第28話:恐竜と人間と
「ねね!ここにも壁画があるよ!!」
塗料を混ぜ合わせた粉のようなもので書かれた壁画を見ながら夜暗森が叫ぶ。
焚火を行った後や絵を描くためのカラフルな粉末の入った壺が置き去りになっていたことから何となく予想はできていたが、やはりここにも人間が到達した形跡があった。一部の壁に手形や動物・人間の姿が描かれている。
「これが恐竜でこれが人間……。やっぱり、人間と恐竜が同じ時代に住んでいるんだね」
「全部で三頭書かれているねっ!さっきこゆきちゃんたちが斃した奴らかな?」
スペインのアルタミラ洞窟に描かれた動物たちの壁画には、身近に広がる大自然に住む生き物たちへの崇拝や畏怖の念が込められているとされている。先ほどの三頭の恐竜を恐れた人々が、その恐怖心を和らげるために描いたのかもしれない。
「だったら『原始世界』の住民たちが喜ぶかもしれないよ?自分たちの住んでいた洞窟で暴れていた恐竜たちを、誰かが斃してくれたぞーって」
「このダンジョンが『原始世界』に戻ることはないから、その人たちと会話ができないのが残念だけどね」
小雪たちの住む世界へと出現してしまったダンジョンは、モンスター対策庁の上層部にいるという、『この世界に出現した不安定な状態のダンジョンを、この世界へと繋ぎ止め、座標を確定させる能力』を持った者の処置により、小雪たちが住む世界の土地となる。
ダンジョンとして切り取られて転移してしまった以上、元の世界に戻ることは決してない。
「……やっぱりおかしいです。恐竜と人間が同じ時代にいるなんて」
パーティで最も考古学に詳しい女性警察官・龍ヶ崎響は唇を尖らせる。
「恐竜と人間って同じ時代にいないものなの?ファンタジー世界の住民のはじめちゃんには全然分かんないなっ!!」
「そもそもの話、住んでいた時代が全然違うんですよ」
教鞭を執ると即席の歴史学が始まる。
「諸説ありますが、地球上に初めて霊長類が誕生したのが今から約1億年前。この時に生まれた霊長類は猿の中でもかなり原始的な部類で、そこから進化した、尻尾がなくて、かつ二足歩行ができるようになった霊長類が誕生したのが、今から約600万年前です。一方で、恐竜が滅亡したのが今から約6,600万年前なので、私たちの祖先が誕生する6,000万年以上前に、既に恐竜は滅びているはずなんですよ」
恐竜が絶滅した理由には諸説あるが、最も一般的だと言われるのが、白亜紀末期|(6,600万年前)に地球に衝突した直径10~15kmの小惑星・チクシュルーブによる大量絶滅だとされている。
この小惑星が地球にぶつかったことにより、核兵器の数十億倍以上もの威力を持つ爆発が発生。半径1,500km程度の範囲が焼け野原となり、爆発の影響で舞い上がった砂塵が地球全体を覆ったことで太陽の熱が届かなくなって氷期が訪れ、さらには硫黄を含んだ酸性雨による大雨で水質が汚染され、恐竜を含む99%以上の個体が死滅した。
この大量絶滅によって一部の水棲恐竜を除くほとんどの恐竜が絶滅したことで、霊長類の祖先たちや哺乳類たちが恐竜たちに襲われる心配が消え、地上を活動できるようになったのである。
「アンモナイトはそれよりも昔、三葉虫はさらに昔に絶滅しているんですよ?だから、アンモナイトと三葉虫が一緒に生息している時代に人間と恐竜がいるっていうのが、既にありえないんですよ」
地球上の生物たちは今までに五回ほどの大量絶滅を経験している。
一回目は4億4,000万年前に発生した、超新星爆発によるガンマ線バーストを発端とする海水温度の急低下。
二回目は3億7,400万年前に発生した、海水中に含まれる酸素濃度の低下と寒冷化。
