第27話:魚の活け締め、やってみた
「……今から魚を解体します」
時刻は18時。
場所は眼下に緩やかに流れる水流のある開けた空間。
鍋の中で泳ぐ三匹の魚を前にして撫霧は包丁を構える。
正午過ぎに洞窟に入って約5時間、狭い洞窟内をひたすら歩き続けたものの、最奥部と思しき場所まで辿り着くことができなかったため、ここで野宿をした後に明日出発することとなった。
「持って来てたんだね。釣り竿……」
「……大型複合施設に伸縮性の高いものがあったので購入しました」
川なのか海水なのか湧水なのかは分からないが、緩やかな水の中では魚が泳いでいるため、その場で釣ったもののようだ。魚の種類までは分からないが、40cmくらいの魚が三匹、鍋の中で泳いでいる。
「解体って何するの?活け造り?刺身?」
「……そちらも可能ですが、今回は三枚おろしにします。……この方が過熱して安全に食べられますので」
「三枚におろせるんだ?凄いねさえちゃん!!」
「……刀の鍛錬と称して幼少期から包丁捌きをいろいろと叩き込まれましたので。……刺身や活け造りにすることもできますが、今回は活け締め・血抜き・神経締めからの三枚おろしの一部始終をやっていこうかと思っています」
「凄いことは分かるけど、何が凄いのかはよく分からない!!はいひびきちゃんスマホ持って!はじめちゃんも映りたいから!!」
「わ、私がですか?!!」
わたわたと焦る女性警察官の手にピンク色のスマートフォンが手渡される。
「いやあ、大自然の中で魚を捌くなんて、如何にもサバイバル系ITuberみたいでいいね!!で、まずは何をするの?!」
「……活け締めです。……釣った後の魚が暴れるとストレスにより鮮度が落ちるので、そうならないように即死させます」
「ひえええ。やっぱ殺すんだね……」
「……踊り食いや活け造りの方が余程惨いと思いますが。……虐待や残酷なことをしているのではなく、私たち人間が美味しくいただくために必要となる大切な手順です。……折角釣ったのですから、最善の手を施して美味しい状態で食べた方が、魚たちも喜ぶと思いませんか?」
魚の目と目の間からやや下あたりに包丁の切っ先を突き刺す。
「……最も大切なことは「かわいそう」という感情を捨てて躊躇なくやることです。……ここで躊躇ってしまうと魚が暴れ出し、魚にとってストレスになってしまいます。……ストレスは鮮度を落とす原因となってしまうので、一思いに一刺しで脳天を突いて確実に殺してください」
びくりと少しだけ痙攣すると、魚の口が静かに開いた。活け締め成功の証だ。
「……次に血抜きを行います。……手順はどちらが先でもいいのですが、鰓の部分に包丁を差し込み、鰓を切り取ります。……その後に尻尾を斬り落とし、魚の口から水を流し入れて身体全体から血液を洗い流します。……複野さん。……水の杯は出せますか?」
「オッケーだよ」
洗濯物の乾燥|(風の杖)に照明|(炎の杖)・水回り|(水の杯)と、何でもできる便利なスキルである。水の杯を傾けると、じゃばじゃばと水が流れ落ちる。
「……しばらく洗った後に、水を張ったバケツの中や川の水の中などで魚の身を軽く振って、中から血が出てこないようであれば下準備完了です」
緩やかな水の流れまで歩いて軽く振ると、魚を持って戻ってくる。
「……さて、次は神経締めを行います」
「なあ、ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいか?」
蚊帳の外でサバ味噌缶をつついていた四方山が不意に手を挙げる。
「言い方悪いけど、その状態の魚って脳を破壊された上に血も抜かれてるんだよな?人間だったら疾っくに死んでるっぽいけど、その神経締めって何のためにやるんだよ?」
人間の体内には約5Lの血液があり、その20%となる1Lの血液が急激に流れ出すと失血性ショックによって命を失う。人間で例えるならば間違いなく致死量の失血がされていることになるだろう。
「……活け締めをしたの状態の魚は、脳は死んでいますが身体は生きている状態となっています。……この状態のまま放置しておくと、魚が筋肉を動かすことで身体じゅうに血液が循環して味や鮮度が落ちてしまうので、完全に動かないようにするためにするために神経締めを行います。……神経締めによって神経や脊髄を完全に破壊し、魚が動かないようにすることが目的です」
