第9話:『英雄』であって英雄ではない
「意思疎通ができて、尚且つ説得に応じたモンスターは連れてきているけど、そうじゃないモンスターは容赦なく殺しているだと?」
「そうじゃ」
2m以上もある巨体に持ち上げられたにもかかわらず、飄々としたまま老人は受け答える。
「彼奴らはモンスターたちにも生きる理由があって、それを理解してあげたいと言っていたぞ?言っていることとやっていることがまるで違うではないか?」
「彼女たちは『英雄』であって英雄ではないからのう。彼女たちにもできることとできないことがあるんじゃ。……例えば松の木が生えた方を見てみよ」
言われた通りに視線を向けると、そこには甘い蜜を探して迷い込んできた一匹の白い蝶がいた。
「あの蝶は花の蜜が吸いたくてここまで飛んできたのじゃろう。こんな敷石ばかりの庭には花の一輪も咲いていないのにのう。……さてお主、お主ならあの蝶に「こんな所に花も蜜もないから、もっと花が綺麗な場所へ移動しなさい」と説得することができるかのう?」
「できぬな」
「必死に追い駆け回して花がある場所まで誘導することはできるかのう?」
「できぬな」
「それと同じことじゃよ」
表情を変えないまま老人は続ける。
「言ったじゃろう?彼女たちは『英雄』であって英雄ではないと。どんなモノにも手を差し伸べてどんなモノでも全員救ってしまう本物の英雄とは違って不器用な彼女たちは、救える命と救えない命を自分で決めなければならないんじゃよ。全員が全員救われて大団円になる模範解答なんてものは、『英雄』とモンスターの殺し合いが始まった時点で既に潰えておったのじゃ」
「だからと言って殺していい理由にはならないではないか?」
「そりゃあ、彼女たちだって救える命は救いたいと思っているじゃろうて。だけど無理なものは無理なんじゃよ」
皺だらけになった手でポンポンと軽く叩くので地面に降ろす。
「顔も形もないスライムに「ここで安全に暮らそう」と言って誘導できるかの?腐った死体となったゾンビと手を取り合えるかのう?普通の犬と知能レベルがほぼ変わらないのに口から炎を吐くヘルハウンドに対して、同じ説得ができると思うかのう?『モンスター』と一つに括っても、お主のように人語を理解するモノもいれば、そうじゃないモノもいるんじゃよ」
ホブゴブリンは、今まで30匹以上のゴブリンを従えてきた群れのボスだ。
廃城への移動を決めた時や魔王ゲウの配下に就くと決定した時に分裂したモノもいたし、言う事を聞かなかったために粛清したモノもいた。
言葉を話せるゴブリンを統率するのですらこんなに手を焼くというのに、それがスライムやヘルハウンドなどの意志疎通が不可能なモンスターが相手だとしたら、どれほどの心労となるかなど想像するに容易い。
しかし、
「ならば、モンスターの言葉を理解できる能力者を探せばいいではないか?そいつを仲介して交渉を行えば、どうとでもなるだろうが」
ここは『スキル』という特殊な能力を一部の人間が持つ世界。
中には『世界各地に出現したダンジョンを察知するスキル』などもあると言うし、広い世界を探せばモンスターとの会話を可能にするスキルもあるのではないか。
そう提案するも老人は静かに首を横に振っただけだった。
「都合がいいのか悪いのか分からんが、『英雄』たちが所持するスキルというのは、どれもこれも戦闘に特化したものばかり。言ってしまえば戦闘に役立たんようなスキルはほとんど存在しないんじゃよ。まるで将棋やチェスのようじゃな」
縁側へと静かに座り直す。
「相手を殺すためのスキルばかりが人間たちに与えられ、不必要なスキルなぞ一個もない。誰かが管理している盤面の上で、ただ踊らされているだけのようじゃ」
「やはり納得がいかんな。救うか否かを救えるか否かで決めている点がな」
「そんなことは彼女たちが一番分かっておるよ」
話の内容など何処吹く風で、蝶は優雅に空を舞う。
「結局のぅ、善なんていうものは利己主義に過ぎないんじゃよ。「そうすると気分がすっきりするから」という理由で救いの手を差し伸べ、「無理だから」と見切りを付けて諦める。自分たちがしてきた利己的な善が、自分たちにとって本当の善であったのかという問いの答えは、いずれ彼女たち本人が気づき、学ばねばならないことなのじゃ。じゃから、もう少し彼女たちに付き合ってやってくれぬかのう?」
まるで、数々の希望を見てきた瞳で。
まるで、数々の諦観を目の当たりにしてきた表情で。
明鏡止水の如く透き通った目で静かに訴える。
「……爺さんは親切だけど意地悪だな」
玉砂利の敷き詰められた庭に大きな尻を着地させる。元居た国にはなかった技術なので、尻から伝わる感覚がとても初々しい。
「ワタシのような頭の悪いモンスターだったら、そんな間怠っこいことをしてないで、素直に教えてくれと思ってしまうのだがな」
「ほっほっほ。こういった困難にぶち当たってこそ人間は成長するのじゃからのう。彼女たちには藻掻き・足掻き・彷徨い・苦しむ時間が必要なのじゃよ」
「ふーん。随分と面白い話をするんだね。少し見直しちゃった」
何処かから声が聞こえた。
が、周囲を見回しても白い蝶しか見当たらない。
「あたしは白い蝶なんかじゃないよ?歴とした妖精なんだから!!」
声の正体は小さな蝶だったらしい。ふわふわと飛ぶとホブゴブリンの顔の前で滞空する。
「あたしの名前はエルシー。あなたと同じで別のダンジョンから移動してきた妖精よ。よろしく」
「ああ、仲良くしようではないか」
妖精少女の姿を検める。
長く美しい銀色の髪に、白を基調としたワンピースのような服装をしている。全身が白か白に近いコスチュームで統一されているため、ぱっと見で白い蝶にしか見えなかったのだろう。
「蜜を求めて来たんじゃなくて、新人がどんな感じか様子を見に来たのよ。……っていうか、そこのホブゴブリンはさておき、コウゾウは気づいてよねっ?!」
「最近は老眼がすっかり進んでしまってのう。小さいものはよく見えんのじゃ」
「そんなので本当にこのダンジョンを守れるわけ?いざとなったらあたしがコウゾウの代わりに戦ってあげるけどさ!」
「ほっほっほ。それは楽しみじゃわい。……お、そうじゃ。『ひしかわ開拓』の皆さんに頼んで羊羹を買ってきてもらったのじゃった。みんなで食べようかの」
「本当?!あたし、ヨウカン大好きなのよね!!」
よっこいしょと一息吐いてから徐に立ち上がると、白い妖精と稲葉山は家の中へと消えてしまった。
「……まずはゴブリンたちと協力して、雨風を凌げる高さ3mくらいの家でも作るかな?」
日本家屋の出入り口は180cmくらいの規格となっているため、2m30cmのホブゴブリンが生活するには余りにも狭い。というか、何だか壊してしまいそうなので迂闊に中に入れない。特にやることが思いつかないのであれば、まずは衣食住を確保するために奔走してもいいかもしれない。