三回目は2億5,100万年前に発生した、食物連鎖の崩壊・もしくは大規模な火山噴火による地表面の酸素濃度の低下。
四回目は1億9,960万年前に発生した、地殻変動による大規模な火山活動。
五回目は先述の、チクシュルーブ小惑星が地球にぶつかったことによる氷期の到来である。
三葉虫は三回目の絶滅、アンモナイトは四回目の絶滅、恐竜は五回目の絶滅で完全に姿を消しており、仮に、この『原始世界』が三回目の絶滅が起こる2億5,100万年前よりも昔であるならば、旧人・新人レベルの高度な生活レベルを持つ人類は存在しない。
つまり、『原始世界』は小雪たちの世界で起きた、通称『ビッグファイブ』と呼ばれる大量絶滅が一つも発生しなかった、あるいは、極端に生物個体が絶滅する機会が少なかったがために恐竜が地上の覇者として君臨し続け、その恐竜たちに哺乳類たちが怯えながら進化・成長していった世界といったところか。
「さっきも言ったがもう一度言っておこう。後輩ちゃんよ」
先輩風を吹かせた夜暗森が写真を撮りながら答える。
「この世界は、はじめちゃんたちがいる世界とは全く異なる歴史を歩んだ世界なのだ!だから、そのチクチクなんとかも衝突してないし、トバ水族館も起きていない。たったそれだけのことなのだあ!!」
「だとしたら凄いことじゃありませんか?!!特に三回目の大量絶滅では地球上の90%~95%の種が絶滅しているんですよ?!!その大絶滅が起こっていないということは、犬とか象といった私たちにとって身近な生き物も、全く別の姿に進化しているかもしれないってことじゃないですか?!!凄くワクワクしません?!!」
地球上では『ビッグファイブ』以外にも様々なイベントが発生しており、そのうちの一つ、約7万年前にインドネシアのスマトラ島にあるトバ火山が大噴火したことによる激しい環境変化や大寒波の到来・トバ=カタストロフでは、個体の総数が1万体以下まで減った人類の祖先たちが、近い個体たち同士で交配を重ねた結果、遺伝的多様性の低い個体ばかりが生まれるボトルネック効果が発生したとされている。
もしそれらの現象が起こらずに、小雪たちが生活している現代まで時が進んだのだとしたら、果たして人間はどのような姿に進化したのか。国同士・宗教同士による激しい対立や興亡はなかったのか。歴史の謎を追究する者として、龍ヶ崎はその辺りが気になっているようだ。
「例えばですけど、腕から棘が生えていて、こう振り回して攻撃している、とかあるんですかね?」
しゃっ、しゃっと腕を振ってジェスチャーしてみせるが、
「だったら壁画にもうちょっとそういう特徴が描かれるんじゃないかな?この壁画からはそんな様子はないけど」
小雪が即座に否定する。
洞窟の入口付近にあった、鹿などの食肉としていたであろう動物たちが描かれている壁画とは違って、こちらの壁画では恐竜たちが中心に描かれている。やはり中央には翼の生えた人間のような姿が描かれ、それを慕うように恐竜たちと人間が描かれているが、人間たちの姿形は|(壁画から窺い知れる範囲では)小雪たちとの違いはない。
「だとしたら、あの翼の生えた人間は、人間たちの個体の中でもかなり特殊な変化を遂げた者なのかもしれませんね?この国では権力者として崇拝されているのかもしれません!」
「ひびきちゃんや。これ以上は考えても答えが出ないんだし、今日は寝ようじゃないかい。湯浴みをして身体はポカポカだし、腹も膨れたんだから、そんな難しいことはさっさと忘れて寝てしまいましょうぞ。そして、明日の朝からは、はじめちゃんのことばかりを考えるのだあ!」
自分から話を振っておいて飽きてしまったらしい。かわいらしいピンク色のパジャマで欠伸をしながら退屈そうにする夜暗森。
