第5話:愛知-006番と一人の老夫
豊かな自然の前で停まったバスと動物輸送車から降りると、一行はぞろぞろと森の中を進む。
愛知県豊田市足助地区。
豊田市のほぼ中央に位置し、手付かずの自然が多く残された場所である。
かつては塩や海産物を運搬する街道の休憩所として栄えた足助宿があった場所で、巴川を彩る紅葉は香嵐渓という名で知られ、秋には多くの観光客が訪れる。
「こんな所にもダンジョンがあるというのか……?」
自分たちが住まうダンジョンが出現したのが住宅街のど真ん中だったからというのもあるだろう。鬱蒼と茂る森林を見回しながらホブゴブリンは後ろを歩く。
「木を隠すなら森の中っていうでしょ?モンスターたちを匿うダンジョンだったら、こういう森林の中にあった方が発見されにくいかなと思って」
「???」
ついつい誰もが知っていることわざ感覚で小雪が使ってしまった「木を隠すなら森の中」という言葉は、20世紀の初頭に発行された推理小説を発祥とする言葉であるため、似たようなニュアンスの言葉は勿論あるだろうが、中世ヨーロッパ並みの生活水準で暮らしていた彼らには、あまり馴染のない言葉だったのかもしれない。少しだけ不思議そうな表情で沈黙した後、ホブゴブリンは言葉を続ける。
「それにしても、モンスターの管理区画として設定した006番ダンジョンが、これほどまでに人目に付かない場所に出現するのは何とも偶然だな?」
「……このダンジョンは006番になったダンジョンです」
パーティの最後尾を歩く撫霧が小さな声を発する。
「……別の番号が割り振られていたダンジョンでしたが、他のダンジョンが攻略された後に改めて006番という番号が振られました。……元々の006番ダンジョンは別の場所にあったものです」
「ならば何故006番に改めて振り直したのだ?別に発見当初のそのままの番号で良かったではないか?」
「……ある宗教では、666は獣の数字と言われているそうです。……その宗派に属さない人でも何となく知っていることなので、そのイメージと結びつけやすいように006番にしました」
「数字にそのような意味が籠っているのか……。世界が違えば考え方も違う、面白いものだな」
順応力が高いのか、こちらの世界の文化に興味津々のモンスターを引き連れて、道なき道の中を進んでいく。
「ここだな?」
山を歩いて30分も経たないうちに縦にぽっかりと穴の空いた洞窟が林道の途中に出現した。縦に長い木板を地面に突き刺し、それを隙間なく何枚も横に並べることで封印されているため、端から見れば固く閉ざされているように見える。
「毎回退かすのが面倒なんだよね。ま、今回はゴブリンたちがいるから楽なんだけど」
要するに一行が難なく入れる分だけの隙間を確保すればいいので、突き刺さった板のうちの4~5枚を剥がして脇に平積みした後、洞窟の中へと入って行く。
「おお……!」
洞窟の中は太陽に照らされたかのように明るい。
何故なら、本当に太陽に照らされているからだ。
洞窟を進んでから間もないうちにダンジョンへと到達し、小雪たちが住んでいるのとは別の理で刻が進む異世界が広がる。
「どう?ここが愛知-006番ダンジョンだよ。私が改装しちゃったから、もうダンジョンとしての形跡は跡形もないけどね」
ホブゴブリンたちが通っていた洞窟は切り立った崖に開けられた横穴に通じていたようで、その崖を除く三方向には、豊かな草原と森林が広がっている。
「本当にここはダンジョンだったのか……?私にはただの自然保護区にしか見えないのだが……?」
「私の【タロットカード】を使ったんだよ」
小雪の手に一枚のカードが出現する。中央には帯のようなものを巻き付けた全裸の女性が描かれ、その女性を囲うように月桂樹の輪が描かれている。
「大アルカナ21番の『世界』は、ダンジョンの構造を好きな形に再構築することができる能力なんだ。だから、密林だったこのダンジョンを私が住みやすいように改造したんだよ」
「途轍もなく強大な力だな……。その能力を使えば『開拓屋』の仕事も捗るのだろう?」
「一度使うと30日間|(厳密には720時間)のCTが発生するから、そう容易く使えるものじゃないんだよね……。」
「何やら大変なのだな。『英雄』というものも」
2mを超える巨体から哀れみの声が聞こえた辺りで、
「ほっほっほ。今回は随分と大きいモンスターを連れてきたのう」
畑仕事をしていた老人がゆっくりとこちらに歩いて来る。
「人か。こんな所にも人がいるのだな」
「あたしたちがやっていることは『英雄』たちの間では冷たい目で見られているからな。そういう奴らが攻め込んできてもいいように、見張りを一人立てているのさ」
「見張り?あの年寄りがか?」
四方山に言われて老夫を検める。
全身鍛えられた筋肉質な身体をしている、というわけでもなければ、四方山や夜暗森のような奇抜な服装をしているわけでもない。ホブゴブリンが住んでいた世界にさえ当たり前のように居そうな、ごくごく普通の見た目をした老齢の男性だ。
「ほっほっほ。初めまして」
男はゆっくりと歩いてホブゴブリンの前に立つと、少し上を見上げる。
「ワシの名前は稲葉山幸造。ここでモンスターたちの管理をしておる」
「よ、よろしく頼む」
朗らかに微笑みながら握手を求めてきたので、思わず手を握り返してしまう。皺でくしゃくしゃになった枯葉のような手だったが、心地のよい温もりに満ちていた。
「本当にモンスターたちを貴殿一人で切り盛りしているのか?」
複数の異なる種族のモンスターたちが同じ空間で生活しているとなると、喧嘩や縄張り争いなどは日常茶飯事だろう。それを本当にこの老人一人で解決しているというのか。『ひしかわ開拓』の|(一応)リーダーであり、何でも知っている小雪を一瞥する。
「強いよ。幸造さんは。あの人一人に任せておけば、並みの能力者くらいじゃ太刀打ちできないからね」
「そんなに強いのか」
「何だかお恥ずかしいですな」
頭をぽりぽりと掻く。
「ワシはただの老い耄れ。若い者たちに比べれば大したことはありませんぞ?」
「そんなに謙遜しないでよ。私が本気で戦ったって勝てるかどうか分からないくらい強いんだからさ」
「ほっほっほ。褒めたところで野菜くらいしか出ませんぞ?折角だから畑で採れた野菜でも食べていきますかな?素材の味をそのまま楽しむなら、やはりサラダがいいかのう?」
「マジ?はじめちゃん、こうぞうちゃんの作るご飯大好き~!!一仕事終わった後なんだし、食べていこーよー!!」
「…………」
『絶対に相手を殺さない』というハンデを背負っていた小雪にすら負けたというのに、あの老人は小雪と互角かそれ以上の実力を持っているというのか。
「とてもそうには見えんがな」
何処か腑に落ちない気分になりながらも、ホブゴブリンと30匹のゴブリンは草原に立つ小屋へと向かっていく『ひしかわ開拓』の背中をぞろぞろと追う。




