第2話:愛知-012番のボス
ぎぎぎぎぎぎ……。
風化によって軋む扉を引いて中へと入ると、
「何者だ?貴様ら……?」
玉座にどっしりと腰掛けた図体のモンスターがそこにはいた。
体長は2m超え、肌の色は緑。尖った耳をしており、ゴブリンをそのまま大きくしたような見た目をしている。
ホブゴブリン。
ゴブリンたちを統率する親玉で、ゴブリンたちの上位種に当たる存在だ。
「私たちは『英雄』。このダンジョンを攻略しに来たよ」
「英雄……。さては、魔王ゲウ様に牙を剥く、勇者とかいう奴らか?」
「違うよ」
相手に和解をする気があるなら無駄な血は流したくない。小雪は説得を続けてみる。
「私たち人間がここを利用するために、ここに住んでいるモンスターを立ち退かせるために来たんだ。大人しくこのダンジョンを譲ってくれないかな?」
「勇者ではないだと?」
ホブゴブリンが少し動揺したような表情を見せる。
「原因は分からないけど、あなたたちが住んでいるこの城は、私たちが住んでいる世界と繋がっちゃったんだ。だから、モンスターが人間たちに危害を加えないように、私たち『英雄』があなたたちを倒すか説得するかして退場してもらっているの。ここはどうか私たちの指示に従って移動してくれないかな?」
「勝手なものだな」
ホブゴブリンの黄色い双眸が冷たく光る。
「邪魔者だと迫害された末にこの城に辿り着いたというのに、また我らを追い出すというのか。人間どもは随分と勝手な物言いをしてくれる」
玉座から徐に腰を浮かせると強く足を踏み締める。
「……なあ人間どもよ。我々ゴブリンが人間を襲う理由が分かるか?」
生活する場所や餌を失った熊が人間を襲うことがあるが、ホブゴブリンの顔に浮かんだ怒りの表情を見れば、そんな単純な理由ではないのだろう。首を横に振る。
「我々ゴブリンは何もできぬからだ。器用な手先を持つが、その手指では他者を殺める武具しか作れず、低能な頭では料理や建築もできぬ。醜い姿には調和を愛するエルフすら歩み寄らず、非力で小柄な身体では力仕事もできぬ。我々弱者であるゴブリンは他者から奪うことでしか生きてゆくことができぬのだ」
玉座に立てかけられていたウォー=ハンマーを握ると、その調子を確かめながら独白を続ける。
「獅子が兎を喰い殺さねば生きていけぬのと同じで、我々は他者に依存しなければ何もできぬ弱者なのだ。そんな弱者から全てを奪う人間どもと我々ゴブリン。どちらが悪かをこの場で決めようではないか?」
「あなたは歩み寄る努力をしたの?」
ざり。
相手に戦意がある以上、話し合うことは無理だ。
そう判断した小雪が一歩前に踏み出す。
「私たち人間や他の亜人種たちに頭を下げて、「お願いします。助けてください」ってお願いしたの?それじゃあ助けを求めもしないで無理だって勝手に決め付けているだけだよ!!」
「助けを請うたところで、貴様は我らを赦すのか?」
ぎりぎりと牙噛む音が頭の上から聞こえる。
「「今さら都合のいいことを言うな!」と拒絶し、我々を叩くのでないのか?」
心理学には「ヤマアラシのジレンマ」という言葉がある。
身体じゅうに棘が生えたヤマアラシが他のヤマアラシに近づこうとすると、自身の棘で相手を傷つけてしまうのではないか、相手の棘によって傷ついてしまうのではないかと恐れ、二者が心理的に近づきたくても近づけない状態になっていることを指す。
彼|(?)には無かったのだろう。
歩み寄るために背中を押される機会が。
歩み寄るために背中を押してくれる存在が。
「故にワタシは成し遂げねばならぬのだ!」
熱り立ったホブゴブリンの演説が堰を切ったように激しくなる。
ホブゴブリンはゴブリンの上位種。雑兵のゴブリンたちよりも遥かに図体で、遥かに賢い。