「面白いことばかりですね!偶然ですが皆さんに着いて来て良かったのかもしれません」
「勘弁してくれよ。小雪はあたしたちを庇って戦うのすら大変なはずなんだからさ、守られるのはあたしたちだけで十分なんだよ」
「えっ?!はじめちゃんって、実は守ってもらってる系お姫様だったってこと?!!実は異性にモテモテになるやつだこれ!!」
「モテるといいな。ちなみにあたしは女友達よりも男友達の方が多いタイプだったから、彼氏がいたことなんて一度もないぜ?」
「ええーっ!ゆいちゃんはルックスいいから絶対モテるって!何ならモテるように、帰ってからはじめちゃんが魔改造します!!」
「よせよ。あたしは、そういう可愛いらしいひらひらは好きじゃねぇんだよ」
やんややんやとピロートークが始まったので席を外れて撫霧と並んで座る。
「どっちから不寝番をやろうか?」
「……では、私が先に寝てもよろしいでしょうか?」
一張羅なのか分からないが、和装にポニーテールのままの少女が言葉を紡ぐ。
「……私は短眠ですので、2時間もあれば十分な睡眠が取れます。……残りの時間は全て私が担当しますので、複野さんは私の後に普通に眠っていただいて大丈夫です」
「短眠ってショートスリーパーってことだよね?それって健康面的に大丈夫なの?日中に眠くなったりしない?睡眠時間が低いと早死にするって聞くけど?」
「……私だけではなく、撫霧家が代々そうなのです。……古くから主君に仕える侍として従事してきた家系ですから」
その人の身体にとって必要な睡眠時間は、遺伝によって決定する。
ショートスリーパーもその遺伝による体質の一つであり、普通の人間が努力したところでショートスリーパーになることができず、逆もまた然りでショートスリーパーは長く眠ることができない。
「……それではお先に失礼します」
普段からそうしているのかは分からないが、片膝を立てて岩の壁に凭れながら刀を抱き、安らかに眠りに就く。古くから見張りの時に侍などが行っていた、緊急時に抜刀ができるように構えた寝姿だ。
「……」
龍ヶ崎ほどではないが、やはり気になるのは壁に描かれた壁画だった。全員の寝顔を確認すると、顔料で描かれた絵にそっと触れる。
三頭だけ描かれた恐竜。
恐竜と並ぶ人間。
そしてその中央に立つ、翼が生えた人間。
(何を伝えたいんだろ?)
この絵を描いたモノに会えないため、これ以上答えを探しても出てこない。
何かを他者に伝えるための絵なのか。
それとも、享楽や娯楽のためだけに描かれた、何の意味もない絵なのか。
「うーん」
その答えを考えながら悶々としていたら、いつの間にか2時間が経過していた。続きは布団の中で考えるとしよう。
京アニ放火殺人事件の初公判が始まるということで、京アニに関するお話を一つ。
今からおよそ10年前、「電車が撮りに行きたい」と言っていた友人二人と一緒に日帰りで京都に観光旅行に行きました。
撮影地からそれほど時間が掛からないから、ついでに行こうということで、最寄りの駅で降りた後に京都アニメーションのスタジオの外観を少しだけ見学した後に前を通り過ぎ、京アニショップでグッズを何点か購入して帰りました。
そこから数年後、あの事件が起きたことで、京都アニメーションは大火に呑まれて消失しました。
『日常』・『らき☆すた』・『涼宮ハルヒの憂鬱』・『氷菓』――。
数々のヒット作を打ち出して栄華を誇っていた京都アニメーションが、こんなにも一瞬に、こんなにも簡単に、こんなにも儚く消えてしまうなんて思ってもいなかったので、速報でニュースを聞いて愕然としたのを今でも覚えています。
この事件で亡くなった方々のご冥福をお祈りします。
ではまた!これからもよろしくお願いします!!