第25話:壁画
「ふむふむ。比較的新しいものですね。先ほどまで誰かが居たのでしょうか?」
一応周囲を警戒したが、周りにはモンスターや人の気配はない。少し広めの天然の小部屋のような空間を検める。
乾燥した穀物が入った壺のような焼き物に、小石で囲ったスペースに焼べられた薪。布団代わりに使っていたと思われる動物の毛皮。数秒前まで人間が居たかのような生活感のある空間だ。
「何処に行っちゃったんでしょうね?全員狩りに出ているとか?いやでも、仮にそうだとしても一人か二人くらいは見張りがいないとおかしいような?」
うーん、うーんと頭を唸りながら思考に耽る女性の言葉を聞きながら、カヂャラ王国国立植物学総合研究センターで遭遇した、神を名乗る謎の男・バーナードの言葉を思い出す。
もし彼が言っていることが事実であるとするならば、『英雄』とモンスターとの戦いに無関係な一般市民は巻き込まれないように、元の世界に残しているのだという。
ならば、『誰かが居たような状況』よりも『誰かが居た状態だった』と言った方が正しいのかもしれない。
「愛知-016番ダンジョンとは大違いだな。遥か大昔にタイムスリップしちまったみたいだぜ」
同じことを思ったのか四方山が呟く。
どのように平行世界が分岐したのかは分からないが、この世界では21世紀相当の時が進んでいるにもかかわらず、文明レベルが縄文時代・あるいはそれ以下のまま止まってしまっているらしい。電子機器の類などは一切見受けられない。
「あっ!見て見て!!何か書いてあるよ!!」
スマートフォンのカメラを構えながら夜暗森が壁面を見ていたので、ぞろぞろと壁の前に並ぶ。
壁画には角が生えた動物や槍を持った人間・そして、翼を生やした神々しい人間の姿が描かれていた。
「壁画だね。ここに住んでいる人たちが描いたものかな?」
「恐らくそうでしょう。……しかし妙ですね」
壁画を見ながら長考する龍ヶ崎。
「例えばフランスのラスコー洞窟にある壁画では、これと同じように人間や動物の姿が描かれていますが、翼の生えた人間など描かれていません。これは何を表しているのでしょうか?」
壁画の中央には一対の翼が生えた人間が描かれ、それを崇拝するかのように周囲に普通の人間や動物の姿が描かれている。この世界に住む住民にとって、壁画に記された翼の生えたモノが如何に大切な存在であるかが窺い知れる。
「宗教に関係するものなんじゃない?ここに住んでいる人たちが信仰する宗教の最高神とか?」
「このような壁画が描かれる2万年くらい前の時代ですと、特定の宗派に別れているというよりは、自然現象や自然そのものを神格化して崇拝する自然信仰が主だったはずです。この人物は何を表しているのでしょうか?」
我々の世界を基準として見るのであれば、紀元前2,200年にクレタ島で興ったミノス文明の遺跡で女神を彫った像が発掘されていることから、火山の噴火や洪水などの自然現象を神格化する文化が4,000年以上前から存在したようだが、それらの女神崇拝を行っていたのが新人|(猿人・原人・旧人・新人という区分における新人)のホモサピエンスであるのに対し、この世界の生活様式は旧人のクロマニョン人レベル。
クロマニョン人などの旧人には死者を埋葬する程度の知能レベルはあるものの、合理的な思考能力や言語機能を司る大脳新皮質が新人よりも劣っているため、何かを神格化して崇拝するという行為そのものが不可能なはずである。
この世界の住民たちが新人であるにもかかわらず、旧人レベルの生活様式を営んでいるのか。
それとも、旧人たちにとって一目で『神』と分かるような何かがこの世界に存在するということなのか。
……近年の研究では旧人が新人に進化したのではなく、共通の祖先からネアンデルタール人とホモサピエンスに分化して進化し、数十万年の間、同じ時代で生活をした後にネアンデルタール人のみが絶滅したという「アフリカ単一起源説」が定説であるため、この世界にネアンデルタール人とホモサピエンスが同時に存在している可能性もあるのだが。
「ふふーん。甘いねひびきちゃん!!」
ここで先輩風を吹かせた夜暗森が、ふんすと鼻を鳴らす。
「ここははじめちゃんたちがいる世界とは別の歴史を辿った、全く別の世界なのだあ!!だから、元の世界にいた時の常識は全く通用しないよっ!!」
「えぇえ~っ?!!異世界なんですかここ?!!」
「まずはそこからかよ……」
『開拓屋』や『英雄』にとっては常識でも、何も知らない一般人にとっては非常識なことだってあるのだ。
「ということは、いわゆる異世界転移ってやつですか?!!私たち剣と魔法で戦っちゃうんですか?!!」
「魔法は使わないけどね」
「ぐるるるるる」
「じゃあ、あれもモンスターなのですね!!」
そう龍ヶ崎が指した方向にいるのは、縦に伸びた首と長い尻尾を持つ二足歩行のモンスターだ。トカゲっぽい見た目をしているがリザードマンほど人間らしい形をしておらず、小さな前脚は胸の前で真っすぐに伸ばされて持て余し、背中は前のめりに曲がっている。
「ぐるる……」
コンプソグナトゥス。
ジュラ紀後期にヨーロッパに生息していたという全長1メートル程度の小型恐竜である。
「これもモンスターなんですよね?!!ガーゴイルとかリザードマンみたいな、そういうタイプのモンスターですかね?!!」
「恐竜だ」
「恐竜だな」
「……恐竜です」
「恐竜だね」
何だか呑気で楽しそうな女性警察官を囲むように配置に着く。
「恐竜?恐竜ってあの恐竜ですか?異世界にもいるんですね恐竜って!!」
「説明は後!!確実に斃すよ!!」
数は全部で3匹。
洞窟の奥から来たのか進路を阻むように立つ。
「……今回は皆殺しにしますが構いませんね?」
「本当はやりたくないけど仕方がないね」
「ぐああああっ!!!」
一匹がこちらを噛み殺さんと口を開きながら猛々しく走る。
他方、
「……」
和装にポニーテールの少女は一切動じなかった。
静かに揺れる水面のような心地で一閃。
肉迫する途中で首を刎ねられた恐竜は横向きに倒れると、その亡骸が力なく音を鳴らす。
「ひいいっ!!」
あまりのおぞましい光景に言葉が出ないようだ。恐竜から噴き出た血飛沫を軽く被った龍ヶ崎の顔が恐怖の色を浮かべたまま固まる。
「ぐあるる!!」
「ぎゃるるる!!」
続けて二体。最初の一体の弔いだと言わんばかりに地を駆り、撫霧を殺さんと迫る。
が、
「……申し訳ありません」
赤い雫で濡れた刀を一閃。
一撃を受けた恐竜たちはその場で倒れ、血溜まりの上で動かなくなる。
「え……、嘘…………。さっきまで生きていた恐竜たちが、死んで…………」
「少し休憩にしよっか。私だって辛いよ」
住居跡に積まれていた布類を何枚か拝借して死体に被せると、その姿を隠す。