プロローグ:悲しみを乗り越える鼻腔
かつて、幻想溢れるこの世界を支配しようとする魔王がいた。凶悪なる魔物たちへの統率力と強力なる魔法の数々に世界中の戦士達が敗れる中、エルバニア王国の王が異世界から勇者を召喚した。その勇者は魔法という概念を使用しない奇跡の異能を持ち、この世界で出来た仲間たちと共に魔王の軍勢を塵芥と変えて、ついに魔王を打ち滅ぼした。
しかし、世界を救ったはずの勇者は凱旋の最中、エルバニア王国の王を殺害し、行方不明となった。王国の民も勇者の仲間もこの事件に驚愕した。彼らは勇者の真意を確かめるべく、世界中を血眼になるまで探した。その間、人々の噂には”勇者の正体が魔王だった。”とか”勇者と魔王が共謀した。”などと囁かれる中、とある噂も存在した。
”勇者は魔王の娘を連れている。”と
見知らぬ森の中、焚火に晒されながら、藍色の髪と瞳を持つ旅人の青年は鍋の前で佇み、土埃で汚れた軽装を着た赤い長髪と瞳、山羊の黒き角を持つ幼女が寝込んでいた。
魔物が息を潜める暗き森の中はこの世界、この時代にとって危険な行為で、熟練の冒険者でしか野宿が許されない程だ。
青年が時折、鍋の中の具材とスープを掻き混ぜた時、幼女はゆっくりと瞼を開け、起き上がる。
それに気づいた青年は鍋から離れ、幼女の前に立つ。
「ようやく、起きたんだな。べリア・アスタロット。」
幼女、べリアは青年の顔に気づき、怒りを浮かべながらも、すぐに悲壮の表情を浮かべる。
「答よ、妾をここに連れ出した。勇者カイト・スメラギ。人類の平和を犯した愚かなる魔族の王の娘たる妾を。」
青年、カイトはべリアの前で膝を地に着き、頭を垂れた。
「すまなかった。この戦争はエルバニアが最初、魔族に対し、不当な差別を虐げてきたことから始まった。この世界に召喚された俺はお前の大切な父親の想いを無下にし、無慈悲にも殺した。全てはエルバニアと俺達、勇者パーティの責任だ。許してくれ。」
べリアは拳を握り締め、彼を睨みつけ、叱咤する。
「謝るな、カイト・スメラギ! たとえ、人類側に非があろうと、争いを仕掛けたのは魔族側じゃ。今になって一方的に許しを請うな! さもなければ…」
べリアの目に大粒の涙が流れ、顔や耳を赤く染め泣き崩れる。
「妾は人類側を恨めないじゃないか…。父上もこうなることは分かったいたのに…。何故なんじゃ父上、何故、共に死なせてくれなかったんじゃ…。」
カイトは悲しみと屈辱に打ちひしがれるべリアの前に屈み、抱きしめ、背中を撫でる。すると、彼女の大粒の涙は洪水に変わり、ありのままの泣き声を叫ぶ。まるで、親が子供をあやすように。
ふと、彼女の鼻腔は彼の作った料理の匂いに擽られる。そして、衝撃が走る。
「何じゃ、この料理は⁉ 西洋出汁の上品な匂いとは違う、ほっこりする香しさを感じるのじゃ⁉ 肉とも野菜とも違う…これは一体⁉ 」
その時、暗い顔に陥ったはずのカイトの口元が本性を現したようにニヤリと歪む。そして、高らかに言い放つ。
「流石、魔王という魔族の上流階級の名君だ。料理に対する感受性も違う。今、味わせてやるよ、魔族初の日本料理を。」
今、ここに勇者と魔王による食への探求の旅が始まる。