だからこそゴブリンよりも悩み、ゴブリンよりも逡巡し、ゴブリンよりも葛藤し、ゴブリンよりも慮る。
「我々ゴブリンを醜い種族として作り上げた神どもに抗うために!ゴブリンこそが最強の種族であると証明するために!!全ての種族の頂点に立ち、『最強』でなければならぬのだああっ!!!」
ゴブリンたちよりも。
他の種族よりも。
そして人間よりも上位に立つ。
その確固たる意志を鉄でできたハンマーに込めながら睥睨する。
「覚悟はできたか?英雄どもよ?」
体長は2m30cm、体重は170kgと言ったところか。
朽ちた古城に住まうゴブリンたちのボスとして君臨するモンスターが、目の前で壁として立ち塞がる。
☆★☆★☆
ゴブリンとホブゴブリンは本来、同じ存在であったと考えられている。
一説によると、「大きな」・「立派な」・「友好的な」・「善良な」などの意味を持つ「hob」を接頭語としてゴブリンに付けたもので、普通のゴブリンたちよりも人間に対して友好的なゴブリンたちを指す語であったとされている。
そもそもの話、民間伝承に登場するゴブリンというのは、あくまで人を困らせる程度の悪戯をする妖精のような扱いであり、「あまり悪いことをするとゴブリンに連れて行かれちゃうよ」と、小さな子供を躾ける時に使われるような存在に過ぎなかった。
そのゴブリンたちが『悪』・『雑魚敵』というレッテルを貼られ、ホブゴブリンがゴブリンたちの上位種として創作作品に登場するようになったのは、20世紀に登場した『指輪物語』と、その作品を参考にして作られた後世の創作物による影響が大きい。
「ぬんっ!!」
異世界からの来訪者が2m程度のハンマーを振り下ろすと、身体の芯まで揺さぶるような地鳴りが発生し、頭上から土煙が零れ出る。
「わわっ!凄い揺れ!!このままだと私たちと一緒に生き埋めになっちゃうよ?!!」
「それはそれで結構。ワタシの命一つで英雄を四人も倒せたとなれば、ゲウ様もさぞ喜ばれるであろう!!」
「はじめちゃんはヤダもーん!もっとお金持ちになって、超イケメンと結婚するまでは終われないんだからー!!」
「あたしには帰りを待ってる大事な家族がいるんだよ!!こんな所で人生終わってたまるかっての!!」
夜暗森と四方山が臨戦態勢へと入る。
「……どうしますか複野さん?……短期決戦で行きますか?」
こんな時「リーダー」と素直に仰いでくれるのは撫霧だけだ。心の中で感激しているのを隠しつつ作戦を練る。
「あの図体にあの筋肉量……。峰打ちでいけそう?」
「……ウォー=ハンマーに防がれたら厳しいでしょうし、肉体にどれぐらいの硬さがあるかは分からないので絶対とは言い切れません。……一刀両断できるのであれば簡単に終わるのですが」
「それだけは絶対にダメ」
即座に否定する。
「彼らにだって彼らの生活があるんだよ。それを奪っちゃうのは私たちには荷が重すぎるよ」
「作戦会議は終わったか?」
頭上からの声に振り向くと、図体のモンスターがこちらに向けてハンマーを振り翳していた。
「何もしてこないのであれば潔く死んでもらおう。そうすればワタシを憂うことなど何もあるまい」
「……ここは私にお任せを」
和装にポニーテールの少女が小雪の前に滑り込む。
「……複野さんは次の攻撃の準備をしてください」
「ふははは!!面白い!!!」
その身長差は50cm以上。
頭上からホブゴブリンの声が降る。
「そんな細い刀一本で、ワタシのハンマーを防ぐと言うのか?!!」
「……日本刀ではありません」
頭上を見上げながら腕を交差させると、ずり下がった上衣の袖から白くて細い腕が現われる。
「……私の身体そのもので防ぐのです。……問題なく防ぎ切れるかと思います」