第3話:力
「その細い腕でワタシの攻撃を防ぐだと?」
体長は2m30cm程度、体重は170kg程度。
筋肉の塊とも言える屈強な身体を持つホブゴブリンがウォー=ハンマーを構えながら目の前の少女を見下ろす。
「……はい。……全く問題ありません」
対して少女の身長は160cm程度、体重は50kg程度。
成人女性の平均値と比べれば身長は若干高く、体重は若干軽い。
これと言って特筆することもないステータスを持つ少女が、どうやって攻撃を止めるというのか。
「面白い」
ならば遠慮なく潰してミンチにしてやろう。
薄く笑いながら頭上に槌を振りかぶると、
「ならば貴様からだ!止めてみよ!!」
全体重が乗った巨大ハンマーが殺到する。
「……」
一方の少女は一歩も動かなかった。
姫を守る騎士のように。
主君を守る侍のように。
肩幅に両足を開いて泰然と構えると、一言だけこう告げる。
「……【鉄心石腸】」
直後、少女の頭を捉えたハンマーは鉄を叩いたかのような硬音を反響し、空気を震わせる。
撫霧削穢。
スキル【鉄心石腸】。
身体を鋼のように硬くする能力である。
「何者にも影響されない固い意志」という意味を持つ四字熟語に違わないその強度は、あらゆる物理攻撃を防ぐことができる反面、効果時間はそれほど長くはなく、CT|(次に同じ能力・スキルが使えるようになるまでの待機時間)も発生するため、ここぞという時に温存しておかなければならない。
「ぐああっ!!」
思いっきり鋼を叩くのと同じ反動がホブゴブリンの身体を襲い、握っていたハンマーが手から離れて吹き飛ぶ。
「なっ!何だ?!何が起こっているのだ?!!」
「私たち『英雄』が持っているスキルだよ」
少女の方に目線を向けると、右手の人差し指と中指の間に古風なカードが挟まれていた。
そのカードの中央には、月桂樹の冠を被った女性が獅子を嗜めているイラストが描かれている。
大アルカナ11番。
『力』。
肉欲・食欲などの動物的な欲の象徴として描かれた獅子の口を、一般庶民然とした女性が抑えつけるように触れるその姿から「力量の強さ」・「自制」などの意味を持ち、15分間だけ自身の筋力と耐久を強化することができるスキルだ。
ちなみに、現在占いなどに使用しているタロットカードには、主としてマルセイユ版・ウェイト版・トート=タロット版の三種類が存在するが、小雪の所持するタロットカードは全てウェイト版である。
「スキルだと……?」
「詳しい話は後でいくらでもしてあげる。だから――」
指から放たれたカードは空中に数秒だけ浮かぶと、光の粒となった残滓を漂わせながら空気に溶けるように消えていった。少女の右拳が固く握られる。
そして、
「大人しく眠ってて!!」
ホブゴブリンの丹田に向けて一撃。
身体の底から全ての力を振り絞るように拳を差し込む。
「ごふっ!!」
見た目は幼さが残る普通の少女だが、その拳から放たれた一撃は「剛力」・「力士」の意を持つ「Strength」の英単語に恥じない威力だった。
くぐもった声を喉から吐き出すと、空中では唾液に混ざって青い液体が宙を舞う。魔族特有の瑠璃色の血だ。
ホブゴブリンは勢いが殺しきれないまま数メートル吹き飛ぶと、広い玉座の間でそのまま床の上に仰向けに転がった。
「ぐ……、が…………」
「大人しくしてもらうためには、こうするしかなかったんだ。痛かっただろうと思うけどゴメンね」
「な、ぜだ……?」
苦しそうに腹を押さえながらホブゴブリンは口を開く。
「何故ワタシを殺さぬ……?お前たちの実力を以てすれば、ワタシ如き殺すのなぞ造作もないはずだろう……?」
「あなたにはあなたの生活があるんでしょ?」
靴の音を鳴らしながら地に伸びた顔の前に立つ。
「私たちの住む世界にはさ、「罪を憎んで人を憎まず」って言葉があるんだ。モンスターたちが人間を襲うのは、お腹を満たして今日を生きるため。ダンジョンからモンスターたちが飛び出したのは、事態が読めなくてパニックになっているだけ。森で採れる餌がなくなって人里に降りて来たがために熊が駆除されちゃうように、モンスターを勝手に『悪』と決めつけてるのは人間の方で、モンスターたちは悪くない。私はそう思っているんだ」
「…………」
「あなたにも私たちを襲わなくちゃいけない理由があったんだよね?」
何かを考えるように数舜押し黙ると、
「……先ほども言っただろう?ワタシたちは人間に迫害されてこの城に流れ着いたと」