「あたし、父さんに連れられて何度か釣りに行ったこととかあったけどさ、氷の入ったクーラーボックスにポイポイ入れるだけで、血抜き・活け締め・神経締め、だっけ?どれもやってなかったような気がするんだけど?」
「……それは四方山さんのお父様が氷締めをしていたからでしょう」
そう話をしている間にも手を止めず、頭を片手で抑えつけながら、斬った尻側から背骨の上にワイヤーを差し込み、頭に向かって魚の身体の中を通していく。
「……氷締めは氷の上に魚を放置することで魚を凍死させる方法で、最も簡単な締め方だと言われています」
「ここにはクーラーボックスはねぇけどさ、その氷締めってやつでいいんじゃねぇか?そんな風に手間をかけると何が違うんだ?」
「……魚が死ぬまでにかかる時間です」
神経締めの終わった魚が静かに俎上に置かれる。
「……外敵に追われ続けるなどしてストレスが溜まった魚が鬱病になることから、魚にも心情や思考などがあるとされています。……氷締めは氷の上で魚が身悶えた後に時間をかけて凍死しますが、活け締めはその場で確実に殺すことができます。……ならば、同じ殺すにしても時間をかけて拷問のように殺すよりも、その場で捌いて一思いに殺した方がよいのではないでしょうか?……私が魚だったら迷わず後者を望みます」
穏やかな水の流れで手を洗うと、鍋の中に入っている二匹目の魚を掴み、同じ要領で締めながら続ける。
「……活け締めは古くから日本で行われてきた伝統技法なのですが、海外の人たちから見ると相当残酷に見えるそうです。……しかし、古来の人たちがどうやったら魚を美味しく、新鮮なまま食べることができるかを突き詰めた努力の結晶でもありますし、最近では高い保存性能が世界中で評価され、「ikegime」という名前でその技術が広まり始めていると聞きます。……先ほど言ったことと重複しますが、これも魚を美味しく食べるために必要な処理なのです」
「なるほどなあ。魚の気持ちなんて、あたしは考えたこともなかったよ。先人の知恵ってもんは凄いな」
「……私が言うのも間違っているかもしれませんが、生き物の命を奪うのは非常に勇気が要るものです。……どうしてもできないという場合は、氷締めでも全く問題ないと思います。……魚が果てる姿を見なくて済みますからね」
滑るように刃が魚に差し込まれ、先ほど説明した通りの手順で手早く魚が締められる。二匹いた魚は一瞬で処理され、動かなくなった魚が三匹並ぶ。
「……では、次は三枚おろしをやっていきましょう」
一時的にパーティに加わった龍ヶ崎がカメラを構える中、包丁を使って器用に鱗を剥がした後に頭を斬り落とすと、腹を開いて内臓を取り出し、下準備を済ませる。
「……まずは頭側から包丁の切っ先を浅く入れ、背骨に向かって切れ込みを入れます。……その後に――」
この後も撫霧の丁寧かつ流麗な捌き方により、プロ顔負けの三枚おろしが完成。最終フェーズとなる調理へと移るのだった。
「……ところで四方山さん。……四方山さんは料理は得意でしょうか?」
「小さい頃から「少しでも立派な女になるために料理をしなさい」とか言って、散々料理を叩き込まれたからな。そんなに本格的なものじゃなければ卒なく作れると思うぜ?」
「……それでは、こちらの魚を使って料理をしていただけないでしょうか?」
「あん?あれだけ上手く魚を捌く腕を持ってるんだから、削穢が作った方が絶対上手くできるだろ?」
「……それが、その、」
少し言い難そうに身体を捩る。
「……包丁で野菜を切ったり魚を捌いたりするのは得意なのですが、料理だけはどうしても苦手でして。……上手く調理をすることができないのです」
「……削穢って変な所だけ不器用だよな。調理の方法とかは教わらなかったのか?」
「……小さい頃から教わっていたのは料理ではなく刃の使い方だけですからね。……調理の下準備はできても料理はできません」
「分かったよ。んで、調味料は何を持って来てるんだ?味醂とか醤油とかはあるのか?」
「……ミリンですか?」
こくり、と和装にポニーテールの少女の首がかわいく傾く。
「……正しい政治を行っている者の前にだけ現れるという、中国の伝説の妖怪ですか?」
「それは麒麟だな……」
この様子だと知らないようだ。調味料なしで捌いた魚をどうすればいいと言うのか。
仕方がないので未開封のサバ味噌缶を開封。そこから味噌だけを取り出して切り身と一緒にぐつぐつ煮込んだ即席の味噌汁を誕生させることで、何とか一食賄ったのだった。




