人として見てないような働き方をさせたら終わりだと思っているわ。「清く正しく美しく」だっけ?誠心誠意仕事をすることこそが、企業を成長させる上で何よりも大切なのではないかしら?ま、こんなに呑気にやっているからいつまで経ってもお父様に一人前だと認められず、「菱川」の漢字が企業名に使えないんだ、って言われちゃったらそれまでだけどね」
「そんなことないよさんごちゃんっ!!」
社長用のデスクからは完全に死角となった南側のソファの後ろから一人の女性が立ち上がる。
「さんごちゃんがそんな立派な考えを持っているなんて知らなかった!!はじめちゃんこれからはもっと休むね!!」
夜暗森萌。年齢不詳。
25歳の四方山よりも年上かもしれないし、16歳の菱川よりも年下かもしれないにも関わらず、まるで年齢を感じさせない少女である。
「ごほごほっ!げほっ!かっ!帰ったのではなかったの?!!」
「むふふのふー。ITuberたるものオフショットこそ撮りたくなるものですぞー?こっそり隠れていて正解だったのだー!!」
得意げな夜暗森の右手ではかわいくデコレーションされたスマートフォンのレンズが光る。