黄色い瞳から宝石のような雫を流しながら、ホブゴブリンは静かに語る。
「鼻抓みモノにされてきた手下のゴブリンたちの居場所を守るために、これ以上ゴブリンたちを危険な目に合わせないために、そして、他の種族のモノたちに下に見られないように。我々は誰よりも強くあらねばならないのだ」
「そう決意を固めた時、あたしたち人間がやって来たってことか」
「何処の何者かは分からぬが、我々ゴブリンたちを殲滅するために人間たちが遣わせたと思ったのだ。ここで貴様らを排除しなければ、我々は皆殺しにされてしまう。貴様たちとは戦うしかなかったのだ」
それぞれの気持ちを整理するために、少しの時間静寂が流れる。
最初に静寂を破ったのは、珍しくもこの女性だった。
「見てくれたかなー?視聴者のみんなー?!」
片手でスマートフォンを持つと、ちゃっかり自分も映るようにしながら滔々と話す。
「モンスターだって悪い奴ばかりじゃないんだぞう?今回のホブゴブリンのように、思い悩んで苦しんでいるモンスターたちもいるのだ!!そこで今回は特別企画っ!!ばばんっ!!」
フリルの施されたスカートを揺らしながら、画面の中央に自分の顔を映す。
「ホブゴブリンさんを案内するついでに、愛知県-006番のダンジョンを公開しちゃうよ!!さあ、中は一体――」
「……それ以上は止めてください」
カメラの方を向いているので全く気付かなかったのだ。
刀を抜き身にした撫霧が背後から近づいていることに。
首筋に鋒鋩が宛がわれる。
「……私たち「ひしかわ開拓」のようにモンスターを殺さずに解決し、別のダンジョンへと移動させている『開拓屋』は、世界的にみてもごく少数派です。……生配信なんてしたら反対派に囲まれてしまうかもしれませんので、絶対に行わないでください」
「ヤだなーさえちゃん。冗談だよー。だから、その日本刀をしまってくれないかなー?オモチャだよね?これ?」
「……真剣です。……私が常に真剣を持ち歩いていることは、夜暗森さんも知っていますよね?」
ぷすりと切っ先に指を突き立てると、赤い雫が夜暗森の指先を伝う。
「……私たちがやっていることは、どちらかと言えば世間では疎まれている行為です。……その行為を公共の場で宣伝するということに関して、もう少し緊張感を持ってください」
「分かった分かった分かりましたあ!!だから刀を収めてよさえちゃん!冗談なんだってば!!」
降参するように挙げられた女性の指からは切傷が消えていた。
夜暗森萌。
スキル【はじめちゃんのネ申ライブ!!】
自身の声を聞いたモノの傷を癒すスキルである。
『敵』・『味方』の設定は本人がその都度できるらしく、
「痛みが消えている……?」
「ひしかわ開拓」の面々のやり取りを苦笑いしながら見守っていたホブゴブリンの顔に明かりが灯る。
「ふふふのふー。驚いたかいホブゴブリンちゃん」
きゃる~ん、と効果音が聞こえてきそうなかわいいポーズを取りながら、ふりふりスカートの少女は説明する。
「バトルが終わったらみんな友達だからねっ!!はじめちゃんがスキルを使ってこっそり回復しておいたのだーっ!!」
「ごほん。だいぶ話がずれちゃった気がするから元に戻すね」
わざとらしく咳払いをすると、話の主導権を小雪が奪還する。
「これからあなたとゴブリンたちには、私たちがモンスターたちを移送している愛知-006番エリアまで移動してもらうよ。異論はないよね?」
「……ふん。敵を憂えて回復させる奴なぞ初めてみたわ。もしここでワタシが再び暴れ出したらどうするつもりだったのだ?」
これではまるで手加減をされたようではないか。
胡坐を掻いて少し不貞腐れたように質問すると、
「……もう一度止めるまでです。……それでも難しい場合は殺めてでも」
鞘から覗いた刀身が冷たい光を反射する。
「…………」
その冷たい言葉を聞いてホブゴブリンは即座に察した。
彼女らが本気を出していれば、自分は一瞬で死んでいたと。
「ワタシたちの身の安全は約束されるのだな?」
「勿論。移動中の安全だって約束するよ?」
にこりと優しく微笑む少女の顔に偽りを隠すような陰りは見受けられなかった。
「……分かった。ゴブリンたちを連れて移動しようではないか。案内してくれ」
こうして愛知-012番ダンジョンの攻略は終了。30体|(先遣隊5体・階段前の見張り6体・宝物部屋4体の全部で15体。ゴブリンたちは二交代制を取っていたようで、その二倍の30体だ)のゴブリンたちを愛知-006番ダンジョンへと移動させることとなった。